親愛なる魔物様へ





  【4】




「よー、ファルス、昨日はごめんなー。いやなんか皆で騒いでたからさ、お前いないの気付かなかったんだよー」

 魔物が若者が多いところへ行きたい、といったので、村の自警団の溜まり場へ来て見れば、リーダーであるリーンが真っ先にそう声を掛けてきた。

「なんか穴に落ちたって聞いたけど、自力で脱出してきたのか?」
「え、あぁ、まぁ」
「へー、すごいじゃないか。まぁ、何にせよ無事でよかったな」

 リーンは少々強引なところがあるものの、基本的には良いヤツである。子供の頃からガキ大将で子供達を仕切っていたが、皆から祭り上げられてたまに調子に乗りながらも、その実裏でこっそり努力をしているような人間だ。だから剣の腕は村で一番だし、頭も良い。
 いつか首都に出て、冒険者として大成するんだという彼の夢を、ファルスはいつも眩しく思っていたし、そんな彼をある意味尊敬もしていた。

「今日はあんま人いないんだな」

 周囲を見てそう呟いたファルスに、リーンは肩を上げて苦笑する。

「ガルとマーサは暫く親父達と狩りにいくらしい。他の連中も家の手伝いが忙しいらしくてな」

 リーンの他には3人程しかいない現状に、ファルスは少しだけ顔を引き攣らせた。なにせ、皆には見えないものの、ファルスの後ろでは魔物が不機嫌そうにじっと彼を睨みつけているからだ。

「そうだ、お前来たなら丁度いい。ちょっと剣の練習に付き合ってくれないか? 今いるのが女性陣とルクスだけだからな、流石に相手を頼む訳にもいかなくてさ」

 そういえば、男勝りのレインが立ち上がる。

「あら、私はいつでも相手したわよ」
「いや、レイン……その、女性に怪我させたりする訳にはいかないだろ」

 リーンは剣の稽古になると夢中になるクセがある。剣はなまくらだから大怪我をさせるようなマネはしないものの、相手に多少の怪我を負わせるのは日常茶飯事であった。だから男連中でさえ、リーンの稽古に付き合うのは皆しぶる。その自覚があるリーンは、だから絶対、女性や弱すぎる連中には相手を頼まない。

 ――とはいえ、俺の腕が頼む範囲のギリギリなんだろうな。

 よくも悪くも普通の腕なので、毎日こっそり鍛えているリーンにファルスが勝った事は一度もない。

「いいじゃん、やれよ。僕もお前の腕みたいし」

 後ろから魔物がそういってくるのを聞いてちょっと顔を顰めたファルスは、それでも諦めの溜め息をつく。自分以外にいるのは、女性2人に、子供が一人。しかも女性の一人はファルスがちょっと気になっている人だったりもして、この状況で断ったら絶対に心象を悪くするだろうというのが分かる。
 だから了承の返事を返せば、リーンの顔が見るからに嬉しそうな笑顔になる。

「おー、ありがとな、ファルス」

 余程嬉しかったのか、いそいそと鼻歌交じりで練習用の剣を準備するあたり、憎めないヤツだと思うのだが、あまり痛い怪我はしたくないなぁというのがファルスの本音ではあった。
 剣を持ちながら憂鬱そうな顔をするファルスには、だから、彼の後ろで楽しそうにくすくすと笑っている魔物の事を気にしている余裕はなかった。





「じゃ、いくぞ」

 そういって斬りかかってくるリーンの剣を、まずファルスは受け止める。
 彼もファルスの実力を分かっている分、そこまで全力ではやってきていない。だから、一応ちゃんと打ち合いは出来る筈だった、そう、最初の内は。というのも、リーンはいつも途中から夢中になってくると加減を忘れてきて、相手が降参するかひっくり返るまで気付かなくなるからだ。
 だからファルスの思うところは一つ、リーンが本気になってきたら、どのタイミングで降参するのが一番問題ないか。
 そんな事を考えながら剣を受けていると、魔物が傍にきて楽しそうに鑑賞しだす。
 流石に気が散って仕方ないからどけといいたいファルスだったが、ここで声を出したら謎の独り言を言う変人認定される。仕方なくいらつきながらも見ないふりをしていれば、魔物はすぐ傍までやってきて、耳元にくすくすという笑い声まで聞こえてきた。
 そこへ、少し速い剣が振り下ろされる。

「上だ、剣を横にして上」

 咄嗟に従えば、どうにか受け止められる。
 だが、思わず目を瞑ってしまったファルスに、呆れた声で魔物が言う。

「ちょっとだけ目を良くしてやるから、瞑らないでちゃんと見る事。いいか? 瞑るなよ」

 それに文句を返す間もなく、すぐにまたリーンの剣がやってくる。
 だが今度は、懸命に目を瞑らないようにして見ていれば、驚くくらいに剣の軌道がはっきりと見えた。
 ファルスは剣を受ける。
 次に振り下ろされた攻撃も、さらに次の攻撃も、おもしろいようにその軌道が見えるファルスには、それを受ける事は然程難しくなかった。

「ファルス、腕上げたなお前、練習してたのか?」

 そういってくるリーンの顔は嬉しそうで、だがそれと同時に嫌な予感もする。

「本気でいくぞ」

 そういって次に繰り出された攻撃は、先程よりもずっと速い。それでも見えているから防げはするものの、防戦一方になるのは避けようがなかった。

「てか、たまには攻撃しろよ、みっともない」

 魔物に言われなくても分かってはいるのだが、そんな余裕がファルスにはないのだ。

「いいか、ちゃんと剣の軌道は見えてるんだろ。だったら剣だけじゃなくて、今度は相手をよく見ろ。相手の目の動きとか、腕の構えとか、剣を振る前に反動つけて振りかぶってる方向見れば、どこに剣がくるか予想出来るだろ。んで、見てれば、相手の攻撃の切れ間が分かる。そのタイミングで、お前が剣を振ればいいんだ」

