貴方が幸せをくれたから




  【1】



 彼と初めて会ったのは、夕暮れ。
 ナザルーフ神官から薬草の補充を頼まれ、大神殿の敷地を出てセニエティの街の外壁ぞいを歩いていた時、街を囲む堀へ流れ込む小川の中に彼はいた。
 水の中から全身が白く浮き上がる印象のその姿を見た時は、最初クルスはそれが霊的な存在か何かかと思った。けれど、見ていればその動きはちゃんと生きている人間のもので、しかも時折『くそっ』と悪態をつきながら体を洗っているようだというのが分かった。

「誰だっ」

 思わずもっと彼を見ようと近づいてしまえば相手に見つかって、その人物はクルスを振り返った。
 白い肌に銀色の髪という全身白い印象のその人物の中、唯一濃い色を持つ深い青の瞳がこちらを見つめる。殺気を纏って自分を見つめてくる強い瞳に、その時クルスは思わず見とれてしまった。

 クルスはいわゆる孤児で、幼い頃にここ首都セニエティのリパ大神殿に引き取られてからは殆ど神殿から出る事もなく生きてきた。外に出る時はいつも誰かと一緒で、だからこうして一人で神殿の敷地の周囲とはいえ外に出るようになったのはつい最近、冒険者登録をしてからの事だった。
 少女めいた容姿に華奢な姿のクルスは、集団の中にいればいつも強い人間の言う事を聞いているだけの弱い存在で、強制されて嫌な目に会う事が多かった。だから冒険者として個人行動を許されるようになってからは、出来るだけ一人でいられるように外へのおつかいを自ら進んで引き受けていた。今日もそうして、夕飯が遅れるのを嫌がった他の者達に押し付けられるカタチでこの役目を引き受けた訳で、けれどその事を彼は一生感謝する事になった。

「あ、あのっ、私はリパ神官見習いのクルス・レスターといいますっ」

 咄嗟に自己紹介をすると、相手は一瞬で纏う雰囲気を変えた。
 強く睨んでいた青い瞳から殺気が消えて、張り詰めていた緊張感もなくなる。
 安堵して緩んだ青い瞳にクルスもほっとして彼の姿をよく見れば、思った以上にその人物は若くクルスとほぼ同じくらいの歳の少年で、そうしてその白い体のあちこちには痣があって彼が怪我をしているという事が分かった。
 クルスは、それで考えるよりすぐに彼に向かって歩いていた。

「怪我をしてるんですね、あのっ、私っ、治癒術は得意なんですっ」

 ざばざばと水の中に入っていけば、相手の青い瞳が驚いて見開かれる。そうすればその少年の顔は、最初の印象の鋭いイメージからはかけ離れた幼い表情になる。

「いやっ、大丈夫だっ、こないでいいっ、君が濡れてしまう」

 焦った彼は近づいてくると、それ以上クルスが川の中へ入ってくる事を止めてくれた。

「もう濡れていますから気にしないで下さい」

 こちらの事を気にしてくれたのが嬉しくて、クルスは彼に笑い掛ける。

「その恰好でこれ以上入ったら、後で乾かすのが大変だ」

 怒った声でもそれがこちらの為だというのが分かるから、クルスは笑う事を止められなかった。

「では貴方が水から出てください。そうしたら私も水から出ます」
「……分かった」

 憮然とした表情ながらも彼は諦めたようにため息と共にそう言って、クルスの腕を引っ張りながら水から上がる。
 水から出ると全裸の彼の体を間近で見る事になってしまって、クルスは悪いと思いつつも彼の姿をじっと見てしまった。

――この歳で、彼はもう戦士なんだ。

 見てすぐに分かる鍛えた体。単純な体格というか、細さだけならクルスとあまり変わらないのに、無駄な肉は一切なく、少ない肉は全て引き締まった筋肉だった。自分の腕を掴むその腕さえ細さは同じくらいだろうに見た目がまったく違う。骨を覆う筋肉の形が浮き出て見えて、ぴんと張った筋が筋肉の動きに合わせて浮かび上がる。

「やっぱりかなり濡れてしまっているじゃないか」

 白い体のあちこちに痛々しい痣をつけているくせに、そう言いながら彼は心配そうにクルスの服の裾を見つめる。それだけで彼の優しい心根が分かってしまって、クルスは益々笑ってしまった。

