還らずの湖
<ティーダの章>





  【2】





 湖の傍にある大きな石。
 その周りを右回りで3回回って、石を3回叩き、それから逆回りを3回。
 そうすれば、今まで見えていた風景が途端一変する。
 どんよりとしていた空は日が差したように明るくなり、湖は澄み切った青い湖面を見せる。覗き込めば底に沈む倒木まで見えて、あまりの透明度に感嘆の息を漏らしてしまう程だった。

「こっちが本当の湖の姿。いいとこだろ?」

 それにはメイヤも、はい、と返事をしながら大きく頷く。
 そうすれば、カロと名乗った男は嬉しそうに笑顔を浮かべ……だが、その顔は突然に曇って苦笑となる。

「すっっごく綺麗な湖だけどな……残念ながら、もうあまり生命力はないんだ」

 その顔が辛そうにも見えて、メイヤは理由を聞こうかどうか迷う。
 けれどもすぐに彼は顔をまた笑顔に戻して、メイヤの顔を見ると、杖でとある場所を指した。

「ほら、あそこが師匠の家、客が来るのは久しぶりだなぁ。あー、魔法使いの家ってのを分かってるだろうから大丈夫だと思うけど、散らかってるのは我慢してくれ」
「はい、大丈夫です」

 あぁやっぱり魔法使いって職業の人達は基本散らかしっぱなしで片付けないんだな、などと思ったりして、あんまりにも酷かったら掃除したくなるかもしれないと少し真剣にメイヤは考える。
 その様子が気に掛かったのか、態々足を止めたカロは心配そうにメイヤの顔を覗き込んできた。

「なんか、問題あったか?」
「あぁいえ、そんな事は全然」

 初対面の相手にあまり不審な行動をとるのはマズイと流石に思い直したメイヤは、出来るだけ人の良さそうな笑顔を彼に返す。
 それから。

「あ、ところで。先程こちらに攻撃してきたのは、俺が本当に師匠からの使いかどうか試していた……んでしょうか?」

 疑問というか確認として聞いてみれば、再び歩き出そうとしていたカロは、ああそれね、と軽い声で言いながら振り返った。

「んー結果的にはそうなったんだけど、単純に招かざるお客さんかどうかを確かめたかっただけかな」
「招かざる客、というと?」
「まぁちょっとね、最近魔法使いであんま性質の良くない奴がうちの師匠を探してるらしいって話を聞いたんで、とりあえずこっちの試し程度の攻撃に、必要以上に攻撃的な態度見せる奴だったお帰り願おうかと思ってね」
 
 それについてはメイヤも成る程と思う。確かに彼からの攻撃には殺気はなく、だからこそメイヤも相手に怪我を負わせようとまでは思わなかった。そもそもメイヤの場合、本気ならあそこで魔法ではなく走り込んで斬りつけているところだ。

「でだ、君が使った魔法ね、あれでティーダ様の弟子ってのが分かった訳だ」

 次に言われた言葉には、メイヤも驚いて顔を彼に向ける。
 魔法使いらしくない、屈託ない笑みを浮かべた男は、嬉しそうにメイヤの顔を見て言う。

「あぁ、知らなかった? うちの師匠はティーダ様の弟子だったんだよ。だから俺もあの魔法は教えてもらった事がある。基本中の基本だからね。……ただ、俺の場合、使う時は杖に入ってるからあの呪文ですぐにピンとこなかったんだけどさ」

 そういえば、最初に向こうから仕掛けられて相殺したあの術は、こちらと同じ風を走らせる術だったとメイヤは思う。
 だがそんな事より重要なのは、カロが言った、これから会うレテットという魔法使いがティーダの弟子だったという事だ。

「貴方の師が、うちの師匠の弟子?」
「そ、だから君はうちの師匠の弟弟子になる訳だ」

 聞いてない、と真っ先に浮かんだ言葉と共に、綺麗なのに底意地の悪い師の顔を思い出す。あぁ確かにあの人は、人を驚かせたりひっかけたりするのが好きですからわざと言わなかったと言うでしょうね、と心の中でメイヤは毒づく。

