記憶の遁走曲




  【7】



 今日もシーグルに続いてここへは2番目に早く来た、と思ったグスは、それが違っていた事が分かった途端驚いた。
 いつも通り訓練場へとやってきたグスが見たのは、シーグルが一心不乱に剣を振る姿ではなく、シーグルともう一人の若者が、話しながら体を解しているところだった。
 しかも何やら楽しそうで、いつもしっかりして気を張りまくっているシーグルが年相応の青年らしく話している様子に、グスは自然と口元がにやけてしまう。思わず、あの中へ自分が入っていってしまうのが悪い気がして、その場で暫く見ていてしまった。
 だが、そのグスの横をすり抜けて、二人の元へと行こうとする人影を見たグスは、反射的にその人物の服の襟首を掴んで引き留めた。

「えぇぇぇ、何ですかぁ?」

 掴まれて驚いて振り向いた事で、それがこちらの隊の一人である、サッシャン・ナルファだという事が分かる。背は歳の割に低めで、その分横幅が少し多めの彼は、どうして引き留められたのかわからないのか、金持ちのボンボンらしいのんびりした顔の中、黒い目だけを真ん丸にしてグスを見ている。

「んー、まぁなんというか、もちっと二人にさせてやれねぇかなと」
「なんでです?」

 キョトンという言葉そのままの顔で、不思議そうに彼はグスを凝視する。

「えーとな、どうもリーメリの奴は隊長の事をあんまよく思ってなかったらしくてな……」
「そうなんですか?」
「あぁ、んでだ、それが今どうやら和解、って別に決裂してた訳じゃねーか。まぁ、なんか仲良くなったみたいだから、もうちょっと交流を深めさせてやろうかとね」

 言えば彼はそのキョトンとした顔のまま考えているらしく、暫く黙った後、あっさりと、分かりました、と答えた。

「悪いな、隊長はどうにもあーやって歳相応そうにしてる事が少ねぇからさ、なんかもうちっとあのままにしてやりたいなって、オッサン心理でな」
「そうなんですか?」
「あぁ、ま、あーゆー隊長の姿もたまにはいいだろ」

 と言われてサッシャンは、向うで歓談しつつ体を動かしている二人をじっと凝視した。
 グスとしてはこの青年の反応が今一つ掴みにくいと思っていたのだが、サッシャンは暫くじっと二人を見てから、頬を緩ませるようにへらっと笑ってグスを振り返った。

「あの二人が一緒にいると、見ているだけでよいですね」
「あ、あぁ」

 サッシャンの意図が掴めなかったグスは首をひねったが、彼の妙ににやけた笑みを見ていてその理由に思い当たる。

「あー、そっか。まぁ、男同士でもあれは目にゃ嬉しい光景かもな」
「はい、目の保養ですね」
「んーまぁなぁ」

 確かにシーグルとリーメリは、どちらも男でも見目がいい分、二人で仲よさげにしている光景は華やかで絵になる。
 だが。

「僕はこの隊の配属になってよかったと思います」

 などと頬を染めて本当に嬉しそうに言うサッシャンには、グスも同意しすぎたくはない気がした。

「ところで坊主、お前さんあっちに何の用事があってこんな早く来たんだ?」

 にやけたまま嬉しそうに向うの二人を見ていたサッシャンは、それで少し顔のにやけを払うと、思い出したかのように呟いた。

「あぁ、リーメリに絵のモデルになってもらうつもりだったんです」
「絵ぇ?」

 素っ頓狂な声を上げたグスは、声が大きすぎてシーグル達に気づかれたんじゃないかと、焦って口を手で押さえた。幸いそれはなかったようで安心したが、思い切り顔を顰めて小太りの無邪気そうな笑みを浮かべる青年に聞き返した。

「絵、描くのか、お前さんは」
「はい。なのでずっとリーメリには絵のモデルになって貰いたいと言っていまして。朝早く起きた時なら付き合ってやってもいいといわれてたんですよ」
「成程、そんで追いかけてきたって訳か」

 なんだか自分の守備外の事を言われすぎて、グスは言葉の返しようがなく顔を胡散臭げにする事しかできない。
 だが、サッシャンの方はそんなグスの微妙な空気を読み取る事もなく、嬉しそうに両手を組んでまで興奮も露わに言ってくる。

