失くした日




  【3】



 領主の息子のものにしてはひっそりとした身内だけでの葬儀は、ほぼ勘当されていた父の状況では仕方ないものだった。父をシルバスピナ家の墓所に納めた後の事は驚く程あっさりと終わってしまって、一応これから暫くは街全体が喪に入るそうだが、屋敷は表面上、すぐにいつもの状態に戻っていた。
 それでも、葬儀に呼ばれなかった父の知人や騎士団の関係者達が、たびたび屋敷を訪れる事が多くなった。
 シーグルはもしかして母や兄弟達が訪れるのではないかと思っていたが、門の傍を見ていても彼らの姿を見つける事は出来なかった。だから、訪れる父の知人達に声を掛けて、残された家族の事を聞いた。

 母親は、とても父を愛していた。
 幼いシーグルにも分かるくらい、母は父が好きで、だからこそ父とよく似たシーグルに偏って見える程愛情を注いでくれた。父と同じ銀色の髪を梳かす時、母はとても幸せそうだったのをシーグルは覚えている。
 そんな母にとって、父の死はどれほど辛い事だろう。
 しかも彼女は愛する夫の遺体に会わせてさえ貰えない、その墓前に行く事すら許されないのだ。
 考えただけで、シーグルはすぐにでも母の元へ駆けつけたかった。けれどもシーグルが屋敷の外へ出る事は叶わず、祖父に交渉しようとしても、祖父は部屋に篭ったまま未だに外に出る事はなく、勿論レガーから呼ばれる事はなく、直接部屋の前に行っても追い返されるだけだった。

 祖父がどれだけ父の死を悲しんでいても、悼んでいても、それに同情する気にはなれなかった。それどころか、祖父が悪いのだからもっと苦しめばいいとさえシーグルは思っていた。父があんな早い死を迎えたのだって、祖父のせいであるとも思っていた。
 ただ、祖父が部屋に篭っているせいで、いつもなら客人に勝手に話しかける事も出来なかったろうシーグルが、割合自由に客人と話せたという事情もあった。考えれば当然だが、この家の者で、祖父とレガー以外でシーグルを注意出来る者などいる筈がない。レガーもまた祖父の傍にずっとついていたため、ここ数日は祖父の部屋を訪ねた時くらいしか顔を見ていなかった。

 ただ、客人と話せたといっても、父の知人達でも屋敷へ入ってこれるのは基本は貴族達ばかりで、最近の父の事を知っているという者は少なかった。ただ貴族でなくても、騎士団での父の部下だった者達だけは墓前を訪れる事を許可されていたらしく、家族の事は彼らからいくらか聞く事は出来た。

 ――予想通り、父の死を伝えた時、母親の受けた衝撃はすさまじいものだったらしい。

 最初は聞いた途端気絶して、その後は半狂乱になって騒いだという。今でも彼女は寝込んだままで、彼らが家を訪れると、放心しているか唐突に縋りついて来て父に会わせてと泣くらしい。
 シーグルはそれを聞けば聞く程、死んでしまった父と何も出来ない自分に憤る事しか出来なかった。どうにかして屋敷を抜け出せないものかとも考えたが、ここで祖父の命を破って抜け出せば、後で祖父が何を言い出すかが分からなかったし、家族にいらぬ迷惑を掛けたくもなかった。それに――父と似ているシーグルが今、彼女の前に立ったなら、彼女の心の傷を更に抉ってしまうのではないかという不安もあった。
 だからシーグルは、せめて家族に何か支援する事が出来ないかと考えていた。部下だった騎士達は、何かあったら自分たちも残された家族を助けると言ってくれてはいたが、それで任せて安心できる筈などなかった。
 だから毎日、シーグルは祖父に何度も交渉をしに行った。けれども、部屋に入る前にレガーに会った段階で追い返され、何も出来ない日々が続いた。

 そうして、やっと祖父がシーグルに会う事を了承してくれたのは、父の葬儀から一週間程が過ぎた時だった。
 約束通り、祖父が会ってもいいと呼びにきたレガーに、シーグルは礼を言って彼についていった。だが彼の表情は何故か沈んでいて、更に彼は『本当は、出来ればもう少し後で会った方が良いとは思うのですが』とシーグルに言った。
 彼がそう言った理由はすぐに分かる事になる。
 祖父の部屋に入った途端、その重苦しい空気と、椅子に座る祖父の、普段にも増して逆らい難い威圧感を感じて、シーグルも今交渉するのは無理だと悟った。

「用があるとの事だが?」

 それでも、前に立ってしまったからには仕方なく、シーグルは慎重に言葉を選んで祖父に言った。

「父が死んだ事で、母や兄弟達が生活的に苦しいようだと聞いています。ですから、彼らに会う事は出来なくても、何か私から支援出来る事はないかと思いました」

 母の事を口にしただけで、祖父の顔がピクリと皮肉げに歪む。シーグルはそれに反応してしまいそうになりながらも、出来るだけ自分を落ち着かせて懸命に平静を保った。

「ふむ、では支援するとして、お前は何を出す気だ? お前自身に出せる金がある訳でもあるまい」
「はい、ですので、今だけおじい様にお借り出来ないでしょうか。お借りした分は冒険者となった後、自分で働いて必ずお返しします」

 シーグルが頭を下げれば、祖父は暫くじっとシーグルの様子をただ見つめる。
 淀んだ空気と、刺すように冷たい祖父の視線からは、それを了承してもらえるとは到底思えなかった。
 そして案の定、返された返事はただ一言。

