還らずの湖
<ティーダの章>





  【1】





 ――彼で、今でも覚えているのはその背中。
 自分の視界を隠してしまう大きな背中が、前を向けばいつでも目の前にあった。

「ちぇ、ガキん時は同じくらいだったクセに、自分ばっか横も縦もでっかくなりやがって」

 その背中を見ているとたまにむかついて、その背に蹴りを入れた事だって1度や2度ではない。
 彼は避けられた筈なのに、いつでも自分のその八つ当たりのような理不尽な攻撃を大人しく受けていた。いかにもそれが大した事のないように……それもまたむかついたのだが。

「ティーダ、そらぁ鍛えてないお前が悪い」
「うるさい、俺は魔法使いになんだよ、てめぇみたく泥まみれになってる暇なんかあっか、この筋肉馬鹿」
「なら諦めろ、職業柄仕方ない」
「なんかさ、そーゆーガタイで前立たれると、いかにも男として勝ってますっていってるみたいでむかつくんだよ」
「いやお前なぁ……」

 言い訳の仕様もない程呆れかえって肩を落とす、それがいつもの彼の反応だった。
 言い返せる言葉などある筈がない、なにせ完全ないちゃもんレベルだという事はティーダ本人が一番良く分かっている。
 でもムカつくのだから仕方ない。
 またいつもの癇癪か、とすっかり諦めムードの彼は、いつも通り振り返って、浅黒い肌に真っ白な歯を浮かべて笑って言うのだ。

「勝ち負けでいったら、俺がお前に勝てる筈がない。なんていっても俺は、お前って姫君を守る騎士な訳だからな」

 冗談だと分かっていてもそんな事を平然と言われると、ティーダだって自分の顔が赤くなるのを止められなくなる。

「お前なんか騎士じゃなく下僕だ下僕。男に姫君なんて言葉使ってんじゃねぇ馬鹿野郎」

 いやだって俺が騎士なのは確かだし、と言いながら得意げに胸の騎士団の印を指さしてみせる、そんなやりとりもいつもの事だ。
 不機嫌に、けれど顔を真っ赤にして睨み付けるティーダに、彼は跪いて大仰な礼をしてみせる。

「おぉ我が君よ、貴方の機嫌を損ねるつもりはなかったのです。しかし私の体がでかいから気にいらないというのは流石に理不尽ではないでしょうか? 服汚れるから持ち上げろとか、疲れたから背負えとか、荷物は全部お前が持てとか、貴方の言葉に応えるにはでかくなるくらいはお許しいただけないでしょうか」

 どこの芝居小屋だというくらい派手に身振り手振りをつけてまで、彼はいかにも苦悩しているという顔でそんな長セリフを言う。ちなみに、服汚れるから以降の具体的なティーダの所行部分は時によって変わるが、それ以外はいつもの固定セリフだ。

「……なぁお前さ、言ってて恥ずかしくないのかよ」

 ティーダは顔を引き攣るらせて大きな溜め息をつく。

「別に誰か見てる訳じゃないだろ」

 彼は立ち上がりながら平然と答える。

「いやそのセリフって、言うだけで恥ずかしすぎるだろ、まともな神経じゃ言えねーよ」

 言えば彼は腕を組み、眉を思い切り寄せて難しい顔を作る。
 何から何まで芝居がかった彼のそんな仕草に、騎士なんかやめて役者になれと、ティーダは何度も彼に言っていた。

「いやいやそれがな、貴族のパーティとか行くと、皆普通にあれくらい言ってるんだ」
「うわ、何その羞恥プレイ会場」
「だよなぁ、あいつら頭ン中にお花畑があるぜ」

 思い切り同意するようにうんうんと頷く彼に、はたと気付いて、ティーダは再び怒りを再燃させる。

「おっまえ、恥ずかしいって分かってるんじゃねぇか」
「当然だ、だから人前で言ってないだろ」

 それで杖で殴ろうとすれば、今度はきっちり避けられてしまう。普段の嫌がらせ攻撃は大人しく食らうくせに、本気の攻撃の場合はちゃんと避けるところがまた憎らしい。
 こちらが赤くなって怒り、彼がひたすら笑っている段階で、結局勝ててないのはこちらじゃないかといつも思う。

 大きな背中、笑顔と白い歯。
 けれども、もう、記憶はあまりにも遠すぎて、いくら思い出してもその顔は見えない。
 自分は彼の優しい目が大好きだった筈なのに、その瞳の色が何色だったかさえ、今となっては思い出せない。

