神官と喧嘩と魔法と酒






  【7】



 神殿の大門を出れば、すぐに係の武装神官がシーグルに恭しく礼をして、彼より格下の神官に預けた剣を取りに行かせた。
 門のすぐ外にある警備小屋は、シーグルの他にも預けた武具を受け取る人々がまばらにやってくる。とはいえ、シーグルのような貴族や地位ある者がここを訪れる事は普通はなく、そういう者達の場合は護衛を連れてやってきて、武器と共に護衛を外に待たせておくのが普通だった。
 シーグルは普段、リシェにある神殿に祈りに行く程度だが、式典などでここを訪れる時は、騎士ではなく貴族としての格好で馬車で来る事になっている。

 剣を受け取って腰に掛けて、少しだけシーグルは安堵した。
 鎧は事務局の方に預けてきたから、そこまで防具なしで歩くのは正直気が休まらないが、ここから事務局までは人通りの多い大通りであるから、流石に危険があるとは思えない。いくら防具がないと言っても剣さえあれば、余程の事態ではない限り、身を守るくらいの自信もあった。

 だが、剣を受け取って人の流れ通りに大通りへの道を歩き出したシーグルは、そこですぐに掛けられた声に、事務局へ真っ直ぐに帰る訳にはいかなくなった。

「よぉ、やっぱここだったんだな。アンタに話があるんだ、クラッソスもいる、ちょっと来てくれないか?」

 男の顔には見覚えがあった。
 シーグルがパーティ登録をしていた者の一人で、実際2度程、大きな仕事の時に一緒だった事もある。そして男が言ったクラッソスという名もまたパーティ登録をしていた者の一人で、そちらの方はこの男よりも一緒に仕事をした回数は多く、知人と言っても差し支えないくらいには面識があった。
 だからシーグルは男に従い、彼の後をついていく事にする。
 だが、その態度や話し方には、何処か胡散臭いものも感じてはいた。それでも、かつて仲間と呼んだ事もある彼らを疑いたくないという思いがシーグルにはあった。特にクラッソスはクルスの紹介で組んだという事もある。

 しかしシーグルは、最初に感じた嫌な感覚が間違いでなかった事を知る――。

 人通りのない、袋小路のような場所に案内されて、そこにいたクラッソスを見た途端、シーグルは溜め息をついた。
 一言で言えば落胆。
 あえて無視していた直感はやはり当たっていた。それが、仲間を信じたいと思ったシーグルの心を失望へと落とす。
 クラッソスは好色な瞳をシーグルに向け、にやついた口元で舌なめずりまでして、その醜い欲の色を隠そうともしていなかった。
 おまけに、最初から剣を抜いて待っているあたり、言い訳のしようもない。仕事を共にした事があっても、実際シーグルは彼の剣捌きをちゃんと見た事はないが、この様子では程度が知れるというものだった。

「よぉ、騎士様、やっぱクルスのとこいくんじゃ、ご自慢の甲冑は着てないみたいだな」
「何の用だ?」

 シーグルは最初から不快を露にしてクラッソスを見る。
 クラッソスは、ただでさえ醜かった顔のにやつきを更に醜く歪めさせて、普段と違い素顔のままのシーグルを、ねめつけるようにじっくりと見ていた。

「やっぱ綺麗だなあんた。それに予想通りほっそい体しやがって、それじゃぁセイネリアの奴にヤられちまうのも仕方ねぇよなぁ」

 ぎり、とシーグルは歯を噛み締めて男への怒りを抑えつける。

「最初に見た時から狙ってたんだぜ。まぁ、クルスの奴にバレたら絶対に貴族院に報告されるし、あんたと仕事仲間ってのはメリットが多かったからな、仲良くお仲間ごっこしてたんだけどさ」

 つまりこの男は、貴族法で処分されるのが怖い程度の雑魚という事だ。
 それならば、神官であるクルスを狙おうとはしないだろう事にだけは安心する。

「それで、仲間ごっこをしなくなったから、俺を呼び出したという訳か。貴族法で裁かれるのが怖いんじゃなかったのか、貴様は」

 最早、仲間などではない。
 声音に相手を馬鹿にする色を隠しもせずシーグルが言えば、男は得意げにそれに返した。

「だってあんたは、自分からレイプされましたって訴えないだろ?」

 シーグルは、男の馬鹿な頭を思って口元に笑みさえ乗せた。

「成る程」

 セイネリアに無理矢理抱かれているのに、あの男が何も罰されていないのは、シーグルが貴族院に訴えていない所為だ。男にレイプされているのを言い出せないのは、男としてのプライドの所為だと、クラッソスは思っているのだろうか。
 確かに、シーグルがセイネリアを訴えないのはプライドの所為だった。
 だが、自分の恥を暴露したくないというそんなプライドの所為ではなく、彼に真っ向からの勝負をして、それで負けてされた事を訴えるなど、そんな卑怯なマネが出来る訳がないという騎士としてのプライドだ。
 こんな阿呆には、それを説明したとしても理解は出来ないだろう。
 シーグルは腰の剣を抜く。
 それを見た男も、シーグルに見せつけるように持っていた剣を構える。
 更にシーグルを連れてきた男の方も、剣を抜いたのが気配でわかった。

