騎士団狂想曲





  【6】



 役付きの貴族騎士にとって、執務室と呼ばれる場所は単なる騎士団内のプライベートルームであって、名前通りに仕事をする部屋ではない場合が多い。ただし、シーグルの場合は、名前通りに正しい意味で執務室として使われている、という事は言うまでもない。
 午後の休憩からシーグルが部屋に帰ってくると、机の上には仕事の重要度別に書類が分けておかれていて、すぐに仕事に取りかかれる状態になっていた。
 だからシーグルが椅子に座って、キールと一言二言言葉を交わすと、後はひたすら無言で部屋は作業音だけになる。
 事務仕事中のシーグルは仕事の事以外で喋る事はない。できるだけ早く終わらせて訓練の方にいく為とはいえ、その無駄のなさには実はキールの方が内心で音をあげていた。
 だからやっと仕事が終わって、シーグルが大きく息を吐いたのを見ると、待っていたようにキールは自分の机の上に頭を落とした。
 
「はー、疲れましたねぇ」

 と、キールがぐったりと机でへたっている中、シーグルは立ち上がると部屋を出ていこうとする。

「おや、どちらへ?」
「記入が済んだら、俺自身が直でもってこいという指定つきの書類があったんだ。ついでに皆の様子を見てくる、遅くなったら先に帰っていても……」

 だが、そこまで言ったシーグルの言葉は、がばりと頭を起こしたキールに遮られる。

「それは、誰に持ってくんですか?」

 あのキールのそんな素早い反応というだけでも驚けるのに、彼の顔と声の真剣さにシーグルはかなり驚いた。
 驚きすぎて、一瞬、返事が遅れる程に。

「誰ですかっ」
「……リーズガン・イシュティト卿、だが」

 シーグルの言葉に、今度はキールは思い切り苦い顔をする。

「あぁ、あの御仁ですかぁ……なら、少し行く前に注意事項を言っとかないとですねぇ」

 思い切り眉を顰めたまま、彼は軽く目を閉じて、こほんと一つ、芝居がかった咳払いをしてみせる。
 それからじっと睨みつける程の真剣な眼差しで見てくると、シーグルに向けてぴっと指さし、少々もったいつけながら口を開いた。

「まず、いきゃぁわかりますが、絶対にシーグル様とウマが合いません。でも、他の貴族騎士さん達みたくやる気がない無能ってぇ訳でもないんです」
「有能な人物なら、そこまで俺が嫌うという事はないと思うが」

 例え性格に多少難があったとしても、有能に仕事をこなしているような人物なら、シーグルはそれなりに尊敬出来る、と思う。

「えぇまぁ有能っちゃ有能ですよ。そりゃーもう、他人を利用して蹴落としてってぇ策謀を巡らす事に関しちゃとても有能な人物でいらっしゃいますよぉ」

 なるほどと、今度は苦い顔をするのはシーグルの方であった。

「しかも困った事にですねぇ、貴方にとっては思い切り向こうは嫌いなタイプだと思うんですがね、向こうからすっとぉ貴方は思い切り好みのタイプだという事です」
「……どういう事だ?」

 分かったような分かりたくないような。とても嫌な予感がして聞き返せば、キールは椅子から立ち上がって尚もシーグルの顔をじっと見る。

「つまりですねぇ、あの人のとこにいくってぇ事は貴方の貞操の危機だってぇ事ですよぉ」
「貞操……」

 シーグルはめまいさえしてきそうで、思わず目頭を押さえた。キールは立ち上がったまま今度は席を離れ、シーグルに迫るように歩いてくる。

「いいですか、現状は向こうの方がここでの地位が高いんでちょっとアレな事言ってくるかもしれませんが、真面目に上官だからってぇ命令をなんでも聞いたらエライ事になりますからね! 貴族としての地位は貴方の方が上なんですから、適当にあしらっちゃってくださいね」

 などと、そんな言葉を見送りに貰ってシーグルは問題の人物の部屋に行ったので、それはもう最初から相当に警戒していったのは仕方ない事だった。

 だが、事前にそういわれたから、というだけでなく、その本人に会えば確かに、キールの言っていた事がすべて納得出来る気がする人物ではあった。

「ふむ、ご苦労。確かに受け取った」

 やっと書類を確認してもらい、それで礼をして帰ろうとすると、やはりというか呼び止められてシーグルは内心うんざりする。
 なにせ、部屋に入ったところで彼付きの文官は席をはずすようにいわれ、ならばそんな重要な話をするのかと思えばどうでもいい世間話を始められて、初っぱなから嫌な空気が漂っていたからだ。
 だからさっさと書類を押しつけて帰ろうとしたのだが、呼び止められては一応足を止めるしかない。

