失くした日




  【2】



 涙は、出なかった。

 花に埋もれた父の遺体を見ても、それが記憶にある姿よりも老いて、頬がこけ、瞳が落ち窪んでいても、シーグルの瞳に涙は浮かばなかった。

「貴方がシーグル様ですね。お父上から、最後に貴方に伝言があります。お前だけに全て背負わせてしまってすまない、父を恨んでくれていい、と」

 葬儀の後、外で待っていた騎士の一団にシーグルは呼び止められた。その中の一人が一歩進み出て、頭を下げながら言って来たのがその言葉だった。

「お父上は、ずっと、ずっと、悔やんでらっしゃいました。息子である貴方を自分の身代わりにしてしまったと――」

 騎士の目には涙があった。後ろに並ぶ騎士達の目にもまた、涙があった。
 けれどもやはり、シーグルの瞳に涙は浮かばなかった。
 悲しくなかった訳ではなかった。ただシーグルの頭の中には、それ以上に、もやもやと競りあがってくる形にならない強い感情があったのだ。

「そんな自分が幸せになるべきではないと、いつでも貴方の事を考えて、笑う事もなく、ずっと苦しんでらっしゃいました」

 その言葉を聞いて、形にならなかった感情の正体をシーグルははっきりと自覚した。途端にカッと頭の中が熱くなり、それを吐き出したくて胸が苦しくなる。
 けれどもここで、彼らにソレを吐き出してはいけないと、それはシーグルでも分かっていた。だから彼らには礼だけをして、言葉も返さず、シーグルはその場から立ち去った。

「シーグル、様?」

 困惑している彼らの事など後は知ったものか。父の事を教えて下さってありがとうございましたと、本来ならそう言うのが模範回答なのだろうと思っても、表面上とはいえそんな感謝の言葉など口に出す気にさえなれなかった。
 シーグルは走った。
 忙しそうに動き回る使用人達や祖父の知人の騎士達の間をぬって、自分の部屋に向かって走った。
 頭の中が真っ赤に染まって、膨れ上がった感情が吐き出し口を求めて荒れ狂う。早く、早く、吐き出してしまいたかった――父に対するこのどうしようもない『怒り』の感情を。

 そうしてやっと部屋にたどり着き、ベッドに倒れ込むと、シーグルは顔を寝具に埋めて叫んだ。

「幸せになるべきではないだって、そう思って謝っていれば許されるとでも思ってたのか?!」

 そこで初めて、シーグルの瞳に涙が浮かんだ。
 けれどもそれは父を悼んでの涙では決してない。悔しくて悔しくて、怒りに昂ぶり過ぎた感情が涙となって溢れただけだ。

 シーグルは家族の幸せの為に今こうしているのだ。だから、その家族が幸せになってくれなくては、そもそもシーグルがここにいる意味がない。
 そんなに苦しかったのなら、いっそ忘れてくれても良かったのだ。父と母と兄弟達と、幸せに暮らしてくれる事がシーグルの望みだった。例え自分がどれだけ辛くても、彼らが幸せであってくれたなら自分がここにいる事は無駄ではなかったと、そう満足できたのだ。

「謝る事であんたは自分が楽になろうとしただけだ、最後にあんたが謝るのは、俺じゃなく、母さんや兄さんラークだろっ」

 シーグルがたった一人、こんな思いをしてもここでがんばっていられたのは、家族の事は父がきっと幸せにしてくれると信じていたからだった。強くなって、いつか自分が家族を呼んで一緒に暮らせる日に、互いに笑って抱き合えると思っていたからだ。

 あの時、シーグルがこの家に残れば皆を守れると父は言った。
 ならば、父は必ず家族を守ってくれていなくてはならない。あの日、あの時、シーグルは父と約束をしたつもりだったのだ。自分はここに残るから、父は家族を守ってくれと。

 だからこれは、シーグルにとって父の裏切りにも等しかった。

「……勝手に謝って、一人で楽になって死んだあんたは……絶対に許されない。せめて俺に謝るなら……母さんたちを守れなくてすまないと、こんな早く死んですまないと、それなら……」

 呪詛とも言える言葉は寝具の中に吸い込まれて、後はもう、荒い自分の息遣いだけしか聞こえない。はぁはぁという自分の呼吸の音だけを聞きながら、言いたい事を言い切ったからだろうか、その音も段々と静かになっていく。同時に、頭の中の熱も冷めていく。
 大分呼吸が静かになったと思ったところで、シーグルは体を起こした。ベッドに残る涙の跡は殆どなく、瞳の回りはもう乾いていた。
 吐き出して、少し落ち着いたシーグルは、薄暗くなった自分の部屋を見回して、いつも通りのその冷たい風景に向かって悲しそうに笑った。

「父さんが守れないなら、俺が」

 どうにかしなくては、と最後は声もなく呟いて、シーグルはベッドから降りて立ち上がった。







 シーグルが祖父の部屋に行くと、その周辺に人はおらず、やけに静まり返っていた。
 ドアをノックすると、いつも通り、内扉の前にいるレガーがすぐに顔を出して、けれど今日はシーグルの姿を見ると中に入れるのではなく、彼自身が廊下に出てきた。