「今日はあの馬鹿高価い鎧がないんだからさ、怪我しない為にも大人しくした方がいいんじゃねーかぁ? 俺もあんたには出来るだけ傷つけたくはないしさ」

 シーグルは構えをとり、明らかに男を馬鹿にする為の笑みを浮かべた。

「その心配は無用だ。どうせ貴様の剣など俺に触れる事もない」
「んだとぉ」

 挑発に乗って、勢いのまま剣を振り上げ、突進してくるクラッソス。
 背にしてシーグルより頭一つ、体の幅は倍近くあるいかにも厚い筋肉で覆われた体を持つその男は、大男と言っても過言ではない部類に入る。
 そんな男が大剣を持って振り下ろせば、その威力は恐ろしいと誰もが思うだろう。
 だが、シーグルは構えのまま一歩足を踏み出すと同時に、いとも簡単にその剣を弾き返した。
 剣を弾かれて体勢を崩した男は、すぐにまた剣を振り上げ、今度は全力でシーグルの胴を薙ぐ。
 それもまた、軽々と、然程力を入れたように見えないシーグルの剣に弾かれて、男は事態が理解出来ないとでもいう顔でシーグルから距離を取った。

「ちっ、んなひょろっこい体してこの俺の剣を簡単に弾くとは、この俺よりあいつのが力があるっていうのか?」

 悔しそうに呟く男に、シーグルは呆れたように息を付く。

「力の差じゃない、力だけなら貴様の方がある。単に、貴様の剣の使い方が酷いだけだ」

 今度はシーグルが男に斬りかかる。
 セイネリアと戦う時のように、速い踏み込みさえ必要ない。
 剣を構えたまま距離を詰め、わざと相手が受けられる位置に振り下ろす。
 当然クラッソスは剣を受けるが、シーグルの剣の勢いを殺しきれず、剣を持つ腕の脇が上がる。
 殺し合いであればその隙をつけばそれで終了であるが、シーグルは追撃の剣を振るう事なく、構えたまま一歩引いた。
 男は、大剣を握り締めてどうにか体勢を整える。だが、その顔からは最初のような汚らわしい色欲の笑みは失せ、違いすぎる実力を持った相手への恐怖に怯えていた。

「重いだろ、これがきちんと剣を振った場合の打ち込みだ。お前の剣の振りはただの鉄の棒を振っているのと同じだ。何の為にその剣がその重量のバランスで作られているかも分かってない」

 剣の重心はかなり柄に近い位置にある。
 持ち手側にこれだけ重みがあるのは、重い剣を腕や肩の力だけで振るのではなく、手元の動きでも剣を振る為だ。両手でもった柄を、それぞれ反対方面に力を入れれば、剣は然程の力を込めずとも素早く振れる。
 それを分かっていて尚、自分のスタイルとして力任せに振り回すのならまだしも、この男はただ単に何も分かっていないだけだとシーグルは思う。
 呆れるのも通りこして怒りになる。
 自分の腕力に自信があるからこそ、ちゃんとした鍛錬をしようとせず、ただ力任せに鉄の刃物を振り回しているだけの男。
 つまりこの男は、こんな腕で、見た目だけでシーグルを見下し、組み伏せられると思ったのだ。
 何度かシーグルの戦う姿を見た事さえあった筈なのに、その力量差を計れない程の愚者。……それだけ愚かだからこそ、こんな馬鹿な事を考えたのだろう。

「お前は剣を持つな、ハンマーかメイスでも振り回してろ」
「……馬鹿にしやがって」

 男が顔に恐怖を張り付かせたまま、シーグルに斬りかかってくる。
 当然それを難なく弾き返せば、クノッソスは必死の形相で出鱈目に見た目だけはごつい大剣を振り回す。
 だが、常人が見れば恐ろしいその攻撃は、シーグルにとっては欠片も恐怖を感じさせるものではなかった。
 ほぼ腕の力だけで振り回している剣は、手に重みが逃げて刀身に剣の重量がかかり切れていない、勿論スピードもない。こんな振り方をするのなら、ただの鉄の棒を振っていた方が余程脅威になる。
 それでもまだ、疲れて腕の力に頼れなくなった今の方がマシな振りになっているのが皮肉で、それなりに重量の乗った剣を見て、シーグルは初めて剣で弾く事なく体で躱した。
 振り下ろされた剣は宙を切り、地面を叩いて石畳を僅かに砕く。疲れてきているクノッソスはすぐに剣を持ち上げる事も出来ず、暫く無防備な姿をシーグルの前に晒した。

「剣を使いたいなら何度も振れ、手に馴染み、剣の重みをコントロール出来るようになるまで振れ」

 所詮、この手の男が剣を持っているのは、ただの格好の為だけだろうとシーグルは予想する。冒険者達の多くが剣を好んで使おうとするのは、イメージ的に格好がいいとそれだけの事が多いからだ。

 シーグルは、怒りに再び歯を噛み締める。
 だが今度は、こんな男に見下されたという怒りよりも、これだけの恵まれた体格を持っていて、それを生かす為の鍛錬もせずにこの程度の腕で得意になっているこの男への怒りだった。
 
