神官は剣に触れられず





  【3】




 西地区の中でも中央地区に近い、大通り沿いの屋敷。
 ただ、そこは屋敷とはいってもかなり古く、辺りの家よりは大きいと言える程度ではあったが。
 それでも、この辺りに住んでいる者達は『ネクステ家の姫屋敷』と呼ぶ建物の、古くはあっても掃除の行き届いた小さな客室で、フェゼントとウィアは目の前に出されたティーカップを見つめていた。

「早く飲まないと冷めるわよ」

 その言葉も何度めか。
 フェゼントは、はい、と返事を返して、だがやはりカップを眺めたまま動かずにいた。
 それに何度目かの溜め息を返したこの家の主である女騎士は、俯いたままの二人に肩を竦めて、窓の外から大通りの風景を眺めた。

「……あのね、私は分かってたわよ。貴方達が何言ったって、あの男がまったく意に介さない事はね。どっちかというと、あの男があそこまで感情的になって言い返した事の方が意外だったわ。てっきり、話を聞いてもただ無視されると思っていたから」

 二人は返事を返さない。
 彼女はちらりと彼らに視線を向けて、そしてまたすぐに外へ視線を戻した。

「つまり、あの男も、シーグルの事をただ遊びで手を出してるんじゃないって事ね」
「そんな事分かってる」

 言い返して来たのはウィアだった。
 窓枠に背を預け、彼女は笑みを浮かべて、彼女から見れば子供にしか見えない神官を見つめた。ウィアはその彼女の視線を受けて、バツが悪そうに視線を彷徨わせる。

 ウィアがフェゼントにセイネリアの事を教えた後。

 フェゼントはどうしてもあの黒い騎士に会いたいと言い出した。ウィアは勿論止めたし、セイネリアがどれだけ危険な相手なのかも訴えたが、逆にフェゼントはそれを聞けば聞く程、頑なにあの男に会う事にこだわった。
 今までずっと犠牲にして来たシーグルの為に、それがまるで償いだとでもいうように。だからウィアも折れて、セイネリアに会う方法をヴィセントに相談に行ったのだ。
 前の時と違って『即会いたい』という事ではなかったのもあって、傭兵団へ行かずに彼に会う方法を、何処から調べて来たのか、ヴィセントはすぐにいくつか教えてくれた。その中で出て来たあの鍛冶屋の名前を聞いて、そこへ行くツテがあるとフェゼントが言ったのだ。
 彼が騎士見習い時代に仕えていた女騎士に何度か連れて行って貰った事があると。おそらく彼女に相談すれば、セイネリアが来る日に合わせてそこへ行く事が出来るだろうと。
 そうして、場所が場所であるから彼女本人も付いて来てくれたのだが、最初は部屋の外にいた彼女は、どうにもならない雰囲気を察して、話を終わらせた方がいい、と判断して部屋に入って来たという事だった。

 正直、ウィアはあの時『助かった』と思った。彼女があの時入って来てくれなかったなら、あの気まずい空気のまま、フェゼントはただセイネリアに責められるだけで終わっただろうと予想出来る。

「無駄だとは思ってたけど。……でも、貴方が初めて、自分からシーグルの為に行動を起こしたいって言ったから、協力する事にしたの」

 それで、ウィアはふと疑問に思う。

「あの、さ。ファンレーンさんがフェズのお師さんだって事は聞いたんだけどさ。で、貴女はシーグルの事も結構詳しいみたいなんだけど、どういう関係なんかなって。……いや、言えないような事情があるなら言わなくてもいいんだけどさ」

 彼女と連絡を取って、今日の約束を取り付けたのはフェゼントが一人でやった事だ。だからウィアが彼女に会ったのは今日が初めてだったのだが、フェゼントの師と聞いた割に、彼女がシーグルの事もかなり詳しそうな事を言うのがウィアは気になっていたのだ。
 少しだけ困ったような顔をした彼女は、ちらとフェゼントの顔を見ると、軽く息をついて口を開く。
 だが、それよりも早くウィアの疑問に返事を返したのは、俯いたままのフェゼントの方だった。

