親愛なる魔物様へ





  【6】




 ファルス達が村外れにあるフラックの家へやってくると、丁度客人共々、家主は外で話をしていて、リーンとファルスの二人を見ると手を振ってくれた。

「あぁ、丁度いい。後で君らのところに行こうと思っていたんだよ」
「本当ですか、それは良かった、なぁ、ファルス」

 嬉しそうにリーンは振り返るが、正直ファルスはあまりいい気はしなかった。
 ……まぁ、後ろで文句をいいつつ背中を蹴ってきたり、髪の毛をひっぱったりしている魔物がいるからというのが理由の大半ではある。
 ファルスは出来るだけ目立たないように、リーンの後ろについて彼らの会話を聞いているだけのつもりでいたのだが、リーンと会話中のフラックはともかく、魔法使いがこちらを見ているような気がしてならなかった。
 茶色のローブを身に纏い、杖を持ったその魔法使いの男は、歳は丁度フラックと同じくらいで、イメージににある長い髭を生やした老人とかではない。ただし、瞳の鋭さはこんな平和な村にはないもので、見られているだけでいろいろと見透かされるような気がして、ファルスは気が気ではなかった。
 魔物は、剣の主であるファルス以外には見えない筈。そうは思っても、魔法使いならば分かるのかもしれないという気になる。
 出来るだけさりげなくリーンの体を盾にして、魔法使いの視線から逃れようとするものの、ファルスが動けばその分顔をずらし、魔法使いは確実にこちらを見ているようだった。
 やがて、魔法使いはにやりと口を歪ませると、懐から小石ほどのサイズの石のようなものを取り出す。良く見ればそれは水晶のようで、透明で綺麗な丸い石を、魔法使いは自分の目の前に持ってくると、まるでその水晶を通してこちらをみるように覗き込んだ。

「まずいかも」

 魔物の呟きがファルスの背中から聞こえる。
 魔法使いはその水晶を一度下ろすと、今度はリーンと話をしている最中だったフラックの耳元に顔をを寄せ、なにやら耳打ちをしたようだった。
 ファルスは内心冷や汗をかいていた。
 バレたかな、と思う。
 リーンの後ろに隠れるように小さくなって、話の切れ間を待つ。
 そうすれば何時の間にか、気付くより早く傍には例の魔法使いが立っていて、イキナリ耳元に掛けられた声に、ファルスは飛び上がるばかりに驚いた。

「君の後ろに、いるね」

 これでもしらを切ってあくまでもとぼけられるのだったら、ファルスは将来大物になれそうな人物として、皆から期待される身であったろう。だがしかし、どこまでも平凡を貫くファルスは、あまりにも驚いたところで誤魔化そうなんて考えは頭からすっかり消し飛んでしまった。すっかり頭の中が真白になったファルスは、ぎこちない愛想笑いをしながら固まるしかなかった。

「い、い、いません」

 明らかに動揺してそう返したファルスに、背中から溜め息が掛けられる。

「どうせハッキリ見えてないよ。しら切り通せ……っていっても遅いけどさ」

 魔法使いはファルスの反応を見て確信したらしく、また口元に笑みを浮かべて、更に近寄ってきた。

「それが、魔剣に宿っていたという魔物なのかね?」
「魔物、って何でしょう?」

 誰がどうみもてギクシャクと棒読みでそう返したファルスに、魔物の、だから遅いって、という声が掛けられる。
 これだけ傍にこられては、リーンの後ろに隠れる事も出来ず、我知らず腰が引けて体が後ろに行っているファルスは、もう頭が完全にパニックに陥っていた。図太い神経もなければ、なるようになれと開き直る豪胆さもない、そんな凡人のファルスでは、この事態に対処する能力はない……と、魔物は判断するしかなかった。

