愛しさと悔しさの不協和音




  【5】




 騎士団の建物の中、もう夜番の者しかいないこの時間は、廊下に出ても人の気配がする筈もなく、訓練場前の大きな台で燃える火の音が聞こえるくらい、ただ夜の静けさに包まれていた。

――いや、気配はない訳ではないか。

 ふぅ、と一つ息をついて、シーグルは後ろを振り返った。
 そこには、見るからに騎士らしい、シルエットだけで相当に鍛えているのが分かる、体格のいい男の姿があった。

「アウド、お前は兵舎に帰らなかったのか?」

 言えば僅かに足を引きずりながら、男が近づいてくる。

「いえ、一旦帰りましたよ」
「何か用があるのか?」
「そうですね、あるといえばありますが、ないといえばないですね」
「たいした用事でないなら、明日にしてくれ」
「今宵のベッドの、お供の誘いとかはありませんか?」
「アウドっ」

 シーグルは思わず眉間に皺を寄せて、彼を睨む。

「冗談ですよ。……あぁいや、本当に誘って頂けるなら、そりゃぁ喜んでお役を勤めさせていただきますが」

 勿論、そんな冗談に、シーグルが笑う筈はない。深い青の瞳が、ますます険悪に彼を見つめる。
 だがアウドは軽く笑い、今度は姿勢を正すと、その場で深く礼をした。

「お帰りになるのでしょう、ベッドまで……とは言いません、お屋敷までお供致します」

 シーグルは更に不機嫌そうに顔を顰めると、くるりと彼に背を向けた。

「必要ない」

 そうして歩きだせば、後ろの男もついてくるのが、少しひきずった彼独特の足音で分かる。

「ここから屋敷までは表通りしか通らない、一人でも問題はない」
「とは言ってもこの時間です、用心に越した事はないですよ」
「もっと遅くなった事もある。今まで問題がなかったのだから大丈夫だ」
「そりゃ運が良かっただけです。もしくはこっそり誰か見てたか」

 そこを突かれると、少々シーグルには思い当たる部分がある。
 今でもたまに感じる気配は、セイネリアが首都にいた頃から感じてきていた者のものだった。毎日必ず感じる訳ではないが、満月前後の日には必ず、騎士団の行き帰りの道で彼の気配を感じる。

「……ともかく、大丈夫だ、お前は帰れ」

 言えばアウドは、気配で苦笑を伝えてきて、おまけに聞こえるようにため息をついてくる。

「隊長、見えるとこに供を連れてるっていうのは、それだけでヘンな連中をけん制する意味があるんですよ。ついでに俺は……貴方の部下の中でも、それなりに見た目で相手を脅せる方だと思いますが」

 シーグルは足を止めた。
 振り向けば、アウドはその場に跪いていて、シーグルは文句を言おうと開き掛けた口から何も言えなくなってしまった。

「我が主よ、俺は貴方に俺の誇りを救ってもらった、その恩はこの命で返そうと思ってる。もし、出来る事をせずに貴方に何かがあったら、俺は俺を許せないだろう。だからどうか、貴方が無事屋敷に着くまで連れていってほしい」

 シーグルは目を閉じて額を軽く押さえる。
 そこまでされて拒絶を返せる程、シーグルは自分を通せる性格ではなかった。というよりも、それが好意からの行動だと分かってしまうと、性格上、どうにも冷たく跳ね除ける事が出来ないのだ。

「……外出許可はあるのか? ないと帰ってきた時兵舎に入れなくなるぞ」

 アウドはそれで顔を上げる。しかも笑顔で。

「えぇ、文官殿に頼んだところ、快く手続きをしてくれました」

 つまり、キールもグルな訳かと、シーグルはまた一段と深いため息をついた。
 シーグルは再びアウドに背を向けた。

「勝手にしろ」

 そうして歩き出せば、背後で嬉しそうな返事が聞こえた後、また彼独特の足音が追いかけてくるのをシーグルは聞いた。







 夜の表通りは、よく言えば幻想的、悪く言えば不気味ともとれる静寂に包まれている。黄色い街灯のぼんやりとした明かりに照らされて暗い場所は殆どないし、並ぶ家々の明かりもまだ人が起きている時間だという事を知らせている。
 けれども、外を歩く人は殆どおらず、たまに見る人影は警備隊の巡回で、治安がいい筈のこの辺りでも、確かにあまり外を歩きたい気分にはならないだろうなと、シーグルは改めて思った。

