131. 退職 (2005/6/22)


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退院した私は、再び社内求職活動の立場で復帰した。ところが、その後の流れが非常に悪いものとなり、ついには退職することになってしまったのだった。今回の話は、退職までの展開である。

復帰した私を迎えたのは上司Zだった。私はこの人が割と好きで、面倒見のいい人で、以前一緒に行動したときも食事を共にして親身な話をしたりした。ところが今回はそれが逆に悪い方向に転がった。私が入院するに至ったのは今でも原因不明の内臓からの出血なのだが、なぜかゲームはほどほどにするように言われた。H先輩が冗談で上司Zに話したのだろう。上司Zも私を気遣うつもりで言ったのだろう。ところが私はこの言葉に非常に腹が立った。業務に支障が出るわけでも副業でもないのにプライベートなことに口を出されたので、なぜそんなことを言われなければならないのかと、一つ一つ論理を使って説明した。上司Zもまったく引き下がらずに、このぐらいのことを言って何が問題なのかと抗弁し、ずいぶん長いこと言い合いになった。

以前からもそう思われていたのかもしれないが、私は彼らからすると生意気らしい。技術的に優れていることは認められていたが、いわゆる態度がでかいっていうやつだろうか。まあこの文章読めばそのあたりが普段からにじみでているというのも当然なのかもしれない。

その後、仕事探しで違う部署の若い営業の人と行動を共にすることになった。某大手企業を担当していた人で、私のキャリアシートを送って引っかかったので面接もとい事前打ち合わせに行った。そしてこの若い営業マンと大衝突をするのであった。

この若い営業マン、上司Zあたりから吹き込まれたのだろうか、その日初対面だった私にこう言ったのだ。君は最近鼻が高くなりすぎているから、ここらでいっぺん折ったほうがいいと。そして持論をとうとうと語るのだった。今日行く相手先は、求めるものが高いから、精一杯努力することをアピールするように。会社にとって大きくて大事な取引先で、いままで自分が守ってきたものだから、会社を代表して行くように。努力してスキルを身に付けていけば、契約の内容もよくなり給料が上がり会社も自分も得をすると。

最初の「鼻折り宣言」には非常に腹が立ったものの、この人はいわゆる熱血営業マンでこういうキャラなのだからしょうがないと、初対面なこともあって最初は普通に受けていたのだが、私のなかでは次第にこの男を試すような気持ちがおこってきた。この男は技術系社員が大体思っているような疑問にどう答えるのだろうかと。

そこで私は、派遣会社ならではの不平等についての話をこの若き営業マンにした。技術のある人はきつい現場に低い契約で行かされるのに、技術のない人は大企業に高い契約で行っている。実際のところ大企業のほうが仕事は楽なのに契約の金額が高く、給料も連動しているので収入も多くなる。私も実際に一回だけおいしいところに行ったことがあったが、仕事は簡単なのにボーナスが30万も違ってびっくりした、という話だ。いくつもある仕事に対してそれが出来る人を割り当てていくと、必然的にそうなってしまうのだ。

しかしこの若き営業マンはいっこうにたじろいだ様子も見せず、あくまで会社の姿勢を代弁するようなことを言い、話をかわすどころか逆ギレ同然に個人個人の努力が大事なのだと言いつづけるのだった。この言い合いは、相手先との打ち合わせの場である応接室に行っても終わらず、担当者が部屋に来るまで続いた。

私は当然怒りにあふれていたが、一方でこの営業マンと会社の姿勢は企業として優れているなとも思った。会社が営業マンに打ち出す哲学と指示、そしてそれに洗脳されたか自主的に受け止めたかはともかくとして、よく行き届いた営業マン。腹は立つが、うちも大企業なのだなと改めて思った。

その後、お客さんとの面接もとい事前打ち合わせがあった。それが終わって帰途、私はまあやれるだけのことはやったと思ってそれなりに満足していたのだが、この営業マンにとってはいまいちだったらしい。相手先を出るなり、私に反省を求めてきた。全然言えてなかったと。また小競り合いがあったあと、さっきのお客さんとまだ話が残っているからと言って、そこで別れた。

しばらくして結果が返ってきた。NGだったとのこと。それもその若い営業マンからのクレーム付でだ。さらに驚いたことに、お客さんからの返事のメールの内容まで引用されていたのだ。内容はというと、Kさん(若い営業マンの名前)からの紹介だからと期待していたが、ぜんぜん当てが外れた、次はこんなことはないようにね、といったものだった。

