130. 入院 (2003/6/18)


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■はじまり

異変に気がついたのは、仕事先のトイレだった。

朝方どうも軽く腹を壊しているなと思いつつ、仕事先までは特になんともなく通勤した。腹が鳴っていても下る気配はなく、ゆるいだろうなとは思ってもトイレに駆け込むようなことにはならなかった。昼過ぎになって、昼休みに腹のことでわずらわされるのは嫌だと、一度出す(失礼)ことにした。予想通りの下痢だった。照明が暗くてよく分からなかったが、このとき便の色が黒かったのは確かだった。黒いぐらいはまあ健康状態によるだろうと、そのときは特になんとも思わなかった。

あくる日は週末だった。やはり腹を壊しているような感じはしたが、すぐにでも下る気配は相変わらず無かった。このときぐらいから、軽くめまいを感じるようになった。寝不足のときのめまいと似たような症状だったので、まあ多少体調が悪いのだろうと思い、特別何かをしようとは思わなかった。

次の日は日曜。依然として下痢は止まらず。便の色は相変わらず黒く、昼過ぎにはついに紫色がかってきた。このときから何かがおかしいと思い始めたので親に報告した。これは明らかに血便だと言われた。疲れているのだろうかと思ったが、仕事では全く残業はしておらず、外にも出ていないので疲れようがない。ただ、夜はゲームをしていても体がダルく感じられ、起きつづける気がしなかったので早く床に就いた。

月曜の朝。ふらふらし、混んだ電車で会社に行ける気がしない。病院にいくことに決める。歩いて親と病院に向かった。道中、心臓がバクバクした。体が思うとおりに動かず、途中で三回ぐらい休憩をはさみ、ようやく駅前の病院につく。

一時間ほど待たされた。体を動かさなければ、ほとんど苦しくは無かった。ようやく自分の番が来て医師の診察を受けるかと思いきや、血液検査の方にまわされる。看護婦さんに採血をしてもらう。ふと名札を見ると、その看護婦さんの名前が「毒島」さんだということが分かる。調布在住の漫画家・桜玉吉が作品中にネタとして出していた看護婦さんその人だった。

ようやく医師の診察に入る。回りくどい言い方をしていたが、要するに貧血がひどいらしい。ぐだぐだとそれでいてはっきりとした口調で語る医師はこう言った。検査してみてこの結果が出たというだけで、他にも選択肢はある、しかし私はすぐに入院することを強く勧める、と。大変なことになったのだということを、ぼんやりとした頭でなんとなく理解した。

■検査1

それからいくつか検査を受けた。昼前になっていたので、昼をはさんで、次の日の午前中くらいまで検査をしたような気がする。心電図、レントゲン、胃カメラ、尿と検便。

八人部屋だった。昼は初めて病院でとった。思ったよりボリュームがあってまずまずの味だった。母親が家から必要なものを過不足なく持ってきた。

とにかくぐったりしていたので、検査に呼ばれていないときは横になって寝た。寝てると断続的に起こされる。ベッドに横たわって病室の天井やカーテンを見ながら、自分は現実世界からしばらく離れるのだなと思った。一応仕事のこととかネットワークゲームのこととかを一通り考えた。

主治医となる先生が来た。若い女医さんだった。小顔の美人で、メガネを掛けても似合う。現代風ではなく古風なところのある顔立ちだが、表情は学生風で若々しい。あとで聞くところによるとなんとこの病院の理事長のお嬢さんだということだった。歳は知らないが妙齢、おそらく三十代ぐらいではないかと思う。愛想もよく、はっきりとしゃべる。おもむろに左手指を見ると、小指に指輪があった。

心電図の検査のとき、脈拍が速いと言われた。たぶん貧血で酸素を運ぶために血をどんどんめぐらすためだろう。レントゲンは特に異常がなかった。胃カメラを飲むのは確か二回目ぐらいだったと思うが、吐きそうになった。カメラを操作している早口の医者が、なにかをまくし立てているのがボーッとしている頭に入ってくる。どうやら以前の潰瘍の跡を見つけたようだが、治ったあとのようだと別の医師に報告している。結局胃には特に異常は見つからなかった。

