変わり行く者




  【5】



 気を失った青年を満足そうに抱いたまま、黒い騎士は青年の唇をゆっくりと飽きることなく貪る。
 あの銀髪の坊やと遊んだ後の、儀式のようなそんな姿を、遠くからフユはちらと見てため息をついた。

 前に、一度だけ、フユは聞いた事がある。

『しっかしボス、抵抗されるのを楽しんでるなら、気ィ失わせちゃつまんないんじゃないでスか? 加減してやりゃいいでしょうに』

 それが出来ない筈はなく、そもそもわざと気を失わせるまでやっているのだと思うからこそ、フユは聞いてみたのだ。
 
『仕方ない、そうしないとこいつは噛む』

 笑って言った彼の言葉に、口では呆れの返事を返しただけだったフユだが、心の中では彼に聞き返したい言葉があった。

 なら何故、そこまでして、あの坊やにキスしたいのですか、と。

 女だろうが男だろうが、あの男はいろいろな相手と寝ている。時には取引の駆け引き材料として、時にはただの欲の発散に。セックスは別にあの男にとっては日常過ぎて、特別な意味のあるものではないのだろうとも思う。

 あの男にとって、あの坊やがただ揶揄うだけのおもちゃならば、犯して悔しがる姿をみれればそれだけでいい筈だ。
 けれども彼は、わざと気を失わせて、おとなしくなった青年を抱いて、ゆっくりと味わうようにキスをする。
 その顔が、どれだけうれしそうで、どれだけ満足そうで……どれだけ愛しげなのか、あの男は気づいているだろうか。
 他の誰にも見せた事がない、柔らかな笑みを自分が見せている事など、あの男はきっとまだ知らないに違いない。

 きっとあの男は変わるだろう、とフユは思う。
 自分にもあった瞬間だからこそ、フユには分かる。






 ボーセリングの飼い犬、というのは、宮廷貴族達の間では知らないものはなく、侮蔑と恐怖を込めて囁かれる言葉である。
 その言葉の示す意味は単純で、ボーセリング卿が育てている暗殺者集団の事を指す。
 ボーセリング卿は宮廷貴族の一人ではあるが、元々、首都にいたのは自分の領土がない所為であり、血筋も新しいこの家は、宮廷内ではなんの力も持たない、どこかの力ある貴族の腰巾着がいいところといった程度の力しかなかった。
 貴族達、特に宮廷周辺にいる貴族達は、派閥争いが仕事のような状況で、その為皆、生き残る為に様々な手段を用意する。お抱えの暗殺者を雇っている事などは普通で、その為余程の自信のないものはあまり目立ち過ぎないように立ち振る舞うのが常識だった。
 ボーセリング卿もそうして目立たないように宮廷内の底辺で生き延びていた家だったが、3代目当主が始めた『仕事』でその立場が一転した。
 その仕事というのはつまり、お抱えの暗殺者を契約して雇うのではなく、子供から自分に忠実な駒として育て、暗殺者の集団を囲い、他の貴族達に貸し出すというものだ。その為に、宮廷内では完全に中立を守り、他からは一目置かれる存在となった。
 勿論、裏の仕事を生業とする本職の者達からは、ボーセリング家への嫌がらせやら脅しやらは相当にあったという事だが、それらを巧くあしらって、どうにか自分の地位を作ったその時の家当主は相当非凡な才覚の持ち主だったのだろう。

 フユは、そうしてあの家で育てられた『ボーセリングの犬』の一人だった。

 自由の国、クリュース。その言葉を聞いて、何も持たない人間は、子供から老人まで多くこの国にやってくる。そして、その自由の代名詞である冒険者というのは、成り上がりを目指して危険な仕事を受け、仕事先で死ぬ事も多い。その為、親なし子、片親子も多い。
 そんな国では、人知れず、身よりのない子供を手に入れる事はたやすかった。人身売買業者も多く、きちんとした国民登録をされていない者は、身を守れなければすぐそういう手合いの餌食になる。
 フユは、まだ歩けぬ赤子の頃からあの貴族の犬としての教育を受けていたので、自分がどういう境遇であそこに連れて来られたのかなど知らない。そもそも興味もない事だし、あそこにはそんな子供はたくさんいて、誰も何も思わなかった。
 幼い内は、基礎訓練をひたすらうけ、病気や泣いたり逃げたりしようとした者は容赦なく切り捨てられた。その時点で半数以下にまで人数は減った。
 基礎訓練が終わった歳から、訓練のほかに実際の仕事、といっても使い走りや雑用等の軽い仕事をこなすようになり、その時に二人一組で組まされる事になる。