 そうは言われても、と思ったが、確かに今のファルスには相手の動きがよく見える。魔物の言う通りにリーンの姿をよく見れば、剣がくる前にどこへ来るかも分かる。
 そうなれば、彼の攻撃を防ぐのなんて簡単な事で、動きにも余裕が出てくる。
 リーンに対してこんな優位にたったのは初めての事で、我知らずファルス自身も楽しくなってきていた。
 少しだけ疲れてきたのか、リーンの剣の動きが僅かに鈍くなる。
 そこへファルスが剣を出すと、今度はリーンが防御に回る。
 ファルスは調子に乗って剣を振り回すが、いいところを狙ってはいるものの、その剣速はリーンよりもずっと遅い。悉くリーンに受け止められてムキになって剣を振るが、その所為でファルスの息が上がってくる。

「あーあ、やっぱ体力不足だね。力の効率も悪い。基礎訓練の差が出るなぁ」

 のんびりとそういう魔物の声が聞こえたのと、受け止めようとした剣が弾かれて、そのまま剣が手を離れて飛んでいってしまったのがほぼ同時だった。

「すごいな、ファルス。いい勝負だった、楽しかったぞ」

 終わった途端、少し息を切らして握手を求めてくるリーンに、ファルスは苦笑しながら手を出した。手を握ってぶんぶんと嬉しそうにリーンは振るが、ファルスは正直手に力が入らなくて握り返す事が殆ど出来なかった。実のところ、剣を離したのだって、もう握力がなかったのが原因だった。息だってリーンどころではなく相当にきつくて、まともに言葉を返すのさえ難しい。

「出来ればもう一本といいたいとこだが……ちょっときついか?」
「あぁ……ごめん」

 残念そうにしながらも、ファルスの背中をばんばんと叩いて、リーンは休憩の為にか溜まり場となっている小屋の中へ入っていく。ファルスは未だに整わない息を飲み込みながら、力の入らない自分の手を見ていた。

「どうだ、見えると面白いだろ? これでお前がもうちょっと体力があって、剣の振りの基礎の型がちゃんと出来てればあいつに勝てたね」

 リーンに、勝てる。

 今までのファルスには考えた事もない事だった。リーンはいつでも村の若者のリーダーで、その他大勢の一人であるファルスとは違っていた。その彼に、もう少し努力すれば届くかも、なんて、今までのファルスでは思いもつかなかった事だ。
 ファルスが呆然としながら痺れる手を見ていると、何時の間に近づいてきたのか、魔物以外の高い声が掛けられた。

「すごいじゃない、ファルス。ちょっと見直したわよー」

 顔を上げれば、男勝りのレインと、その後ろに大人しい黒髪の少女が立っていた。彼女はシャルロといって、村の若い女性の中では一番の美人で仲間内の人気も高い。もちろん、例に漏れずファルスも彼女のことは気になっていたが、自分が彼女の心を射止められるとは思えず諦めていた。

「ほんと、おどろいちゃった。ファルスも強いのね」

 好きな娘にそんな事を言われて、嬉しくない男はいない。

「ま、まぁ、少しは……」

 ファルスがちょっと顔を赤くして視線を逸らせば、痺れた所為で持ち上げたままだった手をシャルロが触る。

「あら、手、どうかしたの?」

 息どころか、心臓が飛び跳ねて、ファルスは言葉を詰まらす。

「い、いや、最後に剣を飛ばされた時にさ、ちょっと手が痺れちゃって……」

 言えば、シャルロが心配そうに手をさすってくれる。
 ファルスは、その白い手をドキドキしながら見つめて、心は飛び上がるばかりに浮かれていた。
 けれども、半ば存在を忘れていた魔物の声が背中に響く。

「へー、お前その娘が好きなんだ」

 何故だろう、その口調にすごい嫌な予感がする。
 ファルスの背中に冷たい汗が落ちた。

「浮かれるなよ。女の前で鼻の下伸ばしてさー、みっともないなぁ、自分の力でどうにかしたんじゃないのに、浮かれてるしー」

 魔物がいう事は間違ってはいないが、たまにはちょっとくらい浮かれたっていいじゃないかともファルスは思う。

「いい加減に、その緩みまくった顔どうにかしろよ。女に興奮してる余裕があるならさー、僕とのセックスでもうちょっともたせる努力して欲しいんだけどな」

 なんだか、酷い現実が唐突に押しかけてくるような事を言われて、ファルスは途端に落ち込みそうになる。

「あ、そうだ。いつまでもデレデレしてるんならさ、今ここでお前のモン手でイカせてあげようか。どうせ僕は他の人間には見えないし。女の前でイキナリ興奮して、ズボンの前に大きなシミ作ったら、そりゃもう嫌われるだろうなぁ」

 そんな事になったら、嫌われるどころか、村にいられない。
 さぁと血の気が引いたファルスは、顔を強張らせて、疲れたからといって彼女達から離れる。そうして小屋の方に向かいながらも、涙を流さずにはいられなかった。
 まず滅多にない小さな幸せくらい、浸ったっていいじゃないか、と。
 女性と話す程度でも邪魔されるとは、自分の未来はどれだけ真っ暗なのだろうと、ファルスは改めて絶望するしかなかった。





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