「ティーダ様からの使者ってだけで、師匠喜ぶだろうなぁ」

 やけに嬉しそうな彼の様子はそういうことか。そして、師の事をこんなに嬉しそうに弟子が話すなら、そのレテットという魔法使いも少なくとも弟子に好かれるような人物らしいとも思う。

 魔法使いの家は、目印の岩からも然程遠い場所ではなく、程なくして二人は家に前にたどり着いた。
 自分の師匠の家と比べれば僅かに小さい家は、木だけではなく石と泥でも出来ていて、村や街の家との作りとも違っていて面白いとメイヤは思う。屋根を見れば煙突からは煙が出ていて、中に人がいることを教えていた。

「しっしょー、お客さん連れて来ましたぁ。ティーダ様の弟子だそうですよー」

 家の扉を開けながら、浮かれた声のままにカロがそう大声で言えば。

「るっせぇカロ、聞こえてらぁ。さっさと中入ってもらえ」

 返ってきた声は老人のようなしわがれ声で、かといって弱々しくはなく力強い声ではあった。

「やっぱ師匠も嬉しそうだな」

 メイヤが驚く事になったのは、カロのそちらの台詞の方だったが。……確かに元気いいカロの声に応えるように元気よく返されたとは思ったものの、今のがレテットという魔法使いの機嫌のいい声だったのだろうかと疑問が残る。
 眉を寄せて考え込もうとしたメイヤは、だが、さっさと家の中に入っていくカロを見て、慌てて挨拶の言葉を言ってから中へと入る。
 家の作りは珍しいとはいえ、中はいかにも魔法使いらしい、というかティーダの家と変わらない風景で、ただ壁に石を使っている所為か入った途端に少し肌にひやりと感じる事があった。それでも、通された広めの部屋は暖炉の所為か僅かに汗をかくほど暖かく、部屋の各所が照明替わりに光っていて明るかった。
 その部屋の暖炉に近いところ、恐らくその人物の指定地なのだろうたくさんのクッションや布が折り重なった場所に、一人の老魔法使いが座っていた。
 老人は、皺だらけの顔をさらに皺だらけにしながら、にぃっと悪戯っ子のようなちょっと底意地の悪い……けれども憎めない、そんな笑顔を浮かべていた。

「まぁ、座っとけ。森ン中からずっと歩いてきたんだろ? ……カロ、茶入れろや」
「分かってますって、まったくアンタは……あ、余分な事しないで大人しく座ってて下さいよ」
「言われなくて座ってら。動くのはお前の仕事だからな」
「はいはい」

 まるで元気のいい爺さんとその孫のような二人のやりとりに、メイヤの顔も思わず綻ぶ。この師弟は仲がいいのだという事は、今の短いやりとりだけでも十分に分かる。

「レテット様でしょうか、俺はメイヤ・パララテスと言います。ティーダ師匠からこれを渡すように言い遣って来ました」

 カロの姿が消えた後、老魔法使いが自分に意識を向けたのにあわせてメイヤは鞄から荷物を出すと、挨拶と共にそれを彼に差し出した。

「あぁ、ご苦労だったな。ありがとよ」

 魔法使いは胡座を掻いた姿勢のまま、手だけ伸ばしてメイヤの持ってきた荷物を手に取る。手に持った途端、少しだけ彼は寂しそうに苦笑すると、布に包まれたそれを広げ、中のものを取り出した。
 それは、銀色に鈍く光る腕輪だった。
 ただし、おそらくは魔法が篭ったマジックアイテムだ。

「ありがたい、けど、俺にゃぁもう焼け石に水ってとこだぁな」

 老人の顔は寂しげな笑みを浮かべたままで、それでも彼はその腕輪を自分の腕にはめると、暫くそれを目を細めて眺めていた。
 メイヤはじっとそんな魔法使いの様子を見ていたが、奥から人が近づいてくる気配がすると、気付いたように老人は視線を腕輪から離した。

