169. すたれるべき娯楽 (2008/8/19)


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最近の若者は娯楽が「貧困化」して、携帯やネットやゲームばかりやっているらしい。給料が低く抑えられているため可処分所得が減って金の掛かるレジャーに行かなくなったからだとか、親が子に遊び方を伝えていないからだとか、そんな分析を紹介した新聞記事があった。

その話が2ちゃんねるのニュース速報+板でネタとして突かれていたのだが、いかにも板の住人の好みそうな世代間格差とくに団塊世代の老害を糾弾する流れもそこそこに、そもそも金の掛かるレジャーというもの自体がテレビや広告代理店の罠であり、企業が庶民から金を巻き上げようとしているだけだとか、アウトドアとか旅行なんかネットより詰まらんと言い切る人々が目立った。

そこで今回は、私が感じたことのある不満、レジャーというものに対して以前から感じていた腹立ちをぶちまけたいと思う。

■野球場

親に連れられて野球場に行ったことが二回ある。

一回目はいまはなき後楽園球場だった。父親と二人で巨人戦を見に行ったんだったと思う。詳しいことは忘れたがナイターの内野席だったと思う。小学校低学年だった私の記憶に残っていることと言えば、ただただ球状が汚かったことだ。試合の内容はほとんど覚えていない。応援団みたいなおっさんが前の方に陣取り、丁寧だが親しみのある口調で応援を指揮していた。私たちはそれに合わせて掛け声を上げ、メガホンを叩いたりした。この頃の私は、野球を観戦することを楽しいとは思わなかった。球場の中でカレーを食べたことが唯一の喜びだったと思う。

二回目は友達と家族ぐるみで西武球場のデーゲーム(?)を見に行った。外野席は芝生で出来ていて開放感があった。汚い後楽園球場と違って西武球場は割とキレイだった。そういえば西武球場もいまはドームになっているんだっけ?そのときは友達と一緒だったから野球そっちのけで友達と遊んだ覚えがある。外野席は思いのほかバッターからは遠く、打ったかどうかよく見えなかった。試合がどうなっているのか、さっぱり分からなかった。

いまは野球を観る楽しさが分かるが、それはあくまでテレビの前での話である。テレビであれば試合展開や選手の表情なんかが簡単に分かる。この年になると、一回ぐらい行ってみてもいい気はするが、あくまでノスタルジーとか物珍しさを感じに行くだけだ。

昔の人が野球大好きなのに比べて今の野球人気が落ちてきているのには色々な理由があるのだろうし、観客動員だけじゃなくテレビの試合中継の視聴率まで落ちているのは巨人の渡辺恒雄オーナー(?)が自分のチームのことばかり考えすぎたのが主な原因だと思うが、そもそも今に続く野球観戦というものが客から高い入場料を取るほどのサービスだったのかどうか私には疑わしい。

■映画館

映画好き特に映画が全てだったという人が年寄り世代に多い。その気持ちは分かる。なにせテレビすらない時代、娯楽といえば映画ぐらいしかなかったからだ。

私が見た初めての映画はバックトゥザフューチャーだった。その前にドラえもんの長編映画第一作目も機会はあったがダダをこねて結局行かなかった。次いでポリスアカデミー3とかグーニーズなんかを観た覚えがある。これらの映画は今でも名作とされ、私自身とても面白かったように覚えている。

しかしである。作品自体の面白さとは別のところ、映画館の視聴環境に私はウンザリしていた。当時小学生だった私は背丈が低かったので、前に座っている人の頭が気になって仕方がなかった。映画館に行く前から神経質になっていたほどだ。というかそもそも席が取れるかどうかすら不安だった。最悪立ち見をしていた。金を取って立ち見って今じゃ考えられないほど劣悪なサービスだ。周りの人の騒音にもイライラさせられた。中で売られていたジュースやポップコーンの値段の高さも未だに記憶に残っている。

以降私は映画館に行くということ自体考えられないほどの映画嫌いになった。映画はどうせテレビでやるし、でなければレンタルして借りてくれば自分の家でゆったり見られる。年配者がやっぱ映画は大きいスクリーンで見ないとダメだなんて言っているのはたわごとにしか思えない。

