憎しみの剣が鈍る時
セイネリアの傭兵団とシーグルの事情編





  【1】



 その日は、にわか雨が降っていた。

 彼にしては珍しい早起きをしたセイネリアは、南の森の中でも東の奥、アウグスト山の麓にきていた。
 森だけでなくアウグスト山も、首都から一番近い駆け出し冒険者達の稼ぎ場所としては定番ともいえる場所ではある。だが最近、どこか別のところから場違いな大物が移り住んだらしく、何人かの被害者が出るに至って、冒険者事務局では山に近づかないように注意を呼びかけているところだった。
 勿論、それと同時に上級冒険者達には討伐依頼がいっている訳だが、あまり割のいい相手ではない為、どの人間も実際にいくのを渋っている状態だった。

 その依頼を、シーグルが受けたという情報がセイネリアの元に入ってきたのは昨夜の事だ。

 シーグルでは倒せない、とはセイネリアも思わない。
 ただ、このところのシーグルの依頼の受け方がおかしいという事がセイネリアの耳には入ってきていた。
 最初の頃と違い、今のセイネリアは彼の動向を常に部下に探らせている。しかも、現在シーグルの連絡役になっているのは、情報屋の中でも能力的に相当に信用が置ける男だった。

 シーグルは、セイネリアが開放した後、首都の神官の家から自分の屋敷に帰り、その後は一見今まで通りの生活に戻ったようには見えた。
 だが、それからここ一月弱の彼は仕事の依頼を受けるペースがあまりにも早すぎていて、セイネリアもずっと気には掛かっていたのだ。
 それでも、それまでの依頼程度なら彼が仕損じるとは考えられなかったし、セイネリアが最近大きめの仕事前で忙しかったというのもあり、……そしてセイネリア自身、彼に関して少し自分の頭を冷やす意味もあって、今まではあえて無視していた。
 だが今回の仕事は、セイネリアの元に入っている情報からみて、今までのものよりは数段やっかいな事がわかっている。

 シーグルが通常のコンディションであれば、恐らく手を出すまでの必要はない。だがもし、シーグルの状態が普通でないのなら、彼は失敗するかもしれない。

 ……その考えに胸のざわつきを覚えたセイネリアは、彼が出発したらしいという話を聞いた途端、彼を追いかけて馬を走らせていた。

 正直なところ、セイネリアは自分で自分の行動が気に入らなかった。
 シーグルに何か起こるかもしれないと思った途端、その事以外にロクに思考が回らなくなった自分を、冷静に考えたら馬鹿馬鹿しいとさえ思う。
 だが、感情は思考とは違って、自ら制御をしきれない。
 彼の事を考えると、胸のなかにちりちりと燻るような感覚が生まれる。
 彼の動向の一つ一つに、前以上にいちいち苛立つ自分がいる。
 その理由は既に分かっていて自覚していても、未だにセイネリアは自分の感情を信じられないでいた。

 そう、自分自身でさえ、信じられる筈がなかった。

 あの、セイネリア・クロッセスが、誰かを愛しているなんて事は。









 馬を走らせれば、山の麓まではそこまでかかる距離ではなく、すぐに目的地は見えてくる。
 事務局から流れてきた情報によれば、ターゲットは朝の間は山から下りて、この辺りでエサを取っているという事だった。となれば、斜面が多く足場の悪い山で仕掛けるよりも、麓まで降りてきたところを狙うほうがいいのは誰でも考えつく。

 荒い息を吐く馬を宥めて一度足を止めさせると、セイネリアは辺りの様子を伺う。
 早朝の森の中は鳥達のさえずりがけたたましく周囲に満ちて、遠くまで通っていく風の音が静寂を伝えてくる。霧のような小雨が辺りに乳白色のフィルターを掛けて、視界は普段より悪く、目での距離が計り難い。
 そんな中、僅かに聞こえた音を辿って、セイネリアは馬を静かに歩ませた。

 程なくして、セイネリアは目的の影を見つける。
 馬は何処かに置いてきているのか、たまに光って見える銀色の甲冑姿は確かに彼だった。

 シーグルは大多数の冒険者からの騎士と違い、子供の頃から騎士になる為、正当な訓練を受けて来ている伝統通りの本物の貴族の騎士だ。だから騎馬として戦う事を重視して教育をされている筈ではあるが、大量の雑魚相手ならまだしも、冒険者として仕事をする場合は騎士といっても馬に乗ったまま戦う事はまずない。
 騎士らしい彼の戦い方を見てみたくて遊びで仕掛けて見たりはしたものの、普段の彼は馬に乗ったまま戦う事は稀だった。魔物は人間と違って馬上にまで飛び上がれる程身軽か、大きくて圧倒的な力がある。しかも戦闘になる場所は、大抵洞窟や森、岩場等の馬で走るには不向きな所ばかりだ。
 そんな状況では騎馬の優位性は魔物相手では殆ど通用せず、逆に馬が戦闘不能になって、振り落とされる危険の方が高い。更にいえば彼の得意な戦闘スタイルは、馬に乗って力押しというのとはかけ離れている。文字通り蹴散らせるような雑魚相手ならまだしも、今回の相手にそれはない筈だった。

