第1回 ある晴れた日に

…知らない子がやってきて、遊ばないかと笑って言った。ひとりぼっちはつまらない。みんな仲間だ友達になろう…


1998年11月3日。国立ゴール裏は、いつもと同じ。マリノスのホームとはいえ、圧倒的にレッズサポーターのほうが数が多い。相手を圧倒するような、レッズ・コール。そして帰国したばかりの、伸二の強烈なゴール。守るなよ、攻めろ…。そして、福田の厳しい体勢からの、「らしい」ゴールで、2得点目。マリノスは、ノーゴール。後半も残りわずかだ。勝てる。勝てるぞ。勝てるはずだ。…勝てるはずだった。

何が足りなかったのか。レッズの選手たちに、勝利に対する執念が足りなかったというのか。私たちの声援と気迫が足りなかったというのか。横浜問題で揺れるマリノス選手たち、サポーターのほうが、モチベーションが高かったというのか。そんなはずはない。そんなものを認める訳にはいかない。試合終了後の、マリノス側から起きた「浦和レッズコール」は、キックオフ前のエールの交換に対するお礼というより、「レッズ、勝たせてくれてありがとう」という嫌味にしか聞こえなかった。それは私の心が狭いからか?いや、誰だって、少なからずそう思ったに違いない。これは勝負だ。リーグはまだ続いているんだ。少しでも、上の順位を狙いたい。その心はどのチームだって同じだ。何が足りなかったのか。何に負けたのか。心のうちを探ろうとした。


こんなことがあった。前節、駒場でのガンバ戦でのことだ。例の横浜問題で、フリューゲルスの人間たちから、私はずいぶんといろいろな相談を受けていた。フリューゲルスの、あるサポーター集団のリーダーと、私は親しくしている。その仲間から、電話があった。「ハーフタイムで、フリューゲルスコールをやってもらえないか」というのだ。署名活動や、球団、企業への働きかけについて、いろいろ相談を受け、協力も辞さないと言ったものの、この件に関しては、私はNOと答えた。当然である。鹿島にV負けを喫してから、柏に何とも不甲斐ない負け試合。いくら同じJの球団が危機に瀕しているといっても、まだリーグは続いているのだ。レッズの選手たちに力を与えるために、私たちはゴール裏にいるのだ。スタジアムに集まっているのだ。ハーフタイムに、試合中に、他球団のコールをするわけにはいかない。私たちの闘いだって、まだ終わってない。レッズだって、闘っているのだ。闘わなければいけないのだ。


確かに、このセカンドステージは、良いスタートダッシュを受け、善戦を展開した。優勝争いを繰り広げた。だが、これは95年頃から、なかったことではない。「いいところまではいくんだけど、終わってみれば、やっぱり6〜7位」のレッズでいいのだろうか。いつの日か、タイトルを。そして日本一に。アジア一に。そして世界へ。私たちの夢はもはや夢ではない。具体的な目標である。試合後、理由のわからない苛立ちとともにスタジアムを後にするのはもうごめんだ。うなだれる選手にブーイングを浴びせるのもできることなら止めたいぐらいだ。こんなにも多くのサポーター、ファンに支えられているレッズには、夢のあるゲームを、わくわくするようなプレーを、見せてほしい。そして私たちとともに、成長し続けてほしい。一緒に歩みたいのだ。一緒に歩こうよ。


きょうは天気がいいから、サッカーを観にいこうか。パパ、誕生日のプレゼントに、ユナイテッドの試合に連れてってよ。…私の育った故郷では、こんな会話がきかれる。その国では、サッカーは、もはやスポーツを越えた存在である。多くの人の心に深く根差し、それは文化と称されることもある。レッズは…。レッズは、もう私たちの心に充分深く入り込んでいる。どんな負け試合を見せられたって、もう二度といかねぇ、とか言ったって、結局私たちはスタジアムに足を運んでいるのだから。経営が苦しいから、チームを潰してしまえ。もうJリーグからは撤退だ。…そんな理論が許される訳がない。そんなリーグで良いわけもない。レッズは幸福だ。これだけのサポーターとファンに囲まれて。しかし、このリーグが、この国のサッカーがどうなってしまうかは、判らない。私たちが、強くならなければ。そして、私たちで、リーグを、チームを強くしなければならない。「たくましいチームにしなければ」と原監督は言った。この「たくましさ」の裏に、今は様々な意味を私は思う。


…口笛吹いて、東京行った。知らない子はもういない、みんな仲間だ友達なんだ…

JFL最終節で、スタンドでこんな歌を歌っていた。ある晴れた日に、サッカー場へ行けるような国にしよう。そこでは、ひととき、日常を忘れられるようなゲームが見られるような国にしよう。いつまでも、レッズとともにいたいから。

☆第2回 「TOGETHER FOREVER」


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