「私が、彼女の従者になれるように頼んでくれたのはシーグルだったんです」
「え、そうなのか?」

 驚いて聞き返したウィアに、フェゼントは少しだけ顔を上げて力ない笑顔を返す。
 二人を見ていた女騎士は、顔に苦笑を浮かべて、それに言葉を続けた。

「あのね、シーグルはね、最初彼自身が私に剣を習いたいって言って来たのよ」

 その言葉に、ウィアはまたも驚く。
 フェゼントもそれは初耳だったのか、顔を完全に上げて彼女の顔を見返した。

「私が彼に最初に会ったのは、ちょっとした余興のような競技会に私が出た時ね。試合が終わって出て来た私に、彼はそりゃまぁ礼儀正しく話しかけてきて言って来たのよ、貴女に剣を教えて貰いたいって。自分は力がないから、それを補う為に貴女の戦い方を習いたいって」

 確かに、フェゼントの戦い方を知っているウィアからすれば、師である彼女の戦闘スタイルがどうなのか予想出来る。女性ならではの小柄な体形と劣る腕力を補う為の、相手の力を利用した戦い方。自分の細く、体力のない体にコンプレックスを抱いているシーグルからすれば、彼女に教えを請いたいというのは納得出来る。

「でも、私は断ったの。私に会った時には、あの子はもうちゃんと伝統的な騎士としての正しい型の技術を身につけていたから、自己流の私の戦い方をそこから覚えるとなると今の型を崩してやり直しになるわよって。それにね、確かに細身だったけど、当時で既にあの子は私よりも背があったし、若い男の子ならそこからいくらでも体なんか作れるじゃない。今から自分は力がない、なんて言わずにがんばって体作りなさいって。……まさかね、食べられないなんて知らなかったから」
「あぁ、そりゃ確かに……なぁ」
「ねぇ?」

 苦笑を浮かべて、彼女は肩を竦めて見せる。
 彼女の言い分もまた、もっともな話と言えた。

「それで引き下がった彼なんだけど、それから1年後かな。手紙で、フェゼントの事を頼まれたの。彼は自分よりも小柄で、まだ剣の型も決まりきっていないから、貴女の戦い方を学ぶのが一番合っている筈だって」

 それで、フェゼントを見て、確かに彼なら自分が教えた方が強くなれると思ったから了解した、と彼女は言った。
 フェゼントはある日、シーグルから彼女に会うように言われて、それで会った彼女に従者となって暫く自分に仕えてみないかと言われたという。
 貴族でない者なら、騎士に暫く従者として仕え、その騎士から試験を受けてもいいと許可を貰わないと騎士試験を受けられない決まりだ。だが、従者を取る余裕があるのは大抵貴族の騎士に限られ、その中で、まともに騎士として見習騎士を育てられる程の実力を伴った人物は更に限られる。
 多くの腕に自信のある冒険者達が騎士になりたいと願っても挫折するのは、大抵この条件を満たせないからだった。最近では、金を受け取って試験の許可証を出すような貴族騎士も多く、平民が騎士になるのは金かコネが必要だというのが一般的な認識になっていた。
 それでもあの生真面目なシーグルなら、騎士になりたいと願う兄の為に、ただの名だけではなく、ちゃんと騎士としての技能を身に付けられるようにと考えて彼女に頼んだのだろう。
 そんな彼の考えは、ウィアには手にとるように分かった。
 フェゼントもそれが分かったのか、唇を引き結んで、泣きそうな顔で肩を震わせている。
 師である女騎士は、優しい瞳でそんなフェゼントを見ると、ゆっくりと彼の傍に歩いて来る。

「私ね、フェゼントがシーグルのお兄さんだって、ずっと知らなかったのよ」

 震えるフェゼントの肩を軽く叩いてその顔を上げさせると、その向かいにある椅子に彼女は座る。

「シーグルも、この子もずっと教えてくれなかったから。ただね、この子は何時もシーグルの名前を出すと辛そうな顔をして何も言わなくなったから、私、シーグル本人に聞いたの。……彼は、あの綺麗な顔に作り物みたいなそりゃもうかたーい無表情を張り付けてね、フェゼントは自分の兄だけれど、自分は弟と呼ばれる資格はないって言ったわ。彼を兄と呼ぶ事は許されてないって。私はこの子の性格を知っていたから、そんな事はないって思った、そしてこの子にも問いただした」