 フユが組まされた者の名はレイと言った。

「ふっふっふ、お前は運がいいぞ! 何故なら俺は運がいいからだ! 運がいい俺と一緒に仕事出来るなんて、お前は本当に運がいい」
「……確かに、アンタがここまで生きてたのは相当運がいい所為でしょうね」

 それが顔を合わせて初めての会話だった。
 レイは、どうしてこんなのが今まで生き残ってここにいられたのかと思う程の人物で、フユは初めて見て呆れかえった事を覚えている。
 能力は大した事ないのにすさまじい自信家で、失敗してもその自信が揺るがず、前向きというか楽観主義というか、何でも皆都合よく置き換えて考える。
 一言でいえば、『馬鹿』という言葉がこれ程似合う男はいないだろうという人物なのだが、ここまでいくと腹が立つというより呆れかえって、逆に呆れかえりすぎてマイナス方面に一周回ってプラスになって面白くなってしまった。
 幸いな事に、自分の能力には自信があったフユであったから、彼がどれだけの失敗をしてもフォローをするだけの余裕があった。というか、彼がどんなミスをするかがむしろ楽しみなくらいになっていて、それを彼がミスしたと気づかないようにフォローするのをゲームのように楽しんでいた。
 最初に言っていただけあって、確かに運は悪くなく、出鱈目すぎる失敗が出鱈目過ぎる運の所為でどうにか助かったしまったというような事もあった。
 面白い馬鹿、その程度の認識だった。
 ただし、ただの馬鹿、というよりも、規格外、常識外の馬鹿で、ここまで馬鹿だと凄いとさえ思えるくらいだと感心していた。

 それは、まるで、娯楽というものを知らずに生きてきたフユにとって、初めて与えられたおもちゃのようでもあり、生まれて初めて、彼といる事で心からわくわくする、という感覚をフユは知った。

 けれども、どれだけフォローしていたって、上はちゃんとレイの使えなさを理解していた。巧くフユがごまかしたと思っていたものも、あっさり見抜かれていた。
 そもそも、レイとフユが組まされる事になったのは、フユが同時期に育てられた者達の中で一番優秀で、逆にレイがその時期に一番無能だからだったらしい。技能は既に実践レベルだと思われていたフユに、イレギュラーな事態や状況に対応させる能力をつける為に、レイをつけていたに過ぎなかった。

 だから、当然、フユが実践部隊に格上げされる事が決まった時が、レイの役目の終わる日だった。
 つまり、いらなくなった彼は処分される事が決まった。

 そこで初めて、フユは彼を失いたくない、と思う自分に気づいた。

「逃げないんでスか?」
「ばっかか、お前。逃げたら殺されるの確定だろ」
「逃げなきゃ、処分が決まっているんじゃないですかね?」
「いやいやいや、処分っていってもなぁ、即殺されるとは限らないだろ。こっちの仕事が合わなかっただけだしなぁ、俺様は顔もいいしな、殺したらもったいないだろ! 別の仕事に回されるくらいの可能性もあるとみた!」

 今まで一緒に訓練を受けてきて消えた者達がどうなったか知らない筈はないのに、彼はそれでもそういって、自信満々にどうにかなるんじゃないかというだけだった。

「もし、俺が逃がしてやるっていったら、逃げますかね?」

 何を言ってるんだと自覚しながら言った言葉は、やっぱりカラカラといつも通りの馬鹿笑いで冗談にされてしまう。

「逃がしたらお前がただじゃすまないだろ」
「そりゃぁ、逃がすなら俺もつきあいまスよ」
「なぁに言ってんだよ。お前は逃げる必要なんかないだろー。俺がどれだけ罪な男でも、お前を追われる立場にすんのは罪作りすぎだなっ」

 この馬鹿がどこまで本気でその言葉を言っているかはフユには分からなかったが、ともかく分かる事は、このままでいれば、今度こそ彼は殺されるだろうという事だった。

 そして、内心に動揺を隠しきれないフユをみて、レイは本当にうれしそうな笑顔で言ったのだ。

「まぁだがな、俺にとって、一番運がよかった事は、お前と組めた事だと思ってるぞ、フユ」

 本当は彼は、自分が彼のミスをフォローしていた事を知っていたのかもしれない、とフユは思った。そして、彼が死を覚悟している事も分かってしまった。
 あくまで笑顔を崩さない彼を、フユは心から失いたくないと思った。