「まぁなんにせよ、間に合って良かった」

 ――などと、意味深な呟きと共に。
 それがどういう事なのかは気にはなったものの、聞く前にカロが姿を表して、メイヤは聞くタイミングを失った。

「ししょー、ポット取ってくれますか」
「んだぁ、動くなって言った割りには人使うなよ」
「そんなの動いたウチに入らないでしょう、座ったまま出来るのに」
「けっ、弟子のくせに偉そうな口ききやがって」

 それでも老人は、言われた通り暖炉にかけてあった鉄製のポットに手を伸ばす。尻の下に敷いていた布の一つをくるりと手に巻きつけて、引っ掛かっているポットを火から下ろす様は手馴れている。そこが彼の座る定位置ならば、その作業も彼のいつもの仕事らしいとメイヤは思った。

「ちょーっと香りが強いお茶なんで、口に合わなかったら遠慮なく言ってくれるかな。なにせウチの師匠は歳でもう鼻が利かなくてね、少し強めの香りじゃないと匂いがねぇって言い出すからさ」
「よけーな事いうんじゃねぇ、ったくお前本当に口だけは達者だな」

 二人のそんなやりとりは、見ているだけで楽しい。
 ただ、老人の口調がどうにも引っ掛かって考えてみれば……自分に小言を言われて言い返してくるティーダの口調と同じだという事に気付いて、メイヤは吹き出しそうになった口を急いで手で押さえた。

「どうした?」
「いえ、なんでも」

 ティーダが老人になったら、きっとこんなだろうと思う。
 やはり彼の弟子ともいうべきか、師であるティーダの口調が老人に移ったんだろうなと考えて……そういえばクノームもあんなだし、なら自分もいずれはティーダのような口調になるのかとまで思い至る。
 あんな礼儀もない乱暴な喋り方をしだしたら、きっと父は自分を勘当するに違いない――自分は弟子であってもああはならないように気をつけよう、と思わず胸を押さえて自分に言い聞かせてしまう。
 それで我知らず一人百面相していたらしく、老人とカロの二人の視線を感じるに至って、メイヤは焦って二人に笑ってみせた。

「いや、本当に何でもないです。すいません、ちょっと思い出した事があって」

 それに、未だ眉を寄せているカロとは別に、老人はにやりと笑みを浮かべる。

「あの人も、相変わらずかね」

 あの人、がティーダのことであるという事は、すぐにメイヤは理解した。

「口調も態度も貴方にそっくりです」

 言えば老人は、カカッと皺だらけの口を開いて笑った。

「成る程、相変わらずってこったな。ってか、あの人が楽しそうで良かったよ」
「そう、ならいいんですけど……」

 そうなるように努力はしているが、実際ティーダが楽しく生活してくれているかは分からない。
 顔を沈ませたメイヤを元気づけるように、老人は一つ咳払いをしてメイヤの気を引くと、にぃっとくしゃくしゃの笑みを作って見せた。

「あんたをここに寄越したってだけで、少なくともあの人が少しは前向きになれたってこったからな」
「どういう事です?」

 すかさずメイヤが聞けば、老人は瞳を遠くして、悲しそうに口元だけで笑う。

「こんなに近くに居ても、あの人は俺にぁ会ってくれなかった……そういう事さ」

 老人の瞳が見るのは、おそらく遠い過去。
 瞳の奥にある寂しさは、ティーダが時折見せるものとよく似ていた。

「レテットさん……貴方も、ティーダ師匠の弟子だって……聞きました」

 思い切って言えば、老魔法使いは優しい笑みを浮かべる。

「レトさん、でいいよ。あの人が俺の事そう言えっていったんだろ? ……どーせあの人はな、俺の本名なんか覚えちゃいねぇんだろ」
「……はい、そう言ってました」

 老人のカカッという声に、メイヤはなんだか申し訳なくて下を向く。 

「俺の事いつもレトって呼んでたからなぁ。おかげで回りの連中もレトって呼びやがった。ちゃんとレテットって呼んでたのは、真面目な騎士の旦那だけだったしな」
「騎士の……?」
「ん、あぁ……悪ィが、その人のこたぁ話せねぇよ。あの人にも絶対に聞くんじゃねぇぞ」