熱が出た。高い熱だった。症状と関係あるのかどうかよく分からない、と先生は言った。多分感染症じゃないかと。要するに病院に住み着いてる病原菌? どういうものか知らないが、ここで働いている人とかずっといる患者さんなんかには免疫があって平気なのだろう。

■同室1

大部屋には私の他に五人くらいいた。中でも一番目を引いたのは、高田純次に似た、髪を茶色と白のメッシュにした中年のオヤジだった。非常に愛想がよく紳士的な態度の人だったが、それでいて非常に子供っぽく、同室の患者や看護婦さんに人懐っこく話しかけていた。多くの人から慕われていた。私にもニコニコと話しかけてきた。しかし室内着の足のすそがめくれたとき、私はありえないものを見た。刺青だった。この人はどうやら稀な症状により脚の関節がおかしくなったとかで、私が入院してきたときはそこそこ大きな手術を受けた直後だったようである。

あとは基本的に年寄りが多かったが、私と同じくらいの年齢の人もいた。今風の、割とハンサムは風貌をした人で、前述の高田純次と親しく、Kくんと呼ばれていた。彼と私とはほとんど接点がなかったが、同じ病室なので話し声がよく聞こえてきた。それによると彼は、自称高級創作割烹の雇われ料理人をしているとのことだった。どうやら物凄く飲む人らしく、肝臓をひどく壊していたらしい。なんでも検査で通常時の何倍ものなんやらが検出されたとかで、重症、やばい状態だったらしい。

■看護婦1

病院には看護婦がいる。っと女性の看護師と言わねばなるまい。しかし雰囲気上無視して看護婦と呼ぶことにする。

最初に私を病室につれてきた看護婦は、マスクにかぶりものをしていた。隙間から見えるパッチリした目元はとても魅力的だった。私は彼女の説明を聞くたびに目を見た。美人だと思った。入院時に色々説明してくれたのが彼女だった。カルテを作るためか、病歴やら身長体重やら勤め先やら家族構成なんかも聞いてきた。兄弟で何番目かまで聞いてきた。そんな情報が本当に必要なのかと。まさか入院してくる患者の情報を看護婦たちで共有してるなんてことは…。

彼女は声にも特徴があり、聞きなれてみるとどこか訛っているように思えた。ちょっと仲良くできないかなと思って「出身はどこですか」と聞いてみた。まるでオヤジなのだがしょうがない。すると彼女は察したようで、「わたし訛ってますか?よく言われるんですよ。でも生まれも育ちも多摩なんです。多摩でヨメにも行きました」。クギを刺されたというか、聞いてもいないのにというか、その判断は読者に任せるとして、既婚だということを言って愛想のいい笑いを見せるのだった。翌日、マスクをとった彼女を見た。ゆるんでいるというか、訛っているっぽい声にぴったりの口元をしていた。それはそれでやはり魅力的だった。老人の患者に対して保母のように、○○○しましょーねー、○○○してもいいかしらー?と言うのだった。

やたら化粧の濃いケバい看護婦さんが来たと思ったら、主任の○○ですと名乗った。これは私の予想だが、おそらく病院全体で看護師長がいて、その下に各フロアに看護主任がいるのだと思う。この人は、新しい患者が入ってくるたびに、主任です主任ですと挨拶に来ていたのが印象的だった。一度だけこの人に点滴を換えてもらったことがあったが、さすが主任さんだけあってか一番上手だった。

■輸血

血便が出たということは、消化器官のどこかから出血しているということだ。それで定期的に血液検査をしていたのだが、ある朝、主治医が一枚の紙を持って、神妙な顔つきで私のベッドまでやってきた。すわ何事かと聞くと、輸血が必要ですと言ってきた。

