神官は剣に触れられず





  【2】




「……兄、か。それは、俺よりも先にあいつに言ってやるべきなんじゃないか?」

 明らかに動揺を見せて、金髪に近い薄茶色の髪の青年は表情を強張らせた。

「彼が、それを望んでくれるのなら、その通り……です」

 その言葉をセイネリアは鼻で笑う。

「なら確認すればいいだろう、お前は何時でもあいつに聞けた筈だ」
「フェズにも事情があったんだよっ。それにっ、今シーグルの奴はどこか行ってばかりで、フェズは会って話す事が出来ないでいるんだっ」

 ウィアが擁護に割って入るが、無表情の中、唯一怒りを灯す琥珀の瞳はフェゼントを見たままで動こうとはしなかった。

「事情か……臆病者の言い訳だな」

 フェゼントの顔が泣きそうな程歪んで下を向く。

「そうです、私は臆病者です。何でも持っているように見えた彼へ嫉妬して、酷い言葉で彼を傷付けました。なのに、自分の罪が怖くて、ずっと彼に謝れもしなかった」
「あいつにとっては、お前の方が、あいつの欲しいものを何でも持っているように見えただろうな」

 シーグルが欲しがっていたのは、本当は強さや力などではない。失われた家族の温もりだ。それを取り戻す為に、強くなる事に縋っただけだ、それを、セイネリアは知っている。

「彼は強いから……私は彼の強さに甘えて、ずっと逃げていたんです」
「あいつが、強いだと?」

 セイネリアは吐き捨てるように言う。
 表情も、口調も、冷静を保ったまま、けれどもその声は聞いている二人が背筋を凍らせる程の冷たい怒気をはらんでいた。

「……お前は、自分の弟の事をどれだけ知っている?」

 フェゼントが顔を上げて、目を見開く。
 セイネリアは、その彼の、シーグルよりもずっと明るい青の瞳をじっと見据える。

「あいつが、お前の為にどれだけ傷ついて、自分を切り売りしていたか、お前はどれだけ知っているというんだ?」

 差し伸べられた手を全て拒絶して、ただ自分の力だけに縋っていた彼は、今、その自分の力の無力さと無意味さに打ちひしがれている。どれだけ大切で、抱き締めて守りたいと願ってセイネリアが手を伸ばしても、その手は彼を更に壊すだけで、決して受け入れられるどころか差し伸べる事自身許されない。今にも壊れそうな彼を助ける手をセイネリアは持たない。
 なのに、その彼が今、唯一、無条件で受け入れる手をこの青年は持っている。どんなに願ってもセイネリアが手に入れられないその手を、彼は持っている。

「私は何も知りませんでした。何も知ろうとしなかった。だから……今、彼の為に出来る事をしようと思ったんです」
「それで、俺に会いに来たと?」
「そうです」

 明らかにセイネリアの怒気に怯えながら、それでも目の前の青年は真っ直ぐに琥珀の瞳を睨み返した。
 その顔が、一瞬だけシーグルの顔と重なって、セイネリアは唇に自嘲を浮かべて目を伏せる。

「貴方に、頼みがあります」

 この青年が何を言いたいか、セイネリアには分かっていた。

「シーグルから離れて下さい。もう彼に会わないで下さい」

 分かっている、聞かなくても、そんな事は分かっている。

「貴方が……彼の為を思うの、なら」

 セイネリアは細めていた目を見開く。
 それから、一度だけぎりと歯を噛み締めて、再び目を伏せる。

「……お前は、遅過ぎた」

 感情が一切ない声でセイネリアが言えば、びくりと、長い髪の騎士は体を震わせた。

「あいつの事を思うのなら、何故、もっと早く行動しなかった。何故、今まであいつと話そうとしなかった。それだけであいつは救われたのに、何故、あいつが強いなどと思い込んで、あいつが傷ついているのに見ない振りをしていた」

 言われた青年は下を向く。
 小刻みに震えている様は憐れでさえあったが、セイネリアの中には苛立ちしか生まなかった。

「そうです、私が全て悪いんです……」
「今更そんな事を言ったところで、過ぎた時は戻らん。終わった事は覆りはしない」

 そこで、今まで黙っていた神官が身を乗り出した。

「シーグルに、何か、あったのか?」

 話し始めから、初めてセイネリアの瞳がウィアの顔を見る。

「さぁな。俺から言う気はない。あいつに会えば分かるだろうよ。今のあいつの目を見れば、それだけで後悔出来る事請け合いだぞ」

 唇に嘲笑を浮かべ、だが目だけは昏い怒りを浮かべたままで、セイネリアは喉を震わせて笑う。
 シーグルの兄である華奢な騎士は、顔を下に向けたまま、体の震えが益々酷くなって行く。その姿を見るセイネリアの瞳には、彼自身でも自覚する事なく、怒りというよりも憎しみが浮かんでいた。
 ウィアは、震えるフェゼントの様子にうろたえながら、それでもセイネリアを睨もうとして、だが、反論する言葉も思い付かないのか、フェゼントとセイネリアの顔を交互に見る事しか出来なかった。