「私より貴方です、まず座って下さい、怪我を治します」
「大丈夫だ、これくらい……」
「いいえ、治しますから大人しくしてください」

 クルスが睨んで言えば、彼は諦めて座り込む。
 それでクルスはすぐに彼に治癒術を掛け始めた。

「神よ、その慈悲深き救いの手をこの者に……」

 まずは体の表面にある裂傷、リパの治癒術はこの手の治癒は得意だった。次は少し内部の打撲、それから――……順調に治していけたものの、彼の胸に手を当てて、クルスはきつく眉を寄せた。

――まずいな、アバラ骨が折れているかもしれない。

 リパは慈悲の神であり、治癒術はリパ神官の代名詞とも言える術である。とはいえ、余程の術者でなければ骨折を治すのはかなり厳しい。クルスは同年の者の中で一番治癒術が得意ではあったが、所詮神官としてはまだ見習いである。治していく事をイメージは出来ても、絶対的に魔力が足りない。

「もういい、傷は塞がったし痛くない、十分だ」

 おそらくクルスの顔色が悪くなったのを見てとったのか、彼はそう言って術を中断させた。肩で息をしたクルスが顔を上げると、彼はあの青い瞳を細めて微かに微笑んだ。

「ありがとう」

 銀色の髪が夕日に透けて、深い、夜空になる直前のような青い瞳が優しく見つめてくる。その彼の顔が信じられないくらい綺麗で、それをこんな傍で見れた事が幸せで、クルスは笑みを浮かべながらも自分の意識がふわっと掠れていくのを感じた。

 目が覚めると、目に入ったすぐ傍の人影にクルスは安堵する。
 おそるおそる見上げた自分の傍に座るその人物が、気を失う前に見たあの銀髪の少年であった事を思わず神に感謝する。彼は既に服を着て、戦士らしい装備を身につけていたから、思ったよりも自分は長い時間意識がなかったらしい。

「気付いたか? その……大丈夫だろうか?」

 気配で気づいた彼が心配そうに見下ろしてきて、クルスは彼に笑って返す。

「はい、大丈夫です。少々力を使い過ぎたので……暫く休憩が必要だと思いますが」

 そうすれば彼は明らかに安堵して、ぎこちないながらも微笑んでくれる。

「なら君が動けるようになるまで俺はここにいよう。もうすぐに夜になる、歩けるところまで回復したら家まで送らせてくれ」
「大丈夫です、その、私の家はすぐそこの大神殿ですし」
「そうか、ならやはり俺も行った方がいい。暗くなるまでに帰らないと君は怒られるんだろ? 俺の所為だとちゃんと言わなくては」
「怒られるといっても小言を言われる程度です、貴方が気にする程の事はないですよ」
「だめだ、君の責任でない事で君が悪く言われる事があってはいけない」

 どうやら彼は相当に生真面目な性格らしい。
 座っていてもぴんと背筋を伸ばした彼は、出会った時の印象に近い、きつい表情でこちらを見てくる。

 改めて彼の姿をよく見ると、その整った顔立ちが一番目立つが、身に付けている装備が彼の年齢の割にはかなり立派なものである事にクルスは気付いた。
 しかも装備には騎士団のマークが入っていて、彼がこの歳で既に騎士である事を示していた。更には、彼の胸には聖石のペンダントがあったから、彼がリパ信徒である事も確かだった。その所為で術の通りが良かったというのもあるのだろうが、金持ちで、若くして騎士で、リパの信徒といえば――ほぼ十中八九貴族と見て間違いないだろうとクルスは思う。彼の彫刻のように整った容貌からしたって平民とはとても思えない……そう考えている内に、クルスは悲しくなってきていた。

――せっかく、知り合えたのに。

 彼が貴族様であるなら、きっと今この時だけで次に会う事はない。自分と彼は住む世界が違うのだとそう思えば、とても胸が苦しくて、涙まで出そうになってくる。

「どうかしたのか? どこか問題が?」

 急に彼が深刻というか不安そうな顔をしたので、クルスはそこで驚いた。

「いえ、大丈夫です。何か問題があるという訳ではないんです」

 本当に大本は優しい人物なのだろう。どうやら彼はとても自分を心配してくれているようだった。
 クルスが笑えば明らかに彼はまた安堵の表情を浮かべたものの、それでも少し困ったように顔を俯かせる。彼がどうしてそんな顔をするのか分からなくてクルスも困惑していると、彼は先ほどまでの堂々とした態度とは逆に、少し自信なさそうに言ってきた。

