騎士団狂想曲





  【3】




 朝のセニエティ。
 昼間なら人で犇めく大通りも、今は人影もまばらで、露店の準備をする商人が荷物を下ろしている姿が目立つ。そんな通りを抜けて、シーグルは貴族の館(やかた)が並ぶ東地区に馬を歩かせた。
 並ぶ立派な館達の間を抜けて、シーグルはある建物の門をくぐる。ここは、シルバスピナ家の首都滞在用の館で、今現在シーグルはリシェの屋敷ではなくこの館を住居としていた。

 貴族、その中でも更に特別である旧貴族なら特に、領地にある自分の屋敷とは別に、首都滞在用の館を持っているのが普通である。城に頻繁に赴くようないわゆる宮廷貴族等は、自分の領地に帰ることなく殆ど首都の館で過ごす者も多い。
 シルバスピナの首都の屋敷は、ここ数年は全く使用されておらずずっと放置されていたのだが、元々は騎士団勤めになる場合の主の為の館である、だから騎士団に入ったシーグルがここを使うのは当然ではあった、のだが……。

「シーグル、お帰りなさい、朝ご飯は出来てますから急いで下さいね」

 屋敷に入った途端、エプロンまでしてにこやかにいってくる兄の姿を見て、シーグルは一瞬固まった。

「いや、兄さん、時間がないなら俺は朝は別に……」

 と言えば、腰に手を当てて兄のフェゼントは怒った仕草をした後に、悲しそうにシーグルの顔をじっと見てくる。

「……分かった、食べる」

 兄にそんな顔をされるとシーグルは弱い。
 男で、更に騎士であるのにその外見は死んだ母親にそっくりな兄は、エプロン姿などしているとどうみても女性にしか見えない。その外見で、悲しそうに大きな水色の瞳を歪められると、シーグルに反論の余地はない。

「では、早く来て下さいね、皆待ってますので」

 シーグルの返事を聞いて楽しそうに笑って消えた兄に苦笑しつつ、シーグルは軽く息をつく。
 そうすればくす、と主を迎えに来た使用人の笑みが聞こえて、シーグルは少しだけ気まずそうに口を押さえた。
 気づいた使用人の少女も口を押さえる。
 怒られると思ったのか、怯えるように顔を青くした彼女を見て、シーグルは安心させるように軽く笑みを浮かべてやった。

「俺も兄さんには勝てないんだ。君らの仕事を取る事があるかもしれないけど、兄さんの好きにさせておいてくれ」
「は、はいっ」

 焦った少女はお辞儀をする。
 その前を通り過ぎ、シーグルは着替えの為に自分の部屋へと向かった。

 シーグルがここに住むという事が決まると、食事は自分が作ると言って兄のフェゼントも一緒に来る事になり、そうなれば当然弟のラークも一緒で、結局兄弟全員でここに住む事になった。
 祖父は、フェゼントが屋敷の本館に入る事を許可した後は兄弟達の事に関してあまり何かを言ってくる事はなくなり、今回の件も好きにしろの一言で済んでしまった。もしかしたら、予定よりも早く騎士団入りを決めた所為もあってか、祖父は機嫌が良かったのかもしれないと、後でシーグルは思ったのだが。
 とにかく、屋敷にいる間は建物が別で一緒に住んでいるとは名ばかりだったのが、今は本当に同じ家で住む事になってしまった。おまけにここには祖父がいないとくれば、シーグルであっても少し気がゆるんでしまうのは仕方ない。
 リシェの屋敷にいる時は、使用人達はいつでもシーグルの前では緊張していて、先ほどのように思わず笑みをもらすなどということはあり得なかった。
 それ以前に、使用人達と一緒になって掃除や料理に走り回る兄の所為なのか、どの使用人達もリシェの屋敷とは違って表情が柔らかい気がした。……いや、多分自分の表情が違うのだろうとシーグルは思い直す。
 人の反応というのは鏡のようだ。
 こちらが硬い顔をしていれば、相手も硬い表情で返す。だから自分の表情がここでは柔らかいのだろうとシーグルは思う。

