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1999/12/30

 それは私に対する挑戦だなっ
 などとつい鳥坂先輩モードになってえっちらおっちらMozilla Milestone 12リングから落としてきましたですよ。
 そんなわけで九五式窓の中にSeamonkeyが鎮座してるんですが……うーぬ、独自のコントロールを使ってるせいか慣れないなー。Xの中でならそう感じないのかもしれないけど。ってわけで、Linux用バイナリも落とさんとして年の瀬の夜は更けゆくのでありました。

1999/12/25

 某所で二十一日には早売りしてた「電波オデッセイ/永野のりこ」の第四巻、いちお今日がアナウンスされてる発売日らしいです。オミヤゲの日。
 このナニでアレなLOVEが凝縮された物語もとうとうこれで完結です。堂々の完結。ラストページ見たときは、ああ読んできてよかった、そう思いましたですよ。原さん、キタモリ、トモちゃん、野川さん、それぞれがそれぞれの葛藤をしてきました。他人にしてみたらどうでもいいようなくっだらないこと、当人にとってはそれこそ絶望的な壁、真面目すぎるくらいに悩んで悩んで悩み抜いて正面突破してくれました。それにしても“オデッセイ”、いい名前です。一巻冒頭で原さんが見たアポロ13号のニックネームからとられたのだと類推できますが、その単語本来の意味が見事にラストにつながってるなんてねえ、もう。
 結局、“オデッセイ”って存在は何だったのか。や、そんなコト問う物語じゃありませんけどね。終盤にかけてどんどん“オデッセイ”が原さんにかける言葉が少なくなって、見るだけ、が多くなっていきます。過去に置いてきた“かつての自分”がクローズアップされていくのとあわせるように。どっちも他人からすりゃジャストデンパかもしれないけど、原さんは電波とかキタモリくんには言いつつも自分の中では誤魔化さない。“オデッセイ”に見られていることを知って、だから“かつての自分”を見ることができる。この構造が一番くっきり現れているのが、やはり父親と再会する最終エピソードでしょう。アダルトチルドレンってのはツライ。その子供にしたらもっとツライ。アダルトチルドレンの子供から見たアダルトチルドレン、絶望を知った人間のまなざしは深く優しい。

1999/12/22

 聞くと無条件ににへらんとなってしまうとゆー音楽が誰しも一つくらいございましょう。
 私にとってYoussou N'Dourってのはそんなミュージシャンっす。実際にライブに行ったのは五、六年前に来日したときの一度っきりなんだけど、そんとき実感しましたね、この人はナマで聞いた方がずっとええ。とゆーわけで、CDでなくカセットではありますが、ライブ盤というならばゲットせずにいられようか、いや、いられまい。よって期待しないで入った店で絶対運命的にゲットした1999年の彼のライブを録音した二巻組みカセット「Le Grand Bal vol.1 , vol.2/ Youssou N'Dour et le Super Etoile」を聞きながらコレ書いてます。明日も聞いてるでしょう。年内はずっと聞いているでございましょうぞ。曲目については名大の遠藤さんという方がディスコグラフィ作って下さっているので、そっちを参照して下さいませ。
 これまでワールドマーケット対象のアルバムしか聞いたことなかった私なんで、このカセット(セネガル国内版、たぶん)に入ってる曲のうち知ってるのは十曲中三曲だけなんだけど(ただ、同一曲でもアルバム間で表記が違ったりしてるんで、ひじょーに自信無いですが)、残りを新曲と思って聞けるのでそれもかえってよしですねー。にへらん
 で、この人、セネガル出身で民族音楽をルーツに持つアフロポップの第一人者……と紹介しても紹介になってないのがツライところ。グリオとかンバラって言葉知ってれば当然彼の歌は聞いたことあるわけで。とりあえずAfro-Caribbean Musicsの中にYoussou N'Dourと独立して紹介されてますけど、ここにあるサンプルのaudioファイル、「Set」という曲の一部なんですが、本音いうとあんまり聞いてほしくないんですよ。こんな断片で彼の代表作「Set」のタイトル曲の魅力が伝わってるとは思えない。むー、坂本龍一の「Beauty」でコーラスに参加してたっていう紹介の方がいいんかしら。