 そして彼女は椅子に深く腰掛け、そこで深い溜め息を漏らした。

「それで詳しい事情を聞いたけど、その時のフェゼントには、私は何も言わなかった。……だって、これは他人に言われて行動を起こすようじゃ意味ない事でしょ? ちゃんと貴方自身が考えて、貴方が決断して、行動に起こさないとならない」

 それはウィアもそう思う。
 だから、彼が自分で決断出来るまで待った。……多少は、待ちきれなくて余分な事をしてはしまった自覚があるが。
 女騎士は、顔に鮮やかな笑顔を浮かべて、優しい瞳でフェゼントを見つめる。

「だからね、貴方が彼の為に行動を起こそうって思ったのが私は嬉しかったの。例え無駄足になったとしても、私に出来る事なら何でもしてあげようって思ったのよ」

 自分の罪に震えているようだったフェゼントが、その彼女の顔を見て顔色が変わる。不必要に緊張していた、その表情の強張りが消えて行く。

「……ねぇ、フェゼント、後は出来るだけ早くシーグルと話をしなさい。自分も辛かったって事を言ってもいいし、彼に恨み言を言ったって構わない。言いたかった事を全部吐き出して、そして彼の話を聞いてあげなさい。貴方がどうしたいか、彼がどうしたいか、お互いにちゃんと言って、それから二人で結論を出しなさい」
「彼に、恨み事だなんてとんでもない、彼には謝らなくてはならない事ばかりです、私は……」

 だが、彼女の言葉に、驚くようにそう返したフェゼントの顔を見て、母親のように優しげな笑みを浮かべていた女騎士はその笑みを収めて、真剣な瞳で彼を見返した。

「フェゼント、確かに貴方は謝るべきかもしれない。でも、彼は貴方に謝って欲しいのかしら? 彼の望みはそんな事かしら?」

 それに、フェゼントは言葉を返せなかった。
 ウィアも、彼女の言葉の意味が分からなかった。

「さぁ、後は自分でよく考えなさい。もしまた、私の力が必要だったら何時でも言って頂戴。……でも出来れば、次はシーグルと二人で、仲直りしましたって笑って言いに来てくれる事を願ってるわ」

 再び優しい笑顔を浮かべた女騎士に促されて、二人はその館を後にした。









 「――……とはいえ、あの男が絡んでるんじゃ、難しいわね」

 明らかに表情を曇らせて、去って行く弟子とその恋人の二人を窓から見下ろして、女騎士は溜め息交じりに呟いた。
 フェゼントを勇気付ける為に後押しする言葉だけを笑顔で言ってやったものの、そう簡単な話ではないと彼女は思っていた。
 これが、彼が自分の元にいたあの当時であれば、恐らくちゃんと面と向かって話し合いさえすれば、あの二人は簡単に和解出来た筈だった。
 だが、今はあのセイネリアが絡んでいる。
 彼女も、騎士団を辞めた後、上級冒険者として仕事をしていたのもあって、セイネリアとシーグルの噂は耳に入ってきていた。ただ、噂だけでは、セイネリアはシーグルを揶揄って遊んでいるのだと思ったし、最終的には彼が飽きて終るだろうと思っていたのだ。シーグルは彼に狙われた時点で酷な目にあっているかもしれないが、それでも正式な旧貴族の跡取である彼を、いくらセイネリアでも取り返しがつかないような事にまでは出来まいと思っていた。いや、そうであって欲しいと願っていた。

 けれど、あの鍛冶屋で見たセイネリアを見て、彼女は確信出来てしまった。

 あの、誰よりも強く、手段を選ばない男が、本気でシーグルに感情面で執着しているという事を。あの男の噂、騎士団で見かけた彼の顔、どれを取っても、シーグルの事を話す時の彼とは結びつかない。怒りを露わにしてフェゼントを責める彼の姿を、彼女は正直最初は信じられなかった。

