神官と喧嘩と魔法と酒






  【6】



 参ったな、とテレイズは思った。
 ウィア達が今いる位置は、テレイズの書斎の窓から丁度見える位置だった。
 丸見え、という程ではないが、例え半分しか見えなくても、彼らが何をしているかが分からないテレイズではない。

「あの馬鹿は、本当によく考えないで思ったまま行動するからな……」

 とはいえ、ウィアばかりを責める訳にもいかないか、とテレイズも思う。
 折角リシェに行ってきたのだから、他の資料を当たって頭を整理しておこうとしたテレイズは、ウィアの部屋から出た後、自分の寝室へ帰らずに書斎の方にやってきていた。
 酔っ払い達をヘタに起こすのも面倒だと思い、明かりは手元のランプだけにして、出来るだけ静かに行動していたのが裏目に出たか。
 ウィア達があんな場所で行為をはじめてしまったのも、この窓から明かりが見えなかった所為もあるのだろうと、テレイズは溜め息をついた。

「当の本人は気楽なものだ……」

 テレイズが、こうして黒の剣傭兵団やシルバスピナ家について調べているのは、全てウィアの為だ。

「……まぁ、だからこそウィアな訳だが」

 呟きと共に浮かべた苦笑は、いろいろなものを含んでいた。

 それにしても、と。テレイズは頭を今調べている方へと切り替える。
 こちらの件に関しては、テレイズには頭が痛くなる事しか思い浮かばなかった。

 調べれば調べる程、シルバスピナ家の特殊さと、その危うさが浮き彫りになる。
 今はまだ、そこまで重要視されるような家ではない、と首都の有力貴族達は思っている。見えるカタチでの金や力がないからこその評価だ。

 だが、現実はそうではない。

 直接で動かせる金や戦力がないものの、あの家には強力な後ろ盾がついている。
 国の力ある商人達の殆どが拠点を持つリシェの街、その組合に属する商人達は皆、直接シルバスピナ家の命で動かす権限はないものの、あの家を今のまま存続させる為には協力を惜しまないだろう。
 もし、シルバスピナ家が没落して他の貴族が領主としてやってくれば、今のリシェの法もシステムも全て無い事にされる。領主側にとってはわざと利益にならないようになっているあの街の法を、他の貴族が引き継ぐ事などある筈がない。
 力ある商人達にとっては、何よりそれが一番恐れている事で、だから彼らは、シルバスピナ家にとっては強い味方である。

 とんだ伏兵がいたものだ、とテレイズは思う。

 恐らく、初代当主であったシルバスピナ卿も、まさかここまで平和な世がくるとは思わず、だからここまで商人達が力を付ける事もないと思っていただろう。
 力を持ちすぎないようにしてきた家は、実のところかなりの力を持っている。……シルバスピナ側がその力を使おうとはしなかったとしても、首都の貴族達が気付けば、望まずに権力争いに利用される可能性はある。

 もし、シーグルが当主になったとして、あの生真面目な青年は決して贅沢や権力を望まず家を守ろうとする事は疑いないが、あの外見にセイネリアという誰もが分かりやすい後ろ盾がいるとなれば、今まで通り、平穏に権力の外で家を存続させる事は危うい。
 更に、彼がいい血筋の家の娘と婚姻する事になどなったら、その子供の王位継承順位だって王族外とは言え無視出来ないレベルになる。あの青年の容姿なら、どんな深窓の令嬢でも首を縦に振るだろう事は想像に難くない。

 恐らく、彼が当主になった時、一波乱は避けられない、とテレイズは予想する。
 それに、最愛の弟が巻き込まれないようにしなくてはならない。

「頭が痛いな、これは……」










 首都セニエティに建つリパの大神殿。
 首都にある神殿達の中でも一際規模が大きいこの神殿は、首都とは言っても、入り口に当たる門がセニエティの街から続いているだけで、敷地的には首都の外にあるようなつくりになっている。もし空から街を見れるならば、扇型の街から中央上に少しはみ出しているのが城で、そこから少し東端ではみ出しているのがリパ大神殿だと分かるだろう。
 街の北東から、2階立ての家の高さ程ある門をくぐり、最初にあるのはわざわざ外から水を引き込んで常時清潔な水が流れている広い水場。入れば膝程の高さしかないそれは、来た人間がまず最初に手や足を洗えるようになっている。
 その水場をすぎて、大きく扉を開き訪問者達を誘うのは、神の回廊と呼ばれる広い廊下とその脇に小部屋が並ぶ建物。その廊下を抜けて、一度外へ出てからすぐある大扉をくぐれば大祭壇のある主神殿になる。礼拝はここで行われ、ここには常時、国内のあらゆるところから祈りに来た人々が訪れる。
 また、外には、主神殿を囲むように小さな祠が二十九体あり、これはリパを主神とする三十月神教の他の神々達の像がそれぞれ納められている。一般の人間が行き来するのはまずここまでだった。
 神殿の敷地内には他に、リパの神官学校と、一部の神官達が住んでいる建物があり、更には彼らが耕している畑などもあって、敷地だけでも相当の広さがある。