この若い女医さんはまじめな人みたいで、私に事細かに事情を説明してきた。血中ヘモグロビン濃度がさらに下がっていて、このままだと危険なので、輸血をしなければならないと判断した。輸血をするためには患者自身の許可がいる。輸血をするしないは自由だから、考えて選んでくれとのことだった。そこで私は、もしサインしないことを選んだらどうなるのか、と訊いてみた。そうしたら、輸血しないのであれば私は治療を続けることができないので降りる、とのことだった。

このような先生の姿勢に萌え…じゃなくて真摯なものを感じた私は、親や他人に相談せずさっさとサインしてあとで親に報告した。まあしょうがないんじゃないかと。私の母親は以前個人経営の診療所に受付として勤めていたことがあり、そこの先生と非常に仲が良かったので、この件について聞いてみてくれた。いわゆるセカンドオピニオンである。するとやはりこの先生も、そのヘモグロビン濃度だと私も輸血するとの答えだったようで安心した。あとはまあ輸血につきものの病原菌だが、それはもうしょうがないのであきらめた。あの薬害エイズ問題が頭をよぎった。しかし、赤十字に集められた血液はしっかりと検査しており、なまじ肉親から血液をもらうよりも安全だという。唯一怖いのは未知の病原体が含まれていたときぐらいで、主要な病原体についてはしっかりと確認しているのだそうだ。…まあそれでも怖いことには変わりないのだが。

血液のパックはそのまま点滴のポールに吊り下げられて注入された。濃い赤で、粘度があるようだった。これまでの栄養剤などの点滴につかっていた針では細すぎて入らないので、太い針に差し替えた。血は思ったよりもいい加減に私の体に入っていった。パックをはずすときに、ピッピッと血がチューブから床に落ちた。なんだか不思議な感じがした。

■検査2

胃カメラにより、食堂から胃から腸の入り口まで異常ないことが分かった。今度は大腸の方から確かめなければならない。大腸を調べるには、中のものをすべて出さなければならない。

検査の前日から流動食を取り、夜寝る前に下剤を飲み、朝になって腸の中のものを出す。前述の訛った看護婦さんが付き添い、検査室でバリウムのホースを私の肛門に突っ込んで退場。その後医師に代わり、スッカラカンの大腸にバリウムをぎゅうぎゅうに詰められる。その後、台に横になり、手すりを持って、縦横無尽に動く台にしがみつき、さまざまな角度からレントゲン撮影をする。隣の操作室で医者がマイクでああしろこうしろと指示を出すので、その通りに動く。かなりハードで苦しい。

そうして苦労した検査だったが、異常は見つからなかった。レントゲンはしょせん影しか分からない。そこでついに大腸にカメラを入れることになった。

バリウムを注入したのでまた腸の洗浄のやり直しだ。日を改めて、下剤まではさきほどと同じ。だが今度は完全に腸をスッカラカンにする必要がある。出し切るために、何か変なものが溶け込んでいる透明の水を大量にガブ飲みした。これがものすごくキツかった。ミネラルというか、金属質のものが溶け込んでおり、激マズなのだ。これを決められた時間に決められた割合で決められた量をキッチリ飲まなければならない。まず 1.5リットルを三回に分けて20分ごとに飲んで、便の様子を見る。固形物がまじらないようだと終わりなのだが、ちょっと混じっていたのでさらに 0.5リットル飲んだ。吐きそうだった。バリウムなんて比較にならないほどマズい。

それでもまだ固形物が出てるようだったので、なんと看護婦さんに浣腸までされてしまった。若い黒ブチメガネの看護婦さんだった。さすがに慣れたもので、淡々としているように見えたが、段取りに多少の混乱が見られた。肛門にホースを突っ込まれてポンプで液を入れられた。ホースを抜くときにホースが暴れて、液が飛んで私の顔に掛かった。看護婦さん平謝り。その後、浣腸の液を我慢できるところまで我慢してから出せとのこと。

