魔法使い達の古い事情
<成長編・1>





  【3】




 言っていた通り、ちょっと珍しい焼き菓子を土産に持たされて、そのまま送ってもらったメイヤは、家に入る前に、まだなにか強ばっている気がする自分の頬を両側からパンっと勢いよく一度叩いた。いい加減なくせに察しのいい師には、自分の様子を気づかせないようにしなくてはならなかった。
 だから大きく深呼吸をして、顔に笑みを浮かべて、もう自分の帰る場所として住み慣れた森の中の家の扉を開けた。

「師匠ー、今帰りました」

 言えば建物の奥から、おー、と一声だけ返事が返る。だから声の方へメイヤがいけば、彼は暖炉の部屋にいて、床に何かよく分からない資料を大量にばらまいて調べ物でもしているようだった。

「なにしてるんですか? っていうか、俺がいないたったこれだけの時間でここまで散らかせるのがすごいですよ」

 ティーダはお気に入りのメイヤ手作りのクッションに寄りかかって、あー、と気のない返事をしながらばりばりと頭をかく。いつもの事だが、折角ちゃんと梳いて纏めた筈の黒髪はぼろぼろと束から落ちていて、まるでどこかで暴れてでも来たような状態になっていた。
 こういうのを見ると、本当に、ちゃんとして黙ってれば綺麗なのになぁ、としみじみため息が出てしまう。

「しーしょー、美味しい焼き菓子貰ってきたんですけど明日にしますか? それとも今軽く食べますか?」

 んー、と一応悩んでいるような声を出して、ティーダは資料を読みながらクッションに寄りかかってごろりと体勢を変える。それでまた長い髪の毛の先がどこかへ引っかかって乱れているのに、メイヤは嫌になって、今度は行動に出す事に決めた。

「何の為に髪の毛纏めてると思ってるんですか、この状態で気にならない貴方が不思議でなりません」

 ティーダの体を一度持ち上げ、無理矢理ちゃんと座らせて、強制で髪の毛を梳いてまた纏めて縛る。ティーダよりも背が高くなったせいで、こういう事が問答無用で出来るようになったのは楽だった。
 流石に資料に気がいっていたティーダも、それでマメすぎる弟子の顔をちゃんと見た。

「ほんっとにお前は細かい事にうるさいな」
「単に師匠が細かい事を気にしなさすぎるだけです」

 それでバツが悪そうに辺りをみて、一応現状の惨状に気づいたティーダは、億劫そうに床に散在する資料をかき集めだした。

「で、師匠、クノームさんからいい焼き菓子貰ってきたんですけど、明日にしますか? それとも今少し食べますか?」

 にっこりと笑顔で聞けば、今度はティーダもちゃんと話を聞いて考える。

「んー、今日はちぃっとやることあっからなぁ。遅くまで起きる事になると思うんで、軽く食べるかな」
「遅くまで起きてるのは美容に悪いらしいですよ」

 すかさずメイヤが返した言葉で、二人の間に沈黙が降りる。メイヤはあくまで笑顔だったが、ティーダは顔をひきつらせてからがっくりとうなだれる。

「その冗談は笑えねぇぞ、メイヤ」
「いえ本気ですよ」
「俺が美容を気にしてどうしろと」
「貴方がもっと綺麗になれば、俺は嬉しいですよ?」

 ティーダは頭を抱える。
 はぁ、と気の抜けた声を出して、脱力する彼を見れば、メイヤの方は勝った気分という奴である。

「それじゃお茶を入れてきますね。夜食代わりで食べるのを許可して差し上げます」

 メイヤが言って立ち上がれば、ティーダが、けっと、それはそれは行儀悪く吐き捨てる。だからメイヤはくすくすと笑って、厨房代わりの水場へ向かう。

「あまり遅くならないようにしてくださいね。その顔で目の下に隈とかは勿体ないですからね。綺麗な人は綺麗にしている義務があるんですよ」

 部屋からメイヤの姿が消えると、ティーダは少し苦しげに、額を押さえてから重いため息を吐いた。






「なんだ、お前も食うのかよ」
「そりゃ、貴方が食べるなら俺もご一緒します」

 しっかり二人分のお茶と菓子を用意して帰ってきたメイヤに、ティーダが呆れながら言えば、生意気な彼の弟子はすまして当然のようにそう答えた。

「美容に悪いんじゃなかったのか?」
「それこそ俺に美容は関係ないでしょう」
「食って寝ると太るぞ」
「俺は大丈夫ですよ、どれだけ動いてると思ってるんです。食べても消費しきれますよ。むしろそれは貴方の方が気にしてください」