「仕方ないなぁ」

 溜め息とともに魔物が呟いて、その両の掌をパチンと合わせて叩く。
 そうすればその音がまるで周囲の音全てを歪ませるように響いて、その場にいた者たちの耳に大きな反響音が襲い掛かる。そして、それに思わず耳を塞ぐ面々の中から、ファルスは魔物に引っ張られた。

「ほら、逃げるぞ」

 未だに耳を襲う音に顔を顰めながら、とりあえずファルスは走る。
 リーンやフラックが何かを叫んでいる声や、魔物が急かす声が耳には一応届くものの、まだ耳鳴りのように響いている音の所為で殆ど聞き取ることが出来ない。だからもう、ただ必死にファルスは走る事しか出来なかったのだが、それでもファルスの平凡な体力では全力で走れる距離など決まっている。限界まで走ってから、息を切らして足を止め、顔を上げれば魔物が不機嫌そうに立っているのが目に入った。
 そして、少し視線をずらした先に、首をかしげているリーンの姿。
 更には、それに驚いている間に、フラックがやってくる。
 そこからまた少し遅れて魔法使いまでもがやってくると、自分は何の為に必死に走ったんだとファルスは泣きたくなる。

「このノロマ、体力なし。お前がトロトロ走ってるから、簡単に追いつかれたじゃないか」

 追い討ちをかけるように魔物にそう言われれば、体の疲れと相まって、ファルスはがっくりと地面に膝をついた。

「どうしたファルス。ヘンな音に驚いて逃げたのか?」

 状況がまるでわかっていないリーンは、少しだけ息を荒くする程度の様子でそう声を掛けてくる。
 それに続いて、流石に息を切らした魔法使いが、ファルスの目の前にしゃがみこんで、小さな声で言ってくる。

「まぁ、逃げる前に話をしよう。…そう、例えば、魔剣というものがどうやって出来るのかとか、知りたいのではないかね?」
「それは……分かってない、んじゃないですか?」

 魔物でさえ忘れている事。世間では魔剣がどうやって作られるのか分からないと言われている筈だった。

「そうだね、一般的には分からないとされている。でも魔法使い達には実は公然の秘密というヤツでね、皆分かっているのさ。分かっているからといって簡単に作れるようなものじゃないのと、分からないってなってる方が都合がいいからそういう事になっているだけなんだよ」

 ファルスはごくりと喉を鳴らす。
 果たしてそれは、一般人である自分が聞いてしまってもよい事なのだろうかと。
 考え込んで固まってしまったファルスを見ると、魔法使いは、フラックとリーンに少し離れていてくれるように言い彼らを下がらせた。それから再びファルスの傍にくると、今度は地面に座り込んだ。

「魔剣の主なんだろ君。ならそのうち分かる事だしね、教えてあげよう。その代わり君も、私の質問に答えてくれないかね。もちろん聞いた事は、私はフラック以外には他言しない。後、魔剣も見せて欲しい。分かっているとは思うが、主がいる魔剣を盗む事は不可能だから、魔剣をどうこうしようとは思ってない。さて、どうする?」

 ファルスの後ろで、魔物が騒いでいる。
 魔法使いなんか信用するな、嘘に決まってるさっさと逃げろ、と罵る声から、終いには脅してくる声まで。それらをここ数日で慣れた聞き流しによって無視をし、ファルスは考える。

「どうして、俺が魔剣の主なんだって分かったんですか?」

 魔法使いは苦笑するように口元を歪めて、言い難そうに頬を指で掻いた。

「んー、まぁ確信したのはさっきこれで魔物の影が見えたからだけどね」

 言って先程覗き見ていた水晶を見せる。

「けどまぁ、聞きたいのはソコじゃないんだろうなぁ。君がフラックに話した魔剣の話だけどね、魔物がついている魔剣なんてのは聞いた事がないくらい珍しい事なんだ。つまり、魔剣の知識があまりない筈の君が、そんな希少な例の話を唐突にし出すって事は、実物に心当たりがあるくらいしかないだろう?」