 そんな言い方をされると余計気になる、というのはお約束だが、聞くなと言われた事を無理に聞こうとするような事、性格的にメイヤはしない。
 それでも、未練がある事は表情で分かってしまったのか、老人は見透かしたように話を続ける。

「ただな、何も言わねぇっのても却って気になるだろし、事情だけは教えといてやるよ。騎士の旦那ってのはあの人の幼なじみで、大人になっても一緒の仕事についてずっと組んでた人だ。当然ながら、今のあの人の年齢からしたら……分かるだろうけど、その人はもうとっくの昔に死んでる。まぁだから……そんだけいつでも一緒だった人だからな……思い出すと、すごい辛いんだよあの人にとっては」

 メイヤはこくりと頷く。

「お前さんはうちの馬鹿と違って頭良さそうだからな、そこまで言えば聞いちゃいけねぇってのは自分で判断出来んだろ」

 メイヤがまた頷けば、そばで茶を入れていたカロが、二人の間に不機嫌そうに顔をつき出した。

「しっしょー、アンタ本当に自分の弟子なんだと思ってんですか」
「図体だけでかくなった馬鹿だな」
「その図体のおかげで、アンタを運んで歩いたり出来るんですけどね」
「でかい分の食い扶持くらい、多少は使い道もなきゃ仕方ねぇだろ」
「メシ作ってるのは俺です」
「おや、そうだったかな」
「ふざけんなこのボケ老人。いいですよ、そんなら明日は魚の骨取ってやりませんからね」
「カロ、老人に小骨は厳禁だぜ、薄情な弟子だなぁまったく」
「明日、起こす前に起きれたら考えときますね」

 唐突に始まった二人の掛け合いに、メイヤは声に出してまで笑う。
 師弟で言い合いをしていた彼らは、それに気づいて息ぴったりに同時にメイヤに顔を向けた。
 メイヤはそんな二人に驚いたものの、じっと睨んでくるその視線には照れくさそうに頭を掻いた。

「あの……ですね、俺も……ほっといたらずっと寝てる師匠毎日起こして、食事作って、だらしないあの人に小言言ったりしてるんですよ。そうすると師匠もレトさんみたく文句言い返してきたりして、その口調が本当にそっくりで……」

 自分も彼らのように、楽しそうに見えているのだろうか。
 彼らを見ていると、どうしてもメイヤに言い返してくる時の、不機嫌にむすっとしている師の顔を思い出してしまって口元がにやけるのが押さえきれなかった。
 その、メイヤの頭に、ごく自然に乗せられる手。
 老人の手は思いの外暖かく、驚いてメイヤは顔をあげる。
 いつの間にかメイヤのすぐ近くまで体を乗り出して来ていた老魔法使いが、優しい笑顔で口を開いた。

「ありがとうな。……あの人が今楽しくやってるってのは、今のですごく分かったよ、安心した。きっと、お前さんのおかげだろ。……だから、ありがとうな。……俺には、したくても出来なかった事だからさ」

 瞳の中には寂しそうな影が見えはするものの、老人の顔は本当に嬉しそうな笑みを浮かべていた。
 余りにも優しく言い聞かせてくる彼の声に、意識せずメイヤの目から涙が落ちた。

「俺、あの人が寂しそうだったから、それをどうにかしたかったんです。だから弟子になって、あの人を笑顔にしてあげられたらなって……」

 老人は優しくメイヤの頭をなでる。

「あぁ大丈夫だ、きっと出来てるさ、自信持ちな。だから、これからもあの人を宜しく頼むな」

 老人は本当に嬉しそうな笑みを浮かべて言う。
 その言葉は、じんわりとメイヤの心の中深い部分に染み込んで行った。



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レトさんは相当のおじいちゃんです。本当の年齢はまたそのうち。
『ティーダを爺さんにしたらこんな感じ』ってタイプの人です。
しかし今回はこっちの師弟漫才だけで終った気がする……。




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