誰かの為の独奏(ソロ)




  【2】



 なんだか怒った様子で部屋を出て行ったラナだが、彼女は暫くして待機室の方に帰って来たかと思うと、開口一番にすごい勢いで皆にこう聞いてきた。

「ねぇ、隊長って、すっごーく傍にいくとちょっと甘いようないい匂いがすると思わない?」

 その場にいた連中は、また皆で顔を見合わせる。
 ちなみに、今日は前日から相当に雪が降ると警報が出されていたので、彼らは雪かきに駆り出されるの待ちとしてこの部屋にいたのだった。わざわざ外ではなく、部屋で待機となったのは、今日はシーグルの方の会議が早く終って途中から合流する――筈だったからだ。実際は、シーグルが今日中に片付けなくてはならない仕事が出来たとかで、こちらにはこれなくなったと、先程キールが連絡にきたところであった。

「んー、そんな傍に行った事ないからなぁ」
「貴族様だからなぁ、香水でも付けてるんじゃないか」

 その意見には、難しい顔をしたラナが答える。

「違うわよ。隊長は香水つけてないって。でも本当に微かだけど、匂いがするのよ」

 とそこまで言えば、リーメリが眉を寄せながら手を上げて言う。

「あー……分かるかもしれない。気の所為かと思ってたんだが、ちょと甘い匂いがした気がする。本気ですぐ近く行かないと分からないくらいだけどな」

 それに隣にいたウルダも手を上げる。

「あぁうん、そういや俺も。前に隊長の手をとってキスしたら微かにいい匂いがしたな」

 それにはじとりとリーメリがウルダを睨む。その目ははっきり言って怖い、というか妙に二人の間に重い緊張感が漂っていた。
 けれど、それに続いた声が、一旦その空気を払拭した。

「ありゃ隊長の匂いだ。いわゆる体臭だろ。あの人の肌出てるとこに鼻近づけるとほんとーに微かに匂うくらいだ。首のあたりとかに鼻つけりゃすぐ分かるよ。もし香水だったらつけた部分からしか匂わねーから違うだろ」

 アウドの声に、一同は成る程と一度は納得する、のだが。

「肌に鼻近づけるような事があったんかね……アウドはよ。しかも首だってよ、どーゆーシチュエーションかねー」

 楽しそうにローンじぃさんが言うのを、どこかピリピリとした空気を纏ってグスが聞いている。それを見たボレスが、頭を掻きながら、陽気な隊一番の年長じぃさんに言う。

「そこ追及しねーほうがよさそーな気がすんだがー」
「ま、その辺はご想像にお任せしますよ」

 含みのある笑みを浮かべてそう言ったアウドを、とても険悪な空気を纏ったままグスが睨み付ける。それでもアウドは気にする事なく、わざと大仰に手を開いてお辞儀をして返していた。
 ……もちろん、グスの機嫌は更に恐ろしいものになっていったが、ローンじぃさんは喜ぶだけで、バグデンは我関せずと、結局ボレスだけがひやひやする事になった。

「私はてっきり、瑠璃香鳥の香水だと思ったんだけど……」

 ラナがぽつりと呟く。
 その言葉に、ローンじいさんだけが反応し、彼は片眉を上げて少し体を乗り出した。

「おー、あの高級品か。体臭でそんな香りするなら、そりゃぁ、いろいろ悪い虫が引っかかる訳だぁな」

 そうして豪快に掠れた笑い声が出れば、その近くでがっくりとまたグスが頭を抱えて落ち込んでいた。

「いやその言い方は、シャレにならないんだが……」






「明日も朝から会議かぁ……」

 と、ぐったりした様子のエルクアを見て、シーグルもまた苦笑しながら、内心で彼と同じくうんざりしていた。本当に後期の役職組は、ひたすら会議という名の時間を無駄にさせられるという拷問の連続だ、とシーグルは思う。

「シーグル殿は少しやつれたんじゃないですか? だめですよ、ただでさえ食が細いのだから気をつけないと……」
「えぇ……心配を掛けてすみません」

 団に入って一年目だから仕方ないとしても、恐らくこの時期は毎年こんな事態になるのだと考えれば、この程度で苛ついててはいけない、と自分に言い聞かせてはいるのだが……この手の無駄な時間の過ごし方をした事がないシーグルにとっては、精神的なダメージが思った以上に大きかった。

「とりあえず、やっと予定の3分の2は終わった事ですし、あともう少し我慢すれば終わると思えば……」
「そうですね。あともう少しの我慢、ですか」

 それで彼とは別れを告げて、自分の部屋へと帰ろうとしていたシーグルだったが、途中、廊下で見つけた人物を見て、足を止める事になる。

「何の用だ。お前はまだヴァイラ隊と外に行っている筈じゃなかったのか」
「そっちは明日になったんですよ。ですので今日はもうこっちは解散です」

 返事を聞いてシーグルが大きくため息をついたのは、今日もまた、隊の連中の顔を見たのは朝だけかと思ったからだ。

「でまぁ、隊長さんが朝から機嫌悪そうでしたからね、ちょっとご機嫌伺いに待ってました」

 笑顔でそんな事を言った、後期隊では恐らく一番実戦経験がある男――アウドは、ほんの僅かに足を引きずるようにしてこちらに歩いてきた。

「機嫌を伺ってどうしようというんだ。言っておくが、朝以上に機嫌なら最悪だ」
「いや、そりゃ見れば分かりますよ」

 傍まで彼がくれば、体が僅かに緊張するのは仕方ない。
 それでも彼は、今ではちゃんとそれを考慮して、シーグルから少し距離を取ったところで足を止める。足が悪い彼では、腕が届かない距離というだけで、襲おうとしてもシーグルを捕まえられなくなる。

