愛しさと悔しさの不協和音




  【8】




 その場所へ来ると、空は既に月が出ていて、まだ僅かに残っていた夕日の名残は消え去っていた。
 だから、一体どれだけ遠くへ来たのだと思ったロウだが、よく辺りを見渡せば遠い山のシルエットには見覚えがあって、ここが首都の傍、南の森であるという事に気が付いた。

「もう夜になっていて驚きましたかぁ? 私は空間系の魔法使いではありませんからねぇ〜ポイントを使うだけですので、通る場所の関係で時間がちょぉっと歪むんですよねぇ」

 と、言われても、転送魔法というもの自体が初めてのロウには、何を言われているのか殆ど分からない。何せ、まともに魔法さえ見たことがないロウにとっては、魔法体験自体が当然初めてで、それがいきなり何処とも知らない場所に瞬時に移動というのは、初体験としては相当に敷居が高過ぎた。直後は、覚悟と驚きと終わった安堵で、まともに頭が回る訳がなかった。
 ただ、連れてこられた場所が知っている場所だったのには、本当に――本当に深く安堵していたのだが。

「ここから少し歩きますねぇ。いやぁ、本当に少ぉしですよぉ〜」

 いくら首都に近くて、そこまでの危険動物の報告はない、とは言っても、夜の森はやはり危険で、それに不気味だった。それでも、どこか楽しそうに軽やかに歩く魔法使いの後ろをおそるおそる歩くロウは、なんだか騎士という自分の立場を考えて、他人から見たらすさまじく今の状態は恰好悪いんだろうなと軽く落ち込んでいた。

「さぁってこの辺でしょうかね。それでは、ちょぉっと準備しますので待っていてくださいね」

 とりあえず、魔法の事など何も分からないロウとしては、彼の言う通りにするしかない。彼が何か袋を取り出し、それから粉のようなものを落す事で地面に何かを描きだしたのを見て、これは少し時間が掛かるらしいと、近くにあった切り株に座り込んで彼の作業を見ている事にした。

――一体、何を見せるっていうんだ?

 どうやら、彼の描いているものは魔法陣という奴らしい。と、そこまでは分かるものの、描いている陣はロウのイメージにある魔法陣としては小さくて、しかも彼は描き終ってすぐ、またもう一つ同じサイズの陣を描きだし始めた。そうして、剣の長さ程のサイズの魔法陣を二つ描き終わった魔法使いは、ふうと一つため息をつくと、持っていた彼の背より長い杖を掲げた。

「スク・ウーリー・アレス・カボス・トートリー」

 彼の声が聞こえれば、途端に魔法陣が光る。
 光っただけに驚いていれば、陣から光が上へのぼっていって、まるで光の柱のようなそれが人の形を取り出した。

「シーグル?」

 ロウは思わず立ち上がる。光が形をとった人物の姿は、シルバスピナ家の銀色の甲冑に包まれた騎士で、兜に覆われていて顔が見えはしなかったものの、その構えた立ち姿はシーグルだと確信できた。
 けれども、光の作る人物の姿は一人ではなく、もう一つの魔法陣からは、もう一人の人物の姿が浮かび上がっていた。

「……なら、あれが……セイネリアって事なのか?」

 シーグルよりもロウよりも背の高い、黒い髪に黒い甲冑、それを黒いマントで覆った黒い騎士。見るからに強そうなその男の方は兜まではつけておらず、シーグルと正面から対峙し、ゆっくりと重たげな動作で剣を構えた。

『いつで……こい』

 声は微妙に掠れて聞き取れず、ロウは眉を寄せる。
 と同時に、対峙していた銀の騎士が走り出した。
 その走り込みは速かった。走る速度でいえば、距離を一気に詰める間、黒い騎士の方は大きく一歩踏み込んだだけだ。その速さで突っこんできた上に、銀の騎士は直前で僅かに走る軌道を変えて、男が構えていた場所から攻撃ポイントを微妙にずらして剣を伸ばした。ロウだって離れて見ているから分かっただけで、もし対峙している状態なら、とてもではないが対応出来るような速さではない。騎士団の誰との対戦でも、ここまで速いシーグルをロウは見たことがなかった。
 けれども、黒い騎士は大して動いた訳でもない動作で、それを簡単に受ける。良く見れば腕の位置は少し無理な体勢で、普通なら力が入らず剣を落とすか押されるかする筈なのに、男は受けた剣を逆に弾いて、相手の体を後ろに下げた。

「なんだ、あの化け物は……」

 体重の軽いシーグルだが、彼の剣はそこまで軽いものではない。普段から受けているロウは良く知っている、体重が軽いからこそ、出来るだけ効率良く剣の重量と勢いをコントロールして、技術で出来うる限界まで威力を上げてくるシーグルの剣は、中途半端な体勢で受けられるようなものではない筈だった。

