剣は愛を語れず
貴族達の勢力争いに巻き込まれるシーグル。そしてセイネリアは決断する。





  【1】



 その日の夕方、南の森にいたシーグルの冒険者支援石が呼び出しを示して光った。
 だから帰りがけに事務局に寄れば、情報屋からの伝言メモが渡された。
 それを見た途端、シーグルの瞳が驚愕に大きく開かれる。

 ――本日、エスカリテ王子、ウォールト王子、グスターク王子の3人共に襲撃あり。その内、エスカリテ王子が命を落とした。





「シーグルにはフユがついているな?」

 カリンがエスカリテ王子暗殺の報告を主にした途端返された言葉に、彼女は最初驚いて、それから苦しげに眉を寄せた。

「はい、間違いなく」

 カリンが驚いたのは、その言葉の内容そのものよりは、彼の声の硬さだった。部下の前では平静を装っているこの男が感情を見せてしまう理由を、今では団の中で、カリンの他数人が知ってしまっている。
 今、シーグルについているのは、その内の一人フユである。彼はその能力における信頼も勿論だが、シーグルがセイネリアにとってどんな意味を持つ人物かという事を知っている。それが、重要だった。
 カリンの返事を聞くと、セイネリアは僅かに安堵の気配を見せ、深く椅子に腰掛ける。

「お前の方から一人出せるか? 出せるならこの件で何か奴がボロを出してないか調べさせておけ」
「はい、サーシェルが帰って来ていますので、彼に行かせます」
「あぁ、それでいい。もしいいネタが掴めそうなら、多少は無理してでも掴んでおけ」
「はい、いざという時の為に、エルにも声を掛けておきます」

 言ってから、彼の少し事を急ぐような様子に、僅かにカリンは苦笑する。

「エルの方の件について、早く決着をつけてしまいたいのですね」

 そう訪ねればセイネリアもまた苦笑して、顔を手で覆って上を向く。

「分かるか」
「はい、シーグル様に関わる事ですので」

 前のセイネリアであれば、彼の思惑を探るようなこんな発言は、彼が許可した時以外はカリンが言う事は出来なかった。それ以前に、シーグルの真の重要性を知っている一部の者以外がこんなセイネリアを見たならば、別人だと思うに違いないだろうと彼女は思う。

「あぁ、そうだ。俺はさっさとこの件を終わらせてしまいたいと思ってる。あいつが巻き込まれる前にな。……王位継承問題など知った事か、誰が王になったところで何も変わらん。俺にとっては……」

 その後の言葉を自嘲の笑みに沈めてしまったセイネリアを見て、カリンは彼の変わりに苦しげに胸を押さえた。

「俺の事を笑っていいぞ、カリン。俺は愚かだ。俺にとってはな、団の立場よりも、この国の将来よりも、あいつがあいつである事の方が重要らしい。あいつの為なら、お前達を利用して、危険を冒させる事さえ躊躇わんだろう」

 自分で自分を蔑むようなそんな口振りの彼は、少し前なら想像さえ出来なかった姿だった。
 だからカリンは、彼に告げる。
 真っ直ぐに、彼女が愛した琥珀の瞳の男の顔を見て。

「構いません。少なくともボス個人と契約している我々には、貴方の決断で自らの身になにが起ころうと従うだけです。最初からそういう契約です。貴方は言ったではないですか、俺の為に命を懸けろと。それを了承したのは我々です。それに見合うと思っただけの事を、我々は既に貴方に叶えて貰っています」

 セイネリアがその琥珀の瞳を見開く。
 思えば、彼が自分の言った言葉でこんなに明らかに驚いた顔をしたのは初めてかもしれない、とカリンは思う。

「我々もまた、自分の命よりも大切な物の為に貴方に従っています。それは、他人から見れば命を懸けるに値しないように見えるバカバカしいものも多いでしょう。それでも貴方は叶えてくれた、だから貴方が我々を自分の意志のままに使うのは当然の権利です」

