168. コンサルティングとカウンセリング (2008/7/22)


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最近の企業はあまり社員教育をしなくなってきているみたいで、新人を採ったら大体三ヶ月ぐらい教育してからすぐ現場に出すらしい。というか私が在籍したことのある二社は最初の一ヶ月こそ一日中教育にあてるが、あとはすぐ現場に配属させて現場で教育を行っていた。OJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)なんていうかっこいい横文字が使われるようになって久しいが、要は現場任せで教育の手間と金を節約したいからだとよく言われる。じゃあ企業はどのくらいの手間と時間と金を掛ければいいのか。それにかつて企業は学校教育を一切あてにしておらず、基本的なところを自分たちで一から教育しないと新人は使い物にならない、なんて息巻いていた。教育したいのかしたくないのか。いま思い返してみると一体何が真実だったのかよくわからない。私が見たところ、企業は昔は社員を自分たちの都合のいいように洗脳するような教育をしてきたが、今はそんなことをやっていたら競争に勝てなくなったので急に即戦力を求めるようになっていったのではないだろうか。学生からしてみれば非効率的で前近代的な洗脳教育を受けるよりは、学校で学んだことを活かしながら現実の仕事に応用できるよう少しずつ実学を学ばせてもらうのが一番いいんじゃないかと思う。逆の例を出すと、ある大手メーカーは新入社員を二年間仕事させずに勉強に専念させていたそうだが、そこまで念入りな社員教育を学生は望むだろうか。

そんなつかみはあくまで前置きとして、このまえ私が社内研修を受けていて面白いネタを一つ見つけたので今回はそれを書きたい。

■ネコを勧めてみる

それはロジカルシンキングの応用講座だった。ロジカルシンキングは物事を論理的に考えるための方法だが、その応用講座ではそれをプレゼンテーションに活かすというものだった。

たとえば、イヌとネコ、飼うならどっち、とお客さんに訊かれたとき、片方をプッシュするためにはどうしたらいいか、という練習問題があった。

まず、グダグダと良いことを説明してもしょうがないので、三点ほどに絞ってアピールするのがいいのだという。人間というのは一度に理解できるのは三つまでで、四つ以上は「たくさん」と考えて忘れていってしまうものらしい。

しかしネコを勧めるときに、こういうのはどうだろうか。

1. 手間がかからない。
2. 負担が少なく済む。
3. ネコと一緒にいると楽しい。

1と2って微妙にかぶってないだろうか。2の負担というのが手間と金の両方を含んでいるのだとしたら1はいらない。それに3の楽しいなんていうのはイヌだろうとネコだろうと関係ないし好みの問題ではないだろうか。

ネコはあまり臭くない、肉球がきもちいい、泣き声がかわいい、食費がそれほど掛からない、毛皮のさわりごこちがいい、顔がチャーミング、気ままな性格がいい、などなどネコの良いところはいくらでも挙げられるのだが、それを仮に全部説明するだけの時間があったとして、一体どれだけの効果があるのだろうか。ネコのものすごいマニアックな良さなんて説明したってしょうがない。家電製品の良さの中で、角っこの丸みをさらになめらかにしました、なんてお客さんに言ったってしょうがないだろう。特にアピール度の高い項目を三つに絞ってプッシュするにしても、どうやってその三点を選べばよいのだろうか。

まず考えないといけないのは、一体どんな客を相手にしているのかということだ。マーケティングというほどおおげさなことではないが、相手に合わせて考えないと効果的なアピールはできない。相手に合わせてポイントを絞って訴えかけるのだ。

そこで仮に、初めて動物を飼うというペット初心者を客として想定して、こういう風にしてみるのはどうだろう。

1. あまり世話をしなくていい。
2. お金がかからなくて済む。
3. 周りに迷惑が掛からない。

ペット初心者が何より気にするのは、世話をするのが大変じゃないか、エサ代とかの金が掛かるのではないか、泣き声とかで周囲に迷惑を掛けるのではないか、といったマイナス面での心配事ではないだろうか。ネコの良さなんて動物を飼いたいと思うぐらいの動物好きなら大体分かっていることなのであえて言わなくてもいいから切り捨てる。

ところがこれでもまだ不十分である。もっと文章を洗練させたほうがいい。

1. 生活面の負担が少ない。
2. 経済面の負担が少ない。
3. 環境面の負担が少ない。

文体が揃えば内容がスッと入ってくる。まあ逆に、ここまでくると何を言いたいのかよく分からなくなってくるかもしれないが、そういうのは営業トークでカバーすればいい。

とまあこんな技法みたいなものを研修で習った。まんま使うことは難しそうだが、考え方自体は理に叶っていてとても参考になる。

■資格を取りたいのか

以上は前置きでここからが本題である。

こんな例題があった。以下の文章をもっと分かりやすくしなさい、というものだった。

*

先輩に折り入って相談があります。最近会社のほうから資格を取れ取れとしつこく言われるようになりまして、俺もそろそろ何か取ったほうがいいのかなと思っているところなんですけどね。正直面倒くさいし、資格があったからといってそんなに給料が増えるわけでもないでしょう。でもこれから何があるか分からないし、転職するにも有利かなって思うんですよ。だからか知りませんけど、同期の中でも何人か既に勉強を始めてるみたいなんです。だから俺も何かしないといけないのかなってちょっと不安になっちゃって。でも俺の場合、仕事が忙しくて家に帰るのが遅くなって、勉強する時間がないんですよね。それに勉強ったって何から手をつけていいか分からないし、そもそも何の資格を取ればいいのかってのもよく分かってないんですよね。あと家に帰ると疲れちゃって勉強なんてやる気になれるかどうか…。こういうの誰に訊いたらいいんですかね。先輩どう思います?