その後、後ろに大きな穴のあいたパンツを履いて検査室へ。さすがに直腸からカメラを押し込むのは痛いみたいで、麻酔をかけられる。ぼんやりしたところで検査が行なわれた。検査の助手には二人のおばさんが横についていた。時々話しかけてくる。訳分からん。よくわからないうちに終わった。

とにかく犯されまくった。かなりハードなプレイだった。

■同室2

大部屋といってもカーテンで仕切られているのだが、隣のベッドの人はやたらと座薬のことを言う人だった。座薬と経口薬とがあるらしかったのだが、座薬のほうが効くみたいで、それなら座薬でいいかと看護婦に言っていた。いまいち話がかみ合わないようで、看護婦は看護婦で患者は座薬を嫌がるんじゃないかという前提で話をしていて、患者は患者で効くんなら座薬がいいと言っていて、なかなか話が合っていないようだった。小柄でサングラスをかけていて、入院時に文筆家だと言っていた気がする。よく知らない。基本的にあまり愛想のいい人ではなかった。前述の高田純次が病状について訊いたときには普通に受け答えしていた。

この高田純次、ヤバい筋の人かと思ったら、彫師のほうだった。まあそれはそれでヤバいのかもしれないが、彫る側の方は彫られる側よりはずっと堅気だ。彼は同室の人や看護婦さんに絡んでいくタイプだった。みんな刺青には気づいているのだろうが、性格がよくて人当たりのいいことによるギャップのせいか、誰もが気を許しているようだった。誰がどう見ても、この病室の主役は彼だった。しかし私は最後までこの男のことが嫌いだった。というのは、人が寝ているときでも、それも昼間だけでなく消灯時間を過ぎても、平気で歌を歌ったり口笛を吹いたりしていたからだ。こういう人としての基本的なことがなっていない人間を、私はどうしても好きにはなれなかった。

ある夜、窓の外からいきなり金属音がした。人の動く気配、話し声。一体何事が起きたのか。大胆な泥棒が入ってきたのか。おおげさだが私は生命の危険も感じた。外が気になってしょうがないのだが、このままおとなしく寝ていないと何が起こるかわからない。そんな心配な時間を延々過ごし、ようやく眠りについた次の日、どうやらあの男が板金屋の夫婦を呼んで何かしていたらしい。断片的な話を総合すると、病院の何かを修理してもらっていたとのことだった。それはそれでいい話なのだが、なにも夜中に、何の予告もなくやることはないだろうと、無性に腹が立った。

■看護婦2

むっとした表情の垢抜けない看護婦がいた。他の看護婦はさっと来てさっと去るのだが、この人の場合、今夜の当番は私です、よろしくおねがいします、とぎこちなく挨拶してから一日の定期的な検査を始める人だった。

彼女は途中で明らかに明るくなり、重めだった髪を切った。それを高田純次がニコニコしながら、「看護婦さん、最近明るくなってなーい?」と突っ込むと、「そんなことないですよー」と応じていた。しかし誰が見ても変化があることは明らかなように思えた。おそらく原因は、誰彼ともなく愛想良く話しかけるあの男によってなごやかになったこの部屋のムードだろう。

高田純次には、看護婦だけでなく、なんと清掃のおばさんたちまでもが巻き込まれていた。清掃のおばさんの中に、どういう偶然か、この高田純次と中学で一年先輩だった人がいて、それで話が大いに盛り上がっていた。「○○さん、△△先輩を知ってるなんて、不良だ不良だー」

またこの男は、明らかに性的魅力のないメガネで太った年増のおばさん看護婦にも愛想良かった。ホスト? この男はホストもできるだろうなと思った。

■ラマダン

結局あの大げさな大腸カメラでも、特に異常は見つからなかったそうだ。麻酔が効いていて頭がボーッとしていたので、主治医はその日見舞いに来ていた親と弟にだけとりあえず説明をしたそうで、あとで親から聞いた。

