親愛なる魔物様へ





  【3】




 見上げれば、空が黄色い。
 ――あぁ、あんまりヤりすぎると視界が黄色くなるって本当だったんだな。
 などと思いながら、ファルスがそのままぼんやり空を見ていると、どこか遠くからカラスの鳴き声が聞こえてきた。ついでに夕方を知らせる神殿の鐘が微かに聞こえてくれば、空が黄色いのはそろそろ夕方になるからかと思い、それになんだかほっとする。

「やっと起きたか、だらしないね」

 赤くなりだした空の中に、赤い髪と赤い瞳の魔物が現れる。
 どうも、思った以上に時間が経っていたのは、気を失っていたのが原因らしかった。

「だから、俺は人間なんだ、魔物のペースで考えないでくれ」

 だが、魔物はまったく反省も同情もしてはくれないようで、彼はにこりとまた綺麗に笑う。

「大丈夫、殺しはしなかっただろ? あぁでも、体力はもちっとつけてもらいたいなぁ。僕ゼータクは言わないから他は平凡でもいいけどさ、こっちくらいはもう少し楽しみたいなぁやっぱ」

 ――逃げる、のは無理だよな。

 ファルスはもう乾いた笑いを浮かべるしかなかった。

「村にいけば、平凡でいいなら俺より体力ありそうなヤツいるし、そしたらそっちに鞍替えしたほうがいいんじゃないか?」

 魔物はキョトンとした様子で、目をぱちくりと瞬きさせる。

「えー、お前死にたいの?」

 余りにも何でもない事のように魔物がいうので、ファルスは最初冗談かと思った。だがよく考えてみれば、この魔物はさっきからとんでもないことを平然といっていたではないかと思い直す。
 魔物はにやりと、今度は魔物らしくどこか邪悪な笑みを浮かべた。

「僕とヤった段階で、剣としてではなく、魔物の僕とも契約完了。悪いけどお前が死ぬまでは僕はお前のモノになるんだ」

 ファルスは、その言葉を受けて固まるしかなかった。
 つまり一生、魔物はファルスに付きまとうという事だ。

「だからちゃんと体力つけてくれよ。だってさぁ、お前、アレのサイズも普通なら、テクがあるって訳でもなく、補充出来る魔力の質も普通だしー、せめて回数こなして貰わないと」

 男としてなんだか酷い事をグサグサと言われて、ファルスは落ち込むどころか心にトドメを刺された気分だった。ただでさえ気力も体力も全て奪われた後なのに、心にも深手を負った今、ファルスは立ち上がる力を全て失った。
 だから空ろな瞳で寝転がったまま夕日に黄昏ていれば、そのファルスの横顔を上から何かが押さえつけてくる。

「ほーらー、目が覚めたならいつまで寝てんだよ。もうすぐ夜になるぞ、野宿の準備とか夕飯の準備とか、さっさと動いてもらいたいんだけどなー」

 何か、というのはどうやら魔物の足だったらしい。魔物はファルスの頭を踏みつけて、ぐりぐりと地面に押し付けてくる。

 嗚呼、平凡な日常に戻りたい。

 今となっては叶わぬその願いを、ファルスは心で叫ばずにはいられなかった。






「ほら、持ってきた……」

 ぞ、と、言おうとしたら、ドアの前で待っていた魔物に腹を蹴られた。
 ファルスは咳き込んでその場に蹲ったが、彼が持っていたパンや果物は床に落ちず、魔物が全て綺麗に受け止めていた。