 あぁ成る程、と気が抜けたようにファルスは思って、前にフラックと話した後で魔物が騒いでいた理由がやっとわかった。よくも悪くも純朴で正直者の田舎青年は、そこであっさりと諦める気になった。
 ファルスは顔を上げると、魔法使いにこくりと頷いた。

「貴方の質問に答えます。ですから魔剣の事、教えてください」

 魔法使いは笑う。

「ではまず手短に、魔剣が出来る方法を話そう。武器に魔法を入れると、武器を使うものの意志や、殺した者の血などで、魔法が暴走したり、すぐに魔力が拡散して消えてしまう。これが、普通に言われている事だ」

 ファルスは頷く。確かにそれが一般的に言われている事で、だから武器に魔法を入れる事は難しいとされる。

「だから、武器に魔力を入れるだけではなく、意志がある魔力を入れればいい。そうすれば、武器を持つ者の意志にも、血にも、影響されずに魔剣がそのままで在れる」

 そういわれれば咄嗟にファルスは聞き返す。

「意志がある魔法を入れるって?」

 魔法使いの瞳がすっと細められる。
 口元に僅かにあった笑みも消えて、彼は静かに言い放つ。

「単純だ、魔法だけ、ではなく魔法使い自身を武器に閉じ込めるのさ」

 ファルスは想像して背筋を震わせた。
 散々後ろで文句をいっていた魔物でさえ、今は何も言わずに黙っている。

「魔剣というのは、魔法使いの意志が宿っているから、主をえり好みするし、安定して魔力を使える。魔剣の魔力っていうのは、つまりその中にいる魔法使いの魔力なのさ」
「ちょっと待って……でも、どうして魔法使いを剣に閉じ込めるなんて事が」

 だって武器に取り込まれたいなんて思う人間はいないだろう、とファルスが続ければ、魔法使いは複雑そうな顔をして、自嘲気味に口元を歪めた。

「君は、殆どの魔法使いが目指す術って何か分かるかい?」
「え? いや、その……」

 唐突な魔法使いの質問に、ファルスは固まるしかない。
 魔法使いはファルスから視線を外すと、どこか遠くを見ながら話を続けた。

「魔法使いの目的の一つに、不老不死というのがある。どれだけ知識を求めても、やがて来るだろう死を皆どうにか引き伸ばそうとする。その方法の一つなんだよ、武器に自身を閉じ込めるというのはね」

 不老不死になる方法は、大きくわけて二つあると魔法使いは言う。
 一つは、他所から生命力を供給させることによって、体を若いまま維持させる方法。これはどこか大きな力を持つものと自分の命を繋いだり、もしくは他の生き物の生命力を奪って取り込む事で体を保つ事になる。当然、体毎持たせる為には、膨大な力が常時必要で、この方法は魔法使いにとっては理想的ではあるものの困難である。
 だが、もう一つの方法として、精神のみをもっと寿命の長い入れ物に移して保つというものがある。魔剣に魔法使いごと閉じ込めるというのはそういうことだ。

「なんで、武器なんですか?」

 ファルスの疑問はもっともで、だから魔法使いはすぐにその答えを教えた。

「武器というのは、使う人間が一番意識を集中してくれるものだからね。中にいる魔法使いと、武器を持つ人間の意志が繋がりやすい」
「それはつまり、中の魔法使いが、人間に自分の言うことを聞かせられる、から?」

 聞き返したファルスの問いに、魔法使いは苦笑する。

「まぁそこまで出来るかは、中の魔法使いの魔力と精神力によるね。ともかく、物に精神を移した場合、意志と魔力はあるけど、大抵何も出来ないだろ? だから、自分の魔力を使う事が出来、しかも主である人間に意志を伝えやすい点で武器というのは都合がいい。魔剣が主を選ぶのだって、自分と精神の繋がり易い人物を選ぶ訳だしね。精神が繋がり易いってのは、武器を自分と一体になって使えるくらいの集中力がある人物って事になる訳で、当然相当の手練になる」
「はぁ……」