となるともう、十二指腸の奥のほうか小腸しかない。これ以上奥を調べるには、ファイバーを使わなくてはならず、ここの小さな病院では設備がない。あるいは、傷口が開いたりふさがったりするケースもあるそうで、検査のときたまたまふさがっていた可能性があるとかそれぐらいだそうだ。それから小腸はめったなことではおかしくはならず、普段は考えなくてもいいそうだ。よっぽど珍しい病気のときはあるが、そのときはなんと小腸ごと移植しなければならないそうだ。恐ろしい話だ。

ちなみにもし腸に傷があった場合、ふさがらないようだと、そこを丸々輪切りにしてつなげることになるらしい。肺に穴があく気胸の治療と似ている。

というわけで、能動的に検査して発見する手立ては一旦やめて、せっかく腸が空になったのでしばらく休ませようということになった。食事はとらずすべて点滴にし、点滴薬として止血剤をまぜて出血を完全にとめてしまおうということになった。三日たって問題がないようならよしということになった。

それからがツラい。何も食べられない。水とお茶しか飲めない。食事の時間になると、周りの人には食膳が運ばれてくるのに、私には薬だけだ。みんな食器をカチャカチャさせながら、ズルズルと音を立てて食べる。いや私にはそう聞こえるのだ。テレビをつけても、バカバカしいほどに食べ物が出てくる。こいつらは食べ物を出せば視聴率が上がると思ってるのだ。

■同室3

絵に描いたような江戸っ子のおじいさんが入ってきた。てやんでえ調でしゃべる。看護婦の言うことには大抵の人が従うのだが、このおやっさんは「オレぁこんなもんやらねえよ」と悪態をつく。まあそれでも最終的には言うことを聞いていたようだし、割と素直な面もあった。

人工透析をしていたようなのだが、お茶が大好きで放っておくとガバガバ飲んでいた。看護婦さんが注意して、毎日 500ml までにしてと言っていたが、このコップ一杯で 100ml ぐらいだろう、ということになったらなみなみと 150ml は注いで飲むのだった。それを向かいの高田純次が親身になって注意して、看護婦さんや親類も巻き込んでやめさせていた。この高田純次がこのおじいさんのことをおやっさんと呼び始めたことから通称おやっさんとなった。

このおやっさん、ギリギリ戦争世代だったようで、陸軍に志願兵として入り、訓練を受けている途中で終戦となったそうだ。戦中に比べればこんなの大したことない、みたいな言葉から戦争の話になっていた。私はカーテン越しに黙って聞いていただけで会話には参加しなかった。高田純次が自分の父親が軍艦乗りだったという話をしだしたり、その隣のベッドの人が自分は皇居を守っていた近衛兵だったと話したりしていた。話に加われば興味深い話も聞けたかもしれないが、雑談の域を出ないようで、もし私が突っ込んだ話をしたらしらけてしまうのではないかと思ってやめておいた。その点、高田純次の話の受け方は見事で、元近衛兵のNさんはちょっと物足りなげではあったが、話はそこそこ盛り上がっていた。うーん、多少モノを知ってるよりも、知らないで適当に楽しく会話できたほうがいいんじゃないかと思わなくもないのだった。

■病院生活共同体

私は病院は嫌いじゃない。前に骨折したときに、武蔵野日赤病院という大きな病院に定期的に通っていたのだが、病院の中に売店があったり、いろんな場所に検査室があってベンチがあったり、いろんな人たちがくつろいだりしているのがいいなと思った。傷病を患っている人からすれば良いことなんてなんにもないだろう早く出たいだろうと思っていると思うかもしれないが、一概にそうは言えないと思う。

友人の見舞いに特殊な病院に行ったことがあった。その病院は、障害や事故なんかで長い入院を必要とする子供のための病院で、中に学校まであるのだった。ちょっと古めの建物で、やや無秩序に伸びる廊下、中庭、空中庭園、教室、教材を入れてある箱。閉鎖的な空間の中に生活観の漂う、楽しくも物悲しい場所だった。そこでは看護婦さんも子供たちも非常に仲がよく、陳腐な言い方だがまさに笑いの絶えない場所だった。