「勿論、隊長殿も初めて見た時からぜひ描かせて頂きたいと思ってまして……あぁでも二人一緒もいいですねぇ。まさに今の二人をこの場で描きたかったです。道具を持って探し回ればよかった」

 一人盛り上がるサッシャンに、グスはもう相槌程度しか返す事が出来ない。なにせ、若い頃は冒険者生活と騎士の従者で、騎士になってからはこの歳までここにいる根っからの武方面の人間の為、芸術方面の事など分かる筈がないのだ。

 金持ちのぼっちゃんはやっぱ分からねぇな、という感想を持つしかなく、ただまぁ悪い奴ではなさそうだし隊長に好意的ではあるしと、これで後期組の連中は全員問題なしかな、とも思って、グスはこっそり胸を撫で下ろしてもいたのだった。







 いくら騎士団の中では、家柄の面で同等以上の人間がそうそういないとはいえ、シーグルの肩書は役職持ちの中ではただの下っ端である。だからつまり、肩書付きの連中だけで行われる会議においては発言権などというモノは基本的になく、ただ偉い連中が話すのをひたすら聞くのが今のシーグルの役目であった。
 この時期に行われる会議というのは、ここ一年の騎士団の方針やら予定やらを決める重要なものではあるのだが、実態は上が例年通りの書類を読み上げるだけの場である。
 であるから当然、やる気のなさでは定評がある貴族騎士の参加者達は、はっきり誰が見ても分かるくらいにはダレる。シーグルでさえもがきちんとした姿勢を保つ事で必死になるくらいなのだから、周囲に並ぶ隊長連中は欠伸と居眠りの博覧会状態だった。少し古参の者達になると、腕を組んで難しい顔で目を瞑って考えている……ふりをして寝るという熟練の技を使っているのだが、まだ若い連中は明らかにこっくりと首を前後に揺らしている者や、完全に頭を下に向けて寝入っている者もいる。
 ただ、それも想定内の風景らしく、上の連中はそれを注意したりもしない。発言してる連中は連中で、ちゃんと発表して承認を得た、という事実があればいいので、相手が聞いてる聞いてないはどうでもいいのだろう。
 まったく酷い状態だ、と思わずにはいられないが、今のシーグルには発言権がない。しかも厄介な事には、発言権はないのに家柄のせいで無視もされない、という面倒な立場の為、何か意見をした日には、不要なおべっか交じりの回りくどい説得攻勢をこちらが引き下がるまでやられる事になる。
 とにかく、何か言いたいならちゃんと責任を背負えるだけの役職につかなくてはならないのだろう。
 そうして、ため息禁止、といわれているシーグルが思わずため息をついてしまう程無駄な会議は、延々続く訳である。

「いやぁ、本当に酷い風景ですね」

 そんな会議中、うんざりして相当不機嫌な顔になっているだろうシーグルに、こっそり耳打ちをしてくる人物がいた。

「これなら書類だけのやり取りで十分だろう」
「ですよねぇ」

 声の怒りが隠し切れなかったせいか、隣に座っているエルクア・レック・ルーア・パーセイが顔を引き攣らせながら軽く笑う。騎士団での立場が同じであり、貴族騎士の中ではかなりマトモに仕事をして部下にも慕われている彼は、こういう役職の仕事関係では先輩としてよく愚痴と相談に乗ってくれる貴重な存在だった。

「例年どの会議もこんな感じなのですか?」
「この時期の会議はそうですねぇ。なにせ、毎年同じ内容の承認だけだそうですから」
「前期の反省から改善……とはならない訳ですね」
「まぁ、平和ならそこまで必要な機関ではありませんし、何かあればその時決めればいいから、平常運転さえしてればいいという事なのでしょう」
「国境周辺は平和という程ではないでしょうに、話題が一切上がらないのはどう考えてもおかしい」
「ですからそれこそ、想定外に何かあったらその時考えるんでしょう」
「それでは、本気で大きな問題が起こった時に、後手後手になって被害が拡大してしまう」
「まぁ、ここの連中の考えは、今まで大丈夫だったのだから今期も大丈夫、という事……でしょうねぇ」

