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【1.魂に祈りを込めて】
〜1997・9・7国立・ウズベキスタン戦〜
6−3

浦和レッズでは、3人一組で、「オフィシャル・サポーターズクラブ」を登録できる制度がある。会費は、年間ひとり1000円。登録すると、大きな旗と、会員証がもらえる。私たちは、その旗欲しさに、会社の仲間5人で「ROSSO」という名のクラブを結成した。いや、結成というほどのたいしたものではなかった。名前だって、どうやってついたのか、私も実はよく知らない。とにかく、そうして仲間があつまったのが、はじまりだった。翌年、「アルファベットのカッコつけた名前じゃなくて、日本語にしようよ」という、別に大した意味のない会話のなかから、「じゃあ、超野人倶楽部」、と名前を変えた。ただそれだけの事だ。そうして、超野人倶楽部ができた。はじまりは、職場仲間の5人だったのだ。

インターネット、というものは、大変な可能性と力を持つ。 私は、96年の暮れのボーナスで、おじさんよろしく、ノートパソコンを衝動買いした。「インターネットにどうやったらつなげるの」。「え?セットアップって何」云々。まったくの素人の私相手に、パソコンに詳しい友人が、うるさそうに、全て使用環境を整えてくれた。私はただ、教わった通りに、ネットに接続するだけ、である。ある日、「超野人倶楽部のホームページを作ろうと思うんだけど」との相談を持ち掛けられた。いいんじゃないの。それ以外に言える事はない。なんといっても、その「ホームページ」とやらいうものの構造、どうやって作るのか、何も私は解っていないのだから。97年のはじめ、めでたく超野人倶楽部のページが完成したのだが、中身がなにもない。「雪、文章書くの、好きだろ。なんか書いてよ。観戦記じゃない方がいいなぁ」。「うん。好き、好き」と安請け合いしたものの、さて、何を書いたらよいものか。その頃、少々ネット遊びができるようになった私は、色々なサッカー関係のサイトを見た。なるほど、みんな、サッカーを良く観ている。的確な戦力分析、批評。サッカー雑誌も顔負けである。それならば、ゴール裏から観た、徒然でも書こうかな。そんな、軽い気持ちで独り言のような文章を綴るようになった。
夏の熱い日の深夜、私は一人、近所のビルの周辺をうろついていた。さっきすれ違った警備員が、いぶかしそうに私に目をやる。午前3時に、こんな所をうろつく人間は、確かに妙だ。私は、急遽決まったホーム&アウェーの、国立ホームゲーム4枚セット券を購入するため、チケット××へと向かった。しかし、誰もいないではないか。都内他のチケットセンターでは、徹夜組も出ているというのに。一人でいるのも何なので、仲間に連絡をしたうえ、私は一度帰宅し、再度朝6時に出かけた。3件隣のビルにチケット屋があるのは、実に便利である。余談だが、この日、このチケットセンターでは、発売時間になっても14名しか集まらなく、当然全員購入できた。しかし、その後の『バラ売り』の時には、チケット争奪戦は過熱の一途を辿り、UAE戦、最終戦カザフ戦売り出しの時には、前夜10時には、40人以上が列をなしていた。
9月6日午後11時。ようやく仕事を終えたときのことだ。「旗を作ろうぜ」と行動隊長が言った。会社には申し訳ないと思ったが、宿直室に山積みになっていたシーツを一枚、拝借した。給湯室からお盆を持ってきて、真ん中に大きな丸を描き、マジックで赤く塗りつぶした。日の丸ができたはいいが、何か文字を入れたいものだ。さてどうしよう。あれこれ思案していると、あとからやってきたメンバーが、「一文字に限るって」と断言。決して達筆とは言えない手書きで書き上げたその旗を見て、我ながら感動してしまった。日の丸という美しい国旗を持ち、こんな美しい漢字のある国に生まれてよかった。大袈裟かもしれないが、本当にそう思った。それは「魂」という一文字である。
