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RG125γ
1985年から、約半年間で10000km。初期型。Blue/White。
MyFirstMotorcycle。無我夢中で走っていたため、こけまくったこと以外ほとんど思い出がないかわいそうなバイク。

RG250γ
1986年から、約1年で15000km。W型 WalterWolf。
PararelTwinのγというとピーキーでじゃじゃ馬というイメージがあるが、この頃にはかなりマイルドになって乗りやすかった。γはこの後一度マイナーチェンジして、次はVγへと変わり、世はVTwin全盛となってしまうが、やはり高回転の”美しさ”はParaTwinのものだと思う。

SDR
1987年から、約2年で28000km。SDRはたった2年の短命モデルだったので、型式分けはなし。MeltingGreen。
史上最も美しいバイクの一つ(控えめな表現でしょ)。
こいつはいろいろいじりまくった。FブレーキにはFZR400のフローティングディスクとステンレス・メッシュホース。乾式エアクリーナー(パワーは出るけれど詰まりやすく寿命が短い)、アルミウィンカー、テールカウルには合皮を張っていた。今のカスタムブームから見れば微かなものだが、僕は元々”何でもいいから改造しまくる”という今の風潮は好きではない。
始動直後のYPVSのセルフクリーニング音。サイレンサーから流れ出す、AutolubSuperRの香り。
今後、これほど好きになれるバイクは現れるだろうか。

DT125R
1989年から、4年間で52000km。3FW。ケースリードバルブ・エンジンの初期型(としか説明のしようがない)。White/Red。もちろんストロボラインのYAMAHAワークスカラー。
OX-Racingのアルミサイレンサーを装着。ある仕事の外回りにも使っていたため、歴代最長の距離を走ったバイク。事故のため現在休眠中。
SDRを「最も好きなバイク」とすると、こちらは「もっとも身体に合ったバイク」(身長のことではなく)。同型エンジンでありながら、排気量の大きいSDRよりもこちらの方が気持ち良く吹け上がる(”シングルの鼓動”を強調し過ぎたためのエンジン特性の悪さが、SDRの悲しいところだった)。
125γから数えて3機目、これほど長いこと2stSingleに乗っている人間は珍しいだろう。そのせいか、数あるMCエンジンの中でも(仕事用では他にもいろいろ乗っている)、やはり2stSingleが一番好きだ。

XT225W
エンデューロマシンでも輸出車でもなく、ただのSEROW225Wのこと。4JGの初期型。White/pink。
1993年から、4年間で28000kmを走り、つい先日、友人であるAST.君の処へ。
我がXT-Wの特徴は、何といってもキックスターター。セルが嫌いというだけの理由で、スタートボタンを内部から封印し、キックアームを取り付けていた。デコンプがないので結構重い。購入当初は毎回始動に20分かかったというのは悲しい実話。
上記のように2st一辺倒だった僕が、初めて購入した4stバイク。4stSingleの走り方というのを教えてくれた。とても優しい、温かいという形容が似合う。それに対して乗り手の方に落ち着きがなさすぎた。XT-Wの”優しさ”という持ち味を、僕は結局生かすことが出来なかった気がする。もっとゆっくりとつき合えれば、より多く、楽しい思い出が作れたのではないだろうか? いつかもう一度、そんなつき合い方に挑戦してみたい(挑戦するもんじゃないか?)。
とにかくオイル漏れに悩まされ続けた4年間だった。”SEROWはオイル漏れが多い”などという話も聞くが、友人のSEROWは2機ともそんなことはない。単に相性が悪かったのか? と、いうよりは注意が足りなかったせいだろう。ついには不注意から”抱きつき”状態にまで至ってしまい、乗り換えを決意。友人への譲渡となった。
結局、僕が一度も連れ帰ることの無かった徳島で、これからあいつは走ることになる。
今まで、どうもありがとう。またいつか、四国の地で逢おう。

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