 完全にやぶへび状態になったティーダは、うっと声を詰まらせて大人しく茶を啜る。魔法使いに進路変更したというのに、メイヤが未だに剣士としての基本的な鍛錬を欠かしていない事も、その上で魔法の訓練も家の家事全般も全部やっていることもティーダには分かっていた。

「ん……このお茶は少し渋いな」
「菓子が甘めでしたから、わざと渋みがあるラフポレーレの葉を入れたんですよ。後は夜ですからね、目が覚める成分のグラストファはあまり入れていません。そのほかには美肌効果のあるムーノックルと、リラックス効果のイイックロー、香りをよくする為にザンテンの実を少々……」
「あー、分かった分かった」

 指を折って数えだしたメイヤを見て、ティーダはうんざりして止めた。魔法使いといえば、魔法の使い方を勉強するだけではなく、薬草類の知識をつける事も重要である。真面目なメイヤがこの4年でそちらの方も相当に勉強した事は今の発言だけでもよく分かる。

「お、さすがにクノームの奴ががよこしただけあってうまいな」

 ぽり、とかみ砕いてティーダが言えば、メイヤも少し嬉しそうに笑って彼も一口食べる。いわゆるクッキーという奴なのだが、中心にブラウベリーがのっていて、表面はカリカリなのだが中はしっとりと柔らかい。

「さすがに宮廷貴族さん達が食べてる菓子だけありますね、こういうのは食べた事ありませんよ、俺」
「ま、平和だとな、こーゆー娯楽や趣向品の技術があがるんだよ」
「そうなんですか」

 二人してぽりぽりと噛み音をさせながら食べれば、あっと言う間にクッキーはなくなる。おそらく、クノームがケチって少ししか寄越さなかったのではなく、メイヤが『夜だから少しだけ』しか出さなかったのだろう。ティーダが、全部出すとあるだけ食べてしまうという事を知っているメイヤは、食べていい量しか出してくれないのがいつもの事である。
 食べた後に、思わず指についたブラウベリーを舐めていれば、じっとりと責めてくる視線を感じるのもいつもの事だ。

「行儀悪いです」
「わーったよ」
「って、服で拭かないで下さい。今手拭き濡らして持ってきますから」

 急いで立ち上がるメイヤに、おーと気のない返事をして、ティーダはのんびり茶に口をつける。バタバタと忙しない足音が行って帰ってくるのに耳を澄ましていれば、本人が言った通りにすぐメイヤは帰ってきた。

「師匠、その辺のクッションとかブランケットとかで拭いてませんね?」
「やってねぇよ、ったく、信用ねぇなぁ」

 と、言いながらクッションに横向きに寝転がろうとしたティーダは、メイヤに上から体を押さえられた。

「言った傍からやらないでください」

 小言を言う時のメイヤの笑顔は怖い。いわゆる子供におけるかーちゃん的な怖さだが、思わず師という立場をティーダが忘れ掛けるくらいだ。
 メイヤはティーダを正しく座らせ直してクッションを背に挟むように置くと、今度は手を取って、持ってきた濡れ布巾で拭きだす。

「いっくらなんでもそこまでガキじゃねぇぞ、自分で拭くからソレ貸せっ」

 だが、そう言ってメイヤから手拭きを奪ったところまではよかったものの、手の方に関しては握られた彼の手から取り返す事に失敗した。意地になって引っ張ったところで向こうに力で勝てる筈はなく、ティーダはじとりとこの魔法使いのくせに体育会系の弟子の顔を睨んだ。

「はーなーせっ」
「嫌です」

 さらりと笑顔のままでいう言葉が、慣れたとはいえ本当に小憎らしい。
 諦めてティーダが腕の力を抜けば、メイヤがそっとその手を引いて彼の口元へと持っていく。

「おいばか何をっ」

 メイヤの舌がぺろりとティーダの手の甲を舐める。

「こんなとこまでベリーをつけるなんて、いったいどんな食べ方をしたんですか」

 るっせぇ、と呟いたティーダには、自分の顔が赤くなっている自覚があった。
 だが、それですぐに離してくれると思った手をいつまでもメイヤが離してくれないので、仕方なくまた文句を言おうと口を開き掛けたティーダは、彼がそこから膝を付いて、持った手の甲に恭しくキスをするのを見てしまった。