「表通りだっていっても、これじゃ大丈夫だって安心できませんよ」

 言われた言葉に、シーグルは内心同意する。今までは慣れた道の為、身の危険を感じた事はなかったのだが、確かに改めて見てみるとあまり安全とはいいがたいだろうかとも思う。

「表通りは、夜に一斉清掃があるからな、だから夜に人の出入りがありそうな店がないのもあるだろう」

 セニエティの街は緩やかに北東から南西方面に下り坂になっている為、それを利用して城の堀から水を流し、魔法の力を少し加えて大通りの汚れを一気に清掃するシステムが出来ている。だからこそその清掃時間に人が表通りを歩かないよう、酒場などといったものや夜に需要のありそうな店は、決まった区画でなければやってはいけない事になっていた。

「まったく、こんな中今まで一人で帰ってたなんて信じられませんよ」

 馬を並べて言ってくるアウドに、シーグルは苦笑するしかなかった。

「それでも、警備隊が見回っているからな、実際は危険という訳じゃない。大声を出せば、通り沿いの家には聞こえるしな」
「本気でヤバイ連中は、声を出す暇さえ与えてくれませんけどね」
「……そうだな」

 実のところ、最初の内は、グスに必ず供を連れて帰れと言われてはいた。
 ただ、グスがそれでつけろといったのがランだった為、シーグルは頑なにそれを拒んだ。
 交代時期である今は、兵舎の空きの関係で、一般騎士団員も帰れる者は家に帰っていいことになっている。当然、妻帯者であるランはこの時期毎日家に帰る訳で、しかも彼の場合、通常の前期に入っても、週末にはやはり家に帰る。それが遅くなるのが申し訳なかったのだ。ただ、それをそのまま言えばいろいろあるので、シーグルはひたすら『慣れているし、治安のいい道しか通らないから大丈夫だ』で通したのであるが。

「いいですか、もし何かあったら、俺は見捨ててでも貴方は逃げてください。供ってのはそういう役目です」

 それには即答を返せなくて、シーグルは口元を引き締める。

「大丈夫です。俺は家族なんていませんから、余計な事は考えないでください」

 シーグルが思わず彼の顔を見れば、アウドは苦笑を口元に張り付かせて、目だけは真剣にこちらを見ていた。

「普段、貴方の護衛役は、ランって奴だって聞きましたよ。けどそいつには奥さんも子供もいる。貴方の性格上、彼を見捨てるって事は出来ないでしょう? なんで、グスに頼んで、俺も護衛役にしてもらいました。だから、何かあった時は、ランじゃなく俺の方を見捨ててください」

 どうやら、思った以上に、自分の性格は彼に見透かされていたらしい。
 それには困惑しつつも、ランを見捨てなくても良くなるという思いに安堵する自分がいる事に気づいて、シーグルはそれを嫌悪した。
 いくら部下は必要な場面では切り捨てろと教えられていても、本心では、大切な彼らの誰も犠牲にしたくないという思いがシーグルにはある。それでも、いざとなればそうしなければいけないという事を頭では理解している。実際、それが出来るかまでは、その時が来なければ分からないが。
 ただ特にランに関しては、シーグルは彼を盾にして助かるなんて事が出来るのか自信がなかった。幼い頃、親から引き離されたあの時の事を思い出せば、ランの子供から父親を奪う決断が出来るのか、問う以前に反射的に否定したくなる。
 だから、安堵した。彼が死ななくて済む可能性があがると。けれどもそうして、人の命の重さに順列をつけた自分が許せなかった。

「見捨てる事前提のような考え方は好きじゃない」

 そう返した言葉は、そんな自分を誤魔化す為のものだったのかもしれない。
 けれど、苦し気なシーグルのその表情を見るアウドの顔は、あまりにも晴れやかな笑顔だった。

「でも、見捨ててでも貴方は生き残らないとならない。そういう立場だって事を自覚してください。……それにですね、貴方の為に死ぬんなら、俺にとってはこれ以上なく名誉な事ですから」

 シーグルは信じられないものを見るように、アウドの顔を見た。
 最初に会った時からは信じられないくらい、彼の笑顔は曇りなく、誇りと自信に満ちていた。

「言ったでしょう、貴方は俺の誇りを救ってくれた。だからこの命は貴方の為に使いたいんですよ」

 シーグルは、彼の言葉に何故か胸を押さえた。
 彼の笑顔があまりにも心に沁みて、自分の迷いと嫌悪感に揺れる心が後ろめたくて痛かった。

「それとですね、もう一つ」

 言うとアウドは、今度はその顔から笑みを消した。

「俺はあなたの部下の中では、異質だと思います。貴方の部下は皆、真っ当な人間すぎる。へんにひねくれてない、どいつも皆、世間一般でいう立派な騎士になれる連中です」

 声は淡々と、纏う空気もどちらかといえば前に近く、闇を知っている者特有の重みを感じさせて彼は言う。

「けど、貴方が貴族で、この先、生き残っていかなくてはならないなら、綺麗ごとだけでは済まないでしょう。だから、そういう時は俺を使ってください。なぁに、どうせ汚れ仕事は慣れてます、これ以上堕ちる事はないですよ」

