39. 私の郷愁 (1999/6/05)


戻る前回次回

一ヶ月ほどまえに、一時的に勤務場所が変わった。

具体的な話をしよう。私は調布に住んでいる。調布という町の位置を知る人は案外少ない。プロジェクトが変わるごとに人と知り合い、まず最初の話題はそれぞれの住んでいる場所の話になることが多いが、私が住んでいる調布という町が実はあまり知名度がないことを改めて思い知らされる。田園調布という地名は全国的に高級住宅地であるという風に人々の記憶にあるのだが、ただの調布は東京の人にも知られていない。Jリーグのチームのヴェルディ川崎が、本拠地を東京に移す計画を考え出したときに、第一の候補が川崎のすぐ隣にある調布だった。移転していたらヴェルディ調布というチーム名になったかもしれない。だが結局移転は実現しなかった。Jリーグの理念である「地域に根差したサッカーチーム」だとかファンの抗議があったからだそうである。

いまの勤務地は横浜である。というか実は今日から蒲田になったのだが、ともかく JR 川崎駅の近くにあることは変わりない。それで、私は最初、調布からまず新宿に出て、そこから山の手線で品川へ行き、品川から東海道線で川崎・横浜方面に行っていた。はっきりいってこのルートはラッシュがひどい。だが幸いなことに、業務開始時間が 10時だったので最悪のラッシュは避けられた。それと、一度品川まで来ると横浜へは下り線になるので電車はすいている。

そうして山の手線経由で通勤を続けていたある日、ある人からこう言われた。南部線経由で来ればどうか。南部線というのは、私もよく判らないが、立川方面から川崎へとつながっている電車のことである。川崎はまあヴェルディ川崎で知名度があるのだが、立川となるとちょっと知名度が落ちる。まあよい。東京の西方と神奈川とを結んでいる電車だと思って頂ければよい。

そこで私は早速南部線経由のルートを調べてみた。調布から分倍河原というところへ行くと南部線に乗り換えできるみたいである。ものは試しと早速そのルートを行ってみることにした。分倍河原へ着いて驚いた。なんと田舎の駅だろう。京王線と JR の乗り換えが出来る駅なのである程度大きい駅かと思ったが全然そうではない。改札も自動改札ではなく人間が切符を見ている。しかも JR と京王線の改札が一緒なので簡単にキセルが出来そうなほどである。私は分倍河原までの切符しか買わなかったのでそこで改札を出て、JR の切符を買って駅の中へ戻っていったのだが、分倍河原の駅前のさみしいことさみしいこと。だが、このさみしさはどこか私にとって懐かしいものだった。

故郷という言葉がある。私の故郷はどこか判らない。本籍上は和歌山だが、生まれたのは大阪であり、高校大学は東京である。多分私の故郷は東京だろう。だが、いまの東京は故郷という感じがしない。

中学だか高校の在学中に、住んでいた小金井からわざわざ当時通っていた練馬の小学校まで自転車で行ったことがある。時間にすると一時間ぐらいで行ける距離であるが、一時間というと気軽に行けるような距離ではない。なにより、行く理由がない。まあ思い立ったから行った。懐かしかった。小学校低学年の時以来である。子供にとって数年ぶりの場所は遥か昔である。よく遊んでいた公園は、一回り小さく感じた。

小学校三年のときに私は父親の仕事の関係で札幌に行った。だから、物心ついてからの記憶は札幌のときの方がずっと大きいだろう。いつか機会があれば行くつもりである。今月の残業代を札幌旅行に費やしてもいいかもしれない。まだ仕事が忙しいのだが、一二年以内に行ってみたいと思っている。懐かしさは恐らく練馬の比ではないだろう。友達の数も多かったし、記憶にある場所の数も多い。…友達とは会わないだろう。別に会ったからといってどうということはない。よく考えればさみしいことだが、性格も中学・高校へ行くことで変わってしまったに違いない。友達と私とを結び付けるものは、ただ「昔は友達だった」「昔はクラスメイトだった」という事実しかない。