「折角食い物持ってきたんだぞ、何で蹴るんだ」

 言えば魔物は受け取ったりんごを一口しゃくりと齧りながら、ベッドの上であぐらを掻いている。

「遅い。っていうか、お前自分が食べてから持ってきただろ。まったく酷いヤツだよな」
「どっちが酷いんだっ」

 ファルスは部屋の外に聞こえないように、小声で叫んだ。

「仕方ないだろ、いつも一緒に食ってるのに一人だけ後で食うとかいったら、親におかしく思われるしっ」
「なら食うな」
「俺だって腹が減ってるんだっ」

 魔物はわざわざ、必死なファルスをちらりと見ると、バカにした顔でふっと笑う。
 その顔に嫌な予感がして、ファルスはぎくりと体を強張らせた。

「まぁ僕もさー、ちゃんとお前がセックスだけで僕の力を満たしてくれるなら腹なんて空かないんだけどさー、こっちが腹一杯になるまでにぶっ倒れるような主人だからさー、仕方なく別のとこから補給するしかなくなるんだよね」

 ファルスは床に座りこんだまま、その言葉を聞いてまた心に傷を負っていた。
 死にたくなったのは今日何度目だろうと思いながら、陰気な瞳で床の傷を数えたりする。

 とりあえず、魔物の姿は他の人間には見えないといわれたので、ファルスは魔物を連れて剣を持ち、体力を振り絞ってどうにか家に帰りついた。そうすれば、村では特にファルスがいなくなったと騒いでいる事もなく、普通に親からおかえりと言われた。
 どうやら存在感が無かった所為で、居なくなった事に気付かれなかったらしい。まさか家に帰ってまで泣きたくなるとは思わなかったファルスは、そこでまた落ち込んだ。とはいえ、腹が減ったという魔物を自分の部屋に置いて、普段通りに夕食を済ますと、魔物の為にこっそり食べ物を持って部屋に戻ってきたのであった……のだが。

 なんだか全てを諦めないと、この先とても生きていけないと思いながら、しゃくしゃくと音を立ててりんごを食べている魔物をぼんやり見……ようとしてファルスは視線を外した。

「なんだ、そのいかにも見たくないって顔は」

 魔物が言うと、ファルスは視線を彷徨わせながら、少しだけ頬を赤らめて答える。

「いや……そりゃ、なぁ……でっ」

 魔物がりんごを投げて、それがファルスの顔にクリーンヒットする。

「言いたい事があるならいいなよ」

 ファルスは当たった頬を押さえて立ち上がった。

「だってさっき、俺部屋出てく前にいっただろ、俺の服適当に引っ掻き回してもいいから、なんか服着てろって!」

 言えば魔物は別のりんごを手元で弄びながら、面白くもなさそうな視線をファルスに向ける。ファルスはこれは譲れないと睨んだものの、魔物はまったく気にした様子もなくりんごを食べだした。

「あのなっ」
「あのさ、着てもいいけど、普通の服なんか着たら、服だけ誰にでも見えるよ?」
「……それって、俺以外の人間には、服だけが動いてるように見えるって事か?」
「うん、それでもいいなら着てもいいけど」

 ファルスはぐっと言葉に詰まる。
 しかも彼を睨んだ所為で、全裸のその姿をじっと見つめてしまって、反応したくないのにちょっと腰をかがめてしまう結果となった。
 それが分かった魔物が、嬉し気に笑いながら、誘うように体を撓らせる。

「やる気あるならいつでも相手してやるよ。ベッドの上だから丁度いいし」

 ファルスは魔物から大急ぎで視線をそらすと、顔をぶんぶんと横に振った。

「死ぬ、死ぬ、これ以上やったら俺は死ぬっ」

 青い顔でカタカタと震えながら、ファルスは考える。
 つまり、他の者に見えない為には、全裸の彼といつも一緒にいなくてはならない訳で、こっちがちょっと興奮した様子を見せたら即セックスという環境を、これから一生続けていかないとならないのかと。