「聞けば君は、部下の訓練にも積極的に参加しているとか。他の者も君のように熱心に部下を鍛えてくれるといいのだが、どうにも最近の貴族騎士は騎士と名乗るのもはばかられるような輩ばかりでね……」

 言いながら席を立ち、ゆっくりと近づいてくるリーズガン。彼の今の地位は参謀部長で、参謀部自体が司令部付きになる為地位はシーグルよりも大分上になる。
 とはいえ、確かに貴族としての地位はシーグルの方が上である。キールの言う通り、上官命令だからと無茶が利くとは彼も思っていないだろう。
 一歩、一歩、近づいてくる度に神経がささくれ立ち、肌がざわつく。まさかそこまであからさまな事をしてはこないだろうと思ったシーグルの予想は見事はずれた。

「しかし本当に細いね、そしてこんなところにいるのが勿体ない程綺麗な顔をしている」

 明らかに色欲を映した瞳でそんな事を近くで言われれば、鳥肌をたてるなというほうが無理な話だ。
 相手を殴ったり、立ち去らないようにするだけでシーグルには精一杯だった。確かに貴族としての地位をもってこの男を殴り倒すなりしてもどうにかはなるが、できればそういう騎士団の規律を貴族の名でないがしろにするようなマネは極力避けたい。
 だからシーグルは、一応はぎりぎりまでは我慢をするつもりであった。

「……けれど、腕は相当にたつという事だったね。君の冒険者時代の噂は聞いているよ」 

 意味ありげな笑みを浮かべて言われれば、身構えると同時に、この男がなにを言いたいのかという疑問が湧く。
 そんなシーグルに、リーズガンは立ち止まっていた位置からふいにすぐ目の前まで近寄ると、シーグルの耳元に顔を寄せて囁いた。

「勿論、君がセイネリア・クロッセスと関係を持っていたという噂もね。君の部下達はずいぶんと君の事を慕っているようじゃないか。そんな話を聞いたら幻滅するかもしれないね」

 それでシーグルはこの男の言いたい事を理解した。したと同時に、湧き起こった苛立ちに本当にもう少しで殴りそうになったぐらいだったが、言いながら触れてこようとしたリーズガンの手を避けて一歩下がり、止める間もなく礼をする。

「それでは、私はこれで退出させて頂きます」

 それから、返事も待たずに廊下への扉へと向かう。上官に対する態度としては相当に失礼なことは分かっているが、シーグルとしてはそれでも最低限どうにか形式だけとはいえ礼を尽くしたつもりである。

「待ちたまえ、先程の件が知られると君は困るのではないかね?」

 シーグルは扉の前で足を止める。そして一度だけ振り返ると、予定通りいかず狼狽えているリーズガンの顔をしっかりと見返して言う。

「どうぞご自由に。その程度、少しでも調べようと思えば簡単に分かることですので、いちいち隠してなどいられません」

 その後、扉をたたきつけるように閉じ……はせず、それは心の中だけに留めて扉を静かに閉めると、そこからは苛立ちのままに大股で訓練場を目指す。
 だがしかし、リーズガンに引き留められていらない話をされた所為で、すでに日は暮れ、訓練場には人がいなくなっていて、シーグルは更に苛立ちを募らせて執務室に帰るしかなくなった。
 この苛立ちのまま家に帰って、カンのいい兄にでも何か聞かれたりはしないだろうかと心配事ばかりが頭に浮かんできて、そのことさえもが更に苛立ちを募らせていく。
 いっそ誰もいないなら、訓練場で一人で少し体を動かして帰るか、なども考え出した頃、苛立ちのまますごい勢いで歩いていたシーグルは、背後から呼ぶ声に気づいて足を止めた。

「あのっ、すいませんっ、シルバスピナ様っ」

 振り返って追いついてきた人物の顔をみても見覚えはない。歳はシーグルより少し上くらいと若く、身なりと言葉遣いからしておそらく一般団員だろうとは思われるがシーグルの隊の者ではない。
 シーグルは基本的には一度会った人物は大抵覚えている方であった。だから面識があるのなら全く覚えがない筈はない、と思うのだが、やはりいくら顔を見ても思い出せなかった。
 相手の方はシーグルに不審な目をじっと向けられて、まずその視線に気後れしているのか、口を開いて何かいいかけては止めて、思い切ってまっすぐこちらを見てきたかと思えば不安そうに視線を外して、酷く緊張しているのは分かるのだが何をしたいのだかが全然分からない。
 暫く待っても、あーだのうーだの唸るような声しか出さない相手に、流石にシーグルも待つのをやめた。