1999/12/20

 いろんな意味で寒いです。寒々。
 寒いさなかに「羊のうた/冬目景」第四巻。や、これって暖かくなれる話とかじゃゼンゼンないんですが、葉ちゃんに会えないとか思ってしまうとソレだけで寒いのでヤムナシです。
 この四巻の後半(収録七話のうち後半四話)からバーズがソニーマガジンズに移ってからで、それまではスコラから出てたとき。というわけで雑誌自体がさまよってたその間の数ヶ月空いていたわけですけど、まとめて読んでみて特に前後で筆致に変化は無いですね。あったって困るけど。話の展開の上では、ムリに分ければ、前半はそれまで接点を持っていた人(江田夫妻や葉ちゃん)の前から消えようとするくだり、後半は姉の千砂との暮らしの始まり、といったところでしょうか。
 この物語、基本的に先は見えてますからね、意外な展開というのはあまり無いです。だから個々のシーンをどう見せてくれるのか、私の興味はそこです。この巻でなら千砂と葉との対決(アレは対決でありませう)、そこでの二人のぶつかり合い、ぶつかった後の傷ついた二人、それが、それが、それがもーなんとも。はう〜、葉ちゃんっ
 で、気が早いですが五巻。ここからは千砂と一砂、共に不安定になってますからねー。やっぱ、あーんなことやこーんなことしちゃうんだろなー。ってゆーか、今月号で既にしてるし。

1999/12/19

 というわけで、紅茶に何の疑問も持たずに砂糖を入れてしまう甘党生活。
 とりあえず裏面のサイバラで笑える、ウルトラジャンプ。三回連載の最終回「影猫/伊藤悠」、くっきりした線でありながらスピード感を味わえるいい絵でした。女薙刀使いの髪が途中で折れ曲がってるトコロがなんかイイ。
 「アガルタ/松本嵩春」は、あいかわらず紅花がどーにもきゅーとでしょーがない。のに、脇役。今回はジュジュが庭師フュージンスキのワザを見たってのがポイントでしょうか。にしてもこの二人、話のしょっぱなですれ違ってから再会するまでエラく長いことかかりましたな。RAELはRAELでさらに別の人格が顕現してますねー。言葉を失った、ってのはそれ以前も似たようなもんでしたけど、今度はまるで猫のよう。
 前号の予告にはナゼか無かった読み切り「異形の街/大野安之」。少女が骨董屋で買った傷ついた人形は天界で魔と戦っていた存在だった……という話。トーテムポールみたいなものがゴチャゴチャっと折り重なってるという街の描写が眩惑的で、魔ののしあるく街ってのをムリヤリ納得させられました。バトルシーンもかっこいいっす。この人の読むのは自分的に久しぶりだったけど、やっぱうまい。世界を作る力、伝える力。

1999/12/18

 なーんか甘党に変わりつつあります。ホットレモンに砂糖。一年前はこんなことぜってーしなかったのに……。
 と、まあ、そんなモノ飲みながら読んだモーニング新マグナム増刊。表紙にもなってる「Forget-me-not/鶴田謙二」、一時期すっごく絵が荒れてたんだけど、毎号掲載でなくなってきてからは調子が戻ったようです。隔月でもムリだったですね。んでも、下書き同然の載せるよりはこの方がいいですよ。それになんとゆーても今回はマリエルがチャイナさんでしたし。はう。
 前号から始まった「サトラレ/佐藤マコト」、面白いです。今回のサトラレ(自分の思考を発信しちゃう放射性テレパス(勝手に造語)、ただし天才)は小学生。サトラレの周りにいるのも当然ながら小学生。サトラレ警護班の主人公たちはその外側で見守るという話。異常な状況をユーモラスに描きながら、ギャグだけに終わってないのがいいですな。
 最終回の「雨太/正木秀尚」、最初は一話ごとのヒットマンとゆーゴルゴな話かなーと思ってたんですが、終わってみれば因習にまみれた隠れ郷の話。私的ツボにけっこうヒットするネタ。淡々と死んでいく人間たちが印象的でありました。御苦労様。
 かなり話を重ねてきた「文車館来訪記/冬目景」、前回に引き続いて過去が明らかになっていきます。土蔵の二階に寝かされていたってのは、結核だったのかなあ、唯晏(←市松人形イアンの人間ヴァージョン)
 もいっちょ。「aiko/中山和成」、第六回MANGA OPEN優秀賞という短篇。今号、ネオデビルマンで描いてる安彦良和を思わせるタッチ。それが、ゆったりしたテンポと噛み合って気持ちいい小品です。それでいてP15とP16のコントラストの付け方もいいぞ。うむ。

1999/12/16

 perlのファイルグロブってシェルのところで実現してるんですかね。Active Perlで空白文字が入ってるようなパス(例のProgram Files)でもってglobしようとしたらうまくいかないのはWin95のせい?