「だめだな」

 シーグルは落胆に、頭を下げたまま目を閉じた。
 けれどもすぐに、祖父の言った言葉でシーグルは頭を上げる事となる。

「今のお前に金を貸してまでの支援は許さん。だが前にした約束通り、試験を受けて騎士となり、自由に冒険者として生活していいと言ったその期間なら、お前が何をするのも自由だ。二十歳になったらこの家の跡取りとして責任を果たす、それを忘れず守れるなら、その間、自分で稼いだ金で何をしようと文句を言う気もない、お前が何処に行こうと、誰に会おうとな」

 シーグルは顔を上げて、信じられない事を聞いたように目を見開いて祖父の顔を見た。

「……その間なら、母や兄弟に会ってもよいと……おっしゃるのですか?」

 実際、信じられなかった。ここにきてからずっと、祖父は家族に会うことだけは許さないといつも言っていたからだ。

「そうだ」

 シーグルはそれで深く頭を下げた。

「分かりました。ならば出来るだけ早く私が騎士になればいいという事ですね」

 祖父は僅かに気配で笑う。

「……その通りだ。全てはお前次第だな」








 父の喪があけて、シーグルはすぐに現在主となっている騎士の元へと行く事を希望した。そしてその騎士に事情を説明して、出来るだけ早く騎士になりたい由を告げた。
 すると驚く程あっさりと、騎士はシーグルに騎士試験を受けてもいいという許可証を出してくれた。

 実際のところ、シーグルは既にその騎士よりも剣では強かった。体格の問題もあって、武器によってはまだ勝てはしなかったものの、技能事態は取得していたので、後は体の成長と経験で補っていけばいいと言えるレベルに達してはいた。知識や礼儀的な面で言えば、既に騎士の従者になる前に家で徹底的に教え込まれていた。だからシーグルが今彼に教わっていたのは、彼についていろいろな場所へ連れて行ってもらって、騎士としてや、領主としての仕事を見せて貰っているという部分が大きかった。
 だから騎士は、シーグルが本当にもういいのかと聞き返したところで、困ったように言ってきたのだ。

「実際のところ、もう私が貴方に教えられる事などありませんよ」

 彼としては、やっかい事をやっと終わらせてこの重圧から解放される、という気分もあったのだろう。そう言ったその騎士の表情は今までになく安堵したというか嬉しそうに見えた。
 だからそれ以上聞く事もなく、シーグルは急いでシルバスピナの家へと帰った。そして許可証を見せれば、祖父シルバスピナ卿もまたあっさりと、試験を受ける事を許してくれた。
 ただし、それには少しばかりの条件がついてはいたのだが。

「次の試験までにはまだ3月程ある。だからそれまで、少しまた別の者の下で勉強してみるといい。今度は単なる訓練だけじゃない、実践を知っている者とな」

 それをシーグルは大人しく了承した。もとより拒否する権利も気もなかったが、その後に続けられた祖父の言葉で、シーグルの瞳は輝いた。

「冒険者の男だ、強さは保障済みだな。少なくとも剣ならレガーより強い」







 初めてみたその男は、4歳でこの屋敷にきてから貴族として暮らしてきたシーグルが見たこともないタイプの男だった。
 鉄色の髪はロクに梳かしてもいなさそうにばさばさのごわごわで、いかにも無精で伸ばしただけという長さを無理矢理後ろで一つにまとめて縛って誤魔化している。背は高く、体のパーツはどこを取ってもシーグルの倍の太さがあった。かといって勿論、その男が太っているという訳ではなく、彼の体についているのは見ただけで筋肉だというのは分かる。
 冒険者というのは大半はただのごろつきだとは聞いてはいても、父や母が冒険者をしていたというイメージがある分、その彼の見た目のインパクトはかなりシーグルに衝撃を与えた。

「俺の名前は、ワーナン・レジンっていうんだ。しっかしお前細いなぁ、ちゃんと食ってるのかぁ?」

 そうしてバンバンとシーグルの体を叩いてきて、シーグルはまた驚く。なにせこのところずっと『様』と呼ばれる生活をしてきたせいで、この手の接し方をしてくる人物は久しく見ていなかった。こういう場合、どう返せばいいのかシーグルには分からないのだ。

「……余り、食べられない方、です」

 だから聞かれたことだけをそう返す。自分でも言いたくない言葉である為、その声が小さくなってしまったのは仕方がなかった。

「んだぁ、やっぱ食ってねぇのかよ。ったく、冒険者になろうってのにそんなじゃだめだろ。食えない立場じゃねぇんだ、ガキの内はたらふく食っとけ」

 そこでまた背中を叩かれて、シーグルは思わず一歩前に出てしまう。

「……食べたくても、食べられないんです」
「あぁ? 聞こえねぇぞ?」

 今度は声が小さすぎたのか、ワーナンは少し屈んで、耳をシーグルの方に傾けてわざとらしく手を添えた。

「食べられるようになろうとはしました、それでも、食べたくても食べられないんです」

 今度はそう叫ぶように返せば、粗野をそのまま体現したような男は、明らかに呆れた顔をして腕を組んだ。

「ったく、しょうがねーなー。んな細い体してっと嘗められるんだぜ。……ま、そうならないように、後は強くなるしかないわな」

 そうしてシーグルの顔を見てにやりと笑う。
 シーグルはそこで一瞬面くらったのものの、じっと見つめてくるその男の強い眼差しに、自分も力強く頷いてみせた。

「よしっ、根性はありそうだな。なら俺がお前をもっと強くしてやるよ」

 言って今度は、男はシーグルの頭を上から押さえて、ぐしゃぐしゃと撫でてきた。乱暴なその扱いに、シーグルは体ごと揺さぶられて足がふらつく。
 それには正直参ったものの、それでもシーグルはこの無礼な男の事を嫌いではないと思った。まるで村にいた頃、遊んでいた子供たちが父親にされていたようなこんなやりとりが、正直少し、嬉しかった。




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という事で、今回からやっとこのエピソードのメイン部分に入りました。




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