黒い騎士と黒の剣




  【18】





「それで、どうやってここを出る気? どうにかなる、なんて能天気な事いう気じゃないでしょうね。いっとくけど、あのおばさんは魔法使いとしてはマトモに優秀で、掛けた術はとんでもなく厄介よ。ていうか、ここまでの術なんて、一体どれくらい前から準備してたのかしらあのおばさん……」
「そうだな、確かに術はそれなりに大したモノなんだろうな」

 さらりとセイネリアがそう返したところで、詰め寄る勢いだった少女は黙る。
 セイネリアは、にやりと口元に笑みを浮かべると、そのままその場所から外に向かって歩きだした。途端、アリエラは驚いて叫ぶ。

「ちょっと、出れないわよ。これだけ空間の断層が固めてあるのに……」

 けれど彼女はその口を開いたまま止まる。セイネリアの姿は、何の障害もなく、森の中へと消えていった。

「……どういう事?」
「って、何がどういう事なんだ?」

 状況が分からず、間抜け声で聞き返してくるエルを、アリエラは睨みつける。

「あの男と同じように歩いていってみなさいよ」

 エルとしては、少女が怒っている理由は分からないものの、言われた通り、セイネリアと同じく外に向かって歩いてみるしかない。だが彼は、歩き出して森に入る手前までくると、見えない壁にぶつかって跳ね返され、尻もちをついて、今自分を跳ね返した空間を凝視する事になる。

「な、何があるんだ?」
「そうよ、それが普通。この建物の回りには、あの女が作った空間の断層が何重にも重なりあって、馬鹿みたいに強固な結界を作ってるのよ」
「ならなんで、セイネリアの奴はいなくなったんだ?」
「知らないわよっ、結界を消した感じもなかったし、どうなったのか全然わからない、あり得ないわよっ」

 言い合う二人が騒ぐ中、一度消えた黒い騎士の姿が、今度は森から帰ってくる。
 アリエラは、未だ言い返してこようとしていたエルを無視して、ずかずかとそのセイネリアに向かっていった。

「どういう事っ、何で貴方は平気で出ていけるのよっ」

 そんな彼女の様子も予想通りだったセイネリアは、軽い笑みを口元に浮かべたまま表情を変えず、何でもないことのように彼女に言った。

「何、単に俺には魔法が効かないだけだ」
「何よそれ、そういう体質だとか馬鹿な事言い出さないわよね?」
「当然だ、剣の所為に決まってるだろ」

 それで彼女は口を閉じる。じっとセイネリアを睨みつけ、そしてその金茶色の瞳にぞくりと背筋を震わせて目を逸らす。

「魔法っていうのは、理論上、元の術より圧倒的に強い魔力をぶつければ無効化出来るものではあるけど……でもこれだけの術をまるで無いように出来るなんて……どれだけの魔力なのよ、相当にヤバイ品物ね、ソレ」

 セイネリアは、それに喉を震わせて笑う。

「そりゃな、あれだけの仕掛けの中にあったんだ。おまけにおそらく、これの所為で、あそこは『行ってはいけない場所』だったんだろうよ。あの女がこちらを生かして返す訳にはいかない理由も、多分これの所為だろうな」

 アリエラはもう言葉を返してこない。彼女の顔は蒼白で、何かを考え込んでいる。

「ま、そういう事でな。俺はここを出ていけるから、最悪でも助けを呼ぶ事は出来る。あまり関わりたい連中じゃないが、魔法使いギルドの方に連絡をとれば、どうにか出来はするだろ。だが……まぁ、お前次第では、ここをそのまま抜ける事も可能だろうがな」

 だが、セイネリアのその言葉に、考え込んでいるアリエラは返事を返さない。

「そこで聞きたいんだが、アリエラ?」

 だから、名を呼ばれてやっと、驚いたかのように彼女は顔を上げた。

「あの女の置き土産のこれは、どうすれば消滅させることができる?」
「どういう事だ?」

 話の内容が分からなくて黙っていたエルが、そこで口をだしてくる。セイネリアはそれを無視して、アリエラに更に聞く。

「この剣を抜いて、あの女が作ったこの空間の壁を斬ってみたんだがな。斬った場所は確かに壊れるが、すぐに回りがそこを取り込んで修復するようになっていた」
「そうよ……この術が厄介なところはそれだもの。完全に折り重なって一つの結界を作ってるから、一部を壊した程度ではすぐに修復されちゃうのよ」
「ならつまり、一度に全部を吹き飛ばせばいいのか」
「そう……ね、さすがに全部を一度に吹き飛ばせば、修復できずに壊れるしかないでしょう、けど……」
「そうか、それなら、後はお前次第だ」

 セイネリアの言葉の意図が分からず、アリエラは表情を強張らせて首を傾げる。

「俺以外の連中はここを出られない。だからといって、お前達を俺の後ろにしてこの中から剣で振り払ったなら、全てを一度に消す事は難しい。それだけ一気に壊すなら、結界の外から全体に向かって剣を使う方が確実だ。だがそうすれば、お前達は当然、剣の力に巻き込まれる」

 ごくりと、アリエラは喉を鳴らす。頭の回転が速い魔法使い見習いの少女は、それで大体予想が出来たようだった。

「その前に確認するが、お前は、あの女の倉庫のようなものを作る事は出来るか? 出来れば、鍵を使ってどこでも開けられるようなものを。それならそもそも結界を壊す必要はなくなる。だが、もし出入り口が固定でなくてはならないなら、広さがそれなりに必要になる」
「広さが必要な場合は、せめて5人入れるくらいのって事かしら?」
「そういう事だ」