「そーゆー苛々してっときはですね。すっきりさせて差し上げようかと思いまして」

 いい笑顔でそう言ってきた彼のその顔を見て、シーグルは軽く眩暈がしてきて思わず片手で頭を軽く押さえた。

「それを俺が了解すると本気で思っているのか」

 アウドはそれにも明るく答える。

「まぁ、断られるだろうなーとは思ってますよ。でもまぁ、言わなきゃ可能性はゼロですからね。だめもとでも、機会がありゃ誘ってみようと思いまして」

 それで更にシーグルは頭が痛くなる。

「お前、実は俺に嫌われたいのか?」
「まさか」

 アウドは少しだけ傷ついたように苦笑して、だからシーグルも言い方が悪かっただろうかと戸惑う。
 そうすればアウドは、困ったように頭を掻いて、少しシーグルから距離を取った壁によりかかった。

「そんな顔しないでくださいよ。ったく、本当に馬鹿真面目なんですからねぇ、貴方は。……まぁその、正直、俺としては貴方を抱きたい。ですが貴方に嫌われたくはないから、こうしてだめもとで誘うしかない訳です。貴方は嫌なら嫌とおっしゃって下さい。俺は貴方が了承しない限りは、もう、絶対に手は出しませんから」

 その言葉の響きは真剣で、彼が言っているのが口だけの言葉ではなく、信用出来るものだというのは直感的にわかる。
 だからシーグルも彼を怒る気分は失せて、表情から険が取れる。
 アウドはそんなシーグルを見て肩を竦めると、今度は少し表情を明るくして言ってきた。

「ただですね、そういう風に苛ついてるときは、一発ヌくとすっきりするのは本当ですよ。任せてくれるならいくらでも貴方を気持ち良くさせて差し上げますが、人とやるのが嫌なのでしたら、前にも言いましたが、ご自分ですっきりさせるといいと思いますよ」

 にやりと笑って指を差されて、シーグルは目を丸くする。
 けれども、今度は真面目に彼の言葉を考えて顔を顰め、それからまた考えて……考えて、ため息をついた。

「そういう、モノなんだろうか」

 アウドはにかっと笑顔を浮かべる。

「えぇ、体と精神の健康の為にも、我慢しすぎはよくありません。なぁに、男なら皆やってる事ですよ。単なる生理現象です。罪悪感を感じるような事じゃありません。ご不安なら、俺がお手伝いしますがっ」
「いや、それはいい」

 調子にのってきたアウドにはそれで釘を刺したものの、シーグルも考える。
 また誘っているとか言い出される前に対処すべきじゃないのかとか、最近のこの苛々が少しでも解消できるなら、とか。ともかく、それくらいには今の自分の状況をどうにかした方がいいとはシーグルも思っていたのだ。

 また考え込んだシーグルに、アウドは苦笑して壁から離れると、その場で少し伸びをした。

「後はですね、それ以外なら、ちゃぁんとそういうのを解消する相手を作ればいいんですよ」

 シーグルはまた顔を顰めて即答した。

「だから、お前とはそういう事をする気はないと」
「いやいや、男じゃなくて、そういう相手の女性ですよ。隊長殿なら、そういう体だけって納得して付き合ってくれる女性を探す事だって難しくないとは思えますが」

 今度こそシーグルは、本気で驚いて、目を大きく見開いた。
 それから先程よりも険悪に顔を顰めた。

「……馬鹿をいうな、女性相手ならそれこそ体だけは……」

 けれど、アウドの笑顔はそれくらいでは崩れない。

「だーから、そういうとこがウブなんですよ貴方は。あんたは貴族の若様ですからね、結婚は最初から諦める、でも貴方と一時でも恋愛ごっこ出来るなら幸せって女性は結構いると思うんですがね」
「そういうのは……余程相手が割り切れる相手でないと、やはり、悪い」
「あのですねぇ。どーせ、将来は家の都合の相手と結婚するんでしょう。ならその前に、多少は恋愛ごっこを経験しといた方がいいと思うんですがね、俺は」
「別れる事が分かっている恋愛は……相手を不幸にするものだ」
「ほーーーんとに真面目ですね、貴方は」

 アウドは大げさに頭をぼりぼりと掻いてみせた。
 それからシーグルの顔を見て、くるりと踵を返すと、手だけを振って去っていく。

「ま、言いたい事はいいましたので、少しちゃーんと考えてください。相談やお誘いでしたらいつでも受け付けますよ。貴方の場合、女性にもそんな堅苦しく考えるなら、やっぱ男相手のが気楽でいいんじゃないかと思いますけどね」

 言いたいことを言うだけ言って去って行った部下を見て、シーグルは気の抜けたようなため息をついた。
 とはいえ、彼のアドバイス自体は本気なのだろう、とも思って、シーグルはその場で少し考え込んだ。





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次回が一応エロですが、長いのは無理です。許してくださいネタ的に。
あまり期待をせずに、シーグルさんを見守ってやってください。


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