「申し訳ありません、シーグル様、今日は部屋に誰も通すなと言われております。御用があるのでしたら、後で私がお伝えしておきますが」

 けれどシーグルは首を振った。内容が内容であるから、言えば必ず否定される事は分かっている。それでもどうにかする為には、自分で言って交渉しなくてはならなかった。

「直接言わないとならない事なんだ。出来れば、出来るだけ早く」
「なら今はお諦め下さい。あの方は誰にも今は会わないとおっしゃっています。特に今……シーグル様のお姿を見るのは、辛い、と思われます」

 苦しそうに俯いて答えたレガーの言葉に、シーグルは軽く首を傾げた。

「おじい様は、悲しんでらっしゃるのか?」

 レガーは僅かに眉を顰めた。それは困惑の表情と言っていいものだ。

「そうです」
「ならおじい様は……父さんを愛してた?」
「当たり前です、自分の息子を愛してない筈がありません。深く、深く愛してらっしゃいました」

 シーグルはそれで僅かに歯を噛みしめた。

「なら何故、おじい様は父さんにあんな酷い事を言ったんだ? 父さんを愛してたなら、俺がいるなら父さんはいらないなんて言わず、何時でも帰ってこいと言えば良かったじゃないか」

 シーグルの頭にあったのは、やはり怒りだった。
 そうだ、そもそも祖父は本当はシーグルよりも父に帰って欲しかったのだ。シーグルは彼の愛する息子のただの身代わりで、しかも欠陥品だった。なら何故、父をいらないなどといったのか、それがシーグルには分からなかった。

「それは……お父上は、貴方の母上と離れる訳にいかなかったからです」

 母は貴族ではない、そんな母をこの家に受け入れる訳にはいかない――だから二人の結婚を反対したと、それについてはシーグルも前に聞いていた。けれどもそもそも、父だけに関してなら、自分を引き取った後、この家にくるのを禁じる必要もない筈だった。

「別に皆をここに住ませろっていうんじゃない、どうしても母をこの家に入れたくないからそれでもいい、ただ単に母さんとの結婚を認めて、家族を認めて、父さんとは和解すれば良かったんだ。そうすれば父さんはこの家に来る事が出来た。おじい様は自分の息子に会う事がいつでもできたじゃないか」

 シーグルの言っている事はおかしい事ではない筈だった。譲歩出来ない程難しい話ではない筈だった。
 けれどもレガーは苦しい顔でそれに首を振る。

「それは……そう出来ない、事情があったのです」
「事情? 事情って何だ? 家の決まり? 貴族の誇り? そんなの――この家の当主はおじい様なんだ、おじい様が認めれば誰も文句は言わない、父さんを愛してたならただ父さんを許せば良かっただけじゃないか」

 そうすればもっと皆苦しまなくて済んだ。シーグルはたまに来た父に会えたし、父親はシーグルが元気にやっているのを見れば罪の意識にここまで苦しまなくて済んだだろう。苦しんでいる父を見て、シーグルが直接、自分の事で苦しまなくていいからと言う事だって出来た筈だ。祖父だって、いつでも父に会う事が出来た筈なのだ。少なくとも、こんなに皆が皆辛い思いを抱えなくて済んだ筈だった。

「父さんを拒絶しておいて、今更愛していたなんておじい様は勝手過ぎる。父さんが死んで今更辛いと苦しんだって、全部おじい様の自業自得じゃないか」
「シーグル様っ」

 強い声で名前を呼ばれて、シーグルは口を閉じてレガーの顔を見る。
 祖父の一番の部下である騎士は、厳しい目でシーグルの顔を睨んでいた。

「いくらシーグル様でも、それ以上あの方を侮辱する事はなりません。貴方は全ての事情を知っている訳ではない、今の言葉はここだけの言葉としてもう口にしないようにお願い致します」

 まだ、自分が知らない事情があるのか、と。その時シーグルが感じたのは落胆だった。自分を気に掛けてくれていると思ったレガーさえ、シーグルにまだ彼が知る事情を全て教えてくれた訳ではなかったのだ。

「……おじい様が……会ってくださると言ったら呼んでくれ」

 そうとだけ返して、シーグルはもうレガーの顔も見ずに、自分の部屋へ帰ろうと彼に背を向けた。
 けれども、そこでそのまま去ろうとしたシーグルは、一歩足を踏み出した途端、掛けられた声にすぐ足を止める事となった。

「シーグル様」

 穏やかな、よく彼が自分を気遣ってくれる時に名を呼ぶ時と同じ声で呼ばれて、シーグルは暫く考えて、そうして彼に振り返った。
 悲しそうな顔をしたレガーは、シーグルの顔を見ると更に顔を顰めて、静かな声で尋ねて来た。

「貴方は悲しくないのですか? 悲しいのでしたら、今は泣いてもよろしいのですよ?」

 シーグルはそれにまた首を振る。

「悲しいよりも、怒りで頭が一杯なんだ。俺は、父さんも、おじい様も許せない」

 レガーはそれに何かを言い返そうと口を開いたが、そのまま何も言わずに固まったままだった。
 だからシーグルはすぐに彼を見る事を止めて、部屋に向かって歩き出した。




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お父さん関係、もうちょい短くしかったんですけど。
次回でぎりぎり前置き部分が終るかな……orz うわぁん、文章が長くなるよー。



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