*

本当は手元に講座で使ったテキストがあるのだが、そのまま引き写すわけにはいかないので上の文章は私が勝手にアレンジした。結構フザケた文章になっているが、原文も結構似たようなものだった。要は論理的でない、何を訊きたいのかハッキリしない、そんな文章だった。

これはロジカルシンキングの中の一つのパターンらしい。今の状態がこうで、それを本当はこうしたい、そのためにはあれをこうするべきかどうか、というのを当てはめてみて整理するのが良い。

たとえばこんな感じだ。

今の状態:資格がない。
理想状態:資格がある。
その原因:勉強時間がない。勉強の仕方が分からない。
その対策:勉強時間を確保する。勉強の方法を誰かに教えてもらう。

実際のところ、十分に勉強したからといって資格が取れるとも限らないわけだが、それでも問題解決の方法としてはスッキリまとまったと思う。会社がうるさいとか、転職に有利とか、同期の動きにあせってるなんてことはどうでもいいことである。そういう無駄なものをバッサリ削ってしまうと問題が見えてくる。人に訊くときも相手が理解しやすい。

おそらく世の中でコンサルタントと呼ばれるような人たちはこんなロジカルシンキングを行う訓練を基礎の基礎として受けているのだろうなと私は思った。

■不安をとりのぞきたい

しかし私は別のことも考えた。もしこれがカウンセラーだったらどうだろう。彼らならきっとこんなことを考えると思う。

今の状態:資格がなくて不安に思っている。
理想状態:不安がない(解消)。
その原因:会社の言うことを聞かないと不利な立場に置かれそう。他人(同期)は行動しはじめたのに自分は何もしないでいいのか。会社が潰れたらどうしよう、転職できるかどうか心配だ。
その対策:会社は社員にそこまで強制できないはず。自分は自分、他人は他人。会社はそう簡単には潰れないし、正社員を理由なく解雇はできない。

先のコンサルティングっぽい例とは正反対で、今度は拾う情報と捨てる情報がまったく逆になっている。

もちろんこのような分析をしたとしても、資格さえ取ってしまえばすべて解決することには変わりない。しかしそれだったらこの人もそんなに悩むことはなかったんじゃないだろうか。勉強する時間がないとか方法が分からないなんてのは言い訳に過ぎなくて、本人は実は資格なんて取る気はまったくないんじゃないか。「やりたくない」なんて言えない状況が、どうでもいい理由をでっちあげることにつながる。どうでもいい理由というか、「やりたくない」なんていう非論理的な説明よりも、時間がないとか方法が分からないというほうがたとえウソでも論理的で人に伝わるからだ。

カウンセリングの考え方だと、まずその人が本当は何をどうしたいのかを慎重に見極める必要がある。それには自己欺瞞つまり自分に対してついているウソがないかどうかを確認しなくてはならない。この場合、資格を取るための勉強をする時間がないとか勉強の方法が分からないなんてのはウソなんじゃないかと疑う必要がある。一方でこの人が本当は何を気にしているのかを探し、それを解消するにはどうしたらいいのかを考える。なーんて昔読んだ本の内容を思い出して素人が適当に言ってみただけなので、こんなんだったかどうか自信はない。

いま社会人に鬱が増えているのも、先のコンサルティングのような考え方が過剰に押し進められてきた結果、論理では割り切れないものが切り捨てられてしまい、心の表層では一見正しいと思っていることを心の奥底で拒絶してしまうようなことになっているからではないだろうか。

また、経営層にとって社員が沢山資格を取るのは良いことには違いないが、一方で資格なんてものを取ったところで仕事で使えるやつと使えないやつが大して変わるわけではない。資格を取るような人はもともと自己研鑽するような有能な人が多いわけで、資格なんか取らなくても元から仕事ができたりする。「あなたは資格を持っているから優れているのですか?」と誰かに訊いてみるといい。たぶん多くの人は不愉快に感じると思う。資格を取ることを勧める人たち自身が資格の有用性に対して疑問に思っているようでは、押し付けられる側が割り切れない思いを抱くことになる。

社員の定着率が低いとか、精神衛生が悪いとかで悩んでいる企業のマネージメント層の人たちは、コンサルティングのような考え方だけでなく、このようなカウンセリング的な考え方も身につけるべきではないだろうか。理屈ではうまくいくはずのことがうまくいかないのは、きっと別の原因があるからであろう。問題解決の方法はロジカルシンキングだけではないのだ。


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gomi@din.or.jp