少しだけ通勤の話に戻る。あれからさらに通勤ルートを調べると、どうやら稲田堤という駅で乗り換えるとさらに通勤時間が短縮されることが分かった。ただし、京王線と JR の駅同士が離れているため、4分ぐらい歩かなければならないという難もある。同僚で同じ調布に住んでいる人がいるのだが、彼はこの距離が面倒で新宿品川ルートで通っているらしい。

稲田堤の駅で降りて私はさらに懐かしくなった。丁度この小さな田舎町具合が私の郷愁とマッチしたのである。小さな商店街に、所々ある畑。小さな商店街といっても、大きな飲み屋とかパチンコ屋もあるのだが、小金井・調布より一回り小さい町である。さらに、京王稲田堤の駅がまた面白い構造をしていて私の琴線に触れてくる。高架に駅があるのだが、高架のわりにチープな駅なのである。

余談であるが、JR 秋葉原駅は外からみるとほんとに恐ろしい構造をしている。あんな駅があんなに高い場所に浮いているのだ。電車を降りたときはなんとも思わないのだが、駅を出てしばらく歩いて少し遠くから眺めると空恐ろしくなる。東海地震がくるとガラガラと崩れ落ちそうな気がする。恐らく、いまからさらに 10年ぐらいたったら、この秋葉原駅のことを懐かしむような気がする。

郷愁は距離とは関係がない。主に時間と関係がある。私は札幌から小金井に来てから三年間ある場所に住んでいたが、そのあと大体 300m ぐらい離れた場所に引っ越した。距離にしてそれだけしか離れていないのだが、前の家の近くを通ると懐かしくなる。家に友人を招いて遊んだ日々、レゴブロックを部屋一杯に広げて遊んだことを思い出す。

10年間住んだ小金井を離れた日は非常にあっけなかった。小金井には、私が通った小学校(ただし半年間だけ)と中学校と高校がある。私の卒業した大学に私がもし落ちていたら大学も小金井だった。引越しの日は突然来るものである。引越し屋が荷物を運び出して、ガラガラになった家を見るのは少しつらい。これまでくつろいでいた部屋、家具が運び出されたために広々としているはずだが、私には狭く感じた。ほんとうにこの部屋で暮らしていたのかと思わされるほどである。

まあ、いまは私も調布の自分の部屋にだいぶ土着してきた。私は新たな家具を購入した。ウォーターベッドに始まり、テレビ、本棚、もらい物のタンス、ノートパソコン。机だけは同じものを使っているが、配置の仕方が異なるのでまるで買い替えたかのような錯覚もある。ライフスタイルも多少変わった。いつかこの部屋を懐かしむことがあるだろう。

ここまで私個人の話をだらだらしてしまったが、ぜひここは私の薦めを聞いてほしい。それは、引越しをする前や、間取りや家具の配置を変える前には、必ず写真を撮っておいた方が良い。いつかその写真を手がかりに、昔の自分の生活を思い出すことが出来て、懐かしむことが出来るだろう。過ぎた日を思い起こすのは決して後ろ向きなだけではない。これからの生活をかえていこうとするときの起点になるだろう。

自分の家だけでなく、行き付けの店も本当に懐かしい。特に私にとっては本屋がそうである。小金井にいたころはなぜか行き付けの本屋がつぶれてしまったり店舗縮小されたりして、なんというか自分の過去の一部が無くなるかのような気持ちがして嫌なものである。余談だが、私が物心ついて初めて行き付けの店になった場所は、近所の本屋であった。その本屋に母親がパートで働いていたため、漫画とかの立ち読みが好きなようにできた。そのころは立ち読み禁止な本屋も少なかったため、足が疲れ切るまで好きなだけ立ち読みが出来た。ちなみに、私がいまコンピュータマニアになったのも、この本屋で見つけた、すがやみつる(菅谷充)という漫画家(文筆家)の入門漫画がはじめである。小学校四年の頃にこの本を見つけて以来、算数の好きだった私はコンピュータに取り憑かれたのであるが、この話はまた別の回を設けて話すことにする。