 彼女が正しくこちらの意図を察した事が分かると、セイネリアはにやりと満足げに笑い、少女の頭に手を置く。らしくない、強面男の崩した笑みに、少女は僅かに頬を染めた。

「残念だけど、おばさんと同じどこでも開けられるようなものは私じゃまだ無理。場所を固定するなら……出来る、かもしれないわ」
「仮に、魔力は余る程あるとしたら?」
「それでも無理。そこまでの理論を私が知らないもの、申し訳ないけど、所詮私はまだ見習いよ」
「えーと、どういう話なんだ?」

 だが、全く空気を読む事なくそう聞いてきたエルを、少女は表情を一変させて睨み付けた。

「つまり、あの人がこの結界を一気に吹き飛ばす間、一時的に私たちは別空間に逃げてろって事よ」

 少女の高い声で耳に向かって怒鳴られたエルは、目をぱちくりとさせて耳を押さえた。後ろへよろけてしゃがんだエルに、アリエラは腰に手を当てると、偉そうに見下ろして更に畳み掛ける。

「ついでに、脳みそまで筋肉みたいなアッテラ神官様にいい事を教えて差し上げるわ。貴方も持ってるあのおばさんの作った空間への鍵使って、私みたいに中に入ってみなさいよ。それで、そこの黒い人に結界の外行って開けて貰うの。そうすれば、すんなり結界を出られるわよ」

 言われたエルはしゃがんだまま少し考え、そして唐突に立ち上がった。

「そっか。なんだ、そうだよな、そうすりゃ難なくここから出られるじゃねぇか。よし、皆起こして早速……」
「ホンっトにお馬鹿」

 エルの言葉を遮って、アリエラは思い切り侮蔑の瞳を彼に向ける。それにエルが反論しようとするより先に、自分の杖をびっと彼の目の前につきつけて、その言葉を止めた。

「いーい、あの空間、いつあの女が開けるか分からないのよ。私の場合は、おばさんに開けられたとしても問題ないだろうって予想があったけど、貴方達を見つけたあのおばさんがどうするかくらいは想像出来るでしょ? 恐らく、結界張って安心して帰ったでしょうから、自分の家についたら急いで中の本出す為に開けるわよ」

 まだ少女といえるアリエラに、すっかり馬鹿にされているエルを見て、セイネリアが笑いながら話に入ってくる。

「なんなら今試してみるか? 試すなら早い方がいいぞ。運が良ければ、あの女に気づかれずに外に出られるかもしれん。俺としてもその方が楽だ」

 勿論、エルは鍵を使って空間を開けてみる事も、その中に入る事もしはしなかった。






『とりあえず、そういう事なら試すのは明日で、今夜は寝とくか』

 という、セイネリアの提案を、最初エルとアリエラの二人は否定した……のだが。

「では聞くが、急いでここを出て何か違いがあるのか? あの女の作った空間を使わない時点で、焦る必要はないだろ。どうせあの女は俺達を閉じ込めたと思って気にしていない、朝になって事態が悪化する事もないだろ」

 この状況を全く危機として捉えていないからこその発言なのだろうが、それには十分納得できるだけの説得力があり、結局二人はそれに同意するしかなかった。

――さて、どうなるのか。

 彼らの前には出て行かなかったものの、それを影から眺めていたクリムゾンはそう独りごちる。
 夜に一人で外に出ていくセイネリアを、エルが気づいて追いかけたのに、クリムゾンが気づかない筈はなかった。セイネリア自身も別段隠すつもりもなかったらしく、エルがついていったのを気にもしていなかった。だからおそらく、クリムゾンが見ていた事も気づいていたとは思うが、見ているだけならいいと放っておいたのだろう。

 正直なところ、現状、クリムゾンにはこの状況を打破する為、出来る事はなにもない。
 彼らと行動を共にしていた所為で、こんなところに閉じ込められる事になったのは失態だと思うが、事が魔法による話な分、魔力が無に等しい、物理的戦闘力しか持たないクリムゾンにはどうする事も出来ない。こうなれば後はあの男に任せるしかない、という程度は馬鹿でもわかる。

「まぁいい、あの剣の力を見せてもらうだけだ」

 子供の頃からこんな生活をしているだけあって、クリムゾンも死ぬ事自体を恐れはしない。これで死んだら馬鹿馬鹿しいとは思うが、死の恐怖に怯えるような感覚はとうの昔に捨てていた。
 だから今、彼にとって意味があるのは、セイネリア・クロッセスの力を見る事。彼が手に入れたあの最強の剣の力を見る事、彼が、本当に最強と呼ばれるに相応しい男であるかどうかを見極める事だった。
 ……ムカつく事に、自分がこうしてここに閉じ込められたという実感がないという段階で、あの男がどうにか出来ると自分は信じてしまっている、とクリムゾンは感じていた。つまり自分は、既にあの男を認めてしまっているのだと。

「だが、いくら最強の剣を手に入れたといっても、所詮あの男にとって魔法は『にわか』の力だ。相手は本物の魔法使いだ、そうそう簡単にはいかない」

 自分はあの男にどうにかしてもらいたいのだろうか、それともあの男が無様に失敗する姿を見たいのだろうか。状況的に見て、あの男がこの結界を破るのを成功させないと自分にも問題が掛かるというのに、ただ成功を願う事も出来ない。そんな自分に、クリムゾンはらしくなく違和感を感じる。妙に、心が定まらなくて苛立ちが募る。

「そうだ、剣を手に入れたからといっても、まだ俺は認めた訳じゃない。『最強』は剣の力じゃない」

 建物に戻ったセイネリアと他二人を確認してから、クリムゾンも部屋へと戻る。
 今はまだ結論を出す時じゃない。結論は、街に帰れてからだとクリムゾンは自分に言い聞かせた。






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結界をどうするかって言い合ってるだけで終りました。話が動かなかったですね(・・、すいません。


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