神官は剣に触れられず




  【10】



「――外の奴らは?」
「途中から何処かへ行ったな。何か分かったか?」
「そうだな、情報については礼を言う」
「礼は払って貰ったがな」
「あぁ、そうだな」

 互いに感情を一切切り捨てた声で、淡々とそれだけのやり取りをする。
 シーグルはセイネリアに背を向け、脱がされた鎧を装備している。その背が示すのはただの拒絶で、行為が終わった後、一度も彼がセイネリアを見る事はなかった。

 早くここから出て行きたいのか、というよりも、セイネリアから早く離れたいのだろう。シーグルが鎧を装備するその動作はやけに急いでいて、いつもきっちり乱れない姿の彼らしくなく、焦るように乱雑に鎧を羽織って行く姿は、セイネリアの心に痛みと虚しさを広げて行くばかりだった。

「ここらはあまり治安が良くない。送って行くか?」
「必要ない」

 ばさりと、急いで身につけただけで雑な格好をマントに隠す事で、彼はすぐに立ち上がる。

「大通りへ出る道は分かるか?」
「分かる。連れて来られた時に、道順は覚えておいた」
「体は?」
「問題ない、……随分と丁寧にされたからな」

 最後の言葉にだけは、一瞬の間と、皮肉めいた響きを乗せて。
 それからすぐに部屋を出ていこうとしたシーグルを、セイネリアは呼び止めた。

「シーグル」

 歩きだそうとしていた彼の足は止まる。
 振り向かないだろうと思ったセイネリアの予想に反して、静かにその顔が振り向いた。
 暗闇の中、あまりにも深い青の瞳は、一瞬その闇に融けて黒い瞳に見える。白い顔の中、ぽっかりと空いてしまった彼の心の穴のように、吸い込まれるような2対の闇が瞳の形をしているようだった。

「……セイネリア。約束だからな、代価としてお前が俺の体を求めるなら、体は差し出す。……だが、体だけだ……心はやらない」

 予想していた言葉は、それでもセイネリアの心に鉛の塊を落とした。
 じっと見つめる闇に融けた瞳が、セイネリアの顔から逸らされて出口を向く。

「もし、少しでもお前が俺の事を考えてくれるというなら、……もう、何も言わないでくれ。俺に体以上を望まないでくれ……お願いだ」

 それからすぐに彼はこの古い廃屋から出ていき、荒れた部屋の中にはセイネリアだけが残される。
 セイネリアは、殆ど月明かりの入らない暗い部屋の中を見つめ、それから顔を手で覆うと、喉を鳴らして笑った。


 ――シーグルの報告をしに来た時に、フユが言っていた。
 『ボス、貴方に会わないとこなら、あの坊やはまだマトモそうに見えますよ』と。
 つまり、シーグルは、自分と会う時に一番不安定になる。おそらく、自分と会う毎に壊れて行っている。
 そう思っても認めたくなかった。まだ、自分が彼を救える可能性はあると思っていた。

 だから、愛している――と。

 言葉を告げるのは、セイネリアにとって最後の手段であり賭けだった。セイネリアの持つ手札を全て明かして、心の全てを彼に曝せば、彼を自分の手で救う事が出来るかもしれない。自分を受け入れてくれはしなくても、彼にこの心さえ伝われば、彼の心を癒せるだけの信頼という腕を取り返す事が出来るかもしれない。
 それは、酷く分の悪い賭けだった。
 いや、頭では、それは負けが確定した賭けである事が分かっていた。自分が彼を助ける事は不可能で、この手は彼を壊す事しか出来ないと。
 けれども、感情はあり得ない可能性に賭けた。道化を演じて彼に一生憎まれるよりも、そのあり得ない可能性に賭ける事を願った。

 だが、結果はどうだ。

 セイネリアは喉を引き攣らせて、ただ笑い声を上げる。
 おそらく――今、セイネリアに出来る彼を救う手段は、彼に会わずに離れる事なのだろう。彼が自分でどうにか立ち直るまで会わずに過ごす事が、彼にとっては一番いい方法なのだろう。
 もしくは、徹底的に彼を傷つけて憎まれてやるか。

 ――結局、俺の手はあいつを救う事は出来ないのか。

 最強と呼ばれ、多くの人間に恐れられるようになり、事実、持て余す程の力を手に入れた今になって、絶対に手に入らないものが出来てしまった。
 それこそが、生まれて初めて心から欲しいと願ったものであるのに、それだけはセイネリアの手に入らない。
 手に入らないだけならまだしも、それが壊れようとしている今、セイネリアにはどう足掻いてもそれを止める手段がない。
 一縷の望みを賭けて彼に想いを告げても、それはやはり、更に彼が壊れて行くのに手を貸す事にしかならない。

 自分の想い――彼に向かうこの感情は、絶対に報われない。絶対に受け入れられるどころか、認めてさえ貰えない。
 それでも、告げた事に後悔はない。既に、限界だった。
 けれど……心は重く、冷たく凍えるだけだった。感情は苦しみ、血を流してのたうち回るだけだった。

 暗い部屋の中、喉だけを震わせてセイネリアは笑う。
 自分でも狂人のようだと思いながら、声を上げて、顔を押さえて笑う。

 セイネリアにとって唯一の愛しい存在の心は、あまりにも遠く、どんなに足掻いても手が届かない。
 目の前にいてさえ、絶望に壊れそうな何よりも愛しいその姿を、優しく抱いてやる事さえこの腕には許されていない。
 たとえこの腕にどれだけの力があっても、どれだけの傷を負っても。彼に対してこの腕は無力過ぎて、手を伸ばして抱き締めれば、更に彼の心は遠のくだけだ。
 やがて、彼の心が完全に世界から逃げて――壊れるまで。
 抱き締めれば、やがて完全に彼を失う事だけが分かっている。
 まるで、今まで手に入れた力と傷つけて来た多くの人間の恨みの代償が、この状況であるようだと。苦しみながら恐れるだけのこの今の状況を、ただセイネリアは無様に受け入れる事しか出来なかった。

「愛している、か」

 ただ拒絶され、相手を傷付ける事しか出来ないこの言葉は、なんと無様で虚しいのだろう。
 暗闇の中、誰もが最強の名に恥じぬと認める男は、泣く変わりに嗚咽のような笑い声を上げる事しか出来なかった。



END
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ラスト4回がメインだった割りに、割りと長くなりましたがエピソード終了です。
セイネリアさんの告白から、徹底的に拒絶される部分が今回の話のメインでした。
ハンパなくセイネリアさんが落ち込んで終了ですが、ここから更にセイネリアさん的には痛い話になっていきます。


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