132. 再就職まで (2005/7/9)


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さて、めでたく退職した私だが、次の就職先を探す前に一ヶ月ほど休むことに決めていた。

積極的な転職をする人の場合、退職前から次の口を探して内定をもらっておき、退社時期と入社時期を決めておくものだ。しかしせっかく会社を辞めるのだから、自由気ままな期間を作っておくほうがいいに決まっている。それに、一度失業しておいたほうが、失業保険が入る。

■ハローワーク

失業保険をもらうためには、職安にいく必要がある。今はハローワークという名前になっている。私もさっそく足を運んだ。職安は非常にシステム化されており、失業後いつまでに書類を出すとか、次は何日の何時までに来なさいとか、定期的にお呼び出しが掛かるようになっている。次の呼び出し日までにどういう求職活動をしたのかということを報告しなければならない。そうでなければ、失業保険をもらい放題になり制度が悪用されてしまうからだろう。

今回私にとって初めての職安だった。イメージはなんとなく自動車運転免許の更新のときと似ている。自分はデスクワーカーなんだなと実感する。日本の平均的な人々とはどんなものなのかということを感じることが出来る数少ない機会である。正直気恥ずかしい。失業自体は別になんてことないことなのだが、社会からの無形のプレッシャーを感じなくも無い。率直に言って、自分が堕ちた感じがしたが、それは失礼というものだろう。

職安に行く時以外は、完全な自由時間である。自由とは素晴らしい。しかし完全な自由はよくない。そこで私は自らに制限を課した。まず、ネットゲームは日中やらないこと。自堕落だから嫌だというわけではない。ただ、ゲームをやるとそれだけで時間を使ってしまうので、読書の時間に充てようと思っただけだ。読書といっても自己啓発のつもりはまったくない。単に自分の好きな本を読むだけだ。もちろんマンガも含まれる。

■有閑

二三日に一回はプールに行こうとも思った。途中で面倒になってやめたが、五回ぐらいは行った。健康のためだ。泳ぐのはそれなりに楽しい。ただ、飽きがくるのも早かった。公営のプールが遠い場所にあって、通うのが面倒だった。今から思えば、公営じゃなくても高めの金を払ってでも違う場所にも行ってみるべきだったと思っている。お金は大した問題ではなかったからだ。公営といっても割と設備の整った良いプールだった。ただし水泳教室とかが頻繁に開かれるため、日によって窮屈になる。ともかく決して金をケチったわけではない。

プールで有閑マダムならぬ優雅な家事手伝い風の二人組の女性を見かけた。ひょっとしたら夜勤の人なのかもしれない。なんにせよ、普段自分とは無縁な場所の無縁な時間に無縁な人々が過ごしているのを見るのは新鮮だった。結婚するならどういう男がいいかという話をしていたので、途中まで横で聞き耳を立てていた。一人暮らしをしている男が絶対にいいとか言っていた。男に生活力を求めているようだ。つまりそれは家事もやる男がいいということか。そう言う自分も外に出て働くんだろうな。専業主婦で男に家事を手伝わせたいというのだったらと考えると腹が立ってくる。

いい機会だから旅行にでも行こうと思ったのだが、時間が有り余っているにも関わらず、結局一度も行かなかった。一人で行っても面白くない。海外旅行にでも行けば良かったと思うのだが、まったく行く気がしなかったのだ。国内の、箱根とかの近場ですら行く気がしなかった。家で本を読んでいるほうが、空想の世界にひたるほうがよほど楽しい。

お金もあるから買い物しても良かったのだが、欲しいものは特になかった。金が有り余っていればいくらでも使うのだが、現在の自分の所持金から見て、買うに値しないものばかりだった。一億持っていれば百万ぐらいは無駄遣いしても良いと思うが、たとえ一億の中の百万でも価値のないものに使いたくはない。最新のパソコンを買ってもむなしいだけだ。

■転職仲介会社

そんなこんなでダラダラと時間を過ごしてきた。一ヶ月が近づいてきた頃に、準備として当初より決めていたとおり転職仲介の会社に申し込んでみた。以前何回か葉書とか封書が来ていた会社だった。葉書や封書に担当者の連絡先が書いてあったので、そこに連絡をとればよかったのだが、なにか気恥ずかしかったからか、その会社のホームページのフォームを利用して申請した。その後ほどよく待たされるだろうからもうちょっとダラダラしていようと思ったら、意外に早くその会社から連絡が来てびっくりした。担当者から電話が来たのだ。そしてすぐに会うことになった。

会社を辞めてきたその日に確か新しいスーツを買っていたので、そのスーツを着て出かけた。待ち合わせは、私の家の最寄り駅から何駅か行った先の駅前だった。早めに着きすぎて駅前の商店街をブラブラしたのを覚えている。

待ち合わせ場所に現れた転職仲介会社の担当者は、気さくな人だった。人を相手にする仕事だから、そうでないとダメなのだろう。すぐ手近な喫茶店に入り、話をした。辞めた理由とか、どんな会社がいいかとか、軽く話をした。既に私は、ホームページのフォームに色々と書き込んでいたので、その情報を中心に材料を揃えてきたみたいだった。