今では、『並び』という単語は、サポーターの間では市民権を得ているだろう。試合の前から、テントを張ってまで、徹夜で場所取りのために並ぶ事だ。かく言う私も、自宅が新宿、職場が赤坂だったため、国立競技場は、自宅と職場の中間地点。よく前夜、前々夜から、並んでいる。この『並び』に関しては、異論反論ある事だと思う。しかし、一つ言えるのは、決して、良い席を取りたいがための『並び』だけではないという事だ。国立のスタンドは広いから、当日の早朝に来るだけでも、十分、良い席が取れる。それなのに、ずいぶん前からテント生活をするのは、高ぶる気持ちを、仲間とともに分かつため、でもあるのだ。冗談半分で、『サポートのモチベーションを高めるための合宿生活』だと言う人もいるぐらいだ。
9月7日。これから8戦を戦うW杯アジア最終予選の、大事な大事な第一戦である。早朝から国立競技場の周りは、大変な数の人で溢れていた。19時からの試合だというのに、昼頃には、もう列の最後尾が見えない。仲間たちと、家族と、人々みんなが「ニッポン・ブルー」を身にまとい、競技場にやってくる。午後3時半。異例の早い開門となった。
午後6時前から、スタンドは異様な雰囲気に包まれていた。アウェー側12番ゲートを中心に陣取ったウルトラスの大集団の中で、植田朝日君が拡声器で叫ぶ声が遠くに聞こえた。「ここまで来たら、きょうは加茂さんを信じて応援をしよう」「選手たちが少々のミスをしても、きょうは彼らを励ます応援をしよう」。その通りだ。ここまで来たら、何がなんでも勝って欲しい。フランスへ行ってほしい。ここは日本だ。日本のホームゲームなんだ。後押しをしなければ。「きょうは『観戦』するんじゃなくて『応援』しよう。声出していこう」団長も声をあげた。近くにいた人たちも、それに応えてくれた。武者震いがしてきた。大歓声の中、選手が入場してきた。
あれほどの大声で国歌を歌った事は、はじめてだった。あの日、5万数人で埋まった国立のスタンドにいた誰もがそう思った事だろう。地鳴りのように響き渡る君が代。割れんばかりの拍手と大歓声。ピッチが見えなくなる程、舞い散る紙吹雪。ひざまづき、ボールに祈りを込めるカズと城。歴史となる最終予選の幕開けだ。
試合内容については、話すときりがないので、止めよう。後半の3点を取られた事から、厭なムードを残したのも、事実だ。ただ、あの尋常ではない空気に包まれた国立で、日本が6ゴールも奪えたのは、確かに見えざる力が働いたためだと思う。ウズベキスタンが弱かった訳ではない。日本が急に攻撃パターンを変えた訳でもない。特別なフォーメーションを配した訳でもない。圧巻だったのが、前半ロスタイムの城の得点シーンだろう。完全にフリーの状態で決定的なラストパスを受けながらもそれを外していた、城。一瞬、溜息に包まれるスタンド。しかしそれも束の間、スタンドから湧き起こったのは「城彰二コール」だった。うなだれる18番の背中に後押しをするような大コール。その数分後、ゴールを決めた城は、どこか気恥ずかしそうに、しかし誇らしげに小さくガッツポーズを作って、真っ先にスタンドのサポーターの方へ走り寄ってアピールをしていたではないか。あの日のサポーターの祈りは、選手たちの力となり、勇気となり、確かに日本を圧勝へと導いたのだ。
あの日、国立のスタンドにいたサポーターはもちろん、テレビの前で祈りながら観戦していた人、あるいは遠く異国でテレビ中継も観られないが、祈る想いでいた人たち。誰もが同じ想いを胸に、その勝利に天を仰ぎ、涙したことだろう。日本にはあれだけ素晴らしいサポーターがいる。ヨーロッパとも南米とも、韓国とも違う。「日本のサポーター」には、素晴らしい「応援」がある。そして私たちの祈りから選手たちは勇気を奮い起こし、勝利で応えてくれる。日本中、世界中の日本サポーターと、選手とが一つになれたと思った。
フランスへの道、最終章。緒戦が終わった段階で、この先に何があるのかは、もちろん何も判らなかった。正直に言うと、果てしない希望と、微かな不安とが入り交じっていた。しかし、全てのサポーターとともに祈り、「応援」を続けようと思った。「魂」という美しい文字の在る国に生まれた私たちの祈りは、必ず選手たちの胸に届くに違いない。某ネット上で、こんな事を言っている人がいた。『サッカーの神様。カズの右足が痛いのなら、代わりに俺の右足を傷めてくれ。能活の手が、どうしてもボールに届かないのなら、俺の右手を与えてくれ』。
こうして、最終予選の幕が開けた。かつてまでは想像すらできなかった、日本代表サポーターの、素晴らしい応援が、国立で、生まれた。

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