 正直ファルスにとっては、話が少しわかり難い。けれどもとにかく、魔剣というのがどうやって出来ているかという事はわかった。そうなれば、ファルスの持つ魔剣の事で当然湧く疑問がある。

「じゃ、魔物が宿ってるって場合は、魔法使いの変わりに魔物が閉じ込められてるって事ですか?」

 魔剣の話をしている間、魔物の存在は感じるものの、彼は一切言葉を出さない。それを不気味に思いながらも、ファルスは聞けるだけの話は聞かなくてはと魔法使いに詰め寄る。

「それなんだがね、少し違う気がするんだ」
「何故?」
「剣に封じ込められるのは、あくまで精神だけの筈なんだ。君の場合、魔物は、剣とは別に存在しているね?」

 そういわれれば、魔法使いの説明した魔剣とは少し違うとファルスも思う。
 ファルスにしか見えないとはいえ、魔物はちゃんと物理的に存在している。しかも、剣から離れてファルスに付きまとっている辺り、剣は彼自身だと魔物はいっていたが、別々に存在している物である気がする。

 ――少なくとも、俺は剣とセックスした訳じゃないよな。

 そんな事を思いついて、ファルスは直後に顔を赤くする。
 その様子に不審そうな目を向けらられたものの、ファルスは顔をぶんぶんと振って、頭から魔物とのアレなヴィジョンを消そうとした。

「さて、今度は私の番だが、いいかね?」

 いわれて、はたと気付いたように、ファルスは顔を上げた。
 何時の間に魔法使いが呼んだのか、フラックとリーンも傍に来ていて、皆ファルスに注目している。

「おい、ファルス、右手を横に出せ」

 ずっと沈黙を続けていた魔物が、ファルスにそう命じた。
 咄嗟にファルスが魔物の言う通りにすれば、その手には布でぐるぐる巻きにした魔剣がどこからか現れて、ファルスは急いでそれを握り締めた。
 見ている一同から歓声が上がる。
 リーンなど、目を輝かせて、興奮した面持ちですげーすげーと叫んでいる。

「おいっ、そういう事するならちゃんと言ってくれよ」

 もう少しで剣を落とすところだったファルスは、魔物にそう文句を言う。どうせ、魔物が居る事がバレているならと、我慢するのをファルスは止めた。
 魔物はそれでも、ファルスの言葉などあっさり無視をして、更に命令をする。

「今から僕のいう通り、向こうに伝える事。分かったね?」

 ファルスは焦ったが、魔物に言われれば反射的に従おうとしてしまう辺り、ここ数日の生活がわかる。

「確かに、魔剣は僕の意志で操れるけど、魔剣の魔力は僕のではない。ならば、お前はなんだと思う?」

 と、魔物がいっています、と付け加えてファルスが言えば、状況がまったく飲み込めていないリーンは混乱して、考える他二人をきょろきょろと見回していた。

「私が思うにね、魔物は、その剣に入った魔法使いの使い魔か何かだったんじゃないかね?」

 魔法使いが、先程も使っていた水晶をまた目に当てて、それを通してファルスを見ながら言う。

「武器に精神が篭った後、どれだけ元の意識を保っていられるかには個人差がある。武器に入った魔法使いの意識があまり残っていなくて、その主に繋がれた状態の魔物の意識の方が剣を支配してしまったんではないかね?」

 ファルスには魔法使いの言った意味があまり理解出来なかったが、魔物には思うところがあったらしく、何かを考え込んでいる。魔物の指示がない場合、これからどうすればいいのか分からないファルスは、剣を抱き締めたまま途方に暮れた。
 そのファルスに、魔法使いが言ってくる。