 だから、シーグルが馬を降りているという事は、つまり、例の化け物がくるといわれているポイントに既に入っているという事だろう。すぐに馬を降りて、セイネリアも森の方に向けて馬を放す。
 シーグルの姿全体がハッキリと目視出来るところまで来ると、ガサリと、わざと音を立てて草を踏みしめ、セイネリアは自分が来た事を彼に知らせる。

 だが、いつもなら確実に気付くだろうその音と気配に、シーグルは振り向く事は無かった。

 セイネリアは不審に思う。
 そして確信する、彼が今何処かおかしい事を。
 それと同時に、何故だか、セイネリアは無性に腹が立ってきた。
 今度は先程よりも大げさに、大股で乱暴に草を踏み分けてシーグルに近づいて行く。苛立つ感情のままに、草を分ける仕草さえ乱雑になる。
 さすがにそこまでの音を出せば、銀色の甲冑の兜がセイネリアを振り返り、そして驚きに一瞬固まってから、彼は落ち着かない様子で辺りを見回し、そして、走り出した。
 獲物が逃げれば、当然、セイネリアは追う。
 本来シーグルが全力で走れば、彼の方が速い筈だった。
 だが今は、セイネリアが急いできた為に鎧をかなり省略したものにしているのに対し、シーグルは大物との戦闘にあわせて重装備にしてきている。魔法による軽量化はされているだろうが、走り難さはどうしようもなく、彼の姿が視界の中でどんどん大きくなっていく。

「待て、シーグル」

 セイネリアは腕を伸ばして、彼の左肩側の大きな肩当を掴む。
 それを無理矢理引き寄せれば、軽い彼の体が簡単に倒れ込みそうになって、セイネリアはそのまま彼を抱きとめた。
 これだけの鎧を着ているのに、妙にふわりとした感触で腕に収まる姿に、セイネリアの苛立ちは益々酷くなる。
 腕の中で、力の入っていない手でセイネリアを押し退けようとしてくる彼を確認すると、無理矢理引き剥がす勢いでセイネリアはシーグルの兜を取り去った。
 兜の中の顔が露になる。
 汗で頬にへばりついた銀色の髪、じっと見据えてくる深い青の瞳は、間違いなくシーグルだ。だが、顔は赤く、息は荒く、瞳さえ少しだけ虚ろになりそうなのを意志で必死に繋ぎとめているその顔は、どうみても何処か具合が悪いのだと分かる。
 その顔を忌々しげに見ながら、セイネリアは右手のグローブを歯で外し、彼の額にその手を当てた。
 シーグルの額は熱かった。
 顔を見ただけで分かってはいたが、彼は今熱がある。

「何をやっているんだ、お前は」

 茶化す事さえせず、セイネリアはいつもよりも弱々しい瞳で睨んでくるシーグルの顔を見据える。
 腕の中のシーグルは、本人でさえ無駄と分かっているだろう、腕でセイネリアの体を押し退けようとして、そして歯を噛み締めると目を逸らした。

「邪魔を……するな」

 セイネリアの眉がピクリと揺れる。

「別にお前の仕事を邪魔しようとは思わんが、勝手に自殺されるのは見過ごす訳にいかないからな」
「……自殺などする気はない」

 明らかにシーグルの声には、その瞳と同様、いつも程の力がない。

「その体調のままで、こんなところにのこのこやって来ているのにか?」
「敵の正体も掴んでいる、大きめのエレメンサだ、何度か戦った事もある、問題ない」
「戦うなとは言わん、その力の入ってない体をどうにかして来てからやれと言ってるんだ」
「この程度なら慣れている」

 セイネリアは、シーグルの顎を掴んで無理矢理自分と視線を合わせた。
 熱に浮かされた青い瞳が、力なく、だが精一杯の意志を込めてこちらを睨んでくる。

「煩い、お前には関係ない」

 セイネリアは、我知らずその言葉に歯を噛み締めた。
 甲冑を着込んだ割りに軽すぎるその体を、強引に、引きずるようにして歩きだす。

「放せっ」

 腕の中で必死に身を捩るシーグルを無視して、今来た道を引き返す。どれだけ彼が暴れたところで、それがセイネリアの行動を阻む事は全くない。体調が万全の時でさえ、抵抗らしい抵抗が出来た事がない彼だが、今の状態では、セイネリアにとってはまるで眠っている人間を運ぶにも等しかった。

