憎しみの剣が鈍る時





  【3】




「それで、あれがアンタが今ご執心のシーグルって訳か」

 嫌味をたっぷり含ませて、エルはセイネリアの傍にあった椅子に腰掛けた。
 何も言わず書類に目を通しているセイネリアの顔をちらりと見て、その顔色の変化を伺うが、特に反応がない事に溜め息を吐く。
 前回、シーグルをこの傭兵団に連れてきた時は、結局エルは一度も彼の姿を見る事はなかった。だから今回こそはと、自ら転送役のクーア神官をつれて迎えにいったのだが、セイネリアはずっと黙ったままで指示として必要な事以外は話そうとはしなかった。
 だからちゃんと話を聞こうと思い立って、帰ってから執務室にまで押しかけてきたのだが、やっぱりセイネリアはエルに必要以上の話をしてはくれなかった。
 元々、この男が雑談などするタイプの人間でないのは知っているが、どうにもエルは妙な違和感を感じて仕方がない。

「確かに顔はアンタが手を出した男の中じゃ一番綺麗だが……ガキだな、相当」
「寝ていると余計そう見える。……実際子供なのは間違いないが」

 セイネリアがやっと言葉を返してきたので、エルは再び主の顔を見たが、やはり彼は平然として書類のチェックをしているだけだ。
 エルはその様子に眉を顰めて、少し考えた後に、頭を掻く。
 その間も、セイネリアが特にこちらに関心を示す様子はない。

 まぁ、確かにセイネリアは今忙しい。それくらいはエルも承知していた。

 このところ、何か他の傭兵団から裏の方で仕事を頼まれたらしく、しかもそれは結構面倒な事のようで、セイネリアは連日夜は何処かに話し合いに出かけている。昼は昼でカリンと打ち合わせをしながら、情報屋の連中が頻繁にここを出入りしている。
 エルは、自分の仕事ではない事まで気を使う気はないから、逆に暇な表の傭兵団稼業の方の仕事だけをし、特に重要事項がない限りはセイネリアに声を掛ける事さえここのところ殆どなかった。
 さらに言えば、どうにも現状のその仕事はセイネリアとしてはかなり不本意なものらしく、このところずっと彼の機嫌が悪かったのも彼と顔を合わせないようにしていた原因だった。

 とはいえ、シーグルの事は、この機会に副長として聞いておきたい事もある。
 そもそも、それだけ忙しい状態のくせに、わざわざこの男本人が出かけてまで連れてきたというなら尚更。

 仕方なくエルは、セイネリアが反応するだろう最後の手札を使う事にする。そもそも、本当はそれを知らせに来たのだが、エルとしてはもう少しその前に雑談ぽく話を振りたかったのだ。

「……ドクターの話じゃ、過労だってよ」

 思った通り、セイネリアの手元が止まり、その顔を上げる。

「っていうか、相当無茶したらしいぞ、あのガキ。何も食わないでずっと体動かしてたみたいで、いわゆるエネルギー残量0状態でぶっ倒れたような状態だってさ」

 セイネリアが不機嫌そうに目を細めたまま、書類を机に置いた。

「……どこまで馬鹿なんだ、アイツは」
「俺もそー思うんだけどね、なんなんだアイツ?」

 不機嫌を行動にしたように、苦々しい顔のままセイネリアはこめかみあたりを人差し指で軽く数度叩く。

「食わないのは、アイツならありえる、が……」

 呟いて、今度は椅子に凭れかかると彼は溜め息をついた。

「慣れている、といっていたからな。前にも何度かやっているんだろう。まったく、アイツはまともに食っている時があるのか」

 腕を組んで分かりやすく苛立ちを表情に出すセイネリアは、エルにとってはかなり珍しい。
 だから実際、エルは少々驚いていた。

「そんな普段から食わないのか、シーグルってのは」
「俺はアイツがミルク以外の食事をしているのを数度しか見た事はない。それも食事制限中の女並の量だ。後は栄養剤の類だな……」
「なんだそりゃ。まぁ、道理で細いとは思ったけど……」