「シーグル、おっせえぇぇぇよ、折角朝の弱い俺が早くおきたんだからさぁっ」

 着替えをすませて食堂にくると、真っ先に聞こえたその声に、シーグルは呆れた笑みを浮かべる。
 兄フェゼントと弟のラークの間の席を陣取って、机をたたいてまで抗議をしている小柄な神官の少年は、家が近いからと言って食事時間には必ずその席に座っていた。

「ウィア、その発言、立場的にすっごくすごくずーずーしいと思うんだけど」

 ラークにそう言われて、髪の毛をポニーテールにした、兄に負けず女の子のような容姿の神官は、その見た目を裏切るようにじとりと目つきを変える。

「俺もお前らの兄弟みたいなもんだろー、ずーずーしいはねーじゃねーか。てかシーグルお前さ、朝はっやく起きて今まで森行って体動かして来たんだろ? なんでそれで腹減らねぇんだよ」
「そうは言われても……いや、別に俺を待たないで食べていてくれて構わないんだが」

 騎士などという体が資本のような仕事をしているのに、シーグルは極端に食が細い。子供の頃の事情によるもので、前は本当に食事を食べる事自体が厳しかったのだが、今はかなり改善されてきてはいる。と、言うか、こうして兄が食事を作ってくれる所為で、どうにか普通の料理がそれなりに食べられるようになったのだが。
 そういう事情もあって、フェゼントはシーグルがこちらの館を使うと言った時に、自分も絶対にこちらにくると言って引かなかった。

「いいえ、そうはいきません。ここの主はシーグルですからね」

 兄にそう言われれば、シーグルはおとなしく席につくしかない。
 元々食事はあまり食べず、ここ数年は携帯用非常食のケルンの実で済ませていた事が多かったシーグルとしては、こうして食事時間にちゃんと食事を取るというのがまだ慣れない。一応冒険者になる前は、食事時間には祖父の監視の元無理矢理食べてはいたのだが、冒険者になって自由に時間を使えるようになってからは、抜いたりやケルンの実で済ます事の方が多くなっていた。
 だが、ずっと互いに誤解したまま不和だった兄弟と和解してからは、こうして兄はシーグルの為に食事を作ってくれて、シーグルも普通に食事を取る事が多くなっていた。食べられない所為で、いつも体力不足に悩まされていた体も、以前よりは少しだけ改善されてきている気がする。

「それにしても……よく食べる」

 いくら食べられるようになったとはいえ、シーグルの食事はこの中では一番量が少ない。
 だからゆっくり食べても一番先に食べ終わるのだが、ほかの者達の食事風景、というよりもウィアの食べている姿を見ると、呆れるやら感心するやらで、何度見ても思わずシーグルは見とれてしまう。

「だってさー、フェズの料理が美味いんだから仕方ないだろっ」

 なにが仕方ないのだろう、とは思いつつ、食べる量も目に止まるが、彼が食べている時の顔が本当に幸せそうなのが一番目を引いた。
 パンをかじり、スプーンの中身を一口すすっては幸せそうに満面の笑みで咀嚼するその姿は、見ているこちらのほうが笑ってしまいそうになる。

「きっとウィアって、食べてる時が一番幸せってタイプだよね」

 ラークの言葉に、その幸せそうな笑顔を一変させて、ウィアは顔を顰めて睨んだ。
 どうやら末の弟は、フェゼントの恋人であるこの神官が気に入らないらしく、よくトゲのある言葉を投げる。それでも、たまに本物の兄弟のように意気投合したりもしているのだから、まだ兄弟達との生活が慣れていないシーグルはよく分からない。

「なにを言う! 一番幸せなのはフェズとベッドで……」
「ウィーアー、朝から何言ってるんですかっ」

 フェゼントが真っ赤な顔で、ウィアの口をあわてて押さえた。
 ウィアはそれでおとなしく食事に戻ったが、腹いせにかスープの入った容器にそのまま口をつけ、ぐっと飲み干してからフェゼントにおかわりを要求した。

