愛しさと悔しさの不協和音




  【10】




 いつも通りの朝、早朝に騎士団の訓練場へ足を踏み入れたシーグルは、自分より先に来ていたのが、意外な人物だった事に驚いた。

「ロウ、今日は早いんだな」
「あぁ、まぁな」

 シーグルが来たのに気付いても、彼が剣を振る腕を止めない事にまた驚く。
 彼の目を見れば真剣なのは明白で、ならば邪魔をしない方がいいだろうとシーグルはそれ以上声を掛けるのを止めた。
 正直、シーグルも昨日の事があって、ロウと話す事は勿論、顔を合わせる事さえ気まずく思っていた。だから、こうして話さなくていいのならまだ楽だった。
 二人は並んで、それぞれ剣を振る。
 シーグルも一度始めれば集中して、隣の人物の事も気にならなくなっていく。
 けれども、ふと、いつの間にか。
 隣の男が剣を下してじっとこちらを見ているのに気付いて、途端、放っておくべきか、声を掛けてみるか迷う。考えた末、結局シーグルは思い切って剣を下すと、幼い頃を知る友人の方に向き直った。
 そうして、大きく息を吸って、口を開く。

「あのな」
「あのさ」

 二人同時に声が上がって、思わず互いに口を閉じた。
 どうしようかと、それで黙ったままでいたのはシーグルで、ロウはそこで軽く吹きだすと、声を上げて笑った。

「はは……うん、まぁなんていうか、あーゆー話した後だからさ、避けられなくて良かったなと思ってさ。まぁ俺は聞きたいから聞いただけだし、お前の気持ちってのも分かった。分かった事の結論は置いておいても、ずっともやもやしてたの聞いたからさ、すっきりはしてるんだよ」

 頭を掻きながら言い難そうに言うロウは、それでもいつも通りの彼で、シーグルは安堵する。

「いや……俺も、ハッキリとした言葉に出来なくてすまない」
「まぁそりゃな、『分からない』なら仕方ないや」

 笑ってそう返されると、更に申し訳ない気分になる。
 けれどもどこか、その時点でシーグルは、何か微妙な違和感を感じてもいた。

「ロウ、何かあった……のか?」

 聞けばすぐに、彼は『いや』と否定を返した。
 こちらに向ける笑顔も、少し軽い話し方も、確かにいつものロウであるのに、何故だろうか、今のシーグルには妙に彼の態度に違和感を感じる。強いていうなら……落ち着いていすぎる、とでもいうのだろうか。

「なぁシーグル、他の連中が来る前に、昨日の続きに、後少しだけ聞いていいか?」

 正直、それには身構えるものの、今のロウの態度を見れば、自然とそれにシーグルは了承を返していた。
 ロウは笑う。にっと両の唇端を大きく上げて、彼らしいガキ大将時代と変わらない笑い方で。

「あのさ、セイネリア・クロッセスってのはどういう奴だ? ――あぁいや、へんな邪推はしないでくれよ、ただ純粋にお前の目にはどんな男だと映っているのか知りたいんだ」
「それは……」

 困惑しながらも、シーグルは少し考えて答える。

「強い、男だ。最強と言われるに恥じないだけの強さを持ってる。それに、単純に戦闘能力が高いだけではなく、相手の行動を読み、対応を考えるだけの頭がある。いつでも相手の数歩前を予想して、相手を思うように動かしている」

 シーグルは不思議に思う。
 セイネリアという男を説明しようとすると、口からは意外な程にすらすらと言葉が出てくる。そのどれもが賛辞ばかりで、どれだけ自分は彼に理想を重ねていたのかと呆れたくなる。

「……人を率いる力もある。好き勝手に振る舞っていても不必要に偉ぶる訳じゃない。敵に回せば容赦はないが、無暗に力で物事を解決しようとはしない。契約と約束は守る、戦士としては非の打ち所がない男、だ……」