「それを、よく見せて貰ってもいいかな?」

 了解していいのか魔物に聞こうと思って振り返ると、魔物はまだ考え込んでいる最中で、ファルスは困ったものの剣を彼らに渡した。

「これは取ってもいいのかな?」

 見たいというなら仕方なくそれに了承するしかなく、魔法使いが苦労をして布を取っている姿をぼんやりと眺める。あれをまた巻くのは大変なんだよな、と思いつつ、ちらちらと魔物の反応を伺っても、彼は考え込んでいるばかりで動かない。
 やっとのことで布を取り去った魔法使いは、鞘に刻まれている魔法文字をじっと見ていて一人唸っている。傍では、やはり真剣な表情で魔剣を眺めているリーンとフラックがいて、ファルスといえば、やっぱり魔剣てのはすごいんだなと、他人事のようにのんびり考えていたりした。

「これを、君が抜けるのかね?」

 魔法使いが聞けば、ファルスはこくりと頷く。

「抜いてみてくれないかね」

 そうして剣を返されたファルスは、また魔物をちらと見たものの、やはり考えている最中なのを確認して、軽く溜め息をつき、剣をゆっくりと鞘から引き抜いた。
 美しい、魔力を秘めた刀身が僅かに姿を表す。
 それに歓声を上げるのは、剣士であるフラックとリーン。
 剣を抜いてさえ何も言わない魔物を見て、ファルスは剣を完全に鞘から引き抜くと、その刀身をじっくりとよく見つめた。思えば、こうして完全に抜いてよく見るのは初めてかもしれないとファルスは思う。

「魔力は感じるが、何の魔力なのかな。刻まれている文字が相当に古い文法でかかれていてね、すぐ解読することは難しいんだが」

 ファルスは魔物をちらりと伺う。
 だがやはり彼はまだ考え事の最中だ。

「えと、それは分かりません。魔物も分からないっていってました」

 言えば魔法使いはぶつぶつと独り言を呟きながら、抜かれた剣の鞘の文字に指を這わせている。

「それなら、使ってみればいいという事だな」

 フラックがそう言うと、彼は唐突に自分の腰の剣を抜く。
 ファルスが何が起こるのかと首をかしげていると、フラックは抜いたその剣でファルスに斬りかかってきた。

「ちょ、ちょっと、えぇえ?」

 咄嗟に手にしていた魔剣でそれを受け止めるものの、ファルスには訳がわからない。
 だがフラックは次々と打ち込んできて、ファルスはそれ以上喋る余裕もなく、ただ剣を受け止める事しか出来なかった。
 魔物に目を良くしてもらった所為か、フラックの剣でさえ、今のファルスは見ることが出来る。フラックもそれに気付いたようで、最初はファルスが受けられるように手加減をしていたが、今は本気で打ち込んできているように思う。なにせ、今まで剣を教えてもらうときには、こんな速くて重い打ち込みをされた事がファルスにはない。流石にリーン以上のスピードと重さは、動きをよくみたところで受ける以上の事が出来る筈もなく、ファルスの手は既に痺れて限界を訴え掛けてきていた。

「確かに前よりは腕が上がっている……が、魔剣の主がこの程度でどうする」

 フラックの顔は、最初と違って何故か険しい。まるで怒っているようにさえ見える。
 振り下ろされる剣の重さは、疲れの所為だけでなく更に増している気がした。
 このままだと、殺されるのではないだろうか。
 剣と剣が高い音を立てて目の前で火花をはじけさせる度、ファルスの中の恐怖が膨れあがっていく。

「この程度でっ」

 フラックの目は、まるでファルスを憎んでいるようにさえ見えた。そうして一際強く振り下ろされた剣を、受ける事は無理だとファルスは判断する。咄嗟に、体を捻って剣を避けて、勢いのまま地面に座りこむ。
 ごうと空気を裂く音が耳のすぐ傍で聞こえて、剣の風圧を首筋に感じた。
 本当に、殺す気だ。
 そう思っても、避けた勢いのまま座り込んだ体では、次の剣を避けられない。
 だからファルスは夢中で、剣を振り回すしかなかった。
 魔剣だというならどうにかしろと心の中で叫んで、精一杯の力で剣を握り締め、ぶんぶんと振り回す。
 そうすれば。