1999/12/12

 古屋兎丸が連載始める、っていうか既に始めたのかよくわかんないコミックバーズ、我が嗜好をご存知の向きにはよーくお判りのことと思いますが、今号、注目は「羊のうた/冬目景」です。や、イロイロあるグッズじゃなくて本筋の方。これがもー、うあーとうとうヤっちまったぜよってな展開。一砂が再び吸いました、千砂の血を。んで、その描写がなんともなまめかしいんですなあ。しかし禁忌という点でセックス以上にヤバいといえる吸血ってのを姉弟でヤっちまっているというのに、二人の間ではまだまだ距離が。これ以上進むとしたら千砂が一砂の血を吸うしかないわけで、ねえ。
 ところで男女間のセックスだと肉体面の差から女の方が受け身にまわるってのが多いですが、そんな差のない行為(血を吸うとか)だと、かえってお互いの内面の差がハッキリ出ちゃうんですね。どっちがリードしたのか、とか、どっちが誘ったのか、とか。

1999/12/11

 基本的に店内ぶらついてその場で何を買うのか決めるってことが多い人間なので、CD屋に求めるのは派手なディスプレイでなく幅広い品揃えです。ワールドミュージック置いていない店だと行く気がしない。だからして、滅多に行かないタワーレコード新宿店ですが、イベント目当てに。
 ぶらつくためにちょっと早めに行ってみると店内隅のブースに既にキーボードとギターが置いてあって、んでもってギター爪弾いてるのは……センチメンタルシティロマンスの中野督夫氏。こんなミニイベントごときのサポート(失礼)に来るんかいなと思ってたんですが、目の前にいましたです。そうこうしているうちに鈴木祥子本人、いつのまにか(これまた失礼、だけどホントこんなカンジで)出てきてギター持って音合わせ。「公開リハっす」あれま。ハウリングにのけぞる姿で笑いを誘いつつ“いつかまた逢う日まで”を何度か。
 仕切り直して始まった本番。「新しいアルバムから何曲か……」イベントということで旧作はやらないらしい。で、演奏したのは“子供の時間”、“いつかまた逢う日まで”、“この愛を”、“区役所にいこう”、“あたらしい愛の詩”の五曲。中野さんはすべてにギターで。五曲目ではコーラスも。鈴木さん、“いつかまた逢う日まで”でギター。“この愛を”、“あたらしい愛の詩”でキーボード。“優しい雨”もハプニング的になんだかんだで半分くらい歌ってくれました。個人的には“区役所にいこう”で中野さんの演奏が刺激的でよかったです。
 かかりっぱなしの店内BGMが曲間に聞こえてきて、なんだかなーでしたが、それでも間近で二人の演奏を聞けた小一時間、それも鈴木祥子の書いた曲を鈴木祥子が歌っていたわけでして、いや、至福。

1999/12/10

 エースネクスト唯一のビンボー譚、もとい、「NIEA_7/安倍吉俊」、そんな華の無い話でもとにかくアニメ化してしまう角川書店。今回は、まゆ子の語り。回想と電話なんですが、どちらも間の取り方がしっとり落ち着いていてよろしいです。絵的にもパワフルというよりは繊細なタッチなんで、いつものドタバタよりはコッチの方が味が出ます。んでも最後のオチは、大切な何かを振り切る鰻重だぜい。ところで、ビンボー譚だからって制作費をケチって欲しくはないなあ。なんちゃって、と韜晦するような今回のオチの付け方もそこまでの丁寧な展開があってこそなんで、これが最初からなんちゃってだと、もう見ていられない。
 もひとつ、ぜってーアニメなんかにはなってくれないであろう「木島日記/作:大塚英志+画:森美夏」、ヒムラーが出てきたと思ったら絶滅収容所。うわ。絵といい展開といい、相変わらずこの雑誌の中で浮いてます。支持。

