最強の剣が迷う時
『7章:憎しみの剣が鈍る時』の中で、熱が出ているのに仕事に出たシーグルを無理矢理傭兵団に連れて来た時のお話



  【3】



 目を開ければ見慣れない天井があって……けれどもここがどこかがすぐ思い出せるくらいには見知っている。
 思わず自嘲気味に苦笑してから、シーグルはゆっくりと起き上がった。とはいえベッドを下りはしない。手を広げてから強く握りしめてみて、それだけでまだ力が戻っていない事を自覚する。体もまだ怠くて全快と言える状態じゃない、それでも昨日よりはマシか……と、回復してきた自分に安堵すると同時に、ここにいる理由を考えてため息をつく。

 何故、セイネリアは自分を強制的に療養させているのか。

 問いかけて、考えれば思いつく『マトモな答え』はあえて頭から追い出す。シーグルにとってはそれが答えであってはならなかった。セイネリア・クロッセスは自分を貶めた憎い敵であって、彼にとっての自分などただの玩具でしかない、そうでなければいけない……そうでなかった場合など考えたくない。

 シーグルだって自分の精神状態が不安定である事など自覚している。それを体を酷使することで誤魔化すのはこれまで何度もやってきた事だ。倒れるまで疲れきって何も考えられなくなれば、そのうち痛みも枯れて楽になれる。
 食べられない体、兄弟の事、シルバスピナ次期当主としての責任……今までもそうしてそれらを心の隅に押し込んできた。ただ今回はあまりに冒険者としての生活が楽しすぎたから――それが約束の期限よりも前に意味のないものになりそうな事が辛くて、どれだけ努力しても勝てない相手には無様に貶められる事しか出来ないのだという事実が悔しくて、それに今まで耐えていた家族や自分の責任までもが噴き出してしまったから――少し、自暴自棄になってしまっていただけだ。

 正直に言えば、死ぬ気はなかったが、死んでも構わないと思ってはいた。
 仕事を失敗して、自分が死んだと報告を受けたら祖父はどんな顔をするだろう、もしかしたら多少は嘆くか、後悔してくれるかもしれない――なんて気持ちがあったのは確かだ。こうして体調が戻ってきて、少し冷静になれば『馬鹿な事をした』と思いはする。

 ごろりと横になれば、机と椅子が一脚だけある殺風景な部屋の風景が目に入る。確か前にここに来た時はもっとあれこれ荷物が置いてあった気がしたから、もしかしたら自分をここに置く為に片付けたのかもしれない。なにせ前回、自殺に見せかけた前科があるから余計なモノはわざわざ撤去した可能性がある。……何故そこまでするんだ、なんて考えればまた同じ思考にハマりそうになるから思考を止めるしかないが。

 そこで部屋の外から足音が近づいて来てシーグルは意識をそちらに向けた。この音はカリンだろう。どうやら彼女は足音を立てずに歩く事が出来るのに、自分に気づかせるためにわざわざ音を立てて歩いてくれているらしい。ここを出て行こうとして彼女と戦う事になった時はもちろん、部屋の中で歩いている時の彼女は足音などさせていないからおそらくそうだと思う。

 カリンも、サーフェスも、自分に気を使ってくれているのは分かる。いや、気を使うというよりも、自分の身を案じて……大切にしてくれている、というのが分かる。それが単にセイネリアの命令だからではないというのも分かっている。

「……俺に、どうしろと言うんだ」

 呟きとともに鍵が開いて扉が開かれた。

「大人しくしてらしたようですね」
「……あぁ」

 負けたからな、と言おうとしたのはさすがに大人げなくて止めた。
 カリンはこちらの様子を見ると微笑んで、手に持っていたトレイをサイドテーブルに置いた。

「食事は……」
「少しは食べてください」

 断ろうとした言葉をさえぎられてシーグルは黙る。ため息をつけば、彼女はこちらを起こそうとしてきたから、シーグルは大人しく自ら起き上がった。それから彼女はトレイからコップと薬瓶らしきものを下ろして、ベッドに座るかたちで状態を起こしているシーグルの足の上にそのトレイを置いた。

「あ……」

 トレイの上を見たシーグルは思わず声を漏らして止まる。

「これなら少しは食べられるかと思うのですが」

 それは一見ミルクベースのスープのようだが、わずかに見えた麦のつぶに、シーグルは感心するやら呆れるやらで苦笑するしかなかった。

「随分調べてくれているらしいな」
「それはもう」

 ウィアの家に行った時、フェゼントが作ってくれた麦入りのミルクスープ。懐かしい母の味……をどうやら再現してくれたらしい。おそらくは、これならシーグルも食べられるだろうと思って。
 そこまでしてくれる事に、何故、と聞き返したくはなってもそれは聞くべきではないと考える。
 だから食前の祈りを呟くとスプーンを持ち、それを一さじ掬って口の中に入れた。
 ゆっくり咀嚼してちらとカリンを見れば、彼女はにこりと笑う。