 言ってからシーグルは、驚いた様子のロウに気づいて、思わず一旦口を閉じた。正直なところ自分も驚いていたシーグルだが、その様子を見たロウが、声を上げてまた笑い出した。

「そっか……なぁるほどね、つまりあいつはお前の理想ってか目標でもある訳なのか」
「――あぁ、そうだ」

 シーグルはそれは素直に肯定した。それをはっきりと自覚した。
 憎しみの対象としか見ていなかった時でさえ、セイネリア・クロッセスという男は、シーグルにとって理想の戦士だった。彼のようになりたいと思い、逆に彼のように在れる事を嫉妬した事だって数えきれない。

「それが、『分からない』理由の一つか?」

 とはいえ、そう聞かれれば、また少し違うとシーグルは思う。いや、まったく違う訳ではないが、少し、違うのだ。

「今現在『分からない』のはそれが理由ではないと思う。けれど、最後までただ憎みきれなかったのは、それが原因だったのかもしれない」

 そこでシーグルは、見つめてくるロウの顔から、笑みが全くなくなっているのに気付いた。
 いつもの陽気な彼のイメージにはないほどの、真剣な瞳をただこちらに向けて、ロウは黙っていた。

「ロウ?」

 思わず名を呼んでしまえば、彼は一度目を伏せる。

「……なぁシーグル」

 静かに返された声は、酷く重苦しい響きだった。

「つまるところは、憎んで当然のあの男を、今のお前が憎いって返さないのは、お前にとって理想であるって事と……あとは何だ? そう言えなくなる程の恩でもあるのか? それとも……それだけの想いがあいつにあるとでもいうのか?」

 ロウは目を向けてこない。
 顔を下に向けたまま、彼にしては不気味な程抑揚のない声に、シーグルは一度息を深く吸い込んでから、慎重に言葉を返した。

「分からないが……そのどちらも正解ではあると思う。あいつには返せないだけの大きな借りがある。そして俺には、あいつが俺に向ける感情の強さが理解出来ない、あの何でも手に入る男が、俺に向ける執着の深さが分からない。いやおそらくは……俺には理解出来なくて当然なんだろう、俺にはあの男が分からないんだから」

 それでも、シーグルは自分に関してなら分かっている事がある。言葉で説明できる理屈ではなくて、感覚で察している事がある。
 彼の体温、気配、その匂いに安堵する自分がいる。
 彼に抱かれていて、喜びを感じる部分が自分の中にある。
 彼を受け入れて、全部委ねてしまいたくなる気持ちが確かにある。

 けれども、もし、全ての立場を捨てて、それらの感情に従ったのなら――自分は自分でなくなってしまう事もシーグルには分かっていた。
 強すぎる男の傍にいて、彼を全て受け入れたら、きっと自分は弱くなる。彼の傍でしか生きられなくなる。そのくらいに、あの男の強さは圧倒的で、彼が自分に向ける感情は深すぎる。

 考えただけで、ぞっとする。それが、シーグルがあの男の想いを怖いと感じる理由だった。

 弱くなった自分は自分ではなくて、それだけは許せなくて――だからどこまでいっても、たとえ自分が彼をどう思っているかその答えが見つかったとしても……もし、愛していたのだとしても――結論は、彼を拒むしかない。自分を放棄する気がない限りは、彼に全てを明け渡す訳にはいかない。それはずっと前から出ている、変わらない結論だった。

「まぁそりゃそうだな、あんな男、常識的な考え方で理解出来はしないよな」

 一瞬、思考の中に落ちていた意識を目の前に向けると、ロウがいつも通り笑っていた。

「ったく、あんな得体の知れない化けモン、危なすぎて近づきたくはねぇな」

 おどけたような口調に釣られて笑ってしまったシーグルは、そこで今まで、自分の顔が相当に強張っていたことに気付いた。

「その点俺は分かりやすいぞ。自分の性格の単純明快さには自信がある。……それに結構分を弁えてるんだぜ」

 そう言ってウインクをしてみせたロウだが、その笑みは僅かに翳る。

「例えば――俺は、お前の事を好きだけど、お前の全部を欲しいなんて言わねぇし、ただ一時だけでもお前と想いを通じ合えれば満足だ。気ぃ張ってしんどそうにしてるお前をさ、馬鹿いって、ちょっと気を紛らわせて包んでやって安堵させてやれる、そんな存在になりたいんだ」

