記憶の遁走曲




  【1】



 北の大国クリュースは、冬がくれば、山間部は雪に閉ざされ、都市部はそこまで積もらなくとも、凍てつく寒さが人々を襲う。
 この時期ばかりは、東の国境周辺を脅かす蛮族達も大人しくなり、小さな小競り合いを頻繁に繰り返す要所砦の者達も休暇を取る事が出来る。とはいえ、砦を完全に放置する訳にはいかず、留守報告用の予備部隊が本隊と交代に砦近くの村に駐留して、毎日1回は砦周辺の様子を見てくる事になっている。ちなみに、この村に駐留する部隊の仕事だが、一応名目上は砦周囲の警戒がメインにはなるものの、実質は年寄りの多い村人の為に力仕事に呼ばれるのが主な日常の仕事で、その為騎士団では、『雪かき部隊』と皆から呼ばれてもいた。
 さて、砦の隊がそうして交代をする時期は丁度年末年始の休暇と重なる為、騎士団全体でも、一部の隊では人員の交代が行われる。
 とはいえ、精鋭部隊である守備隊や城の警備部隊は、年末年始の休暇日程では休ませてもらえず、その後に春までは人員を半分に分けて、交代で長期休みを取れるだけだ。人員交代が起こるのは主に後方部隊と予備隊で、そちらでは休暇を境として、前期組と後期組の入れ替えが起こる。

「俺、後期もきますっ」

 そう宣言したのはマニクで、一人が言えばほかの者達も我先にと同じ宣言をし出す。
 実は、シーグルの隊では前期も後期も人数が規定に足りない為、規定人数になるまでは、別の時期の者がそのまま続けて来ていい事にはなっていた。

「マニク、お前のとこは実家雪深いんだろ。冬の間はお前を頼りにしてんだ、ちゃんと家帰れ。んでシェルサとクーディ、お前らは実家遠いだろ、年末年始の休暇だけじゃトンボ返りじゃねーか。ランは家族が交代楽しみにしてんだろ。……ったく、ちゃんと帰れるヤツは帰っとけ」

 残ると騒ぐ連中を見まわしながら、グスが怒鳴る。

「そういう、お前は?」

 皆が叱られて意気消沈する中、珍しく無口なランがぼそりとそう返した。

「あぁ、俺は残るさ」

 当たり前のようにグスがそう答えた為、隊一番の年長騎士には、怒鳴られた連中の抗議の視線が集中した。

「俺はな、帰ってやる家族もないし、身内は皆国外で、ずいぶん昔に出てきた手前帰れる身分じゃない。どうせ長期休暇とってもやることも行くとこもないんだ、隊長の為に誰か残った方がいいなら、俺が残るのが一番理に適ってると思うがどうだ?」
「でも、人数一杯までは残れる者は残れば……」
「あのな、そんなぞろぞろ残ったら、隊長が気にするに決まってるだろ。ちゃんと帰る理由あるやつはきっちり交代しとけ」

 そういわれれば、結局反論出来る者はいない。
 もし、シーグル本人に、誰が残るのが一番心強いか、と聞いた場合もグスであろうし、自分達も、一人を残すならグスが一番安心すると言えるからこそ、そこは納得するしかなくなる。
 年末年始の休み前、泣く泣く交代期間に入る者達を、グスはそうやって見送ってやったのだった。





 予備隊は、もともとが『いなくてはならない』隊ではない為、年末年始の休暇は完全に人がいなくなる。だからこそ、その間は隊長であるシーグルも休みが取る事が出来るのだが、これが守備隊の隊長や、もっと上の役職になると、半休暇扱いで一日一度は騎士団に顔を出さねばならないという制限がつく。実はそれは、騎士という事に拘り、代々騎士団で要職を務めてきたシルバスピナ家に子が少ない理由の一つなのだが、真面目なシーグルもこっそり部下達に既に将来を心配されている事であった。
 とはいえ、現状はまだそこまでの地位ではないため、ゆっくりと休暇を過ごしたシーグルは、休暇明けの初日、初めて会う後期組の者達の事を考えて、幾分か緊張して騎士団へと出かけた。

 後期組の任期は前期組に比べて少なく、丁度冬の時期と春先までで、そこから夏の入りまでは交代期間という事で両方の組の隊がいる事にはなっている。だが、それはあくまで形式上の決まり程度で、後期組はその間の何時からでも交代休暇に入っていい為、結局は交代期間に入った途端、後期組の連中はいなくなって、仕方なく前期組の連中が全員その期間の最初から出てくるのが今では普通になってしまった。
 ただ、こんな状況になってしまったのは、それなりに理由がある。  後期組は、予備隊の中でも更に予備組と呼ばれ、一線に出れるような連中が組み込まれる事がまずない。期間的に、肉体労働はあってもまず戦場に出されるような事がない為、一度退団して戻ってきた年長者や故障者が多い。そんな中での若い連中は、実は金がある家の子息達で、彼らは余り仕事をしなくても騎士条件の規定期間を全う出来るよう、割り当てられたものだ。
 つまり、後期組には裕福な者が多かったからこそ、その意見は尊重され……また戦力とみなされないからこそ、いてもあまり役に立たない連中という目で見られるのもあり……結果、今のような不公平感がとんでもない、前期組と後期組の期間の差となった訳であった。