 けれども、その緊迫した無言の時間は、唐突に、明るい声で打ち切られる事になった。

「はーい、セイネリア、久しぶりね。可愛い坊やをいじめるなんて、相変わらず意地の悪い男ねぇ」

 じっとフェゼントを見ていたセイネリアが、少しだけ眉根を曲げて視線をその声に向ける。

「フェゼント、もうちょっとちゃんとしなさい、……って言っても、相手がこれじゃ流石にかわいそうだけど」

 部屋の中へ入って来た女は、言いながらフェゼントの側に来て、俯く彼の頭を軽く抱き締めた。

「ファンレーンか、そいつらと知り合いなのか?」

 女性ながら、その格好から一目で剣で戦う冒険者と分かる彼女は、甲冑に覆われた胸に、彼女よりも10以上年下の青年の顔を押し付けながらセイネリアに笑い掛ける。

「あら、私この子の師ですもの。この子が騎士になる前は、私の従者だったのよ」
「成る程」

 彼女は騎士で、セイネリアは騎士団時代に、話した事は殆どないものの多少彼女と面識があった。女の、男より劣る体格を承知して、相手の力を利用するような剣を振るう彼女を、男に負けまいと意地になって男と同じ事をする他の女騎士よりは余程頭がいいと思った記憶がある。
 この、どう見ても小柄で華奢な騎士の青年が、彼女に剣の指南を受けたというのは理に叶っていると思えた。

「用がそれだけなら、もう失せろ。これ以上話しても、そいつが惨めなだけだ」
「ほんと、嫌な男ねぇ。ほら、フェゼントもう行くわよ、こーんな悪人と貴方じゃ話も通じないわ」

 言いながら、有無を言わさず長い髪の青年を立ち上がらせる女騎士。

「でも、私は、まだ……」

 呟いて、顔を上げようとする青年の頭を抱えるようにして、強引に部屋の外へと連れ出して行く。それを慌てて追いかけるように、神官も部屋の外へでて行くと、セイネリアは一人になった部屋で大きく溜め息を付いた。
 だが。
 溜め息など、何をしているんだと思った後、自分が相当にあの青年に向かって苛立っていたのだと気づく。
 そして。

「あぁ、そうか……」

 呟いた直後に、セイネリアは目の上をその戦士らしい大きな手で覆って、口元を歪めて笑った。

 ――俺は、妬んでいたのか。

 自分が今、一番欲しい、シーグルを救えるその手を持っているあの青年を、羨み、妬んでいたのだと。伸ばしても拒絶されるだけの腕しか持たない自分は、無条件で受け入れられるだろう兄であるあの青年の立場を羨んで、妬ましいと思っていたのだと、セイネリアは自覚する。
 羨ましい、などと思ったのは初めてだった。その所為ですぐには気付かなかった。
 子供の頃、何も持たない価値のない人間だと自分を思っていた時、それでもセイネリアは他人を羨んだ事はなかった。たとえ他人が持つもので欲しいものがあっても、欲しいならば、それを手に入れられるだけの力を手に入れろとしか思えなかった。手に入れられないのなら、自分の価値がそれしかないのだとしか思えなかった。そして実際、セイネリアは、少しでも欲しいものはいつでも手に入れて来た。

 けれど今、本気で心からが欲しいと願うものは、どうやっても手に入れられない。何を代償にしても欲しいと願っても、その方法がないという事しか分からない。

 このところ、セイネリアはたまに思う事がある。

 もし、未だシーグルとの友達ごっこを裏切らずに続けていたなら。彼の信頼を失っていなかったのなら。
 自分は、それでも彼を愛していただろうか。
 彼は、自分の差し伸べた手を素直に受け取ってくれていただろうか。彼を手に入れられなくとも、彼を抱き締める腕くらいは手に入れられていただろうか、と。
 前までの自分ならただ見下していただろう、そんな愚かな事を考える。

 過ぎた時は戻らない。起こった事は覆らない。

 だから、終わった事を考えて、後悔する事は愚か以外の何者でもない。後悔などという言葉、鼻で笑うのが常だった。あの時こうしていたなら、と意味のない仮定をする事など、愚か過ぎて欠片も気持ちが分からなかった。

 けれども今、セイネリアは思う。

 もしも――。
 もしも彼を救える手が、この手であったならば、と。





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セイネリアさんの煮詰まりっぷりが今回のメイン。

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