「……美味い」

 飲み込んでから呟くように言えば、カリンが、そうですか、といってまた笑う。声には少し安堵したような響きがあった。
 さすがに味はフェゼントが作ったものと同じという事はないが、それでも基本材料は同じだから当然似てはいるし、これはこれで素直に美味しいと思う。最初から量もかなり少な目にしてあったというのもあって、少しづつ食べていけばやがて器はカラになる。

「わざわざ……俺の食べられそうなものを作ってくれた、のだろうか」

 食後の祈りの後にそう呟けば、カリンはトレイから食事の器を下ろし、代わりに先ほどトレイから下ろしていた水の入ったコップと薬瓶を置いてくれた。

「はい、でもこの料理に似たものを私は知っていましたから、わざわざ、と言われる程面倒ではありませんでした」
「そう、か」

 それで彼女が直接作ってくれたのを知ったシーグルは益々彼女に対して申し訳ない気持ちになる。

「私にこの料理を作ってくださった人は、これを『ミルクがゆ』と呼んでいました」

 言われれば、母もそう呼んでいた気もする。
 シーグルはわずかに口元に笑みを浮かべた。

「ありがとう、カリン」

 彼女はそれにも笑って、そうして返してくれた言葉を聞いてシーグルの胸は痛んだ。

「いいえ、貴方が元気になってくだされば、ボスが喜びますから」







 実を言えば、フユはあまりセイネリアの事をよく知らない。勿論現在の彼がどんな人間であるか、という事はよく分かっているつもりだが、彼の事――生い立ちやどんな事をしてきたのか――つまり、彼の過去をよく知らない。
 それは当然、巷で噂になっている事や、彼と付き合いのあった人間から聞いた言葉からある程度察してはいるが、この男がどうしてこんな人間になったのだという事をよく分かっていなかった。
 ただ、自分と似たものがあるから理解出来る。
 だが、ボーセリングの犬としてなるべくしてなったような自分と違って、自分で何でも掴み取ってきただろうこの男がどうしてこんな人間なのかはわからなかった。

――別に、知る必要もないと思ってたんスけどね。

 フユは自分でも自嘲気味にそう思ったが、彼にそういう話を聞くとすればこの機会を逃せばそうそうないだろう。

「流石に手馴れてるっスね」

 あのデカイ化け物を手際よくさっさと捌いていくセイネリアにそういえば、黒い男は無表情で手を止めずに、まぁな、と返してくる。

「そういうのは樵のトコいた時に覚えたんスか?」
「あぁ」
「そりゃどんくらいガキの頃の話なんスかね?」
「そうだな……そいつのもとにいたのは12の時から4年くらいだったか」
「弓の使い方もそん時スかね?」
「そうだ」

 そこまで話をしてから、エレメンサの処理が一通り終わった男は立ち上がると、口元に笑みを浮かべて――当然目は笑っていないが――こちらを見てくる。

「回りくどい聞き方をするな、聞きたい事があるならそのまま聞け」

――まぁ、やっぱバレバレっスね。

 正直少しばかりひやりとしながら、フユはいつも通りの笑みを返す。

「いあ、どんな生き方すりゃボスみたいな人間になるんだろうと思っただけっスよ」
「なるほど」

 皮肉気な口元の笑みはそのままで、彼に渡された包み――エレメンサの肉だ――をフユは受け取る。セイネリアは再びしゃがんで傍の水場で手を洗いながら言って来た。

「その樵のところで体力と腕力を身に着けた。そこから首都に出て……貴族に戦闘代理人として雇われながら勉強をして、騎士のもとで一年、武器を使った戦い方を習った」
「そンで騎士になったんスか?」
「暫く冒険者として仕事をしてからだがな」

 彼が強くなるまでの過程としては順当な話ではある。だが話だけを聞けば順当過ぎて……正直、この男の精神部分がどうしてこうなったのかは疑問が残る。どこか納得いかないようなフユの態度を読み取ったのか、そこでまた立ち上がった黒い男は洗ったナイフを腰にしまってからフユを見て来た。

「その樵も、騎士も、俺が殺した」

 ぞっとするような琥珀の瞳には愉悦も逆に後悔もない。ただどこまでも温度のない、冷たい虚無を含んだその目のままに彼は言う。

「俺は強くなりたかった。何もない俺という人間が生きている意味と価値を掴むために。……だが、それは永久に求める意味も価値もないものになった」

 フユでさえ、張り付けていた笑みがひきつって思わず目を見開く。反射的に恐怖さえ感じるその瞳の中にあるのはどこまでも深い絶望だった。

 けれど彼はそこでふと自嘲するように口元を歪めると、瞳を遠くに向けた。

 その目には絶望だけではないものが映っているようにフユには思えた。まるで、暗闇の中に差し込んだ一筋の光を見つめるような――そう感じたフユは、その『光』がこの男にとってのあの青年である事にも気づいてしまった。

 全てを諦めて絶望しかない男が見つけてしまった『希望』。それこそがあの青年なのだと分かったフユは、鉛のように重い息を吐く事しか出来なかった。



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次回はそろそろシーグルが帰る話かな。



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