『後期組の連中は、やる気ないですから』
『あいつらを騎士と思わない方がいいです』

 などと、交代する前期組の連中に言われてはいたので、彼らの時とは空気が違うのだろうとは思っていたシーグルだったが、確かに、まず最初はどう接していいのか分からない、というのが正直な感想だった。
 とりあえず、シーグルがくる前に彼らはきちんと整列して待ってはいた。この分については、そこまで不真面目な連中ではない、と思えた。
 シーグルが挨拶をする間も皆ちゃんと黙り、特に騒いだり茶々を入れたりするものもいなかった。
 だが、どうにも居心地悪く感じるのは、彼らがシーグルに向ける視線であった。やはりクセがある者が多いのか、皆が皆、それぞれ違う含みのある視線でこちらを見てきていて、前期組の単純明快な反応と違って、どうにも不気味なこの状況は、はっきり言って反応に困る。
 ……いや、居心地が悪いというだけならいいのだが、なぜだかシーグルは、自分の体が異常に緊張しているのにも気づいていた。緊張というのとも少し違うかもしれないが、肌が粟立ち、背筋に冷たいものさえも感じていた。単純に嫌な予感とでもいったほうがいいのか、具体的な理由が分からず、ただ妙に体が嫌な緊張を纏っている。
 だから、見回した中にグスの顔を見つけてほっとした時、シーグルは、気が抜けると共に自分の情けなさに思わず笑いたくなった。
 グスには申し訳ないが、彼がいてくれて良かったとシーグルは改めて実感する。歳のせいもあるとはいえ、彼には頼りすぎていて申し訳ない。
 グスは後期組の連中とは面識はないと言っていたが、それでも経験の多い古参の意見は、若手もいいところのシーグルの意見より聞いてもらいやすいだろう。目線が同じ分、見えるものも違うというのもある。

 後期組の人数は8人、グスを足して9人となる。規定は12人であるから、それでも3人まだ足りない。内訳は、商家の息子が3人に、一度退団した後の復帰者が4人、女性が1人。年齢的には若手と古参が丁度半分、いや、グスの分古参が多い事になる。今期から新たに正式登録された者が一人いるが復帰者で、後は少なくとも一期以上は終わらせている者達ばかりだから、慣れていない、という者はほぼいない。つまり、この中ではシーグルが一番の新参で、一番慣れていない、という訳だ。

 顔合わせを兼ねた挨拶は無事終わり、シーグルのその日の予定は、後は時間一杯まで事務仕事が詰まっていた。そのため、今日の予定だけを告げてシーグルはすぐに執務室に行くことになったのだが、執務室に入った途端、ほっとした自分にシーグルは我ながら苦笑した。

「おかえりなさぁい〜。初顔合わせのみなさんはどうでしたかぁ?」

 のんびりしたいつもの彼の声も、日常が帰ってきたように嬉しく感じてしまうのだから不思議である。
 シーグル付きの文官であるキールは、そのシーグルに交代がないのであるから勿論彼も交代はなく、だからこの部屋の風景は休暇前そのままであった。

「第一印象は、前期の連中よりも大人しい、かな。ただ、こちらの方が、難しい連中が多いような気がする」
「難しい、ですねぇ。何か言われましたかぁ?」
「いや、そういう事ではないんだが……」

 シーグルが言葉を濁したのは、彼らから受ける視線や雰囲気に嫌な予感がしたからではあるが、はっきりとした理由があってのものではない為、言いようがなかったというのがある。ただ、誰のものかまでわからなかったが、背筋がぞっとするようなものを感じた時が確かにあったとシーグルは思う。

「まぁ、とんでもない若造がいきなり隊長だっていうんですから、忌々しく思ってるようなのもいるでしょうねぇ」

 上司に向かって、歯に衣着せなすぎる魔法使いのいつもの通りの飄々とした口調に、思わずシーグルは口元をほころばせた。

「それは仕方ない」

 実際、敵意というか、反感を持った目の者はちゃんと見渡した時で特定出来ていた。だから、引っ掛かっているのはそれ以外の誰か、だとシーグルは思う。

「気になるなら、多少は調べてさしあげましょうかぁ?」
「いや……」

 いい掛けて、考える。それを見て、キールは見せつけるように盛大にため息をついた。

「まぁどっちにしろですね、あぶなそーなのがいたら言ってくれた方がこちらは嬉しいんですけどねぇ」

 いつも本気かどうか怪しい言い方の彼ではあるが、実際彼は有能で、助けてもらう事も多い為、シーグルはかなり頼りにしているつもりだった。ただ、最初から人に頼るのはシーグルの主義ではない。

「まだ始まったばかりだ、暫くは様子を見るさ。もし、何か困った事があったら相談はさせてもらう」

 そうですかぁ、と肩を竦めて、キールは溜まった書類の山に手をのばすと、仕事を始める事にしたらしい。
 シーグルもすぐに、自分の机にある書類に手を伸ばし、仕事を始める。

 それにしても、自分は何にこんなにひっかかっているのだろう。と、そう思っても、シーグルには確信出来る理由がなかった。あえて怪しいといえば、自分を好色そうな目で見ていた者達の誰かだろうが、それでもそういう目もある程度は慣れている筈だった。
 暫くはグスに様子を聞いてみるしかないかと思いながら、気弱になっている自分を叱咤して、シーグルは今は目の前の仕事へと頭を切り替える事にした。

「あぁ、ところでシーグル様ぁ?」
「なんだ?」

 やっと頭を切り替えて仕事をしようとしたところで声を掛けられて、シーグルは怪訝そうな顔で書類から視線をあげる。

「そぉんな悩ましげな顔で考え込んだりとかはぁ、人前ではしない方がいいですよぉ」

 にっこりと、嫌味なくらい――実際嫌味なのだろう――の笑顔を向けてきたキールに、シーグルはそのまま固まって何も言えなかった。




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そんな訳で第1話は少々説明が多くてすいません。
てか、メンバーの話にまでいかないってどうよ。そんな訳で2話は各メンバーのさらっと紹介的な話です。



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