会ったその日にその担当者は一社のパンフレットを持ってきていた。とりあえずこの会社はどうかと行ってきた。受ける受けないは自分で決めてくれと行っていた。私の希望通り、オープンシステム系中心で独立系なのに加え、財務状態が健全で上場企業だという。いい感じだった。あんまり言うと特定されるのでやめておく。

しかし、いくつか候補を用意してくれる中から選べるのかと思ったら、まず一社を見ろということだったので、私はちょっと不満足だった。私はその不満足をすぐに口にした。「本当にこれで…いいのですか。紹介してくださるなら私はここに行きますよ」と。いまから思えば、当時の私は自分の考えがロクになかったのだ。積極的な転職をしたい模範生なら、こんなことは言わないと思う。私は試されていたのだろうか。いやいや、あまりこの担当者殿を買いかぶってはいけないだろう。彼らからすれば、人を仲介して金をもらうのだから、求人が来ている会社、それも仲介料を多く払ってくれる会社に人材を紹介すれば儲かるのだ。

結局私はその会社を受けてみることにした。受けたからといって内定をもらえるとは限らないし、一度一社について深く調べてイメージするのも悪くないと思った。それに、自分で選び取りたい未来というものも無かった。たとえ会社を選んでも、会社なんて部署によって全然違うし、実際に入ってみないと自分に合うところかなんて分かりはしない。よほど小さい会社なら別だが。

資格をとったほうがいいといわれた。私は資格を持っていない。運転免許だけだ。資格があるといいのは分かるが、面倒だし行政法人を儲けさせたくない。コンピュータ系の学科を出ているのに何故だとの思いもある。ただ、これから転職を繰り返してキャリアアップしていくには必要なのだということを感じた。私自身はそういう上昇志向は希薄なのだが、仲介会社にとってはそういう人材のほうが儲かるからだろう。ということを率直に担当者に言ってみたが、ちょっとおだてられてかわされた。

面接場所の案内まで仲介会社が面倒を見てくれた。面接時のアドバイスが書かれた冊子まで同封してきた。至れり尽くせりだ。前の会社の先輩から聞いた話だと、技術者は仲介会社を介して転職することが一般的なのだというから、口下手な技術者のためにフォローしているのだろう。面接場所へは直接は行かず、再び担当者とその上司と喫茶店で面談してから向かった。マメなフォローだ。普通に行けばまず落ちることはない、とまで言っていた。

■再就職

面接は非常にあっさりしていた。一通り経歴を説明して、何をやりたいのかを言うと、あらかじめ私の望む仕事をやっている部門の管理職が来ていたので、その人と多少突っ込んだ話をしておしまいだった。あまりにあっさりしすぎて、退席するタイミングすら計れず、「あ、もういいですか?」「いいよ」「…よろしくおねがいします。では失礼します」みたいな感じで終わった。

ひょっとしてまさか落ちたのかとも思ったが、特になんとも思わなかった。まあこんなもんか、という思いのほうが強かった。後日内定をもらう。なんだったのだろうと思った。そういう社風なのだろうか。よく考えてみたら、入社日の話も具体的に出ていたので、途中でもう確定だったのだろう。入社日は、すぐにでも問題ない、と言ったが、結局先の日に設定された。六月の給料日前に前の会社をやめ、七月末に面接。入社日は九月一日になった。夏休みだと思って、とのこと。私にとっても都合がいい。

内定をもらったあとで最後に、仲介会社の担当者とフォローアップみたいな感じで会った。ちゃんと次も考えているんだな、と思った。実際に入って仕事についてから、もし話が違うというようなことがあったら、遠慮なく言って欲しいとのこと。自社開発が主体で客先常駐は少ないと聞いていた割には、入ってみたら半分以上の人が客先常駐だったのだが、まあこの程度はしょうがないなと思って言わなかった。

給料はほとんど変わらなかった。希望年収は残業なしで四百万と仲介会社に言っておいたのだが、面接のときに定時されたのは残業月何時間で四百万だった。「残業なしで」の部分を確かに希望年収欄に書いておいたのだが、勤務状態の希望だと受け取られたのかもしれないし、わざとそうなったのかもしれない。ただ、勤務時間が以前の八時間から七時間半になるので、前と同じ時間働くと自動的に月に十時間の残業をしたのと同じになる。むしろ勤務時間が減ることがうれしい。給料減っていいから週休三日とか四日のとこはないものかと思っているぐらいだ。

再就職までの一ヶ月余りは、これまでと変わらずダラダラと過ごした。辞めてからの一ヶ月余りと比べると、再就職先が決まっているという安心感があり、非常にリラックスできた。ハローワークにも再就職の手続きを取りにいった。早く再就職先を決めたことによる手当てももらえることとなった。

新しい会社に入ってみてしばらくしてから分かったことなのだが、私が入った部門のボスである取締役は、私の出た大学のOBだった。私以外にも同窓の人が結構いた。ほかに社長や専務の出た二つの大学の人も目立った。うーん。経歴や資格は重要だけど、それ以上に学歴のほうが重要なのね。というか、上記三つの要素のうち、私にとってもっとも有利だったのは学歴だったということなのだろう。資格は無いし、経歴は主にプログラマーでギリギリSEかという程度だったからだ。

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新しい会社について、また機会を設けて書くことにする。


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