「……とやると、貴婦人に仕える騎士のようだと思いませんか?」

 笑って顔を上げたメイヤの表情が強ばる。
 ティーダもそれで、とっさにしくじったと思う。

「どうしたんですか? 師匠」
「何でもねぇ、なぁにが騎士だよ、ほらっ、手ェ放せっ」

 けれどもメイヤは、まだ手を放してはくれない。

「師匠、怒ってますか? 本気で怒ってるなら、何が悪かったか理由を言って下さい」
「いいから放せっていってんだろ」
「ならまず、ちゃんと俺の顔を見て下さいっ」

 ティーダは抵抗を止める。大きく息を付いて、それからゆっくりと心配そうに見下ろしてくる青年の顔を見上げた。

「師匠?」

 意志の強いハッキリとした濃い茶の瞳は、いつでも真っ直ぐにティーダに向けられている。見上げた体勢だと、彼の広い背中に光が遮られ、自分の体はその影の中にすっぽり隠れてしまう。

 メイヤは、大きくなった。

 初めて会った時は本当に子供で、頼りなく森で泣いていた少年が、今は自分を見下ろして、精悍な青年の印象を身に纏うようになっている。
 顔立ちも前に比べればすっかり大人びて全体的に丸みが取れ、目鼻立ちがはっきりし、ほりが深くなった。首も腕もしっかりし、喉仏もちゃんと出ている。
 剣士としての鍛錬も続けているその体躯は、力強くて、頼もしくて、見上げる状況になればどうしても『彼』と重なってしまうではないか。
 まったく顔は似てないし、言葉遣いも声も違うのに、似ているのだ、雰囲気が。

「っせぇ……騎士って言葉が嫌なんだ」

 強引にまた手を引けば、今度は簡単に離される。

「その言葉を、言わなければいいんですか?」
「言葉だけじゃなく、ソレを連想させるようなモンも皆だ。嫌いで……想像したくもない」

 そこでティーダは耐えられずに顔を背ける。だがメイヤは、それに文句を言う事も、呆れてため息を付くこともなく、ただ、優しい声で返した。

「分かりました。これからは気をつけますね」

 だから驚いて振り返ったのはティーダの方だった。メイヤは笑顔でじっとティーダを見つめていて、目が合うと嬉しそうに更に笑う。

「貴方が本気で嫌なのでしたら、俺、冗談でももういいませんから。すいませんでした、嫌な思いをさせてしまって。これからも、本心から嫌っていうのがあれば、ちゃんと言ってください」

 気づいてない筈ない、とティーダは思う。
 だって明らかに不自然だ。何故嫌なのかさえ聞いて来ないなんてどう考えたっておかしい。そもそもメイヤは、前にティーダが『兄弟』から返して貰った記憶を一部みてしまっている。ならば、その中に『彼』の姿をみていない筈がない。格好でも、場面でも、『彼』が騎士だったことが分からない筈がない。
 けれどもメイヤは何も言わない。ただ笑顔を向けてくれる。

「何故って……聞かなくていいのか?」

 だから聞いてしまったのは、ティーダの罪悪感からの声だ。メイヤは困ったように軽く首を傾げると、苦笑をやはり明るい笑顔に変えてティーダを見つめる。

「師匠、辛い事なんでしょう? なら、貴方が言い出さない限り俺は聞きません。貴方が自分で言おうと思ったら教えてください。俺は、貴方にできるだけ笑っていて欲しいんです」

 言って、自然に近づいてくる顔を、ティーダもまた自然に受けた。宥めるためのキスは余りにも優しくて、唇を押しつけて、人肌の感触だけを教えてくれる。共に寝る時は激しく自分を求めてくるくせに、こういう時の彼はただ優しさを与えてくれるだけだ。
 唇が離れると、力強い腕がそっとティーダの華奢な体を抱き寄せる。頭を数度撫でて、それから、しっかりした彼の胸へと軽く押しつけてくれれば、彼の匂いとその体温が心地よくて、ティーダは目を閉じた。
 暖かくて、心地よくて、とても安らぐのに、とても心が苦しい。涙が出そうになってしまうから、ティーダは唇をかみしめてから、思い切り口端をつり上げて笑顔を作った。