私が今回入った病院は、それらの病院と比べるととても狭かった。地上五階建てだが、敷地が狭く、総合病院と言える最小の大きさだった。五階は一応ラウンジのようになっていたが、限られた広さもなく人もまばらで、売店はなく自動販売機だけが立っていた。散歩をする庭もない。こう言うのもなんだが、入院するなら広い病院がいいと思う。狭いとどうしてもベッドとトイレを往復するだけになりがちだからだ。

それでも病室は明るかった。それもこれも高田純次のおかげだろう。私の他に若い Kくんと呼ばれていた人もいたが、彼も高田純次がいなければ雑誌とゲームだけして引きこもっているだけだったと思う。まあ彼女や元彼女が三人ぐらい見舞いにきていたのだが。彼女と元彼女とが鉢合わせるとなぜか仲良くなる、だけど互いに探り合ってるところがある、なんて話を高田純次としていた。

■続・ラマダン

断食の三日のあと、血液検査をやった。その結果を受けて主治医がやってきた。ヘモグロビン濃度が思ったより上がっていないそうだ。わずかに上がっているようなのだが、目だったほどは上がっていない、とのことだった。

私は、食べることが掛かっていたので、主治医に食い下がった。わずかに上がっているようなのだが、とは一体どういうことかと。今日の結果がどのくらいだったら問題なかったのか。どうやら、断食前に血液検査をしておらず、それどころか輸血後のデータもないので、輸血前のデータに輸血の成分を加えた値を基準にしていたようなのだった。

それで医師は私に何故か選択肢をよこした。これでよしとするか、まだ様子を見るか。そんなもの、ただ言われただけでは選べるものか。こっちはそりゃ食べたくて食べたくてしょうがないんだから、選択の材料をくれ。それで色々と質問を投げて、問答を繰り返しているうちに、なかなか話がかみ合わないので、最後にはこの主治医を問いただすような口調になっていった。その結果、「ちゃんと断食前の検査をしなかったのはこっちが悪いけど、普通に値が回復してるものと思ったし気にしてなかった。断食前の値も大体推定できるんだから特に調べようと思わなかった。本来ならば一週間様子を見るところだ。」というようなことを言ってきたので、私は本能を振り払って断食の継続を選択した。

もしこれが得たいの知れない普通の医師なら、その後の治療計画とかに不安を覚えたかもしれないが、私の主治医は若くて仕事熱心でおまけに美人の女医さんだったので、あとは引かないなと勝手に思った。この先生、私の病室に来たときは腕をまくっていて、直前まで何かやってました、という感じで忙しそうだった。腕や手にところどころ赤いできもののようなものがあったのが印象的だった。医者というのは割と肉体労働なんだろうなと健気な魅力を感じた。不要な専門用語をところどころにまぶして状況を説明するところもなんとなくかわいい。

ちなみに私の病室には、他の患者の主治医でもう一人女医が来ていた。時々カーテン越しに、やや高くて小さい声でボソボソと説明してる声が聞こえた。てっきり私はこの人のことを薬剤師かなにかで、薬の説明をしているだけかと思った。女医さんにも色々いるものだ。男の医師も色々いる。ひょうひょうとしている人とか、回りくどいようでハッキリモノを言う人とか、やたら技術者っぽい CTの先生、枯れていて言いたいことがよく分からない老けた先生、人の話を聞いているんだか聞いていないんだか誰に向かって話しているんだか分からない院長の回診。あとはうわさに聞いただけだが、待合室で患者がうるさくしていたら診察室のドアを開けて怒鳴って注意したという先生。

■見舞い

三人見舞いに来てくれた。

二人は上司で、まんじゅうを持ってきた。消化器系の病気で入院してるというのにまんじゅうだ。丁重に受け取ったが、当然それは私の口に入ることは無かった。まあそれでもわざわざ足を運んできたことにはびっくりした。