「言った筈だ、お前は俺のものだと。……勝手に化け物などに傷つけられてたまるか」

 呟いて、空を見上げる。
 雨は弱いものの未だ止まずに、辺りに水滴を落とし続けている。
 勿論、こうして歩いているセイネリアの体も、そしてもっと前からここにいただろうシーグルの体も、雨に濡れている。

「放せっ、くそっ」

 シーグルの抵抗はセイネリアにとっては何の障害にもならないが、彼にとってはそれが相当の体力を消耗させているのが分かる。更にこの雨、熱のある人間にとっては悪化させる要因ばかりだろう。
 セイネリアは片手で彼を抱いたまま、もう片手で腰にくくりつけてある皮袋に手を伸ばす。そこから小さな宝石を取り出すと、シーグルの目の前に出してそれを彼に見せる。

「放せっ、お前にだけは……」

 暴れていたシーグルの体が、瞬間、力を失ってその全体重をセイネリアに預けた。
 面倒な人間や動物を眠らせる為の魔法を込めた宝石は、普段のシーグルならばこんな簡単に効果を出す事はない筈だった。それだけ彼が体力を消耗させていたのだとは分かるが、では何故彼はこんな無茶をしているのか。それに思い当たる事がないものの、ただ今回の仕事を止めただけで解決するものでもないだろう。
 そう考えて、セイネリアはまた腰の皮袋から別の石を取り出しすと、今度は何か探すように辺りを見回した。そして、傍にあった大岩の窪みの中に出来上がっていた水溜りを見つけると、その中に石を落とす。
 水溜りの水が石を落とした波紋を描き、そしてそれが消えると同時に、ぼんやりと青い髪の人物の姿を映した。

『やっと連絡かよ、突然何処いったんだと……』

 不機嫌な様子のエルに苦笑を返して、セイネリアは腕の中のシーグルを軽く持ち上げる。

「こいつを連れて行く、誰か迎えを寄越せ。後、ドクターにも準備をしておくように言っておけ」
『何だぁ? そいつどうかしたのかよ』
「さぁな、熱があるだけだ」
『……まぁいいや、分かったよ。んで何処にいるんだ?』
「アウグスト山の……裏の小屋に行く。迎えはそっちに寄越せ」
『りょーかい』

 嫌そうに顔を顰める傭兵団副長の顔を最後に、セイネリアは水溜りの中から石を取り出した。
 そうして、少し苦しげに眠っているシーグルの顔を見ると、その体を完全に抱き上げ、自身のマントの中へと、出来るだけ彼の体が雨から隠れるようにしてやる。

「まったく、何をやっているんだろうな……」

 呟きは、多分に自嘲を含んでいた。








「ホントに、何やってるんでしょうかね、らしくないっスよ、ボス」

 ぎりぎりセイネリアの姿が見える程度の場所で、そう呟いた人影は、言ってから、いくらあの男でもさすがに聞き取れないだろうと思って肩を竦めた。

 ――まったく、らしくない。

 それでも、その気持ちがわかる分、他のメンバーが見るよりは、まだここにいるのが自分だったのはマシだったろうとも思う。

 ――確定、なんだろうな。

 フユは、これからの事を考えても悪い事しか思いつかなくて溜め息をついた。
 現在、シーグルの報告役となっているフユだったが、確かに最近の監視対象である彼の様子がおかしい事も、今回の仕事をするには彼の体調が思わしくなさそうな事も分かっていたし報告もしていた。
 だから、何かあったら彼に加勢して助けるくらいのつもりはあったの、だが。
 まさか、セイネリア本人がやってくるとは思わず、これは本当にシーグルという騎士の存在が、あの男にとって致命的な重さを持っている事を実感せずにはいられなかった。

「フユ、俺とシーグルの馬を連れて来い」

 それでもまだ、セイネリアの頭が鈍っていなければいいのだが。
 そう思いながらも、フユは主の声に応えて、その命令を実行する為に行動する。
 直前に、ちらりと見えた主の背中、その表情が分かる筈などないのに、彼が今どんな顔で腕の中の相手を見ているかが想像出来て、フユはその像を思考から消すように軽く頭を振った。








 
 雨が降っている。
 細かい霧雨のような雨は視界を白く濁らせて、水を受けた木々はより一層緑の匂いを濃くする。
 木々に囲まれたアウグスト山の麓、そこにある小屋の傍には二頭の馬。
 そして小屋の中では、黒い甲冑につつまれた男が、鎧を脱がせて眠っている青年をじっと見下ろしていた。