 だから、彼の名を呼んで、ちゃんと顔を見せろと叫ぶ。
 ――そこで、目が醒めるのもいつもの事。ただ、ここ数年はそんな夢さえ、とっくに見なくなっていた筈だった。




「あーったく、何唐突にンな夢見てんだか俺も……」

 呟いて、溜め息をついて。
 けれどティーダには、そんな夢を見てしまった原因が朧気ながら分かっている。

「メイヤの野郎……後数年したら、あいつみたいにでっかくなりそうだよなぁ」

 それはちょっと辛いなと、今度の溜め息は苦笑まじりで。
 それから暫く、考えて。
 考える内に、なんだか怒りが湧いてきて。
 更に考えれば更に怒りが増して、ティーダの顔は険悪に顰められていく。
 そうして彼は、窓から差し込む朝の太陽をきっと睨むと、勢いをつけてベッドから飛び起きた。







「師匠、今日は早いですね」

 明らかに驚きにめいっぱい目を見開いて、メイヤは起きてきたティーダの顔を凝視する。
 彼が驚くのは当然だ。
 ティーダは、メイヤがここへ住む事になってから今まで一度も、朝、この真面目な弟子が起こしにくる前に自分から起きた事がなかった。

「まぁな、ちっと今日は出かけようと思ってな」

 その言葉で、更にメイヤは驚く。

「出かけるんですか? どこまで?」

 ちなみにメイヤが来てから、ティーダがこの小屋から離れるのも初めてだ。

「あぁ、ま、出かけるって言っても森の中だよ。遠出する訳じゃねぇ」
「あぁー……そう、ですか」

 メイヤはそれで、ほっとしたような、それでいて少し残念そうな顔をした。
 その理由もティーダには予想がついていたので、一応補足はしてやる。……この機会に、言っておいた方がいいとも思ったというのもあるが。

「そ、出かけるっていっても森の中だよ。前にも言ったけどさ、俺はこの森からは出られねぇ。用事があるとか出たくないとかそういう普通の理由じゃなく、出る事そのものが不可能なんだ」

 メイヤの表情を読めば、やっぱり、というところだろう。最初にただ出れないとだけ告げた時には彼も特に深読みをしていなかったと思うが、最近はそれには重要な意味があるという事に薄々気付いているように思えた。

「理由はまぁ……その内教えてやるんで、今はもちょい待ってくれ。まぁ、そんな訳だから、この森の中ならどこでも俺を呼べば届くし行ってやれるけど、森から離れたらいくら助け呼んでも何も出来ないからな」
「わかりました」

 何やら神妙な顔をして、メイヤはティーダの顔を見る。
 真面目な彼は、基本いいつけは守るのでこういうところは楽でいい。彼に関しては、へたに誤魔化すよりは、言えない事や言いたくない事ははっきり告げた方がいいという事が今ではわかっている。どうしても納得いかない場合は、口先だけの了承で後々面倒になったりはせず、その場でハッキリ聞いてくるので分かりやすい。

「ま、そういう訳でな。俺が外出られない分、お前がいると助かる訳だ。なにせクノームの奴は気まぐれでこっち顔出すくらいだし、あいつも忙しいからな、そうそう使いを頼む訳にはいかない。――って訳でだ」

 軽く持ち上げてやれば、メイヤは表情を明らかに嬉しそうにする。
 けれど最後の言葉で、彼はその後の言葉を察したのか、少し困ったように肩を竦めた。

「つまり、俺にどこか行ってきて欲しい用があるという事でしょうか?」

 ティーダは察しのいい弟子に、満面の笑顔を向けた。

「おう、俺も出かけるしな、丁度いいからお前にもちょっと行って来てもらおうかなとね。前々から気になってたんだが、なんかクノームには頼みずらくて……ずっと放置してた用事があんだよ」
「でも、出かけるなら、クノームさんを呼ばないとならないんじゃ?」

 今のところ、森の外への使いといえば遠出が普通だった為、メイヤがそう思うのは不思議ではない。クノームに頼るのは出来るだけやりたくないのか、素直で真面目な筈の弟子の表情が少し曇る。

