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【3.一緒に歩こう】
〜1997・9・28・国立・韓国戦〜
1−2

1997年9月26日深夜。もう終電も終わってしまった。普段であれば、ひと気のないはずの国立の周りは、おびただしい数のサポーターで埋め尽くされていた。かく言う私も、思えば試合の5日前、水曜日の川崎−横浜F戦のあとから、国立を生活の拠点にしていた。深夜、仕事が終わると、赤坂の職場から、国立へとタクシーで駆けつける。テント生活をしている仲間がいるからだ。タクシーの運転手さんは、『これ、何ですか』と驚き、呆れる。バカげた行動だと思う方もいるだろうが、仕方ない。現に自分でもバカだと思う。国立の周りには、そんなバカが溢れていた。しかしこれはバカにすらなれない人も多い中で、ここまで人の情熱を掻き立てる魅力が、サッカー日本代表にはあるという事なのだ。家にいたってじっとしていられない。刻一刻と近づく天王山の闘い。

試合内容について、とやかく言うのは止そう。負けた。確かに負けた。しかし緊迫した、良いゲームだったと思う。韓国は豪快なサイドアタックで攻め込んでくるが、日本のマークも徹底していた。日本には惜しい得点チャンスが訪れる。そして素弘の芸術的なループシュート。大丈夫だと思っていた。いや、そう信じたかった。
我ながら悔しかった事がある。試合終了を告げるホイッスルの後、一瞬、静寂に包まれたスタンドに立ち尽くし、不覚にも涙が零れそうになってしまった。「フランスへ行こう」の歌を一緒に歌う事ができなかったのだ。しかしそれは、「もうダメかも知れない」という気持ちが前に出てしまったせいなのだ、と後悔した。私事だが、試合のあと、「強いね」と言われた。いや、強いんじゃない。強くならなければいけないんだ。それは代表と同じなのだ。サポーターが気落ちしてどうする?強い信念を持って、後押しを続けようではないか。みんな気持ちは同じはずだ。サッカーが好きで好きで好きで好きで、ずっと見つめてきた。一度もまだ見た事のない、世界の舞台に立つ代表を見たいんだ。今まで、ずっと、負けても負けても応援を続けてきたんだ。だから少しずつ、強くなってきた。代表も、サポーターも、同じなんだ。
試合の後、70人近くの仲間で、新宿で飲んだ。自分でも、空騒ぎをしていたと自覚している。その後、新宿のはずれの自宅に、20人近くが集まってさらに飲んだ。途中、一人でコンビニへ出かけたのだが、その途中、歩いていると、とても屈辱的な気分が込み上げてきた。私は代表のユニフォームを着たままでいた。通りすがりの人カップルが、『あ、きょうサッカーだったんだ。どうだったんだろ、結果』と肩を寄せ合い、囁いている。悔しかった。私はうつむいて歩いた。なんだか、道の端を歩かなければいけないような気さえした。これほど、悔しい思いをしたことがあっただろうか。屈辱的に、悔しかった。
この悔しさを、何とかしなければならない。一発勝負は、どうなるか判らない。だからサッカーは面白いんじゃないか。まだ3試合が終わっただけだ。逆に韓国だってどの星を取りこぼすか判らない。他の国だって同じだ。目標は一つ。「フランスへ行く事」。この夢を、代表に叶えてもらいたいという想いはみんな同じはずだ。いや、もう「夢」ではなく、現実的な「目標」なんだ。みんなで一緒に歩こう。フランスまで、歩くんだ。スタジアムへ行く人も、TVで応援している人も、遠く異国で、インターネットの情報に食い入るように見守る人も。世界中のサッカー日本代表のサポーターのみんな。みんなで一緒に歩こう。フランスまで歩こう。
この頃から、多くのメールを、読者の方からいただくようになった。書く文章も、呼びかけ調になってきた。仲間たちへ、『しっかりしろ』『頑張れよ』というメッセージを呼びかけているつもりが、実は、これは私自身に対してのメッセージでもあった。いらだち。焦燥。そして何よりも、もどかしく、悔しかった。

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