天岩戸隠れ
アメノイワトガクレ
登場する神:天照大神素盞鳴尊天鈿女神思兼神天手力男神天太玉神天児屋根神天目一箇神石凝姥神天羽槌雄神、その他多数(系図参照)
 これはさすがに有名である。
 誓約のあと、乱暴狼藉をはたらく素盞鳴尊に、天照大神は手を焼いていた。 しかし、神に誓っておこなった儀式で負けてしまった身としてはどうしようもなかったようだ。 結局彼女は現実逃避の行動に出る。 天岩戸と呼ばれる山中の洞穴にその身を隠し、大きな岩でその入り口をふさいでしまったのである。
 これにはさすがに日本中が困った。 なにしろ天照大神といえば太陽の神である。 その彼女が暗闇に隠れてしまったということは、世界から太陽が失われてしまうということだ。 世界は闇に覆われ、人間も獣も草も木も、およそ生あるものはみな生きる力を失った。 世界を統べるべき神々も、これでは困る。 そこで、天照大神を岩戸から連れ出すための策を講じることになった。
 ここで活躍するのが思兼神である。 彼は思慮を巡らせ、太陽をこの世に引き戻すための作戦を練った。

 その作戦を実行に移すときがやってきた。 神々は天岩戸の前に桶を多数持ち寄り、そのすべてを伏せて置いて舞台とし、石凝姥神が作った八咫鏡をメインに祭壇を組み上げる。 天目一箇神が祭りに用いる刀剣類や斧、および鉄鐸(サナギ=鉄製の大きな鈴)を作り始める。 やがて、舞台を取り巻いて神々が集まり、酒宴が始まる。 まず、鹿の骨を焼いて卜占をし、天太玉神が上の枝には500個の勾玉、中の枝には八咫鏡、下の枝には天羽槌雄神の織り上げた倭文(シズ)の綾織りと呼ばれる美しい幣をつけた天香久山でとれた榊の大枝を太玉串として捧げ持ち、天児屋根神が太祝詞(フトノリト)を唱えた。 天照大神は、これを聞いて大いに喜んだという。 天照大神の偉大さや美しさを目一杯褒め上げて気分をよくして出てきてもらおうという考えだったが、さすがにそこまではできなかった。
 そこで、最後の手段である。 宴もたけなわとなったとき、天鈿女神が舞台の上に躍り出て、舞を舞い始める。 手には男性器をかたどった日矛(ヒボコ)を持ち、見事なステップで空桶を踏み鳴らし、集まった神々をその踊りの世界へと誘ってゆく。 やがて会場のボルテージが上がってくると、天鈿女神は胸をはだけて乳房を露出し、 さらには腰の紐をほどいて衣を下げ、女陰をあらわにした。 美女のストリップである。 神々といえどもほとんどが男、この踊りを見て黙っていられるわけがない。 会場は大きな歓声と笑いで満ちあふれ、楽しくにぎやかな様子は最高潮に達した。
 洞窟の中でこの歓声を聞いていた天照大神も、実は外の様子が気になって仕方がない。 ひときわ大きな笑いが聞こえたとき、思わず入り口の大岩を少しずらして外を覗いてしまった。 これがまさに、思兼神が画策した瞬間である。 彼の命を受けて待ちかまえていた天手力男神が、大岩を力任せに引き開け、天照大神の手を取って引っぱり出した。 そして天太玉神が、すかさず洞窟の入口に注連縄(シメナワ)を張って境界を設け、「二度と再びこの中にはいることがありませんように」と大神に願った。 さらに、天照大神が承諾すると、天手力男神が天岩戸を山ごと持ち上げ、下界へ向かって放り投げたという。 この山は今の長野県あたりに落ち、戸隠山と名付けられて信仰され、今でも神社が残っている。
 このようにして、世界は光を取り戻し、あらゆる生き物はまた息を吹き返したという。

 この神話は、皆既日食をあらわしているという見方が有力である。古代の人々は、生命の根源である太陽が、日中、雲もないのに段段と削れていくさまに恐れを抱いたことは容易に想像できる。それを太陽神、天照大神の怒りや嘆きと結びつけたことに、なんの不思議もない。それがこのような形で神話として残っているあたり、日光をはじめとする自然が、人間の生活にいかにかかわっていたかをうかがい知ることができるだろう。