 彼の意図は分かる。彼の言葉が正しいともシーグルは思う。
 けれども、先程までの晴れやかな笑顔の彼を思い出せば、それに了承の返事をする事はシーグルには出来なかった。

「だがアウド、お前はそこから這い上がる為に、前期への移動を決めた筈だ」

 強い声でそう答えたシーグルに、アウドは一瞬だけ目を見開くと、再び顔に笑みを浮かべる。
 それは先ほどと同じく、眩しい程に晴れやかな誇りに満ちた笑みだった。

「えぇそうです。けれど、例え汚れ仕事だったとしても、貴方の為だというなら、救って頂いた俺の誇りは消えません。俺は分かったんですよ、誇りっていうのは人からの評価ではなく、自分の心の中にあるもんだってね。心さえ堕ちなければ、誇りは消えないもんだって……それは、貴方が教えてくれたんですよ」

 シーグルは、見ていられなくて、彼の顔から目を逸らした。





「そうですねぇ、こーゆー人間もシーグル様の傍にいるべきでしょうねぇ」

 誰もいない騎士団の一角、杖を持った魔法使いは、目前で繰り広げられる『影』達の動く様を見て呟いた。
 キールの能力は、その風景に刻まれる記憶から、かつてその場で起こった事を映像として再現出来る事だった。ただし正確にいうならば、一言で『記憶』といってもいろいろなものを含んでいて、キールと同じ能力者に分類される者達ではあっても、その中の何を軸にするのかによって能力自体がかなり違う。
 キールの場合、記憶の中でも、その場に残された人間の意志や思いといった強い感情を抽出して、風景が記憶している映像と結びつける事でその時の場面を再現していた。
 だから、魔法陣一つに一人分の登場人物の記憶を追わせて、その映像を動かしていくことになる。それはまるで、魔法で作られた役者が、過去の記憶に従って演技しているようにも見えた。
 魔法仕掛けの映像だけの役者達は、かつてここで起こった出来事をキールに見せてくれる。今回は古い記憶を引っ張るのではなくつい最近の事であるから、その絵も声もまるで本当にその場にいて見ているかのように鮮明だった。

 銀髪の青年に、剣を差しだしひざまずく男。
 青年の言葉に、泣きださんばかりに瞳を歪めた男は、もう決して彼を裏切りはしないだろう。

「……そしてきっと、この手の男は、主を助ける為ならその命令を無視してでも動く……っと、こういう人間は便利ですよねぇ、なぁにせシーグル様はつい自分を守る事を忘れちゃう方ですから」

 術の終了を陣に告げて、キールはやれやれとその場に座り込む。
 現在の自分の主である青年の事を考えると、ため息しかでてこない。彼のおかれた状況の危うさと重要さを考えれば、彼のあの性格は頭の痛すぎる問題だった。
 キールは、ただでさえぼさぼさに近いのを無理にひとまとめにしてあった髪をばりばりと掻き、また大きく息をついてから、がらんと音を立てて床に倒した杖を眺める。

「まぁ、そーゆーぼうやだからこそ、こっちも妙な情が湧いてしまって困るんですけどねぇ」

 キールに課せられた仕事の最重要項目は、シーグルの身を守る事である。けれどもそれは、彼という存在が無事であればいいだけで、彼の意志も、彼の立場も、全く考慮する必要のない項目だった。
 それなのに、こんなため息をついているという段階で、相当に自分はもう彼に情が湧いているらしい、とキールは思う。

「けれども、そろそろ……準備はしておかなくてはならない時期でしょうかね」

 地面に座ったままの彼は、そう呟きながら空を見上げた。暗闇に浮かぶ光の粒達は、昔、彼が魔法使い見習いだった頃、自分の能力に不安を抱きながら見ていた時と同じ、美しい夜空を描いていた。




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何かありそうなキールさん。勿論、何かある訳ですが。
まぁ、魔法ギルドからの回し者ですからね……黒の剣の話で出てきた魔法使い達の言動から、シーグルに関わってくる理由はだいたい察せます……よね?



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