 話しながら、ロウの笑みが寂しそうに歪んでいく。最後には完全に笑みが消えて、彼は泣きそうな瞳でじっとシーグルを見つめた。

「それは……今でも十分、お前の存在は俺にとって支えになってる」

 だがそう返した言葉を、ロウは首を振って否定した。

「違うな……俺はもっと……お前の中の深い部分を支えたいんだ。まぁでも……それが出来ないのは全部自分の実力不足って事も分かってるんだよ」
「おいロウっ」

 今度は一歩、シーグルが彼に近づく。
 すると突然、予期せず伸びてきたロウの手が、シーグルの両肩を掴んでを引き寄せた。
 あまりにも予想出来なかった事態に、シーグルは本気で抵抗するのも忘れてすんなり彼の腕に抱き込まれてしまう。
 そうして、シーグルの耳元で、彼が嬉しそうに笑った。

「うっわ、初めてお前にふい打ち成功だな。んー、やっぱお前っていい匂いすんなぁ」

 抱きしめられて、首元に摺り寄せるように顔を埋められて、あっけにとられ過ぎて固まっていたシーグルは、じわじわと事態を理解するとともに顔を赤く染めていった。

「おいロウっ、離せっ、何してるんだっ」
「んー、好きだぜシーグル。このまま抱き上げてベッドまで連れて行きたいくらいに」
「冗談はよせ、早く離せっ」
「せめてもうちっとだけ、感触と匂いを味あわせてくれよ」
「ふざけるなっ」

 流石に怒ってシーグルが暴れ出す。
 すると急に、シーグルをきつく抱きしめていたロウの腕から力が抜ける。

「だから今度はちゃんと強くなるからさ。せめて奴を一発くらいはぶん殴れるくらいに」

 耳元でそう囁いて、ロウは体を離した。
 再びシーグルは、また一瞬、驚いて反応出来なかった。

 けれども今度は、もっと別のところから声がして話が終わる。

「おい、貴様っ、隊長に何してるんだっ」

 それがシェルサの声だと理解した時には、ロウは目の前から逃げ出して、シェルサと追いかけっこを始めていた。だからシーグルは、今のロウの言葉の真意を聞く事は出来なくなった。

「待て貴様っ、今日こそは俺が、その身の程知らずさを思い知らせてやるっ」
「なんだよ、お前相手なら俺のが強いね。思い知らされるのはそっちの方だな」
「よしその言葉覚えておけよ。さっさと構えろ、隊長の前でみっともなく地面に転がしてやるっ」
「おー、出来るモンならやってみな」

 楽し気にシェルサをからかうロウの顔は、今までとやはり違うとシーグルは思う。
 何が彼にあったのかは分からない。けれども、何かがあって、彼は前より強くなった。単純な剣の腕ではなく、内面的な部分で、きっと、彼は前よりも強くなった。

 自分も、強くならなくてはならない。
 心も体も、もっと強くならなくてはならない。
 強くならなければ、自分を支えてくれた人たちに返す事が出来ないのだから。
 強くなければ、あの男の前に立てないのだから。

「ロウ、終わったら今度は俺とも頼む」

 シェルサと向き合って構えている友人にそういえば、彼はいつも通り、笑顔で了承の返事を返した。



END.

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やっとこさ、この話も終わりです。
シーグルも、結局は自分の気持ちをある程度分かってはいるけど、それを認める事を自分に許してないって感じでしょうか。



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