唖然とした。

これの一つ前の面接もとい事前打ち合わせ(しつこいようだが法律に引っかかるので業界ではこう呼んでいる)では、お客さんから真面目そうだとの評価をもらったと聞いているので、とても信じられない。若い営業マンは営業一筋で技術的なことは何も知らないし、そのメールを書いたというお客さんも人事一筋の年配の管理職なのだから、私を低く評価するのだとしたら態度以外に考えられない。一体どういうことなのだろうか。

このクレームを受けてうちの部署の管理職も慌てたらしい。うちの部署のトップの人とその後面談をしたが、そのときはどういう原因が考えられるかということを聞き取りたかっただけのようで、クレームについての話は出なかった。それから少しして、私にとって一番親しいナンバー4ぐらいの上司と面談をしたときに、信頼関係があったせいかそのクレームがあったことと内容について説明を受けた。

私はこの上司に、若い営業マンとの間で起きたことをだいたい説明した。この人ならば分かってくれるのではないかと信頼してのことだ。ところが私にとって意外なことに、この人も私よりクレームのほうを信じていた。信じていたかどうかはともかくとして、私の中の社会人としての幼さをたしなめることを言った。自分は悪くないと思っても自重しなければならないときもある。それを分かれと。そう言われると言い返しにくい。自覚できなくもないからだ。だから私は、それを飲むには一点ここだけは譲れないという姿勢で話を続け、その場はそれで終わった。

この時点ではもうこの件はおしまいという流れになるはずだった。

ところがその後少しして、またしても地方の仕事の話が来たのだった。当時仕事が少なく、自分の部署の稼働率つまりお金をもらえる仕事をしている人の率が、80%ちょっとしかなかったらしい。フロアには、復帰つまり契約期間を終えて研修なり社内プロジェクトの仕事をしている人が増えていっていた。うちの部署が危ないということで、全社的に全国から仕事の口利きをしてもらい、既に何人もが地方へと移っていった。

昨年私も名古屋と長野に話を聞きにいかされた。実のところこのときから転職を考えていたのだが、当時はそれも仕方ないかと現状に甘んじていた。結局それらの話は成立しなかった。一応大企業だし、地方に飛ばされるのもやむなしとは考えていたし、ここらで生活を一から変えるのも悪くないなと思わなくもなかった。が、正直私は話がなくなって良かったと思って過ごしていた。

それで今回の事件があってからのこの話である。あの事件のあと、表向き私は反省してしばらく社内の仕事をするということになっていた。クレームを受けるほどの人間をすぐに外に出すわけにはいかないという話だった。ところがそんな話はなかったかのように、また仕事の話が来たのだ。一体彼らは何を考えているのだろう。うちの営業の話を聞くと、気分一新して長野に行って仕事をするのがよかろう、というシナリオになったらしい。

今度こそはらわたの煮え繰り返った私は、すかさず抗議した。長野行きを白紙に戻すか、クレームの件を取り消せと要求した。その相手は、それまで私と同じく技術系の仕事をしていてつい最近営業になったという若い営業Yである。この営業Yも私は話せる人だと思っていたのだが、これまた予想外に強硬な態度で私を諭すように、さも十年来営業をやっていたかのような口ぶりで言い返してきた。クレームはクレームでありそれは覆らないと。

こうして再び事件が遡上に上がってきたのだった。

実のところ私はこの展開を歓迎していた。それまではあのクレームを社内的には結局認めたことになっており、非常に不愉快だがそれで済ませたことになっていたのだ。しかし私は真偽をただし、あの若い営業マンこそ責められる状況へ持っていきたかった。ついでにいうと、先行きの見えない会社に、地方に飛ばされてまでしがみつくつもりなど毛頭もない、という思いがあった。

そこで私は、あの若い営業マンがクレームを起こす元となったというお客さんからのメールが本物かどうかを調べてくれと要求した。よく考えてみれば、そこ以外にも突破口はあったのかもしれない。実際あの日の面接は、後任の人が辞めたから行くという話で、辞めた理由について突っ込んでみるとか、新規開拓ではなく後任なのになぜスムーズに行かなかったのかとか、開けそうな突破口はいくらかあったのだ。しかし私は当時なによりあのメールに衝撃を受けていたので、あのメールが捏造ではないかと思ったのだ。

メールのログを調査することは出来るということだった。しかし、前例がないし、もし本物だったら会社にいられなくなるぞと言われた。もし捏造だったとしたら逆にあの若い営業マンもどうなるかとも言われた。それでも躊躇する理由にはならなかった。もう少し引き止めてくるかと思ったら意外とあっさり飲んだ。