「……もし、君の気に障る事があったのならすまない。その……俺は、もうずっと同じ歳くらいの人物と話してなくて……どういう風に接すればいいのか分からないんだ。だから、君が嫌だと思った場合は遠慮なく言って欲しい、立場とかそういうのを気にしないで、俺は君と……」

 そこで言葉は止まってしまったけれど、クルスには彼が何を言いたいのかが分かってしまった。そして分かったからこそそれが信じられない程嬉しくて、言葉よりも先に顔が満面の笑顔を彼に返す。

「あのっ……もし貴方が良ければ、私と友達になってくれませんか?」

 そうして思い切って言えた言葉に、青い瞳の少年は驚いてその目を丸くする。それから、今度は見てすぐ分かる程嬉しそうな笑顔をその整った顔に浮かべた。

「あぁ、ぜひ。こちらからもお願いする。俺の名はシーグルと言うんだ。よければ呼び捨てでシーグルと呼んでくれないか」
「では貴方も、私の事は『君』ではなくクルスと呼んで下さい、シーグル」
「ではクルス、改めてありがとう、本当に助かった。実はこの怪我を御爺様にどう言い訳しようか困っていたんだ」

 二人して声を出して笑って、互いの名前をまた呼びあってみる。
 それからクルスが動けるようになるまで、二人でいろいろ話をした。
 まだ深いところまでは話してはくれなくても、彼は自分が幼い頃に兄妹や家族と離されて一人で祖父の家に引き取られたという事を教えてくれた。いつか祖父に認められて家族とまた暮らせるようになる為、強くなるのだと言っていた。騎士になれたから、20歳になるまでは冒険者として自由に仕事をしてもいい事になったとも。だからクルスは、自分ももうすぐ神官になれるから、そうしたら一緒に仕事が出来ればいいのにと話した。たとえその時だけの口約束だとしても、彼は絶対にそうしようと言ってくれた。

 そうして生真面目な彼は、その時の言葉通りに約束を果たしてくれた。






 あの後、本当に彼が一緒に神殿に送ってくれて事情を話してくれた為、クルスは管理役の神官から怒られる事はなかった。
 ただ、その時に彼が次代シルバスピナ卿である事を知らされて、心を満たしていた喜びはすっかりしぼんでしまったのだが。貴族だとは分かっていても旧貴族の時期当主なんて流石に身分が違いすぎる。ただ彼が友達と思ってくれたのは本心だと確信していたので、それだけは大事に思っていこうとクルスは思った。立場的に彼とまた会えるなんて期待してはいけないと思っていた。
 けれども、もしかして。そう、思ってもいたのだ。
 だからクルスは神官試験に合格した時、正神官ではなく準神官になる事を決めた。

 けれども、もしかして――彼と本当に一緒に仕事をする事が出来るなら。
 そう思ってしまったから、冒険者として仕事をする事を選んだ。

 再会は、思わぬ程早く訪れた。

 やっと少しづつ慣れた紹介所で仕事を探していたクルスは、ある時唐突に後ろから声を掛けられた。

「クルスっ」

 声に振り向けば、そこにはシーグルがいて、クルスは驚いてから涙が出そうになったのを笑顔で誤魔化した。あぁ本当に神様というのはいるのだなんて、不謹慎にもそんな事さえ考えてしまった。

「神官になれたんだな」
「えぇ……やっとです」
「おめでとう」
「ありがとうございます」

 彼の笑顔が嬉しくて、彼があの時と同じ瞳で見てくれる事が嬉しくて、目から涙がこぼれてしまってクルスは困る。それを見てまた彼が、大丈夫か、と心配そうな顔をしてくれたから、相変わらず彼が優しい事が確認出来て――本当に、ただ嬉しかった。

「大丈夫です、嬉しいだけなんですよ」

 出来るだけの笑顔を返せば、彼は少し不安そうながらも笑ってくれる。
 あの時と同じように接してくれる、友達だと思ってくれている事を確認できる事が嬉しくて堪らない。そうして彼は、こちらが少し落ち着いたのを見ると言ってくれたのだ。

「クルス、もし今空いているなら……君さえ良ければ、あの時の約束通り一緒に仕事をしてくれないか?」




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かなり前にストーリーだけは考えてあったクルスさんのお話。一応次回エロありますが、そこまで長くないです。


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