「すまない、用件があるのなら手短に願いたいのだが」

 言えば相手は更に焦って狼狽える。

「あ、あぁぁっ、すまっ、いや、申し訳ありませんっ」

 赤くなったり青くなったり、シーグルの前で一人百面相を展開する男は、よく分からないがその狼狽えぶりと必死さは相当なもので、よく観察すればさっきから何度か何か言ってるようなのだがあまりにも声が小さすぎて聞き取れないだけだというのが分かった。ここまでくると、まるでシーグルの方が彼に何か危害を与えている気分になる。

「とりあえず、所属と名前を教えてくれないだろうか」

 だから、面識はなくても関係者ならそれで分かるだろうとそう聞いてみれば、やっと男はまともに聞き取れる声をあげた。

「そうっ、名前っ、ロウ・アズーリア・セルファン、です。第4予備隊所属、はいいとしてっあのっ、覚えてないかな……やっぱ」

 やはり面識があるらしい、のだが名前を聞いてもシーグルには思い出せない。

「えと、ほら、アズだよ。エーウィズ村の……」

 そこまで言われて、やっとシーグルの頭の中に当てはまる人物が浮かび上がった。
 エーウイズ村は、シーグルが4歳で祖父に引き取られるまで暮らしていた、家族との幸せな記憶を刻んだ場所だった。いくらシーグルでもその歳では近所付き合いをしていた人たちの名もかなりあやふやだが、それでもいくつか覚えている名もある。
 よく遊んでいた村の子供達のリーダーのような少年を、確か皆、アズと呼んでいた。

「村で遊んでた……アズ、か?」

 シーグルが目を凝らして彼の顔を見ながらそう言った途端。

「お、ぉぉぉおおおお、そうっ、そうなんだっ、覚えててくれたかあぁぁあぁぁ」

 ガッツポーズを取りながら吠える目の前の男に、シーグルは目を丸くした。
 喜びなのか、あまりにも気合いを入れて騒ぐ彼には、いくら周りに人がいないとはいえシーグルも恥ずかしくなる。

「分かった、分かったから、少し落ち着いてくれ」
「あ、うん、悪ぃ……じゃなかった、申し訳ありません」

 慌てて言葉遣いを改めようとする彼に、シーグルも思わず笑みを漏らす。

「いや、別に言葉はそのまま普通でいい。上の連中がいる時は形式を守って貰わないとならないが」
「はは、それは確かに」

 薄茶色の髪に気の強そうな真っ黒な瞳、古い記憶を探り当てれば、確かに微かに覚えているガキ大将だった少年と重なるところが見つかる。

「ロウ、という名だったのか。あの頃は皆アズって呼んでたから、それが名だと思ってた」

 だから名を聞いただけではすぐにピンとこなかった。言えば彼は、すっかり緊張の抜けた緩んだ顔で、苦笑いをしながら頭を掻いた。

「あー、いや俺ン家ずーっと狩人でさ。長男は皆ロウって名前を継ぐ事になってんだよ。で、親父やじーさんと名前同じだからさ、村の奴は俺を呼ぶ時はアズって呼ぶ訳だ」
「なるほど」
「べっつに貴族様でもあるまいし、名前を継ぐなんて仰々しい事する方が恥ずかしいんだけどさー」
「いや、いいじゃないか」

 確かにあの辺りの村は敬虔なリパ信徒が多く、他の生き物の命を狩る狩人という職業は特別で世襲制となっていた。今はその風習も大分緩和されたらしいが、昔は本当に許された者しか森で狩りは許されなかったらしい、とシーグルも学んで聞いた事がある。

「でもなぁ、家だけでロウが3人いっから、家ン中でも村でも誰もロウって俺の事呼ばなくてさ、こっち出てきた途端皆からロウって呼ばれるから最初はすごい違和感あったんだぜ」

 聞いたシーグルはまたくすりと笑みを漏らす。

「それは確かに面倒だな」
「だろー。まぁ、そういう事なんで、今は基本ロウって呼ばれてるよ。ロウでもアズでも、お前は好きな方で呼んでくれていいぜ」
「あぁ、では俺もロウと呼ぼう」
「おう、改めてよろしくな」
「あぁ、よろしく」