*
話は少し変わる。

日本人には故郷がある。少なくとも昔の人には故郷があったし、いまの人にも故郷がある。

私の父親は和歌山の山奥が故郷である。高校は和歌山の都市部で、大学は京都で、就職は大阪で、そのあと東京・札幌・東京と渡ってきた。父親にとって故郷とは自明である。父親の両親はいまも和歌山の山奥に住んでいる。そこから出てきたのだという意識があるのだろう。

私の母親はどうだろう。母親は大阪の堺の都市部の生まれである。既に両親は亡く、当然実家も存在しない。墓参りに行くときには親戚の家を経由していくことになっている。大阪は母親にとって定義上は故郷かもしれないが、既にいまは実質上故郷とは言えないのではないかと思う。母親の住んでいた場所は、高度成長期の都市開発によって事実上消えてしまったと見てよいのではないかと思う。

私の心の故郷は、これまで札幌だと思っていたが、いまはもうそんな意識はない。別に故郷を懐かしがりたいわけではない。だが、東京のあまり開発されていない場所に来ると妙に懐かしくなる。つまり、私の故郷は概念的になってしまっているのだ。

今日は半年以上ぶりに前の仕事の同僚と再会したのだが、その人は九州から上京してきた人らしい。仕事が忙しいという理由もあるかもしれないが、地元に帰りたいと言っていた。その人にとって東京にいること自体のメリットはないのだろう。東京に住んで 3年以上たつらしいが、東京には「土着」していないようである。地元に戻れば地元の友人がいるのだろうから、親しい友達と仲良く出来るのだろうな、と思っていたら、その人は東京にも友人が多いみたいなのでよくわからない。地元に帰れば東京の友人とは縁が切れるだろうに、と思ったが気にしていない様子だった。

かと思えば、逆の人もいる。就職の関係で東京に来た人がいるのだが、その人は会社に頼んで地元で働きたいと言っていた。ところが、あるときから「やっぱり東京で」ということにしたそうである。その理由を上司が聞いてみると、どうやら東京で男が出来たらしい。これ以上に納得のいく理由はそうそう無いだろう。また「やっぱり地元で」と言い出す日が来る可能性があることは言うまでもない。

故郷という概念は、高度成長期あってのものらしい。昔は、東京へ出て一旗あげる、という言葉があった。いまも勿論あるが。大学は東京近郊に集中しているし、就職の口も東京の方が多い。だが、そうやって東京へ出ていった人間が、そこで夢敗れたり帰りたくなって故郷へ戻ったりする人も多かっただろうが、東京に土着して子供をもうけた人は多く、東京の人口は増えた。これ以上増えることがあろうか。一昔前から既に U ターンという言葉がある通り、地元へ戻る人も多い。だが、彼らは元々地元の人間だからこその U ターンだろう。彼らの子供は東京生まれである。その子供らは、東京を出ることを考えるだろうか。ということは、既に故郷という概念は無くなりつつあるわけである。

ただ、私は札幌に住みたいとおもうことはある。土地が東京より安いので住むのも快適だろうし、街も百万都市なので都会である。おまけに海産物はおいしくて安いし、旅行は車で色々と自然豊かな場所に行ける。だが、私が札幌に住みたいと思うのは、そこが故郷だからという理由ではない。その場所が好きだからである。つまりこれは故郷ということだろうか? まあ、札幌には私の業種の仕事が少ないみたいなので、転職しない限り札幌には住まないだろうし、そこを押してまで特に強く住みたいとは思わないだろう。

*
懐かしい場所はいい。人は、自分の記憶の中に過去を保存できるものなのだが、やはり現実に存在する場所の方がずっと思い出深い。その場所には決してその当時の人々や面影が残っているわけではないのだが、場所というのは素晴らしいものである。そんな場所を多く持ちたい。

和歌山の山奥に父親の故郷があると述べた。この場所は小さい頃に毎年夏や冬に行ったものである。自分の両親や祖父母が死んだときにここを訪ねるのも悪くないなと思う。


戻る前回次回
gomi@din.or.jp