 エルは思う。
 セイネリアの苛立ちは、シーグルがあまりにも馬鹿馬鹿しい理由で倒れた事、つまりそんな行動をとったシーグルに向けてのモノだろう。

 けれども今までならば。

 今までならセイネリアは、いわゆる『お気に入り』がどうなろうと、知らせた後に『そうか』の一言だけで全て済ませてきていた。彼にとっては『お気に入り』達は、壊れたら捨てればいい、ただのおもちゃだった。
 だから、こんなセイネリアの反応は、今までエルが見た事がないものだった。

 つまり、だから、これは。
 セイネリアは、心配をしているのだ。あの、シーグルという騎士の青年を。
 思いついた結論に、エルは思わず声を出していいそうになる。

 ―――こいつが他人を心配だって?

 エルはもう驚くというよりは、嘘だろうと笑いたい気分だった。あまりにも今までの彼を知っているエルとしては思いつかないような言葉だ、『心配』なんて。
 ただ問題は、セイネリアがそれをどこまで自覚しているかだった。
 心配をしている、という事は、相手を失いたくないと思っているという事。つまりそれは、その人物の存在自身に執着しているという事で……そもそも、いくら悪化させたのが自分の責任だったとしても、こんなに手間をかけて部下を呼び出してまで誰かの為に彼が動くなんてのがおかしい。

 ―――ヤバイんじゃないか?

 セイネリア、という男が強く在れる理由。どれだけの敵を作ってもやりたい事を通してこれた理由。
 シーグルという存在の所為で、それが崩れる可能性がある。

 かつて、エルはセイネリアに、シーグルが壊れたらどうするのだと聞いた事がある。
 その時のセイネリアは、壊れるなら仕方がない、といっていた。それは今まで通りのセイネリアのセリフだ。
 だが、もしも今同じ事をセイネリアに聞いたのなら。

 彼はなんと答えるのだろう。

「なぁ、マスター」

 セイネリアが不機嫌そうな顔のまま、エルの顔を見る。

「もし、もしもの仮定だけどさ。あの坊やがただの過労とかじゃなくヤバイ病気かなんかだったって事で、ぶっ倒れたまま二度と目を覚まさなかったら、どうした?」

 セイネリアが不機嫌なだけではない理由で、目を細めた。
 それから口元にゆっくりと自嘲気味の笑みを浮かべ、目を閉じる。

「……気付いたのか?」

 セイネリア自身も気づいているのだ、その事に。

「付き合いだけはそれなりに長いからな」

 何故だか、エルは気づいたこの事実に気が重くなった。
 今まで、セイネリアにもっと『お気に入り』に対してマトモな扱いをしてやれと散々エルはいってきていた。なのに、いざ彼がマトモな感情で人に執着をした事に、何か嫌な予感ばかりがして仕方がなかった。

 ――この男が本気でもし人を愛したりなんかしたら、それは、破滅、なんじゃないか。

 エルは浮かんだその考えに首を振る。
 まだ、今はそこまで考える時ではないのかもしれない。
 だが、一度感じたこの不安感は拭えない。

「もう一度いっとくぞ、マスター」

 エルは椅子から立ち上がって、セイネリアの顔を正面から見据える。

「アイツには深入りしない方がいい。アイツの為にも……アンタの為にも」











 シーグルが目を覚まして最初に見えたのは、見た事があるような、けれどもすぐに思い出せない薄暗い天井だった。

 ――どこだ、ここは?