一人は中学時代からの友人で、いまもネットでの付き合いがある人。彼はポッキー二箱と Scheme のドキュメントを持ってきてくれた。ポッキーも当然食べられない。日持ちするのであとで食べた。ドキュメントは暇だったので大体全部読んだ。彼も近々検査入院するというので、そのあたりの話をしばらくした。なんでもレントゲンで肺に影があるらしく、調べてみてガンだったら手術をするという契約書まで書いたそうだ。

■看護婦3

高田純次はリハビリの技師の女性に惚れていたようだった。四十代前半だが茶髪に三つ編をした二人の子持ちの若々しくて明るい女性だった。とても好感の持てる性格の持ち主というのが大きいのだろうが、リハビリの技師だというのも結構あると思う。リハビリというのは患者の甘えを叱咤することも必要で、もうこれ以上できません、と言っても、まだまだがんばらないとだめですよ!とまあこんなノリなわけだ。ある程度動くようになると今度は、よくがんばりましたね、とくるわけだ。書いていて実にベタだなぁと思う。

高田純次は普通にこのリハビリ技師の女性を口説いていた。結構本気みたいだった。あまりに突っ込むので、技師の女性、子持ちの母親をからかわないでください、とまで言って逃げていた。それでも高田純次、子供がいてもなんのその、ぜんぜん構わないと迫り続けるのだった。私はこれらの会話をベッドで聞いていたのだが、素直にいい会話だなと思った。

世話されると惚れやすくなると思う。まあ当然か。現に私の職場には看護婦と結婚した人が二三人いるらしい。私も実際に魅力的だなと思った。口説けるものなら口説きたいとも思ったが、逆に言うと世話されたからといって勘違いしてはいかんなと思ってなかなか踏み出せなかった。患者としての範囲を超えて好意を投げたり、看護婦としての範囲を超えた好意を受けないと、なかなか先には踏み出せない。でなければあとは能天気に勘違いして押し切ることになるのだが、あいにく私はそういう幸せな性格はしていない。

ここで紹介していない看護婦さんで印象的な人もいた。見回りのとき、私は貧血が関係あるせいか、白目の部分の充血具合を毎日看護婦さんにチェックされていたのだが、私の下まぶたを押さえる看護婦さんの手にそれぞれの感触やニオイや温度があった。

■退院

昼前に先生が来た。ニコニコしていた。早朝採血した血液検査の結果がバッチリだったらしい。もう絵に描いたような情景だった。やっぱこの先生はかわいいなあ。

いつ退院できるのか、と訊くと、明日にも、という返事が返ってきた。長かった入院生活はいきなり終わりを告げられた。

面白いことに退院と聞くと急に病室が現実世界に近づいていくのであった。これまでは自分がどこか別の世界に来ていて、現実世界とは完全に切り離されているのだと思っていたのだが、急にこの壁や廊下の先にエレベータがあって降りるとドアがあってその先は見慣れた踏み切りで道路があって歩いていくと家に着くのだとか電車に乗って会社にも行けるのだとかそんな感覚になるのだった。

退院の日の朝、パジャマから洋服に着替えるときも面白い違和感があった。

最後の挨拶のためにナースステーションに顔を出したが、とても残念なことに見慣れた看護婦さんの半分以上はそこにはいなかった。下で外来を担当しているか、検査で付き添いをやっているか、非番だったのか。一ヶ月近く見慣れた人たちとの別れにしてはあっさりしていた。

高田純次は私より二三日前に退院した。…退院したのだが、また来てもいい?と言った次の日もさっそく病室にやってきた。一人暮らしで、急に一人になってさみしかったのだろう。いつもの調子で騒いで帰っていった。

家に帰って自分の部屋に入った。ひさしぶりで足元に違和感を覚えた。私のベッドは猫に占領されていた。二匹の猫は、私が顔を近づけると、くんくんくんくん不思議そうに長いことニオイを嗅いでいた。


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