106. 周知ではない戦争関係 (2001/8/1)


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これまでは、いくつかの似たようなネタがまとまってから、両者を関連づけつつ一回の内容として書いていたが、最近更新頻度も落ちてきたことでもあるし、これからは単発でちょこちょこと書くことにする。本来この回は「マスコミブラックアウト」として書かれる予定だったが、戦争関係以外のことがなかなか思い出せない上にまとまりそうもなく、わざわざまとめて書く必要性を見出せなかったので、まず戦争関係で出すことにした。

■ミッドウェイ

最近私が驚いたのは、ミッドウェイの敗因について知らなかったことである。

戦争には数え切れないほどのさまざまな要素があって、どれか一つを原因とすることはできない。作戦がまずかったのか、軍備がまずかったのか、運か実力か、人災か事故か、準備不足か判断ミスか、などなどである。しかし決定的な原因についてはいくつかに絞ることができる。

私はいままで、日本がミッドウェイでアメリカに負けた理由は、アメリカ側の司令官ニミッツが索敵を重んじていたのに対して、日本はあまり周囲を警戒しなかったとか、本来アメリカの艦隊を捕捉して攻撃する役目を持っていたはずの日本の艦隊が、敵がいないからと指示を無視して島を攻撃しにいったからだとか、そんな風に作戦上のミスが問題だと思っていた。

これらの知識は、たまたま前に軍記モノの本を一冊買って読んだからで、それ以前の知識はもっとひどかった。アメリカ軍の方が物量で圧倒的に強かったのだと漠然と思っていた。実際は、当時は日本軍の方が太平洋ではかなり優勢だったそうである。

では実際はどうだったのかというと、日本軍の沈められた空母の甲板上には、爆弾を満載した攻撃機が発進準備中であり、そこへたまたまアメリカ軍の雷撃機と急降下爆撃機が攻撃してきて、日本軍の攻撃機についていた爆弾が大誘爆してしまったかららしい。空母のまわりには、護衛にゼロ戦がいたみたいだが、敵の雷撃機を迎撃しているあいだに、上空から来た急降下爆撃機に気づかずに空母を攻撃されてしまったらしい。

ゼロ戦は強力で、確か本には記憶では十数機ばかりが敵を迎撃したらしいのだが、敵の六十機ばかりの雷撃機の攻撃を完全に防いだらしい。ちなみに雷撃機とは魚雷で軍艦を攻撃する戦闘機のことである。急降下爆撃機とは、目標となる敵までは空の高いところを飛び、敵を見つけると降下して爆弾を落とす戦闘機のことである。

あなたが敵の船を攻撃するとしたら、水上に出ている部分と、水面下の部分と、どちらを攻撃するだろうか。もちろん水面下の方がいいに決まっている。船の水面下の部分に穴があくと浸水してしまうが、水上に出ている部分に穴があいても大したことはない。だから、魚雷による攻撃は船にとって恐いのだが、爆弾による攻撃は、特に軍艦であるならば、それほど恐くはないのだ。

ここまでは素人の考えでもいいのであえて私の言葉で説明したが、次からは小室直樹と日下公人の「大東亜戦争こうすれば勝てた」(講談社) から内容をひくことにする。八十機の急降下爆撃がそれぞれ二個の爆弾を持っているとして 160個の爆弾が空母に降り注いだことになるのだが、当時のアメリカ軍の急降下爆撃による命中率は 30%しかなく、期待値としては大体 48個の爆弾が命中するものと考えるのが妥当らしい。ところが、空母とは鉄の固まりであって、たかだか 500キロ程度の爆弾が四隻の空母にそれぞれ十発ちょっと当たったぐらいでは沈没することはありえず、せいぜい中破がいいところらしい。

つまり、日本軍は確かに四隻の空母を失ったわけだが、そのうちの三隻は自分たちの飛行機に積んでいた爆弾が大誘爆して大火災を起こしたので放棄しただけであり、甲板は大火災を起こしていたが沈む心配はなかった。最終的には、放置して相手に回収されてしまうことを恐れて自沈させたらしい。残りの一隻は、敵の空母三隻とそのまま戦ってうち一隻を大破させたが、結局撃沈されてしまった。

まとめると、日本は敵に対する攻撃準備をしていた一瞬の隙を偶然突かれて負けたらしい。一部では、攻撃が五分遅ければ日本が勝利した、という声もある。その五分説に対して、戦後敗戦の責任を逃れるためにウソをついて五分五分と運命のせいにしている、と非難する声もある。ただ、十分とか十五分くらい遅ければ多分空母を四隻失うことはなかっただろうし、そうなれば日本はミッドウェイに勝利していただろう。