 急いで起き上がろうとして、背を浮かせただけで、体の重みに耐えられずにそのままベッドに倒れる。体が重く、起き上がるどころか頭を動かす事さえ億劫だった。
 それでも、あたりを見回せば部屋の様子がわかる。かなり明るさを落したランプが照らす部屋の中、その部分部分が、記憶の中で断片的に重なっていく。

 ――まさか。

 意識はまだハッキリとせず、考えがうまくまとまらない。それでもゆっくりと記憶を辿って、そしてなにより気を失う前の事を思い出して……途端、その部屋が誰のものかを理解して、シーグルは表情を強張らせた。

 ――逃げないと。

 ここはセイネリアの部屋だ。
 見覚えがあって当然だった、ここに来たのはついこの間の事なのだから。
 シーグルは気力を振り絞ってもう一度体を起き上がらせた。今度は最初から体が重い事を覚悟しているので、どうにかすぐに倒れこまずには済む。だが、無理を通す程の体力もない今の体は、ベッドから降りようとした時点で床に倒れ落ちた。

「くそ……」

 呟いて、どうにか立ち上がろうとしても、かろうじて腕を動かすのがやっとの状態だった。
 部屋の隅に、自分の装備と思われる鎧が見えて、シーグルはそれに腕を伸ばす。
 その前に、何者かの足が立ちはだかった。

「なーにやってんのさ」

 シーグルが顔を上げると、そこには紫色の髪に紫色の瞳をした、小さな眼鏡を掛けた白衣の男が立っていた。

「無茶する人だって事は聞いてたけどね、がんばるのはまだ無茶がきく程度の体力が残ってる時だけにしてくれないかな。あーぁ、僕の腕力じゃアンタをベッドに戻すだけで大変なんだから。マスターは外出中だしなぁ、ヘタな人をこの部屋には呼べないし。仕方ない、ホーリー、君は足の方持って、とりあえずこの人ベッドに持ち上げよう」

 いいながら肩を掴んできて、思わずシーグルはその手を払いのけた。

「俺に、触る、な」

 ベッドから立ち上がろうとした一連の事で、既にシーグルの息は上がっている。
 白衣の男は肩を竦めると、床に倒れたままのシーグルの傍にしゃがみこんで、その顔を覗き込んでくる。

「はいはい、大人しくしてくれないかな。僕はサーフェス、ここでは医者代わりをやってる。そういう訳で、アンタとしちゃうちのマスターの関係者は信じられないかもしれないけど、僕は医者でアンタは患者。マスターの意図は知らないけど、今僕は医者の立場として君に少しでもよくなって貰うのがお仕事。それ以外の事はしないから、出来たら僕の言う事は聞いてもらいたいんだけどな。アンタだって、今自分がとてもじゃないけど動けない体ってのは分かってるでしょ? だったらとにかく、今は動けるようになるまで回復するのが一番のお仕事じゃないかな?」

 そういって、にっこりと笑顔を浮かべる白衣の男。

「分かったら、とりあえずベッドに戻って。ホーリー、そっち持ってもらっていいかな?」

 言われて、シーグルの足元に、いつからいたのかリパ神官の服装をした金髪の女性がしゃがみこむ。
 そうして再びサーフェスに抱え上げられたのを、今度はシーグルは拒否しなかった。

「じゃ、いくよ、せーの」

 シーグルを二人係りでベッドの上にのせ、上掛けを被せる。
 どうみても力があるように見えない二人に抱え上げられて、シーグルは申し訳ないような情けないような、複雑な気持ちのままに表情を硬くする。

「ふぅ、手間かけさせないでよね。僕たち肉体労働は向いてないんだから」

 言って、疲れたというように、サーフェスはベッドの傍に置いてあった椅子に勢い良く腰かけた。その横に、寄り添うようにホーリーと呼ばれていた神官の女性が立つ。
 シーグルの視線の先を見て、サーフェスがにっこりと笑顔を返した。

「彼女は僕の助手のホーリー。見ての通りリパの準神官。医者の助手の神官ってのは珍しくないだろ? やっぱ応急処置としては、治癒術は便利だからね」

 いいながら、彼はテキパキと持ってきた荷物の中から瓶やら粉やらを取り出して準備を始めた。その間に、神官の女性の方は一度部屋を出て行ったようで、シーグルが気付いた時には彼女の姿は見えなかった。

「熱は来た時よりは下がったようだね。ただ無茶させすぎた後だから、体が重いのは仕方ないと思って。アンタの場合、病気とかじゃないから回復には只管睡眠と栄養。……って事で何か食べれそう?」