1999/12/09

 今日は本じゃなくてCD。
 新譜としては一年半ぶりの「あたらしい愛の詩/鈴木祥子」、ええ、待った甲斐ありましたとも。
 一聴して思い浮かんだのが“開放”って単語です。この人の聞いてこんなに気持ちよくなっていーんだろかいなってくらい。つまり、気持ちよく歌っている人の声は気持ちいいってことでしょうな。「Radiogenic」以降の一つの到達点でありましょう。
 すっきりしたメロディの曲が多いですが、それを歌い上げる独特のざらつきのある声(説明し難いですが、ハスキー、とは、違うんであります)の力はいつも以上の問答無用の訴求力。アレンジでいくらムチャしていてもゼンゼン負けてないです、今回。詞の方は十二曲すべて本人が書いてますが、希望であれ絶望であれクールな視点、奥行きがあります。結婚賛歌な“区役所にいこう”でさえ 「死ぬまでにわかるかしら 生きることのひみつが」 ってくらい。煮詰めて煮詰めて煮詰め倒したような、ポップとは言い難い「Hourglass」(これもワタシは好きなんだけど)を経てきただけはあります。
 で、この「あたらしい愛の詩」の極私的ベストを挙げようかと思ったんですが、ぬー、選びきれん。というわけで丸一日エンドレス状態で聞いた時点でのベスト3、“区役所にいこう”、“もういちど”、“破局”。以上順不同。

1999/12/08

 ジョンの命日。
 と覚えてる人はどれくらいいるんでしょ、今日のこの日。大詔奉戴日ってのとどっちが多いか、さて。
 今日のこの日に八月十五日。
 年表風にいえば、一九四一年十二月八日に始まって一九四五年八月十五日に終わった三年八ヶ月という太平洋戦争。
 これ、中国人にしてみたらピンぼけな区切り方。始まりの日がぜんぜん違う。そもそも日本が中国に対してついに宣戦布告しないままだったということは、色々なことを象徴している。
 旧ソ連の人、意識してないかもしれないけど、終わりの日として八月十五日ではないでしょうね。少なくともソ連軍の矢面に立たされた日本人にとって、それは終わりの日ではなかった。
 戦争ほど大きな事件はないし、区切りもつけやすいけど、区切りをつけることでこぼれてしまうものがあって、それはやっぱり無視しちゃいけない大きさがある。ある日突然始まった、その日を境に終わった、とする十二月八日や八月十五日というのは、過去を歴史として扱う特権的な、遠く過ぎた日を振り返るという意味での傲慢になりがちな視点からの日付と考えることも出来る。
 そして、それをわかった上で、それでも忘れずに色々なことを振り返ってほしい。
 などということを靖国神社に公式にするしないとか毎度毎度年中行事的に盛り上がる夏に思ったのだけど書きそびれたので今日のこの日に。

1999/12/07

 色々あってまとめて書いてしまうんでわかりづらいでしょうが、もうしわけない。ゼンゼン違う雑誌みっつ。
 コミックフラッパー。創刊号に続いて第二号も表紙がNOCCHI。この人は画集買っちゃうくらい好きなんだけど、どうもこの雑誌とは違和感が。ようは読者であるワタシがまだ慣れてないんでしょうな。慣れれば士郎正宗な表紙のコミックガムとか村田蓮爾な表紙のウルトラジャンプや快楽天のようになるのでしょうか。あと、慣れない理由としては、このフラッパーで一番面白いのが他の大御所差し置いて「串やきP/SABE」と思ってるからかな。なっさけない兄貴とその妹とその二人に飼われる身になったペンギン(暫定)の話。笑えるんだけど、その裏側でちらちらするシニカルな視点がそれ以上に気持ちよくって、んで、それがキレイ系な表紙とどっかズレてる。
 普段読むことのない月刊少年マガジン。以前、感想書いた「ホワイトアウト/真保裕一」が載ってるというので読んでみました。描いているのは飛永宏之。可もなく不可もなく……といってはいけないんでしょうが、まだ序盤ですしね、保留。冬山の冷気というのを見せてほしいです、難しいでしょうけど、ゼヒ。たとえば、マンガ記号としての冷汗というのを使わずに(素人的無責任放談)
 マンガ誌じゃないけど、「ゲーム批評」。ついに広告載せたということで騒がれているようですが、まあ、そんなことより冬目景な表紙って方が私的には気になるのです。前号が玉置勉強だったし、どういう基準で選んでるのかなー。冬目氏のやる気ないっぽいインタビューが笑えます。ゲーメストの表紙描いたときのインタビューはそうでもなかったんだけど。