 こそこそと二人でそんなやり取りをしている間も、それを咎める者はいない。
 現在の発言者の邪魔さえしなければとりあえずいいらしく、シーグルが唯一注意された者を見たのは、イビキが大きすぎた者くらいだ。ちなみに、会話の内容自体はそこそこ不穏である為、聞いて眉を顰める者がいてもいいのだが、そもそもこちらの話が聞こえそうな辺りに座っている者達は皆夢の中か、その一歩手前をうろうろしている。
 別にシーグルは偉くなりたいと思っていた訳ではないが、ある程度どうにか出来る地位にはいかなくてはならないかと、こういう時に思ってしまうのだった。






 会議が終われば、やっと苦痛と無駄なだけの時間が終わる。
 退出の順番は肩書が上の者からになるので、シーグル達が最後の方に会議室から出ると、入口に控えていた騎士がシーグルを呼び止めた。

「シーグル・アゼル・リア・シルバスピナ様、リーズガン・イシュティト参謀部長が話がお呼びです」

 途端、シーグルは思い切り顔を顰めた。

「用件は何だ?」
「伺っておりません」
「なら、参謀部長殿に伝えてくれ。呼ぶのでしたらちゃんとした正規の用件でお願いいたします、と」
「は、……あの、シルバスピナ様?」

 使いの騎士としては、それでシーグルがさっさと去ろうとした事で困惑する。

「悪いが、正規の用件でない限りは行く義務はない。参謀部長殿には先ほどの言葉だけを伝えておいてくれ」

 ただの使いである彼の立場を考えると同情したくもなるが、シーグルはリーズガンの個人的な呼び出しには応じないと決めている。余程正規のちゃんとした用件を持ってこない限りは、拒絶したからといって上から文句を言われる筈もない。こういう時くらいは旧貴族の地位を利用してやるさと既に開き直っていた。

「いいんですか、あれ?」

 横にいたエルクアが聞いてくるのに、シーグルは不機嫌に返した。

「いいです。理由を言わないという段階で、ロクでもない私用に違いありませんから」

 そこでエルクアが笑いだす。くすくすと最初は軽く、それから足を止めて腹を押さえる。シーグルも彼のその反応に驚いて、思わず足を止めてしまった。

「どうしましたか?」
「いやー、ちょっと痛快ってかザマアミロと思っただけですよ。実は私もあの人には少々気色悪い思い出がありましたし……」

 そういわれれば、確かにエルクアもかなり整った顔をしていて、あのリーズガンに目を付けられるのも納得できると今更に思う。どうにも自分が容姿でどうこう言われるのがあまり嬉しくないせいで、シーグルは割合他人の容姿を気にしないところがある。……流石に、生理的に受け付けないタイプに関しては別だが。

「私もこちらに来てすぐ、声を掛けられて部屋に呼ばれて……人払いなんかするから怪しいなとは思ってたのですけどね。体べたべた触られて、髪の匂いなんか嗅がれた辺りで限界でした。もう夢中で『すいません』とか『無理無理』とか連発して逃げ出しましたね」
「……最低だ」

 ボソリとシーグルは呟く。エルクアはそれにも楽しそうに笑う。

「いやぁ、あーゆータイプも珍しくないですけどね。でもまぁ、その後は結構あっさり諦めてくれたので良かったですよ。……ただ、貴方の場合はそうそう諦めなそうな気もしますけど」
「ちょこちょこ声を掛けてくれますよ。何かでっち上げたような書類を持ってこいというのも何度か。話し掛けながら体に触れてこようとするのもありますね」

 よく諦めないものだと感心するくらいに、とまでは言わなかったが。
 とにかく、何度かやれば諦めるだろうというシーグルの考えは今のところ叶わず、今回のように使いを寄越す場合などは特に、ただ拒否をするのには少々困る。

「それでも、流石に貴方くらい貴族的な地位が上だと強くは言えないんでしょうねぇ。いや本当に、ちょっと何か気分良かったですよ」

 それから、軽く話しながら外の廊下に出て、既にもう真っ暗な空を見ると、エルクアは急いでシーグルに別れを告げて去って行った。





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一見、平穏な日常パートですが……次回はエロ回。



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