 後ろへ下がった銀の騎士は、けれどもすぐに一歩横へ回り込み、そこから即座に剣を伸ばす。けれどもまた、黒い騎士の方はそれに対して体の向きを変えるまでもなく、腕の動きだけで相手の剣を受け、おまけに剣を弾くと同時に足で蹴り上げた。
 だが、それを予期していたのか、銀の騎士は体を倒してそれを避け、地面に一度転がって男から離れ、体勢を立て直した。
 ふぅ、とあまりのやりとりに見ているだけで息をするのを忘れていたロウは、思わずそこで大きく息をついた。

『しーちゃん、流石に同じ手……からなくなったね……た、速くなって……』

 黒い騎士の声なのか、似つかわしくない軽い声が聞こえた。
 すぐに怒鳴り声がそれを払う。

『黙れっ』

 声は確かにシーグルで、彼は叫ぶと同時に三度(みたび)剣を伸ばす。今度は黒い騎士は受け止めるだけで弾きはせず、だが押し合う体勢で不利を感じ取った銀の騎士が剣を斬り返し、合わせの角度を変える。そうしてまた、それでも優位をとれなかった銀の騎士は再び剣先を回して組みなおす。その間、男の足元はまったく動かないのに、銀の騎士の足だけが踏み込んでは後ろへ僅かに押し返されていた。

――押し合いじゃ勝てる相手じゃない。

 ロウは思う、それは戦っているシーグルなら尚更、嫌でも分かっている事だろう。
 だから銀の騎士は思い切って一度剣から力を抜き、相手の剣を後ろへ逸らす。逸らした状態から、合わせた刃と刃を滑らせて、相手の剣とすれ違うように本体へと届かせようとした。
 だが、剣は上手く外せたと思っても、相手の腕の装備で弾いて逸らされる。そこへ、勢いのまま体勢を崩されて倒れかけている銀の騎士の胴を、追い打ちのように黒い騎士の剣が叩いた。
 今度は、彼は避けられなかった。ロウは声を上げそうになって、思わず歯を強く噛みしめた。
 勿論、魔法鍛冶製の鎧を着ているシーグルなら、一番頑丈ともいえる胴を撃たれて、剣が体本体までを傷つける事などない。とはいえ衝撃はくる、それでも普通ならば、いいとこよろけるか倒れるくらいであるはずだった。
 けれども、銀の騎士の体はそのまま、文字通り吹っ飛ばされるように地面に転がる。吹っ飛ばされた衝撃で、兜が外れて遠くまで転がる。ただ彼の方もぎりぎりで受け身が間に合ったらしく、すぐに距離を取りながら立ち上がった。
 兜が飛んだせいで、見間違える筈のない、ロウの恋焦がれた青年の顔が鎧から姿を現す。立ち上がったものの、苦しげにその端正な顔を顰め、咳をし、シーグルはよろけて剣を支えにしていた。
 だがそれでも、顔を上げた彼の瞳はただただ強く、濃い青の瞳は真っ直ぐに相手を睨み付けていた。大きく息を吸いこみ、彼は息を整えるとすぐに黒い騎士に向かって構え直した。

『今……ちゃんじゃここ……でかな』
『五月蠅い、黙れぇっ』

 シーグルの必死な声が叫ぶ。それが痛々しくて、ロウはもう見ていられなくて、目を片目だけ閉じてしまった。
 シーグルが真っ直ぐに、おそらく彼の一番の速さで剣を突く。
 けれどそれは避けられて――そうしてロウは見た――今までは、角度のせいで顔のよく見えなかった黒い騎士の顔、その、若いのに落ち着き払った表情と、見るだけで相手を圧倒する金茶色の瞳を。
 その瞬間、ロウは体が竦んだ。
 背筋に冷たい汗が流れ、ひゅっと息を吸い込んだ後、一瞬呼吸が止まった。

――無理だ、あんなのに勝てる訳がない。

 思って、自然と体を引いた途端、戦いの決着はついていた。

 シーグルの体が地面に倒れている。
 そこへゆっくりと、黒い騎士が近づいていく。
 カチャリ、カチャリと黒い騎士の甲冑が音を鳴らし、そうして止まる。
 シーグルが起き上がりかけた体勢のまま、顔を上げて相手の顔を睨み付ける。
 黒い騎士の手が下りて、そのシーグルの顎に触れる。その手つきはいっそ、優しく感じる程柔らかで静かだった。
 けれども、その男の口元は、笑みに歪んでいた。
 昏い悦びと、嘲りと、満足感に満たされた笑みは、シーグルに負けを認めさせざる得ない勝者の笑みだった。
 シーグルが唇を噛み締めて、男から目を逸らした。
 黒い装備に包まれた手がシーグルの顎を離し、耳元を撫ぜていく。

 それで、これから何が起こるのか、ロウには分かってしまった。



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はい、次こそエロです。
しかしまた、久しぶりに戦闘シーンだったのでがんばりすぎました。長くなって先週一話に収まりきれなかったのはこのせいですorz。すいませんすいません。



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