「いや、クストノームの時みたく、ンな遠い別の町までいけってんじゃねぇよ。お前の足で行ってこれる程度のとこだ、ちゃぁんと鍛えてるお前なら半日もかからねぇ」

 明らかに表情を明るくさせたメイヤは、やはり転送ではなく歩いていけと言われた方が気楽なのだろう。彼は元気よく、はい、とティーダが驚く程大きな声で返してきた。
 こういう素直な態度の時はまだかわいいんだがな、と心の中で思いながら、今日の予定が決まった事に満足して、ティーダも大きくあくびとともに背をのばす。
 久しぶりに自分から早く起きた所為か、妙に頭はさっぱりとしていて、そうなれば体の反応も素直に応える。
 ティーダは腹を押さえて、弟子に笑顔のまま聞いた。

「よーし、んじゃま、詳しい事はメシ食ってからだ。できてるんだろ?」
「はい、それはもちろん」







 かつて住んでいた村の住人達が呼ぶところの『賢者の森』。ここが思っていた以上に広いのだというのは、実際にその場に住むようになって初めてメイヤが知った事である。
 なにせ村からここへ通ってる時は、森といえばその入り口までで森の中へ入れなかった。中に入った事もなく、ましてや森を迂回してその先にいこうとなど思った事もないのだから、森の大きさが分かる筈もない。
 ただ、森の入り口に沿ってエグレット山を目指して歩いていけば湖がある、という事はメイヤも何度か聞いた事があった。――その湖の中に入ったら最後、湖に引きずられて命を落とす――だから、還らずの湖と呼ばれ、誰も本当に湖があるかどうか確かめにいかないという噂だけのものだったが。
 ティーダにお使いの目的地を聞いた後、その話を出してみれば、彼は腹を抱えてまで笑い出した。

「あぁ? 還らずの湖? そらまたご大層な名前つけられたモンだぁな」
「っていう事は、特に何か魔物が住んでたり、って事はないんですか?」
「んー、湖自体には問題ねぇよ。ただ……そうだなぁ、あいつが人に来て欲しくなくて、湖を不気味な風に見せかけてる可能性はあるかな、いかにも出そうってな感じになってるかもしれねぇ」
「あいつ?」
「そ、あいつ」

 今回のメイヤのお使い内容は、その、湖の傍に住んでいるらしい『あいつ』――どうやら魔法使いらしい――に、届け物してこいという事だった。

「それにしても、本当に広いんだな、ここ」

 周りを見渡せば視界は全て木々で閉ざされ、方向感覚などアテにならない。ただ、どうも森の木には予めティーダの魔法が通っているようで、どこの木でもいいから手で1回ノックするように叩けば、行くべき方向の木が一瞬だけ光っていく先を指示してくれる。また本来なら、足は草や葉の降り積もった層に埋まるところだが、これは前にティーダが靴底に魔法の入った鉄板をつけてくれた所為で問題なく歩いていけた。
 それでも、道も距離もわからず歩いていくのは結構きついもので、メイヤでさえいつまでも変わらぬ風景に嫌になってくる。
 だから、やっと木々の切れ間が見えてきた時には、メイヤはほっとしてそこへ向かって走り出していた。

 果たして、森を抜けた先にあったのは――確かに大きな湖だった。

 だが、ティーダが言っていた通り、なんだか森を抜けて空が見えている筈なのに辺りは暗く、不気味な雰囲気を感じさせる。湖面は黒に近い緑色で、底は見えず、ただ深そうだという事だけが分かる。
 確かにこんな風景を見たなら、近づかない方がいい場所だと思うだろうとメイヤは思う。
 とはいえ、ティーダが湖自体は問題ない、と言っていたのだ。
 メイヤは森から出ると、斜面になっている水際を湖に沿って歩きだした。この位置からだとまだ湖全体を見渡せず、人が住んでいそうな建物は見えない。森から出てしまえばティーダの道案内はないから、後は自力で目的の人物を見つけるしかなかった。
 とりあえず、湖をぐるりと歩いて森側でなくエグレット山側にまでいけば、少し広く砂利の川原のようになっている場所に出る。

「湖のすぐ傍に住んでいる筈だって、言ってたけど、なぁ……」

 最初の場所よりも見晴らしがいいそこで、湖にそって視線を巡らせる。
 ぱっと見でそれらしいものは見当たらず、ならばもしかして何かしらの魔法で隠しているのかもと不安になる。ティーダが言った通り、人に来て欲しくなくてこの辺りの暗さや湖の淀んだ感じを魔法で作り出しているなら、そもそも自分の家を隠さない方がおかしいだろう。
 だからメイヤは、見つからなかったら最後の手段な、と言われていた事を実行する為、思い切り大きく息を吸い込んだ。