■旅館

小さい頃は親に連れられて休みのたびに家族旅行に出かけた。親が旅行好きだったからだろう。北海道を一週間で半周するキャンプなんていうのにも行った。じゃあ今の私は旅行好きになったかというとまったく逆で、旅行が大嫌いになった。

北海道ではキャンプじゃなかったら旅館または民宿に泊まったのだが、そのどれもサービスは劣悪だった。部屋は汚い、食事はまずい、従業員は不気味。いい思い出がほとんどない。唯一、夫婦だったかが経営する西洋風のペンションはとても良かったがごく例外である。父親の田舎に行く途中で泊まるビジネスホテルのほうがずっと楽しみだった。

世界中を旅行している椎名誠すら、世界の極地の劣悪な環境を色々経験しているにもかかわらず、日本の旅館のサービスには辟易している。いったいどうしたらこんな低いサービスが続くのだろう。旅行に行こうという気さえ萎えさせる。

■遊園地

中学校の卒業遠足でディズニーランドに行った。あとで聞いたところによるとそれはディズニーランドの戦略だったらしい。それ以来私はまたいずれディズニーランドやその他の遊園地たとえば多摩テックとかに行ってみたいと思っているのだが、一方でなぜあそこまで劣悪なサービスが続いているのか不思議でしょうがなく、行くにせよまたそれで嫌な思いをするのが分かりきっていて行く気がなくなってしまう。

遊具に乗るまでの行列の待ち時間が数十分だなんてアホじゃないだろうか。そりゃ入場客が人気のアトラクションに群がるのはしょうがない。でもいくらなんでもアトラクションはいくつもあれば客も分散するはずである。普通に考えれば行列というのは客がどうしてもアトラクションに乗りたいから発生するのであって、待ち時間○○分と表示されていてじゃあ後回しにしようと思えばそれ以上行列は伸びないはずである。十分にスケジュール管理すれば客はまったく待つ必要がなくなるはずである。それなのに足が疲れて退屈になるのを我慢してまで並ぶのは客の頭がおかしいのか。いや、すいてくるのを待っていたらいつまでたっても乗れないからだろう。つまり明らかに運営側の問題である。ディズニーランドはまだ良心的なことに客の入場制限をしているそうだが、それをしても数十分の待ち時間があるアトラクションがあるのである。

アトラクションに乗るには入場料とは別にお金を払わなければならない。幼い頃の私ですら意識せざるをえないほどの露骨な値段だった。そのせいで私は子供なのにお金のことを常に心配しながら遊んでいた。楽しいことは楽しいが、どこか背徳的なものを感じて苛まれた。

■バーベキューとキャンプ

バーベキューやキャンプに行くと常にトイレの心配をした。

なぜキャンプ場のトイレはあそこまで汚いのだろう。そのへんの草むらに隠れてやったほうがまだ快適なのに、わざわざあそこまで汚いトイレで用を済ませなければならないことに、とても不合理を感じた。そりゃキャンプ場でピカピカのトイレを期待するのはおかしいが、定期的に無造作にホースで水を掛けるとかするだけでだいぶマシになるのに誰もそれをやっていない。

人間というのはトイレの心配があると楽しみすら半減する。

■休暇集中

毎年お盆になると家族で父親の田舎に車で帰っていたが、行き帰りの渋滞は毎度名物だった。そりゃ日本全国で一斉に移動すれば交通機関が麻痺するのは当たり前で、むしろちゃんとそれでも移動が成り立っていることのほうが驚く。

私が社会人になってみると、必ずしもお盆に夏休みをとるわけでもなく、というか仕事の都合でズレることのほうが多いのだが、それでもゴールデンウィークみたいなカレンダー上の大型連休は全国一斉だ。日本企業は海外の先進諸国のように三週間とかの自由に取れる大型休暇がないので、数少ない大型連休に人が群れることになる。すると行楽地は混み、料金は割高になり、人いきれにまみれることになる。逆に自営業とかで好きに休みを取れたり普通の人とは違う休日をとる人は平日の割安な料金ですいている娯楽施設で存分に遊べるらしい。

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にしても2ちゃんねる面白い。クーラーが利いた部屋でネットや本やテレビで楽しむなんてほんと最高の娯楽だと思う。


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gomi@din.or.jp