 いくら体力自慢だとしても、恐怖と、効率の悪い力の入れ方で剣をあれだけ滅茶苦茶に振れば、当然クノッソスは辛うじて剣を構えてはいるものの、斬り掛かってくる事もなく肩で息をしていた。
 シーグルはその深い青の瞳で男を冷ややかに見下す。
 こんな下らない相手を斬る意味はない。
 こんな男、リパの教えに背いてまで殺す価値などない。
 それが分かっていても、怒りに任せ、二度と剣を振れないようにしてやりたくなる。威嚇用に外している軌道から左手の引きの角度を少し変えただけで、速度と重量の乗った鉄の長剣は、腕を斬り落とすまではしなくても、治癒術でも完治出来ないレベルの怪我を負わせられるだろう。

 自分の怠惰と慢心、そして汚らわしい欲のツケを、戦士としての一生を代価として払えばいい。シーグルが手に入れられない、恵まれたその体の優位性を、失くす事で初めて自らの怠慢を後悔すればいい。

 例え剣を振る原理が分かっていても、思う通りの軌道で重量のある剣を振るのはかなりの熟練を要する。てこの原理は少量の力を大きなエネルギーに変えられる代わり、手元の小さな誤差は剣先には大幅な狂いとして現れる。
 それを正確に、速く、強く、打ち込めるようにしたのは、幼い頃から何度も何度も、恵まれない体格をカバーする為に只管剣を振り続けて、最小限の力で剣を振れるようにしてきたシーグルの努力の結果だ。
 こんな男には分からない。
 体重がない、体力がない、その体では力をつけるにも限界がある。
 軽い体で重い長剣を自由に振れるようになるまで、シーグルがどれだけの汗を流し豆を潰したか、この男は想像も出来ないだろう。
 それをたいした努力もせずに嘲笑い、濁った欲望の対象として見てくるこんな男など。

 シーグルは、最早戦意を喪失してただ剣を受けるだけの男へ左右交互から斬りつける。受けさせる事が目的であるから、剣の軌道はわざと単純だ。

 ――ほんの少し、手首の角度をずらすだけで……。

 クラッソスが悲鳴を上げる。
 彼の手にあった大剣は、ついに持っている事が出来ず、弾かれて地面に落ちた。
 だがシーグルの剣は止まらず、男の肩口の空気を斬る。
 耳元で、空気が切り裂かれる鳴りと風圧を感じた男は、頭を抱えてその場に蹲った。
 それから、一息分の間の後、男の後ろにあった街灯が倒れ落ちる。
 綺麗に斜めの切れ目を残して立てられたポールの上半分が地面へと落ち、転がった蜀台部分がガラガラと耳障りな音を立てた。

「剣を使うなら、その重心を考えて振れるように訓練し直せ。何度も何度も、感覚をつかめるまで振れ。今のままでは、折角の体格と力が生かし切れていない」

 それだけの力があれば、この男が剣をマトモに振れるようになっただけで体力の厳しいシーグルでは受けるだけでもリスクが生じる。軽い体重のシーグルでは、この男に全重量を乗せて打ち込まれただけで完全に受けきる事が出来なくなる。
 体の資質というスタートラインだけなら、この男の方がずっと前にいるのだ。

 シーグルは剣を鞘に納めた。

 この、やるせない程の苦しい怒りは、この男へというよりも、自分の体に対する怒りだった。この男へ向かう感情は、怒りというよりも嫉妬に近いのだとシーグルは自覚する。

 地面で震える無様な大男に背を向ければ、それを見つめるもう一人の男と目が合う。結局、みている事しか出来なかったシーグルをここへ連れてきた男は、悲鳴を上げると、急いで道を開けるように後ずさった。

 自分は何を望んでいたのだろう、とシーグルは思う。
 十五で騎士になり、祖父との約束通り与えられた、冒険者として二十歳までのほんの僅かな自由の時間に、何を望んでいたのかと。
 出来るだけ強くなりたくて、必死に剣を振るい。
 そして、僅かな間だけの仲間を得て、それは一人だった自分を忘れる程に楽しい時間だった。本当に、それだからこそ、この自由の時は大切な時間の筈だった。

 では、今は何が残っているのだろうか。

 仲間と呼べる人達は全ていなくなった。
 強くなる、という目的さえ、体格を技術だけでカバーしきれる限界が見えている。どうやっても勝てない相手、どうにも出来ない状況、そんなものがいくらでもある事が分かってしまった。

 こんな筈ではなかった。
 家の為に生きるだけしかない自分に、与えられた数年だけの自由な時間を、こんな失意と虚無感で過ごす事になる筈はなかった。

 何が、違っていたのか。
 何が、悪かったのか。

 そして、何を望んでいたのだろうか。


END
 >>>> 次のエピソードへ。
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戦闘シーンでちょっと趣味に走りすぎました。
偉そうに薀蓄入ってますが、剣の振り方とか間違いはあるかもです。
次回からは新エピソード、セイネリアと傭兵団関係とシーグルの話です。


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