 もし、あの男が本気でシーグルを自分のものにしようとするのなら、どんな手段を使っても――シーグルがどうなっても、彼は自分の望みを果たすだろう。あの大人しい少女のような兄騎士に、シーグルを渡してくれはしないだろう。
 そう考えれば、彼女は背筋に冷たいものを感じる事しか出来ない。

 ――なんで、彼は、そんなにも辛い目にばかり会うのだろうか。

 ファンレーンは、まだ、シーグルに関して、フェゼントに話していない事がある。
 絶対に、話してはいけない、話す気はない事ではあるが。

 最初にシーグルにあった時からすぐ、彼女は彼に興味を持った。
 綺麗で、旧貴族の家を継ぐのも決っていて、そのクセ最近の軟弱貴族騎士と違ってちゃんと努力しているだけの実力もあって。最高の教育と何不自由ない環境の中育って、誰からも非の打ちようがない本物の騎士になるべき者。なのに、まるで人形のように感情も望みも押し殺しているような雰囲気のシーグルを、彼の申し出は断ったものの、彼女はその彼に向く興味を抑えられなかった。
 流石に、ヘタをすれば親と子に近いくらい年齢の離れている彼に、恋愛的な意味での興味を彼女が持った事はない。だが、全てを持っているようで何も持っていない、そんな印象を受けた、まだ当時は少年だった彼を彼女は放っておけなかった。
 いつでも背を伸ばして、真っ直ぐ、堂々と立つ彼が、実はまだ親の温もりを欲しがっている子供である事も、彼女は早くから気付いていた。

 彼女はこの歳で結婚をしてないが、人を愛して、その相手の子を身篭った事はあった。……ただ、子供は無事生まれる事は出来ず、その男とも結局別れてしまったのだが。

 だから、表面上は誰よりも騎士らしく振舞っていた少年の、満たされていない子供の心が見ていて不憫で仕方がなかった。無表情の中に閉じ込めた、親からの愛情に飢えているその瞳に、生まれてこなかった自分の子供を彼女は重ねて見てしまっていたのだろう。
 そうして彼女は、正式に自分の剣を教えはしなかったもののその理論くらいは教えると言って、度々彼に会いに来るように声を掛けた。
 少しづつ彼も打ち解けてはくれたものの、それでも決して、鉄の扉に仕舞いこんだ子供のままの心を、彼が彼女に打ち明けてくれる事はなかった。
 シーグルにとっての彼女は、あくまで尊敬すべき先輩騎士、それ以外の何者でもなかった。

 結局、彼の子供の心を満たしてあげたいと願う彼女は、けれどもそれを諦めた。
 だから、せめてと、彼に他人の肌の温もりを教えた。

 フェゼントを従者にしてやって欲しいと言って来た彼に、冗談めかして、彼女は自分と寝てくれたら、と言ってみた。勿論、嫌なら断って構わないし、断ってもちゃんとフェゼントを従者にすると言った上で。

『それが、貴女に、何の得があるのですか?』
『ただの興味本位よ。貴方みたいな綺麗な坊やと寝てみたら楽しそうかなって』
『なんの関係もない男と寝る事は、女性側には不利益しかない筈です』
『そうね、だから私がいいって言ってるからいいのよ。大丈夫、この歳で生娘とか言ったりもしないし、私ね、子供出来る事もない体だから。貴方と関係があったって他言する気もないし、貴方の事を好きだとか言い出したりもしないわ。ただ単に、こうして一人でいるとね、たまに人肌が恋しくなるから、その相手をして欲しいなって話よ。折角なら、相手は貴方みたいな綺麗な子だと楽しいじゃない?』

 生真面目な少年は乗り気ではなかったものの、それでも彼が首を縦に振ったのは、人肌が恋しいといった彼女に同情したのだと思う。

 それから一度も、ファンレーンはシーグルに会っていない。
 あの孤独な少年は、今でも子供の心を殺したまま、一人ぼっちで、背筋を伸ばして誰にも弱味を見せずに立っていようとしているのだろうか。誰か、彼の孤独な心を支える人はいるのだろうか。

 ……そしてあの男は、シーグルをどうしたいと思っているのだろうか。





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こっそりシーグルさんの女性関係の話が入ってました|・・)。

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