 セイネリアの琥珀の瞳が細められる。

「そうか……」

 それから彼は、静かに目を閉じて何かを考えているかのように腕を組んで黙る。
 彼が感情を知らなければ、人を愛する事を知らなければ、彼は今まで通り、自分の部下をモノのように使う事に何の疑問も持たなかったろう。部下の死も、彼らがセイネリアに死ぬ思いで望んだ願いも、彼にとっては大した意味を持たない事柄であっただろう。
 けれども、自分の中に生まれた感情をどうにも出来ないでいるこの男は、生まれて初めて味わった心の苦しみに藻掻いている。
 その所為で、他人の感情までをも理解し、自分の愚かさを蔑んでいる。

 ――愛しています。

 カリンが決して言う事はない言葉。
 苦しみ、藻掻く目の前に男に、今、掛けてしまいたくなる言葉。
 ひたすら誰よりも強かった男の中に生まれてしまった弱さが、たまらなく彼女には愛しかった。
 許されるなら、今、この男を抱きしめてしまいたい程に。
 けれどまた、今、この男にとっては、甘えが必要ないという事も彼女は知っていたから。彼が自らに許した時以外は、カリンは彼に温もりを与える事は許されないから。
 だから彼女は微笑む。
 主の忠実なる部下として、それを誇るように。

「貴方の思う通りにして下さい。我々はそれに従うだけです。貴方は誰よりも強いまま、ただ前へと進んで下さい。後ろで倒れた者の事を考えるなど貴方らしくありません。我々は、貴方が命を懸けるに足る人物だと思っているからこそ従っているのです」

 セイネリアが唇の端をつり上げ、鼻で笑う。
 琥珀の瞳がゆっくりと開かれる。

「どいつもこいつも、俺に勝手な人物像を押しつける」

 皮肉げな口調は、なげやりではあってもいつもの彼の声に近く、カリンは内心安堵してくすりと笑みを漏らした。

「違うのですか?」

 言えばセイネリアは、椅子に背を預けてカリンの顔を見上げる。

「さあな。だが、そうである方が俺らしいのだろう」

 はい、とカリンが肯定するのと同時に、セイネリアは立ち上がった。







 大通りを、中の人物の瞳のような深い青色のフード付きマントで全身を隠した人物が足早に歩いて行く。人と人の間を縫って、彼の姿は途中、建物と建物の隙間にある小道へと消えた。
 もちろん、そんな人物がいた事など、通りを歩く人々は誰も気にしない。彼がいた形跡などどこにもない、ただの人波が続いて行く。

 裏路地に入ったシーグルは、懐からメモを取り出しそれを確認しながら、尚も大通りから離れ細い路地へと入って行く。
 事務局に預けられた情報屋のメモには、エスカリテ王子暗殺の件の他に地図と時間が書いてあった。つまり、メモでなく口頭で伝えたい情報があるのだろうと解釈したシーグルは、急いでそこへと向かっているところだった。
 メモを受け取るのが遅れた所為で、既にメモに書いてある時間になっている。
 だから急いでいるのだが、用件が用件であるし、指定の場所は治安がよくない。既にいなくなっていても仕方ないと、半分は諦めていた。

 だが……。

 メモ通り、いくつめかの角を回ったところで、シーグルは足を止める。
 待ち構えていたかのように立っていたのは、見覚えのある女の姿。黒い髪に黒い瞳の美しいといえる顔立ち、女性らしい見事な曲線を描く豊満な肢体、正に妖艶と称するのが相応しいその女の、杖を持つ右手の甲には蝙蝠の刺青があった。

「また会ったわね、お姫様。今日は貴方を守るお供はいないのかしら」

 シーグルは咄嗟に腰の剣に手を掛ける。

「エルマ……何故」

 彼女は得体の知れない妖艶な笑みを浮かべると、ふわりと、体重がないように軽く、まるでステップを踏むように後ろへ飛び上がり、一気にシーグルと距離を取った。

「信用第一の情報屋だって、やっぱり自分の命が大事よ、恨まないでおあげなさい」

 くすくすと笑いながら軽やかに走り出すエルマを、シーグルも追って走り出す。

「まぁ、恨みたくても、もうその必要もないけど」

 彼女の体は軽く、走る為の補助の魔法でも掛けているのか、しゃべりながらでも疲れる素振りを見せない。

「まさか、殺したのか?」

 風のように速く、一度飛べば数歩分の距離を移動する彼女は、見失いはしないものの、正直今のままではシーグルには追いつける気がしなかった。

「いいじゃない。どうせあんなクズ、後は命くらいしか利用価値ないんですもの」

 だからシーグルは、体をすっぽりと覆っているマントの留め金をはずし、それを走る自分を取り巻く風にまかせて放り投げた。銀色の甲冑姿が露わになる。
 布が落ちる音が聞こえたのか、彼女が走りながら振り向く。