 出された手を握って返せば、照れくさそうにロウは笑う。
 どうやら先程の一人百面相やら声が出なかったのは本当に緊張の所為だったらしく、今の彼の声が小さすぎて聞こえないという事はなかった。
 思い出せば彼は、活発で面倒見がよくて子供達のリーダーだった訳だから、聞こえない程声が程小さいという事はない筈だったのだが。
 そこまで考えれば、一体彼はさっきはどれくらい緊張していたのかとシーグルもあきれる。
 だから。

「全く、それならそれと、最初から村の名を出せば良かったんだ」

 そう言えば、恨みがましそうな目で口をへの字にして、じっとロウは見つめてくる。

「だってさ……覚えてなかったら、相手は貴族様だし、ふざけんなってエライ目に会う可能性だってあるからさ。……てかそーだよ、なんでお前が貴族様なんだ? 村で一緒に遊んでた奴が貴族なんて思わないだろ、どーゆー事なんだよ? それになんで突然いなくなっちまったんだ?」
「それは……」

 聞かれれば一瞬、表情が曇るのは仕方ないが、今はそれでも笑う事ができる。
 だからシーグルは笑顔のまま彼に告げる。

「いろいろあったんだ。聞きたいなら、その内、ゆっくり話せる時にでも話してやる」
「お、おう、そうだな。10年以上たちゃぁいろいろあるよな」
「あぁ」

 シーグルの笑みをうけて、ロウもにっかりと、本当に嬉しそうに笑う。

「でもまぁ、笑えるって事は、今はいい感じにやってるって事だよな、いろいろあったってさ、それならいいんだ」

 シーグルは一瞬驚きかけて、そしてやはり笑みで返す。

「あぁ、いろいろあったけど……今は大丈夫だ、ありがとう」
「お? おぉぉおお? あ、あぁ良かった良かった」

 ロウはなぜか顔を赤くして、頭をぐしゃぐしゃと掻きながら顔を逸らした。
 その様子はぎこちなさすぎて少し疑問が残ったものの、聞く前に彼が言った言葉で、そんな事を考えている暇もなくなる。

「おっとシーグル、遅くなっちまったな。引き留めて悪かった、俺もそろそろ急いで帰っとかねーと夕飯食いっぱぐれちまう」
「あぁ、そうだな。こっちこそ悪かった」
「いやいや、俺は確認出来てすげーーーほっとした、でさ、その、また今度、な……」

 体はもう殆ど兵舎に向かって回れ右状態なのだが、まだ顔だけは残ってシーグルを心配そうに見つめてくる。そんな彼の様子がおかしくて、軽く吹き出してしまってから、シーグルは改めて彼の顔を見て言ってやる。

「あぁ、また今度ゆっくり話をしよう」

 それでロウは満面の笑みを顔に浮かべ、じゃぁな、と元気よく手を振ると走って行ってしまった。その彼の焦った様子もおかしくて、またシーグルはくすりと鼻を鳴らして笑った。
 だが、離れていって見えなくなる筈の後ろ姿は唐突に止まり、彼はいきなり振り返ると、口に手を添えてシーグルに言ってくる。

「あ、そのシーグルって、前みたく呼び捨てでも……いいかな?」
「勿論だ」

 それで彼はまたその場でぶんぶんと大きく手を振ると、大きな声で叫んだ。

「じゃーな、シーグル」

 シーグルも軽く手を振ってやれば、今度こそ彼は姿が見えなくなるまで走っていってしまう。
 それを見送ってから、シーグルもまた執務室へ向けて歩きだした。

 今日は家に帰ったら、フェゼントに彼の話をしよう。
 自分程ではなくても、フェゼントもロウには何度か会って一緒に遊んだ事がある。ただ、あまりその頃の話をするとラークがふてくされるから、そこそこ程度に留めなくてはならないな、等々、考えていれば自然とシーグルの顔が笑みになる。
 ついさっきまでは気に入らない相手の所為で頭が怒りで一杯になっていたのにと、それに気づいたシーグルはそんな自分にまた笑った。
 これはロウに感謝しなくてはならないな、と思いつつ、シーグルはその日は楽しい気持ちで家路につく事が出来た。




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そんなところで、ロウさんがやっとお目見え。
騎士団編では、この人がシーグルの回りをがんばってちょろちょろします。
上手くいけば後1話でこのエピソードも終る、かな?



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