 ――地獄だ。

 ファルスの目は死んだ魚の目のように虚ろになる。
 あのまま死んだ方が良かったのしれないとさえ思えてくる。
 だが。

「おーい、ちょっとこっち見な」

 言われて、死んだ魚の目のままでファルスが魔物に視線を向けると、多少胸が開いてはいるものの、赤い裾の短いローブを身に纏って彼は立っていた。

「え?」

 何が起きたか分からず、ファルスは魔物を指さしたまま固まる。
 そのファルスに、すっと軽い動作で近づくと、魔物は固まったままの彼の頭を叩いた。

「言ったろー、普通の服着たらって。まぁ、ちょいっと力使うんだけどね、魔法を編みこんで服を作ればそれで済むんだ」

 ファルスの頭から、一瞬、親に聞こえるかもしれないから大声は出せないという項目が消えた。

「だったら、なんで最初からそうしなかったんだーーー!」

 もちろん、その後、親が部屋にやってきて、ファルスは懸命に言い訳を考えなくてはいけないハメになったのだった。








 今日のお仕事その1。
 ファルスは割いた布を、一生懸命剣にまきつけていた。
 どうにか人に見られないように運んできた剣だが、見つかれば当然大騒ぎになるのは必至な訳で。とにかくにも見つかっても、せめて魔剣とは分からない程度にはしておいた方がいいというのが、魔物の指示だ。

「どーせお前じゃ扱えるシロモノじゃないしね、アレ」

 言われて落ち込みはするものの、その程度で傷ついていたらこの先生きていけないと、ある程度は聞き流せるようになってきた。
 使わない前提なら完全に封印してしまえと、ぐるぐると鞘に入っている状態で巻きつけたので、誰か使おうと思ってもまず使えないだろう。
 ぐるぐる巻きにして満足しているファルスに、魔物が冷たい視線を投げる。

「いや、てか前提としてさ、その剣の主は一応お前だからさ。他の人間は抜けないよ?」
「あ……」

 自分が抜けるものだから他人も抜けそうな気がしていたファルスは、よく考えたら魔剣というのはそういうものだという事を思い出した。

「まぁでも、お前がヘタに抜いて怪我しないようにするにはいいんじゃない?」
「いや俺、流石にそこまで剣の腕酷くないぞ……」

 恨みがましく抗議をすれば、ファルスの腹に魔物の蹴りが入る。

 ――あぁ、訓練しなくても腹筋は鍛えられそうだ。

 などと考えながらも、腹を抱えて床に突っ伏すファルス。

「魔剣ってのはさ、普通に剣が使えるくらいの人間がぶん回すようなモンじゃないんだよね。魔法による何かしらの特殊効果が付与されてて、それを使いこなせるって剣が認めた人間が、普通は主になる訳さ」

 そう言われれば、確かにファルスは自分でもヘタに抜かない方がいい気がした。

「こいつも何か特殊な効果が付いてるのか。……ってどんなのが?」
「えーと、それはだ……」

 魔物は偉そうに腕を組んだが、その後の言葉が続かない。
 それどころか明らかに考え込みだし、唸ったまま何も言わなくなってしまった。

「もしかして、知らない、とか?」

 聞いてみれば、また腹に蹴りが入る。
 ファルスがそれでまた床と仲良くしていると、その頭を魔物が蹴った。

「煩い、あんまりにも長い事あの箱の中で眠ってたんで、いろいろ忘れてるんだ」
「長いってどれくらい?」

 言えば魔物はまた少し考え込み、そしてファルスに向き直る。

「そのヘンも記憶があやふやなんだ。確実なのは、僕が前に来た時はこの村は無かったくらい、かな」

 この辺りに人が住み、村と呼ばれだしたのは、確か100年程前の話だ。だから少なくとも100年以上は眠っていたというのだろう。

「なんで、あんなところに?」
「わかんない」
「どうして剣に取り込まれたんだ?」
「だから、わかんないんだって」

 魔物が苛立ち紛れに、ファルスを殴る。
 それをファルスは、今度は華麗に避けた。
 やったぞと、浮かれてファルスは小さくガッツポーズを取るが、避けて体勢を崩したその足元を思い切り蹴られて、結局は声のない悲鳴をあげて床に転がるハメになる。

