神社の祭礼や地鎮祭などの儀式の時に、神主が唱えるのが祝詞である。
神に対して、その力に感謝し、たたえる言葉を申し上げ、さらなる幸運の導きを願うのだ。
ただ、祝詞というのは、本来、祭祀などさまざまな儀礼の場で、神人つまり神懸かり者が、神の意志を伝える呪力のあるものであった。
これに対して祝詞の中に寿詞(ヨゴト)と呼ばれるものがあるが、こちらは神に対して、祈願が成就したことを感謝してその力をたたえるという意味が含まれている。
後者の方が今日の祝詞の意味合いに近いようだ。
いずれにせよ、祝詞というのは、人間が神とコミュニケーションする手段だといえよう。
その祝詞の祖神が天児屋根神である。
由来としては、天岩戸事件の際の役割があげられる。
詳しくは天岩戸隠れの項を参照していただきたい。
とにかく、天岩戸の前で天児屋根神は太祝詞(フトノリト)を読み上げ、天照大神の心を大いに晴らしたということである。
結局、天鈿女神の神楽などが功を奏して目的は達成された。
ここで、祝詞を唱えるということは、祭を執り行ったということになる。
そうすると、天児屋根神には神を奉祀するという役割がその本来の性格に備わっているといえるわけである。
天岩戸の話は、言霊(コトダマ)信仰のルーツとも言われている。
天児屋根神が天岩戸の前で唱えた祝詞の力は、言霊の持つ呪力に通じると考えられているのだ。
言霊とは、言葉が神秘的な力と働きを持っているという考え方に基づき、その働きを司る神霊を指す呼び名である。
言葉は人の心を動かし、いろいろな現象となって表れる。
だから、言葉そのものには吉凶をもたらす神秘的な霊力がある、と考えるのが言霊信仰である。
祝詞や寿詞は、その言葉によって吉をもたらし、凶を避ける行事ということになる。
言葉を駆使するものは、天地も動かすことができると言ったら大げさだが、要するに言葉をしゃべると、その言霊の魔力によって物事が支配され、吉凶の結果が生じるということである。
話術の巧みな人の演説などを聞いていて、その人が会場全体を支配している感覚にとらわれたことがないだろうか。
こういったときには、理屈でなく感覚的に言霊の霊力を感じることができよう。
今日ゲームにまで登場する魔法や、ヨーロッパの黒魔術の呪文、仏教のお経も、この言霊に働きかけて森羅万象を変化させるための言葉といえるだろう。
天児屋根神が祝詞の祖神とされることは、この神が中臣氏の祖先神であることと深く関係している。
「中臣」とは、神と人との間を取り持つという意味で、この一族は宮廷の神事を統括していた。
それだけに政治的にも強大な力を持ち、しばしば一族の女性を天皇の后にしている。
それほどの一族だけに、その氏族の伝承が記紀神話の中に多く入り込んでいる。
そのひとつが祖先神の天児屋根神というわけである。
祭政一致の古代においては、祭祀の権限を持つことが、すなわち権力を握ることであった。
宮廷の神事で中臣氏がもっていた役職は、禊(ミソギ)と祓(ハラエ)を行うことだったようだ。
その禊祓(ミソギハラエ(関連は禊祓へ))の祭儀を行うときには、神に捧げる言葉つまり祝詞を唱えたわけである。
そういう役割からしても、神話の中での天児屋根神の活動は、ほとんど中臣氏の役職と一致しているということだ。