「馬鹿っ、お前程度の腕でそれを振り回すなっていっただろっ」

 そう言った魔物の声が聞こえたのが先か、それとも目の前が赤く染まったのが先か。
 ファルスの目の前に広がった赤い壁が膨れ上がる。
 呆然と座り込んだまま見るしかなかったそれは、赤く燃える炎だった。

「これが、この魔剣の力?」

 呟けば、フラックとリーン達の叫ぶ声が炎の先から聞こえて、ファルスは我に返る。

「フラックさん、リーン」

 立ち上がろうとしても、体は既に力が入らず、ファルスはなかなか起き上がれない。燃え盛る炎を見て、座ったまま後ずさるのが精一杯という状態だった。
 もしかして、彼らを自分が焼き殺す事になったら。
 そう考えると、ファルスは不安と恐怖で泣きそうになる。どうしようかと辺りを見回して魔物の姿を見つけたものの、彼はまるで炎に魅入られたように、じっと炎を見て動こうともしない。当然、ファルスが呼んだところで、ぴくりとさえ反応しない。赤い瞳を大きく開いて、その中に映った炎が揺れているだけだった。

「早く、剣をしまえっ」

 そう叫び声が聞こえて、炎の向こうから、魔剣の鞘が飛んでくる。
 ファルスはそれを受け取ると、とにかく急いで剣を鞘に納めた。
 すると、まるで先程までの炎が幻だったかのように、目の前の赤い壁が唐突に視界から姿を消した。
 無事な3人の人影をファルスは確認する。全身から、安堵の為にほっと体の力が抜けて、ファルスは剣を持って座ったまま、ぐったりと項垂れた。

「成る程、炎を得意とする魔法使いが宿っているようですな」

 驚いた様子もなく、魔法使いは冷静な声でそう分析する。
 ファルスは脱力しきってそれに返す言葉もない。
 そんなファルスに手が差し伸べられる。顔を上げればそれはフラックで、彼は口元に自嘲を浮かべながら、寂しそうな目を向けていた。

「すまない。君程度の腕で魔剣の主になれたのだと思ったら……その、悔しくてね。ついムキになってしまった、我ながら馬鹿な事さ」

 言われて初めてファルスも思う。
 冒険者になって、きっともっと強く、偉くなってやるんだという思いがフラックにもかつてあったのだろう。そしてその為に、彼は努力して腕を磨いた。けれども彼は、結局冒険者として大成する事を諦めて、田舎に戻るしかなかった。なのに、自分よりも弱く、努力も、野望もないファルスが魔剣を手に入れる事が出来たと思えば、その理不尽さに怒りたくもなるだろう。
 ファルスはフラックの手を取ると立ち上がって、呆然と魔剣を見つめる。
 平凡で誇れるようなものがない自分ではあっても、誰もが望んでもまず滅多に手に入れられない魔剣を手に入れたのは、確かに自分なのだと。
 だが、そうしてじっと魔剣を見ていれば、それをファルスの手から奪うものがいる。
 驚いてファルスが剣を追えば、剣を抱き締めた魔物が立っていた。

 魔物は、泣いていた。

 先程の炎のような赤い髪の美しい少年の顔が、魔剣を大事そうに抱き締めて、ぼろぼろと赤い瞳から涙を流して泣いていた。
 あまりの予想外の事に、ファルスは剣を取り戻そうとして伸ばした手をそのままで、魔物をじっと見つめる。嗚咽の声を上げて泣きじゃくる子供のような魔物は、ファルスといつも一緒にいるあの魔物とはまるで別人のようだった。あの傲慢で我がままな魔物とは思えない程、その姿は頼りないただの子供のようだった。

「オリベラ、オリベラ……」

 魔物が呟く名に、ファルスは覚えが無い。
 けれども、きっとそれが、この魔剣に取り込まれた魔法使いの名であるとファルスには分かった。





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