それから二週間の間、それまでのやりとりがまるでなかったことのように、日が過ぎていった。私もうっかり忘れかけていた。ところが突然私は呼び出され、再び上司Zと面談をすることになった。上司Zは紙を取り出した。メールの調査結果だった。私の手に渡してはくれなかったが、調査結果の主なところを私に見せてくれた。結果はなんと本物だった。本当に客先からあのような、若い営業がクレームに引用したメールが送られてきたということだった。

まあ別に私としては、あの若い営業マンがメールを捏造していたと本気で信じていたわけではない。もし捏造していたらこのとき私がやったようにメールのログを調べてすぐバレてしまうので、本当に幼稚な性格をしていたら捏造していたかもしれないが、並みの頭を持っていればそんなリスクを犯すことはないだろう。

メールをあらためて見て分かったことは、そのメールにはNGの理由が書かれておらず、ただネガティブな言葉と期待はずれだったという感想しか書かれていなかった。スキルマッチ的に見て問題外だったのか、性格的に問題外だったのか、この文面だけでは判断しかねる内容だった。そのようなメールを引用して、まるで性格が問題であったかのような説明をつけてクレームを送りつけてきたのだとしたら、憤懣やるかたない。クレームの内容について上司を介してこの若い営業マンに聞いたところ、メールではなく口頭でお客さんから態度が悪いということを聞いたと言っていたという。

一体どうやったら、面接で態度が悪い問題外だと思われるのだろうか。よっぽど人をなめきった応答をしなければありえないことだ。客先の応接室まで続いた営業マンとの議論を聞かれていたのであれば可能性として考えられるが、そんなに大声で言い合っていたわけではないし、話が筒抜けになるようでは会議室の役割を果たしていない。まさにこの部分をこの若い営業マンが捏造したのではないかと、私は今に至るまで信じている。

というわけで、メールの調査結果を聞いたその場で私は、退職する旨を伝え、了承された。入院で有給をすべて使っていたので、消化期間もなく明日付けだったか忘れたがすぐに退職日を設定した。

この会社に丸五年と二ヶ月いて、転職するにはいいタイミングだと思った。円満退職にならなかったのは残念だが、よどんでいた気持ちを一気に吐き出し、自分を貫いた上でのことなので結果的に良かったと思っている。もしも長野に行っていたら。もしも若い営業マンと喧嘩をしなかったら。もしも上司Zに食いかからなかったら。考えることはいくらかあるが、どれも今より良い結果を生んでいたことはないと思う。こうしてこれを書いている今だから言えるが、現在は給料こそ上がってないが、キャリアアップとなる転職には成功した。

同僚には退職のことはロクに伝えなかった。時々昼食を一緒にいっていた仲の良い先輩二人にだけ告げた。仲の良い同期が一人いたが、彼には結局自分の口からは伝えなかった。彼とは、どっちが先に会社を辞めるかという話をしていて、多分彼の方が先にやめるんじゃないかと思うくらい優れた人だった。辞めたあとも付き合いを続けたいと思ったが、やっぱり面倒なのでやめといた。ほかにも、連絡をつけようと思えばいつでもつけられる人が数人いるが、色々と面倒臭いので未だに連絡をつけていない。

*

さて、退職日は2003年6月のことなのだが、それにしては書くまでに随分と間があった。実は八割がた2004年10月の時点で書いていた。私はこれを単に時間の問題だと考えている。ここにある私の文章群は、仕事が暇な時とかに眠気覚ましに息抜きで書いてきたものが多い。逆に言えば、たとえ私生活で時間が有り余っていても、家にいるときはゲームをしていたりテレビを見ていたりと好きなことをやっているので、わざわざ文章を書くなんていう無駄な時間を過ごそうと思わないからだ。今回やっと書き終わったのは、私の父親が二度目の定年退職を迎えての区切りがあったせいもあるかもしれない。とまあそんな理由付けをしてみても、やはり結局のところ退職の時のことを書くには時間を要したのかもしれない。あるいは、マイペースながらも走り続ける人生を送ってきた私が、走るのをやめて歩き始めたせいもあるかもしれない。今の私は、こんな何かを発散するような文章を書かなくても、十分すぎるほど精神が安定しており、自分は本当は頭がいいんだと言い聞かせる必要がなくなったからなのだろう。それでもまだ書き続けているということは、まだまだ私が未熟なせいだということだろう。というわけで、今後も適当に書き続ける予定である。


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