「本当に、朝からよくそれだけ食べられるな」

 別にシーグルのその言葉には悪意はない。
 だが。

「ほーんと、小さいのにここの主人の倍以上食べるよね、ウィアは」

 と、ラークに悪意だらけの言葉を付け足されて、ウィアはまた不機嫌に顔をひきつらせる。

「るせえっ、小さいっていうな。いんだよっ、よく食べてればよく育つっていうだろ、俺だってまだまだ……」
「無駄じゃない?」
「んだとぉっ」
「シーグルより食べるのにさ、シーグルより小さくて、おまけに運動だってウィアのがしないじゃん。縦じゃなく横に大きくなりたいなら止めないけどさっ」
「太ってないぞ俺はー」
「でもウィアって顔丸いよね」
「へっ、そばかすのあるガキに言われたくねーなっ」
「ガキってウィアのがガキじゃないかー」

 だが、ウィアとラークが立ち上がってまで口喧嘩を始めようとすれば、さすがにフェゼントが黙っていない。

「ウィア、ラーク。食事を楽しく食べるのはいいですが、席を立ったり怒鳴るのはだめです」

 その声で二人共がしゅんとなって座り込むのは見事としかいいようがない。間違いなく食事時のテーブルでは、一番の権力者はこの館の主である自分よりもフェゼントだろうとシーグルは思う。
 ここに来てから食事時間事に繰り返されるこんな風景を、実はシーグルは食事自体よりもこっそり楽しみしていた。
 家族と離れていた10数年の間、たった一人、貴族の跡取りとして祖父の元で暮らしてきたシーグルにとっては、こんな賑やかな風景がとても楽しくて幸せだと感じる。

「ウィア、そろそろ朝の礼拝の時間じゃないですか? 急いで出ないと」

 突然気づいたように、フェゼントが焦ってウィアに言う。

「えー、だって俺まだこれ食い終わってないしー」
「残った分はお昼にサンドイッチにしますから、まずは礼拝に行ってこないとだめです」
「ちぇー、もちょっと食べたかったのになぁ」
「行かないとウィアの分はお昼作りませんよ?」
「分かったよー」

 こんな風景も最近は見慣れて来て、ウィアが出掛ければ自分もそろそろ時間だと、シーグルは食事を終える祈りをしてから立ち上がった。

「あ、シーグル。そういえば昨日はお昼はどうしたんですか? ちゃんと食べましたか?」
「あ、いや……」

 言われれば、食べなかったかもしれない。と、思いついて、どう返そうかとシーグルが考えていると、それをフェゼントに見透かされたらしく、こちらを睨みつけてくる目に険が入る。

「やっぱり、食べなかったんですね。全く、騎士団に行くようになったらそれが一番心配だったんです」
「……すまない。……でも」
「でも、朝と夜は家で食べてるから問題ない、というのはなしです。少なくても、ちゃんと3食食べるようにしようって約束したじゃないですか」

 シーグルが食べられないという事、その原因が子供の頃一人だけ祖父に引き取られた所為という事と、そのシーグルでもフェゼントが作ったものなら食べられる、という事から、この兄はシーグルの食生活の改善に何か使命感のようなものを感じているらしい。

「分かった、今日は食べるから」

 だが、その言葉だけではフェゼントは許してはくれない。

「では、お昼のサンドイッチはシーグルの分も作りますから届けにいきますね。私も一応騎士ですから、騎士団の中には入れますし」

 にっこりと笑顔を向けて、楽しそう告げた言葉にシーグルは焦る。

「いや、そこまではしないでいいっ、大丈夫、ちゃんと食べるからっ」

 けれどフェゼントの表情は変わらない。
 兄の悲しそうな顔にシーグルは弱いが、兄の笑顔にはもっと逆らえない。

「だめです」

 そうなればシーグルに反論出来る筈がない。
 昼に食事を持ってきて貰うなんて、ピクニック気分なのかといわれそうだが、こと食事に関してはシーグルにはフェゼントに逆らう権利がない。
 だから、楽しそうにテーブルの片づけを手伝うフェゼントを見て、シーグルは困ったように溜め息をつくしかなかった。




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シーグルの兄弟&ウィア達のお話。こんな感じで今は楽しくやってるようです。
前回のキールさんの悪巧み(?)の後どうなったかは、また後で。



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