この誘爆という不幸な事実がなぜかあまり積極的に報道されていないのはなぜだろうか。私が驚いたのは、あらためて以前読んだ戦史本をもう一度みてみると、この誘爆という事実が巧妙に避けられているのを発見した。普通の本ではなく、戦史の好きな人に向けて書かれた本でこれである。まあ戦史関係の本は多く、私の読んだ本は山本五十六とニミッツに焦点を当てて描かれた本だったので、勝敗の詳しい理由までを描写する必要はないと判断したのかもしれないが、誘爆という事実が一言も書かれずにつまり運不運について全く言及されずに勝ち負けを論ずるのは異常である。この作者の文面にはなにか奇妙で倒錯した遠慮が見られ、旧日本軍はトータルで見れば悪だということをあくまで前提としたいようである。

いまに至るまで連合軍つまりアメリカをはじめとした戦勝国の影響は、朝日新聞をはじめとしたマスコミやそれとなく惰性的に影響を受け続けるメディアによって、プロパガンダつまり政治的な宣伝によって「日本は負けるべくして負けた」というようなことをいつまでも日本人に植え付けているのである。

最近人気のかわぐちかいじの漫画「ジパング」は、現在の自衛隊のイージス艦が戦中にタイムスリップするという野心的な設定で大胆に戦中の様子を表現している。この作品では、ミッドウェイで日本の空母が沈んだ理由として一応誘爆と書かれているが、さりげなさすぎて普通の人なら見逃してしまうし、誘爆という事実があまり強く前に出ていない。タイムスリップした時間がそもそもミッドウェイの直前なので、完全に導入部の中に組み入れられてしまっている。多分ミッドウェイの前に余裕を持ってタイムスリップしてしまったという設定にしたら、日本が明らかに有利になるか、不運な日本軍を見捨てるという設定になって、都合が悪かったのだろう。

太平洋戦争は、日本が勝つことも可能だった戦争である。戦争に「勝つ」ということの定義をまずはっきり説明すべきではあるが、それはまた別の回にすることにする。ミッドウェイでやはり負けていても日本は勝つことができたと主張する人がいるのだ。

■バターン死の行進

私が海外の BBS でオーストラリア人に強く言われたのは、日本は捕虜の扱いが悪かった、ということである。彼の話によれば、オーストラリアでは戦争に参加した老人たちの話を子供に聞かせるというプログラムをずっと実施していて、彼も戦争に参加したベテラン兵の話を聞いたらしい。彼は、自分の言っていることは実際に戦争に参加した人から聞いた話だから本当なのだ、というようなことをしきりに強調していた。

しかし、たったさきほど調べた限りでは、というか前の項でちょっと調べたかったことを調べていたときにたまたま記述を発見しただけなのだが、バターン死の行進もやはりプロパガンダであった。調べた限りでは、バターンではオーストラリア兵は参加していないようなので、先のオーストラリア人はバターンをあくまで日本軍の捕虜虐待の主な例の一つというだけで挙げたのだろう。

バターンでは四ヶ月間も熱帯で戦闘をしていたこともあって、アメリカ側が降伏したときにはすでにかなりのアメリカ兵がマラリアにかかっていたらしい。捕虜として日本軍が彼らを確保したときにはすでにかなり衰弱していたようである。そこで近くの基地に連行しようと、たかだか 60キロの道のりを四五日もかけて歩いただけなのだそうだ。一日に 12〜15キロ歩くのは強行軍だろうか? 山登りに行くと子供でもそれくらい歩く距離である。アメリカ兵はトラックで普段移動していたのに対して、日本兵は徒歩が当たり前だったので、そのあたりの違いもあるのだろうが、最初からマラリアに掛かっているのでない限り、これくらいの距離が苦になるはずはない。むしろ、十分な医療施設のある基地に向かわずに、捕虜にもせずに放っておいた方が、死人は多く出ていたのではないかと思う。

とまあこういうことを自由主義陣営の国がプロパガンダとして子供に教えているくらいだから、朝鮮や中国にとっては当たり前のことだし、アメリカでさえかなり怪しい。

一方で、オーストラリアは何の苦労もせずに独立した国だったので、第二次世界大戦は自分たちで自分たちの国を守ったのだという自信を持ち、老人たちはいまでもそのことを誇りに思っているらしい。この話はまた別のベトナム系オーストラリア人の少女から聞いた話で、14歳なのによくまあそこまで考えるか刷り込まれるかしているなと思いつつも、わりあい偏見のない興味深い話だと思う。多分日本の中学生は日本がオーストラリアとも戦っていたということをほとんど知らないだろう。私も知らなかった。

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ところで、普通に「オーストラリア人」と書けば良いところをわざわざ「ベトナム系オーストラリア人の少女」と書いてしまうあたり、私自身をはじめ日本人全般にみられる少女信仰を意識しているのだろう。


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gomi@din.or.jp