 何かを調合しながら、サーフェスが聞いてくる。
 シーグルは、それに僅かに首を振った。
 サーフェスは顔を軽く顰めながら溜め息を吐く。

「……まぁ、マスターがいってた通りか。アンタ食べられない人なんだって? 仕方ないなぁ」

 荷物の中からまたいくつかの箱を取り出して、その中から何かを取り出すと、サーフェスはベッドサイドのテーブルにそれらを並べていく。見れば、広げた紙の上に、粉のような薬らしきモノが乗せられているのと、その傍に1本の小さな小瓶が、たくさんの他の瓶達とは離れてシーグルの傍に置かれていた。

「えーと、これ、こっちの瓶は知ってるよね。前飲んだなら分かってると思うけど、これも含めてただの栄養剤だから。回復したかったらちゃっちゃと飲んでもらえるかな」

 部屋に再び女神官が帰ってきて、シーグルに示した薬の傍に水の入ったコップを置く。つまり、彼女は水を汲みにいっていたのかとシーグルは納得した。

「んじゃこれ飲んで、後は寝とく事。部屋を抜け出そうとかそういうのは、せめてまっすぐ歩けるようになってから考えるように。……あぁそれと。安心しといてよ、君が回復するまでこの部屋はマスター立ち入り禁止にしとくから。病人をまた強姦とかされたら堪らないしね」

 言った後に、でもここはマスターの部屋だけどね、と笑って付け加えたサーフェスは、状況に困惑して大人しくしているシーグルの額に手を当てて熱をみると、持っていた紙に何かを書きこんだ。

「さて、まずは早くコレ飲んじゃって。ホーリー、起き上がるの手伝ってあげてくれる?」

 いわれた通り、起き上がるシーグルの背を女神官が支えてきて、どうにか上体を起こす事が出来た。すかさず用意してあったクッションを背の後ろに置かれて、シーグルは小さな声で、すまない、と呟いた。
 彼女はそれに軽く笑顔を浮かべると、薬がのっている紙と水の入ったコップを差し出してくる。まずはこれを飲めという事だろう。

 そういえば、先程からこの女性は一言も喋っていない。

 疑問には思ったシーグルだったが、他人の事情にどうこういうつもりもないので、特に聞こうとは思わなかった。

「そんじゃ後はちゃんと寝ておいてね。さっき言った通り、アンタに危害加えそうな人間はここ入れないようにしとくから、安心して寝ててくれていいよ」

 出していた道具を荷物の中に入れながら、サーフェスはいう。

「……セイネリアはどういうつもりなんだ?」

 呟くように小さく言われた声を、聞こえたのかサーフェスは手を止めてシーグルの顔を見てくる。

「うん、どういうつもりだろうね。僕にはあの人の考えはよくわからないけどね。一応僕が言われたのは、アンタの容態をみて回復させる事だから。少なくとも、マスターはアンタに回復して貰いたいって思ってるんじゃない?」
「俺を抱く為に……か」

 小声ではあっても、皮肉めいた口調で呟いたシーグルの言葉に、サーフェスは表情を変えない。
 観察するように、静かにシーグルの顔を暫く見た後、再び彼は片づけ作業を続ける。

「それだけだったら、こんな手間掛けさせる人じゃないよ、マスターは。あの人が助けるのは、部下か利用価値のある人間。それでもこんな風に一方的にしてやったりなんかまずしないね。……あぁ、ただの性欲処理の為ってだけでも、アンタを助けたりなんかしないから。それだけが目的だったら、別にアンタじゃなくてもいいんだしね」

 そういって、片づけは済んだのか、荷物の入った鞄を持ち上げると、紫の髪と瞳の男は、お大事に、といって金髪の女神官と共に部屋を出て行った。





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サーフェスさんも結構いろいろ設定ある人ですが、この人の話はBLじゃないのでこの話中では詳しく書く事はないと思います。何があったかくらいはそのうち書くかもですが。現状は訳アリで傭兵団にいる優秀な医者、というくらいに思っててください。次回はセイネリアの過去をちらっと。



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