「うざい」
「あーもー、俺が全部悪かったよ」

 なんだかファルスは、自分が情けなさすぎて涙が出てきた。

「何か問題があったのかもしんないけどな、正直目が覚める前の事は殆ど覚えてない。とりあえず、ずーっと寝ててさ、人間の気配がしたから起きたんだよ」
「ソレが、俺?」
「うん、傍に落ちてきたからこっち見つけるかなーと期待してたのにこないしさー。仕方ないから匂い出してみたらあっさり来たし。やっぱ生き物釣るなら食欲に訴えるに限るね」

 なんだか食虫植物に食われてる自分の姿が頭に浮かんで、ファルスは激しく落ち込んだ。あぁ、俺は見た目だけは綺麗な赤い毒花に食われた虫だよな……などと呟きながら、落ち込みすぎた彼の顔は、泣きながら口が薄ら笑いという不気味なものになっていた。

「だからうざいんだよ、お前」

 魔物がファルスの頭に、後ろから踵落としを食らわす。
 ファルスは今度は、頭を抱えて床に寝転んだ後、ごろごろ何度も転がった。

「ほーらー、じめじめしてないで外いこう外。僕はねー、セックスや食い物に頼らなくても、実はそのヘン歩いてる人間からもちょっとづつ生気を吸えるんだよね」
「村のヤツから吸う気か?!」

 ファルスの頭の中には、ばたばたと倒れている村人の真中で高笑いをする魔物の姿が浮かんだ。流石にそんな事態だけは回避しなくてはならないと、彼はすごい勢いで魔物の胸倉を掴んだ。
 魔物は片眉を上げてそんなファルスを見ていたが、ふぅ、と軽く溜め息を吐くと口を開く。

「あのな、人間ってか生き物ってのは、結構エネルギーを放出しながら生きてるものなんだよ。んで、僕が貰うのは放出してそのヘンに漂ってるエネルギー。だから村人連中にはまったく影響はない」
「そ、そうなんだ」

 ファルスはほっと胸を撫で下ろした。
 下ろしたが、魔物が笑顔でこちらの顔を見ているのを見て、彼はさぁと自分の中で血の気が引いていく音を聞いた。

「ってことで、生意気な事してんじゃねー」

 魔物が笑みを消して、指先で弾くようにファルスの額をペシっと叩く。いわゆるデコピンなのだが、ファルスはその場から大人の身長程度の距離を吹っ飛ばされた。そして、暫く起きられなかった。
 心の内では、何だよ自分は過去の大事な事全部忘れてるマヌケのくせに、等等、いろいろいったりしてたのだが、今は倒れたまま額を押さえる事しか出来ない。

「そういう理由で、人多いところに行きたいんだよね。出来ればもう人がわっさわっさいるようなとこがいいな。そうすれば、お前から吸える分が足りなくてもどうにか出来るしさー」

 ――結局、またそれか。

 昨日から、男としてのプライドがズタズタを通り越して粗大ゴミから灰になっているファルスにとっては、もう気にする心境でもなくなってきていた。頭には来るが。だが灰になったプライドも、そのうち風が吹けば飛んで跡形もなくなるんだ、等と自嘲気味に思っていたりする。

「残念ながら、この村にはそんなにわっさわっさ人はいない。じーさんばーさん多いし」

 言えば魔物は身を乗り出す。

「若いのって少ないのか?」
「俺入れて、自警団やってる若い連中は9人だな。後は家事手伝いしてる女が6人。それより若い……子供ってくらいのだと村全体で7,8人か」

 ファルスが答えれば、魔物は顔を顰めて暫く黙った末にこういった。

「よし、もっとハデな町にいこう」

 聞いたファルスは呆気に取られて、それから理不尽すぎる怒りが込み上げて来て叫んだ。
 ……そしてまた、大声の所為で親がファルスの部屋にやってきて、彼は再び弁明をしなくてはならなくなった。





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