1999/12/04

 ゆたんぽ出しました。日本の冬。
 自己ツッコミを少々。まず、二日の分。やまむら氏の新作、話が見えないと書きましたが、第一回だけで判断すれば逆です。見え過ぎ。類型的といってもいいくらいの材料。だけど、材料だけ。ここからどんな方向にも持って行けるということも言えるので判断は保留です。私ごときの先読みなど鮮やかに裏切ってほしいものです。
 一日の分。滅びに向かって突き進むという話、もひとつ思い出しました、「太陽よりも月よりも/平塚武二」というのがあります。これは、書店にあるとしたら、童話のコーナーかもしれません。読んだのは確実に「城塞」よりも前、小学校低学年の頃なんですが、こーゆーのを面白いとかいってしまうコドモでございましたですよ。裏を読む、ってことまではしませんでしたけど。今読んだら……いくらでも深読みできそうな、懐の深い話。

1999/12/02

 三日分まとめて更新ですが気にしないでおくんなまし。
 そんなわけでして、つらつらと、OURS
 新連載「カムナガラ/やまむらはじめ」、良くも悪くも第一回。この人だけあって一回分じゃさっぱり話が見えませんです。剣と鏡という二つから来る上代のイメージをどこまで捻ってくれるのか、次回以降に期待。
 あいかわらず条例だの規制だのにバンジージャンプしてる「エクセルサーガ/六道神士」、四王寺にAプラスとか採点されてしまった幼女は岩田君の親戚ではないですか。先が読めん。っていうか、先読まなくても楽しめるんだけど。
 OVA見てた人間は膝打って喜んだハズ、今回の「ジオブリーダーズ/伊藤明弘」。高速道路上のノンストップ銃撃戦、いつも以上に薬莢の数、多し。そして化け猫、神楽、厚生省、県警に続いてチェイスに登場した新勢力は……OVAから社長のセリフを引かせていただきましょう、「やってくれるぢゃないの 毎朝新聞ッ!」

1999/12/01

 冬でございます。寒々。
 少年エースは、「A・LI・CE」も「マクロス7トラッシュ」もなんだか中途半端なページ数。寒々。
 「犬狼伝説/押井守×藤原カムイ」は今回で終了。ええ、もう、犬狼ならこれしかあるめえ、ってなオチを真っ正面から描いてくれましたです。静かに燃える熱いオチ。
 滅び行く集団を描いた話、これの原体験はというと、記憶に残ってるのでは「城塞/司馬遼太郎」が最初になりますか。初読は小学生のときだったかな、それ以来何度も再読してるので、私の中では司馬作品中でも世評高い「坂の上の雲」とか「竜馬がゆく」と並んで、これが一二を争うくらいの強い印象。なんといってもラスト、大阪城が陥ちるときに小幡勘兵衛が言う「夢 醒メタリ」ってのが強烈で(記憶に頼ってるんで違ったらスマヌ)
 基本的に司馬作品ってのはその通低に“優しさ”が入ってる、と読めます。視点はあくまで高所であって、高踏的なんだけど、まんべんなく細密に描写することでそれを感じさせない。晩年のエッセーでは切って捨るということもしてるけど、歴史小説では繰り返し国の興亡を書いているのに勝者にも敗者にも一方的な処断はしない。それだけに「城塞」の淀君に対する筆致は例外的ですね。だからラストの勘兵衛のセリフ、これ自体は大阪方に期待していた自分を嘲笑うという相当にシニックなものなんだけど、そこには筆者自身の体温がある。
 えーと、そんでもって「犬狼伝説」。基本プロットを組んだであろう押井氏の七十年代に対するスタンスは、ここからは不明。むしろ意図的に隠そうとしてます。犬の話といいますが、犬に期待される明快さはありません。なにしろ置かれてる状況が犬が犬でいるには複雑過ぎる、ので、そこで噛み合い死んでいく犬の話、です。しかも視点は毎回変わって、それもすべて犬の高さなので、まあ、わかりにくいこと。
 結局、第一期連載から何度もほのめかされてきたように、特機隊は滅びます。第一期連載最終話でのハイジャッカーに対する巽や半田の奇妙な同情も、待ち受けているものを察知していたからであって。この最終回も、巽と半田の別れる場面がいちばん押井調が表に出てたように読めました。ラストの三人組は押井氏というよりは藤原氏の詩情でしょうかね。たとえ落ち武者であり負け犬であっても、とにかく美しい。未来の無い、静かに燃える熱いオチ。
 やっぱし「犬狼伝説」って、スカしただけの話、ではない、熱い話だと思うのです。


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