「やっと顔を見せてくれたわね。やっぱり貴方綺麗だわ、その顔でセイネリア・クロッセスを誘惑したのかしら」

 体を覆っていた大量の布がなくなった所為で、シーグルの体は軽く、邪魔が消えた分足運びも楽になる。先程よりもずっと走るスピードがあがったシーグルの目の前、彼女の姿が少しだけ近づいてくるように見えた。

「それとも、体かしら? 相当にイイのかしらね」

 とはいえ、下品な笑いをこぼしながら走る彼女のスピードも変わらない。もちろん疲れは見えず、あまりにも軽く跳ねるように走って行く。
 今の姿を見れば山歩きの時に文句を言っていたのが冗談のようで、シーグルでさえ思わず悪態をつきたくなる。

「とりあえず、試してみましょうか?」

 言って、唐突に。走っている時と同じように体重を感じさせない程ぴたりと、彼女は足を止めた。
 シーグルも急いで、彼女にまだ数歩の距離がある場所で足を止めた。
 こちらを向いて立つ彼女の背には壁がある、彼女がいる場所は袋小路だった。だからつまり、逃げ場はない。
 けれど彼女の笑顔は崩れない。

 ――嫌な予感がする。

 シーグルは、一歩、一歩、呼吸を整えながら慎重に彼女に近づき、その姿を目の前に見下ろしたところで、その腕を掴もうと……して。何故か、のばした筈の自分の手が彼女に届く前に落ちて行くのを見ていた。

「な……に?」

 次には、見えているものすべてがぐるりと倒れる。何の自覚もなく、何の感覚もなく、ただ、視点の回る世界に、シーグルは自分が倒れたのだと理解する。

「ざーんねんでした」

 青い目を大きく見開いて、見下ろしてくる彼女の顔を驚いて見上げる。その彼女に向かって手をあげようとしても腕一本、いや、指のひとつも動かず、もちろん起きあがる事など出来る筈もない。
 エルマが瞳に昏い笑みを浮かべて、艶やかな黒髪を掻き揚げる。

「ふふ……不思議? 何が起こったかわからない? あのね、貴方が私を追いかけていたその道順はね、とある魔法の陣を描くようになっていたの。
 相手に直接影響を与える術は結構面倒でね、術を受ける本人の体の中に直接魔法を入れるか、相手にも魔法を受け入れさせる為に手伝ってもらわないとならないの。だからちょっと追いかけっこで、あなたにも魔法陣の一部を描いてもらったという訳」

 シーグルは懸命に体に力を入れる。
 だが、どれだけ力を入れても、意識を込めても、体から力が抜けきってしまったかのように、指一本さえ動かせない。声さえ出せない。
 だから後は、ひたすらそれだけが自由になる瞳に彼女を映して、ただ睨む事しか出来なかった。

「そうして睨んでくる顔も素敵ね。でも、いつまでそうしてられるかしら。ふふふ……きっと、快感に喘ぐ貴方の顔も素敵に違いないわ、楽しみね」

 彼女は何をする気だろう。
 そう思って不安を抱くシーグルの周りに、何処から現れたのか、複数の人の気配が近づいてくる。
 足音が地面を叩き、そのすべてが倒れているシーグルを囲むように止まる。

「男なのは少し残念かもしれないけど極上品よ、この機会に貴族様の肌を味わせて貰いなさい。結界は張ってあるから邪魔も来ないわ。だからお前達だけじゃなく、騎士様もちゃんと楽しませてあげるのよ」

 シーグルを見下ろす人影――複数人の男達の視線が好色に歪む。
 口々に卑猥な言葉を吐き、にやけた笑みを浮かべる。
 動けない体をその前に曝したまま、シーグルは唯一の抵抗として男達を睨みつける事しか出来なかった。





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新エピソード開始です。
いかにも次回はエロ展開?!……って思った方はすいません。ってあらかじめ言っておきます。


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