「レトさーーーん、ティーダ師匠の使いで来ましたーーー」

 師匠いわく。
『見つからなかった場合な、湖がうわここ不気味だなって感じだったらそう湖に向かって叫びな。湖が綺麗で何にもおかしいモンを感じなかったら……そのまま帰ってきてくれていいよ』
 この湖に来てすぐ、少なくとも後者ではないと思ったメイヤは、だから迷う事なくその人物を呼ぶ事にした。……後は、待つしかない。
 その時。
 瞬間的に、背にぞくりと嫌な予感が走って、メイヤは急いでその場から飛びずさった。
 直後、今まで穏やかで、まるで鏡のように動かなかった湖面の一部が盛り上がり、波となってメイヤが今までいた場所を飲み込む。

「なんだ?」

 意識を集中しても、魔法の気配は殆ど感じられない。というか、湖とこの周辺自体、元々薄い膜が掛かるように魔法の気配があるから、特定の魔法の流れを感じ取れなかった。もし、今のが魔法だったら――恐らくそうだろうが――余程弱い魔力で起こされた術に違いない。
 避けられたと思った時点で敵は戦術を変えてきたのか、今度は急激に辺りが白く靄に隠されていく。メイヤは湖から離れて腰の剣を抜いたが、そうしている間にも辺りの靄は酷くなり、視界はほぼ白い世界に塗り替えられた。

 ――どうせ見えないなら、見てる意味もない。

 メイヤは目を閉じる。
 先程まで見えていた風景を思い出して、自分の居場所と湖の場所、森の方向等、辺りの地形を頭の中で確認し、そうしながら意識を額に集めて指輪へと溜めていく。
 そうすれば思った通り、攻撃は然程待たずにやってくる。
 風が鳴く音に合わせ、メイヤは剣を振り下ろした。

「ファン、風よ飛べっ」

 見えない視界の中、風が走る。
 そうしてその先で別の風とぶつかってそれが相殺された事を、メイヤは返ってきた風が顔に当たる事で知る。
 すぐに次の攻撃に備える。
 別の方向に、今度は人が走っていくのが音で分かった。
 だからもう一度同じ術を、今度は足音で計った移動速度から到達点を出してそこに放つ。
 メイヤが使うこの術自体は、然程攻撃力があるようなものではない。
 だから、当たったとしても精々足を止めてよろさせる程度で、最悪まともにぶつかったところで転ばせるのが精一杯だ。
 音で判断すれば、足止めは成功、ざ、と後ろ足を踏ん張った音がするから、恐らく相手は体勢を崩してはいる。
 それならもう一回。いくら攻撃力は低いとはいっても、重ねられれば暫く動けなくなるくらいのダメージは負わせられるだろう。
 だが。

「ちょ、タンマタンマ」

 メイヤは腕を止めて目を開く。
 先程まで完全にホワイトアウトして見えなくなっていた視界が、少しづつ回復していっていた。
 白い靄が消えていけば、辺りにはまた来た時に見えていた風景が浮かびあがる。――そして、最後に魔法を向けた場所に立っている男の姿も。

「ちょっとした悪ふざけだ。すまん、悪かった」

 見た目の歳でいうならティーダよりの父親よりも少し若いくらい、30前後というところだろうが、魔法使いの年齢を見た目で決めてはいけない事はメイヤも重々承知している。赤茶けた銅色の髪に黒い瞳の男は、服装は魔法使いらしい簡単なローブで杖も持っているが、表情は気さくそうであまり魔法使いぽくはなかった。

「初めまして。ティーダ師匠の使いで来ました、メイヤ・パララテスです。貴方がレトという方でよろしいのでしょうか?」

 メイヤが礼をして言えば、男は慌てたように顔を引き攣らせた。

「あぁあ、いやその、こっちも弟子だっ。魔法使いレテットの弟子で、カロだ。……えーと、いや本当にすまなかった、ごめん……よろしく、かな?」

 メイヤの丁寧な態度にとまどっている様子の男は、きょろきょろと辺りを見回したり頭を掻いたりした後、苦笑いを浮かべてメイヤに手を差し出した。
 メイヤも少し表情を和らげてその手を握る。
 握手を交わせばやっと男も落ち着いたらしく、辺りに彷徨わせていた視線をちゃんとメイヤに固定した。

「うん、ティーダ様の使いだったね。うちの師匠が待ってる、すぐに案内するよ」




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登場人物の少ないこの話にやっと新キャラ。
ティーダの過去話に出てくる騎士は……予想がついてる人は多分当たってます。




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