「もう、大丈夫なのか?」

 シーグルが問えば、神官らしく男としては少し華奢な彼の友人は、心配させまいとするようににこりと笑みを浮かべた。

「はい、わざわざ来てくれてありがとうございます、シーグル。少し気分が優れないだけで、別に病気という訳ではないんですよ」

 椅子をシーグルに勧め、自分は代わりにベッドの上に座る彼は、シーグルが騎士になってすぐに出来た友人で、名はクルス・レスターと言った。孤児で、リパ神殿に拾われて育てられた彼は、神殿内の神官宿舎に住むリパの準神官だ。
 本来なら、育てられた恩そのままに正規神官になる筈だった彼は、シーグルの為に準神官として冒険者になる事を選んだ。……但し、それはシーグルが知らない事だ。
 彼は冒険者になってから、度々シーグルとパーティを組み、いろいろな仕事をこなしてきた。シーグルにとっては、パーティ契約をしている面々の中では、一番古くからの仲間であり、一番多く組んだ一番大切な友人と言えた。

 体調が戻って久しぶりに首都に来たシーグルは、パーティ契約をしていた知人の一人に声を掛けられ、クルスが体調を崩してここのところずっと神殿からでてこない事を聞いた。
 だから見舞いに来たのだが、神殿敷地内では武具に類する物を携帯する事は一切出来ないので、今のシーグルは鎧を着けず剣も門の前で渡した丸腰状態だった。
 素顔のままのシーグルが尋ねて来た時、その所為でクルスはまず大層驚いて、わざわざ鎧を脱いできたシーグルに何度も謝り、見舞いに喜びの言葉を返しながらもその表情は暫くすまなそうに曇ったままだった。
 それでも、話をしていくうちに彼もやっと普段通りに笑顔を取り戻し、神殿での生活の事など、当り障りのない会話に花が咲いた。
 だが、シーグルがここにきたのは、ただ彼を見舞う為だけではなく、彼に別の話があったからだ。そして、それが、彼の表情を再び曇らせるだろう事がシーグルには予想出来ていた。

「なんだか、貴方に会うのはすごく久しぶりな気がします」

 笑うクルスの言う言葉は尤もで、セイネリアと関わるようになってからのシーグルは、パーティ契約をしていた面々ともあまり会う事がなくなり、更にはあの男が自分の物だと公言しだしてからは一切連絡さえもとらないようにしていた。
 自分と関わる事で、彼らをもセイネリアとの件に関わらせないようにしていたのだが、それでも未だパーティー登録がされていれば、関係者と見られても仕方はない。
 だから、シーグルは今日は彼にその事で話があった。

「その事なんだが……クルス、君に会うのはこれで最後だ。俺とのパーティ登録は解除して欲しい」

 クルスは恐ろしい事を聞いたかのように顔を強張らせ、そして泣きそうに眉を寄せながら下を向いた。

「皆に、会って来たんですか?」
「あぁ、ラットに会った。皆からの総意として言われた。もっと早くそうするべきだった、俺はパーティ登録は全て解除する、だから君も手続きをしておいてくれ」

 クルスは顔を上げる。その顔は泣いていない方が不思議なくらいに、顔を顰め、唇が小刻みに震えていた。

「でも、私は、嫌です」

 呟くような小さな声は、か細く震えている。
 彼の言葉を嬉しいと思う反面、だがシーグルにはそれを受け入れる事は出来なかった。

「だめだ。君も俺の立場はわかっていると思う、巻き込みたくない。だからもう、俺との関係は全て切ってくれ」

 クルスの瞳が震えて、シーグルを縋るように見る。
 大きな瞳は少女めいた印象を与える事が多く、長い金髪を後ろで纏めるという髪型の彼は、その容貌も華奢な姿もどこかフェゼントに似ていた。

 彼とは、騎士になったあの日、シーグルが古参騎士達に襲われて逃げ、街の外の小川で体を洗っていた時に出会った。怪我をしているシーグルに、懸命にまだ拙い治癒の術を、自分が暫く立てなくなるくらい気力がなくなるまで掛けつづけてくれた。
 冒険者になってもずっと一人で仕事を受けていたシーグルは、彼と出会う事で他の人間とパーティを組んで仕事をするようになった。
 シルバスピナの家に来てからずっと一人だったシーグルに、初めて出来た友人。本当に大切だからこそ、もう彼とは会わない事を決めていた。

「今までありがとう。会えなくなっても、ずっと君の事は友人だと思う事を許して欲しい。本当は既に会わずにいた方が良かったんだが……どうしても、君には最後にそれだけを言いたかった」

 シーグルは立ち上がる。

「さようなら、クルス」

 それ以上は、彼の顔を見れなかった。
 彼の言葉も聞きたくなかった。
 これ以上、彼に嫌だと言われたら、折れそうになる自分の心を知っていたから。

 閉じた部屋の向こうからは、彼のすすり泣く声が聞こえた。



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