「たーく、ガキが大人になったふりしやがって」
「まったく、こういう時くらい、ベッドの中みたいに可愛くしていて欲しいですね」
「ばーか、ガキを調子に乗せ過ぎっとロクな大人にならないんだ」
「……俺、いい加減大人って言われていい歳になったと思うんですが」
「残念だぁな、俺から見たらじーさんになってもガキだよ」
「……」

 メイヤが黙るのを承知で言えば、やはり彼は沈黙を返し、その分力を入れて、それでも尚優しくティーダを抱きしめる。まるで、自分で自分を傷つけないで欲しいというように、この大人になってしまった少年はひたすら優しく、ティーダに温もりをくれようとする。

 本当に、大人になった。

 体だけではなく、彼の心も。
 逃げてばかりいる自分はいつまで経っても進歩しないのに、少年だった筈の彼の心は自分よりも成長して大人になってしまった気さえする。
 そして自分は、そんな彼に甘えて、彼がくれるものを貰うだけだ。
 臆病で、卑怯で、ずるい自分。彼の真摯な思いを知っているからこそ、罪悪感が拭えない。

 それでも、そろそろ耐えられなくなるかもしれない。潮時、という言葉が最近、頭の中にはちらついていた。
 





「お前は、いつでもあったかいな……」
 
 胸に頭を大人しく置いて寂しそうに彼が言ったから、メイヤはすかさずそれを冗談にすり替える。

「師匠が普段から体温低すぎるんです。部屋の中に篭もりきりで、全く運動していないのが原因だと思いますよ。早寝早起き、適度な運動は健康の基本です」

 くすりと、ティーダが笑う気配がした。

「ばーか、魔法使いにそりゃ無理な話だ。お前は俺にお前がやってる朝の運動につき合えっていうのか?」
「はい、目もはっきり覚めて、おまけに早起きの為に早寝必須になりますよ、一石二鳥ですね」

 ティーダが肩を震わせて笑っているのが、振動でメイヤの胸に伝わってくる。それが嬉しくて、メイヤが彼の髪を梳きながら彼のこめかみ辺りに軽く口づけを落とせば、ティーダは甘えるように彼から自分にすり寄ってくる。

「体力系のお前と一緒にすんじゃねーよ。魔法使いってのはな、穴蔵みたいな部屋に篭もって、研究三昧ってのがお約束なんだよ、お前がおかしいんだって」
「いえいえ、魔法を使う時でも、やはり体力はあった方がいいと思いますよ。ほらだってクノームさん、前に俺と手合わせした時、俺追いかけて息切れ起こしたせいで負けた事があったじゃないですか」

 ティーダがそれで盛大に笑い出す。おそらく、その時の状況を思い出したのだろう。実際の時は涙を流して腹を抱えてまで笑っていたので、人事ながらクノームが気の毒になったくらいだったのをメイヤは思い出す。
 自分の胸に顔を埋めて大笑いをするティーダに、メイヤも一緒に笑って、彼の長い黒髪を梳き、かき分けて見えた耳元に軽く口づける。ティーダはそれでも笑っているだけだったが、何度か目の口づけの後、くるりと自ら顔を上げ、おろしたメイヤの顔を受け止めて唇同士を合わせてくれた。
 こうして、ティーダが妙に自分に体を擦り寄せてきて、じゃれ合うようなふれあいに応えてくれたら、彼が今、人の温もりを欲しがっているという事だ。それが分かるくらいには、メイヤは彼と一緒の夜を重ねている。
 だから、今度のキスは深く、熱い彼の口腔内にまで触れて、その熱を求めるように粘膜を合わせる。とろとろと湧き出す彼の唾液を掬い上げる。

「師匠、いいですか?」

 唇を離せば、そのまま見つめあってしまって、そうすれば思わずメイヤは聞いてしまう。それに返すティーダの台詞は分かっているのに。

「ばーか、聞くなよ。ここまで付き合ってやってから嫌だとかいわねーよ」




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次回は普通に甘い系エロ。
この4年、こんないちゃついた生活してたらしいです、この師弟。



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