 暖炉からパチパチと火が爆ぜる音がする。
 照らされた銀色の髪の中で、赤い炎の光が踊る。
 その髪を避けて額に手をあて、彼の熱をセイネリアは確認する。
 ピクリと、揺れる瞼。
 うっすらと開かれた深い青色の瞳は、熱の所為か焦点がどこか覚束ない。
 それでもそれがセイネリアの顔を映すと、途端、大きく見開かれて顔全体が強張る。即座に起き上がろうとする体を抑えて、セイネリアは彼に言った。

「大人しく寝ていろ、病人め」

 シーグルは精一杯の虚勢を張ってセイネリアを睨む。
 それを冷ややかに見下ろして、セイネリアは顔を彼のすぐ目の前まで近付けて言葉を続けた。

「どうせそのザマでは俺から逃げられん。もうすぐ迎えがくる、諦めて大人しく寝ていろ」

 だがシーグルは、その言葉を聞くと逆にもがきはじめ、セイネリアの腕を押し退けようとする。セイネリアは僅かに眉を寄せて、腰の袋から先程使った眠らせる魔法の篭った宝石を取り出した。
 しかし、いくら体調が悪くても、2度続けてそんな手に引っ掛かる彼でもない。宝石を押し付ければ目を閉じる彼に、セイネリアは忌々しげに舌打ちした。

「放せっ」

 弱々しい声で、力の入っていない腕で、それでも藻掻く彼にセイネリアは苛立つ。
 セイネリアは再び顔を彼に近付けると、逸らして視線を合わせようとしない彼の耳元に言った。

「いいか、放して大人しく家に帰って寝ると言うならいいが、そうしないだろう、お前は。だから回復するまでこちらで見張って置く事にした。こんな状態でふらふら仕事などしてるお前の自業自得だ、少しでも早く回復する気があるなら寝てろ」

 それでもシーグルは抵抗を止めない。
 セイネリアは自分の体を押し付けて彼の体を押さえつけ、逃げようと藻掻くシーグルの顎を押さえ、顔を無理矢理固定して目を正面から合わせた。
 熱に浮かされて震える青い瞳が、セイネリアを見る。
 一杯に開かれ、悔しさに涙を溜めているその瞳は、焦点が定まらない所為なのか、どこか彼らしくない怯えのようなものが見えた。

「俺を……どうしたいんだ、お前は。全部、お前の所為じゃないか……それで、俺を助けて、また嬲って……どうしたいんだ、俺が藻掻くのが楽しいのか、俺が抵抗する様をみて楽しむ為に助けるのか……」

 セイネリアは一度歯を噛み締め、そしてその唇に笑みを乗せる。
 最初は彼を嗤う笑みを。
 けれどもそれはすぐに自分を嗤うものへと変わる。

「どうしたい、か……」

 それは、セイネリアが自分自身に問いたいくらいだった。
 熱の所為で荒い息を吐く彼に、セイネリアは口付け、そうしてすぐ離す。
 驚きに見開かれる青い瞳を目を細めて見つめれば、呆けて一瞬抵抗を忘れていたシーグルが、急に我に帰ったかのようにまた暴れだした。

「くそ、放せっ、お前だけには助けて貰いたくもないっ、お前の傍だけは嫌だっ、魔物に引き裂かれたほうがまだマシだ、放せ、放せっ」

 小さな痛みが胸に生まれ、それが心を抉る。
 一瞬言葉を無くしたセイネリアは、だが、じっとシーグルを見据えると、今度は口元に笑みを乗せて言う。

「どうしたいと、俺に聞いたか」

 セイネリアの琥珀の瞳が、まるで憎むものを見るようにシーグルを睨んだ。
 顎を掴んでいた手で首筋を撫で、そして彼の鎧下の服を止めている紐やボタンを外し出す。

「や、めろ……」

 確実に怯えを含んだシーグルの声が掠れて呟く。
 セイネリアはそれを無視して、彼の着ているモノを剥いでいく。

「嫌だっ、やめろっ、やめろおっ」

 叫んで、暴れる彼を難なく押さえ、セイネリアは琥珀の瞳の奥に痛みを抱えて彼を見下ろす。

「お前は分かっているんだろう? 俺に掴まればどうされるかなど。ならば、お前が思ったとおりにしてやる。お前を大人しくさせるにも丁度いいしな」

 どこまでも感情のない平坦な声が、シーグルの瞳に絶望を落した。




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次はセイネリア×シーグルのHシーン。あまり長くないですが。


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