 そして焦るフユは、一部の連中の間で言われていた噂話を思い出した。
 前に、ここにいた者の一人が、暗殺を失敗したついでにその目的の人物本人に気に入られて、ボーセリング卿を脅して買い取られていったらしい、と。
 その暗殺のターゲットだった男の名は、セイネリア・クロッセス。あの男が相手なら、確かにうちの連中が仕事を失敗するのも仕方ない。そして、自分を暗殺しようとした者を気に入る、というのもあの男らしい。どうやら彼は、本気で使える人間ならば、部下になると言えば相当の無茶を聞いてくれるらしい、と。

 だからフユは、その噂に賭ける事にしたのだ。







 眠る白い顔を眺めて、セイネリアは思う。
 まったく、子供だと。

 普段は白い顔の中、あまりにも濃く鮮やかな青の瞳が印象的すぎて、少しあがったその目尻からも彼の顔立ちをきつく見せている。だからそれが閉じられている間は、まるで別人のように、本来のまだ若く幼い印象を浮きあがらせる。
 無防備に、自分の腕の中に収まる姿に、セイネリアは何度めかの口づけの後、満足げに息をついた。
 シーグルと剣をあわせ、彼の腕があがっているのを感じるのは背筋が震える程体が滾る。その熱を彼に突き立てて、その体をひたすら貪っている時は、恍惚とする程の快感を感じる。
 けれども、こうして、大人しくなった彼を腕に抱いて、好きなように唇を合わせ、彼をじっくり観察している時もまた、セイネリアが心待ちにしている時間であった。滾るような熱い感触とは違う今この時は、言葉にするなら、柔らかいとか、暖かいとか、そんな感覚を心に感じさせた。
 まったく、らしくない、とそう思いながらも。
 こうして、彼をただ抱いて眺めている時間が欲しくて、セイネリアは毎回彼を気絶させる。

 前に、今も周囲を見張っているだろう部下が、セイネリアに向かって、何故わざと気絶させるのかと聞いてきた事がある。

「仕方ない、そうしないとこいつは噛む」

 そう答えれば、灰色の髪と瞳の男は、軽く肩を竦めて言ったのだ。

「全く、拒絶されたいのか、受け入れさせたいのか、分からないッスねぇ、貴方は」

 あぁ確かに。と、その時の自分は妙にそれに納得して、我ながらおもしろいなと笑ったものだ。
 抗い、無駄と分かっていても必死の抵抗を諦めない彼であるからこそ、これだけ心が熱くなるのだと思うのに、こうして、ただ彼が無防備に腕の中だけにいる時間も欲しいと思う。それは確かにひどい矛盾だ。
 だが、実際のところどうなのだろうかと、その問いに答えは結局出なかった。もちろん、今も出ない。

 ただ分かる事は、彼は、今までにない程、自分にとっては特別らしいという事だった。彼だけは、ほかの誰にも渡す気がないと、それだけが自分の中でハッキリしている事だった。

 セイネリアはシーグルの髪を撫ぜながら、ふと気づいて、撫ぜたその手をそのまま口元へと運ぶ。
 彼に噛まれた指を舌でちらりと舐めて、口元に満足げな笑みを浮かべる。舌で触れれば僅かにぴりりと残る噛み跡が、なぜだか妙に嬉しかった。

 見下ろす視界の中で、シーグルの瞼が震える。
 この、柔らかで暖かい時間は終わるのだと、そう思った途端、口元から笑みは消える。だが、それは不快だからという訳ではない。ただ、それを惜しいと思う自分と、うっすらと現れた深い青色にぞくりと肌を震わせる自分がいるのをセイネリアは知っていた。

「う……」

 眉が寄せられて、苦しげに唸る彼にまた笑みを浮かべ。
 セイネリアは、薄目をあけたまま震えている、シーグルの白い瞼に唇を落とした。

 ただ、分かる事は、なにがあっても彼だけは誰にも渡さないと、そう思う事だけ。

 例え、未だ、セイネリアにとってはその理由が分からなくても、それだけは変わる事がないと確信していた。


END.

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レイさんの話はここで入れるかどうか迷ったんですけど、一応さらっと入れました。
とりあえずこれでこの話は終了です。うん……もっとさくっと終る予定だったんだけどなぁ



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