後悔の剣が断つもの





  【5】




 富める街、リシェ。
 首都に近く、船での海外との貿易口であるこの街は、平民出の富裕層は首都以上に多い。
 だが、その街を統べる領主の部屋とは思えない程、美術品や絵画といった装飾の少ない部屋で、やはり飾り気のない、けれどもその威厳を示す、背もたれの高く大きな椅子に老人は座っていた。
 銀色の髪の毛に青の瞳はまさにこの家の当主らしい風貌で、老人とは思えない鋭い瞳は、シーグルがこの家に来た時から変わってはいない。傍らに佇む甲冑の騎士もまた、既に良い歳にはなっていた筈だが、いざ剣をあわせれば、歳と共に衰えた筋力を補うだけの経験による巧さが彼の衰えを感じさせなかった。今でさえシーグルは、この男との手合わせで三本に一本は取られる。

「レドリナ夫人は喜んでいたぞ。あのご夫人は注目されるのが好きだからな」

 椅子の肘掛に肘を立て、その手に頭を乗せた老人はそう言って口元だけに笑みを浮かべた。

「それとあの後、ヴィド卿からお前に仕事を頼みたいという話が来ている」
「仕事、ですか?」

 仕事というなら、冒険者としてのシーグルへの依頼なのだろう。
 だが、ヴィド卿は貴族院の役員の一人だ、となればわざわざ外部の人間を雇わなくても、騎士団や警備隊に仕事を依頼する事も出来る立場である。
 その疑問が老人にも分かったのか、にやりと含みのある笑みを浮かべると、リシェの領主、シルバスピナ卿は目を細めてシーグルを見た。

「仕事内容はさる高貴な方の護衛だという事だ。公にせず、秘密裏の移動だから騎士団の連中は使えないらしい。だから外部の者を雇うしかなかったそうだが、信用と腕が両立出来る人物、という事でお前に頼みたいと言ってきた」

 老人は楽しそうな瞳でシーグルを見ている。
 シーグルがどう返事を返すか、その反応を楽しんでいるようにも見える。

「ヴィド卿からの仕事なら断る訳にはいかないでしょう」
「そうだな」

 立場的に、王家に順ずるあの家の依頼は、命令と言ってもいい。
 確かに、冒険者としてのシーグルならば依頼を受ける受けないは自由であるが、シルバスピナの人間としては、受けなければ後々制裁を加えられても仕方ない立場だ。
 ただ、ヴィド卿の仕事を受けるとなれば、これをきっかけにして彼の派閥に組み込まれていく可能性も高い。政治中枢から離れる事で家を存続させてきたシルバスピナ家としては、受ける事もまたリスクが高かった。

「ならばヴィド卿にそう言っておく。恐らく後で正式に事務局から依頼が行くだろう」

 現当主であるシルバスピナ卿も、シーグルの葛藤を分かっていて笑みを浮かべている。シーグルには祖父の考えが分からなかった。シルバスピナとしては、この話は歓迎されざる問題である。それを分かっていて尚笑っている祖父の思惑が、シーグルには理解出来なかった。

 それでも話が終わったと退出を促されて、シーグルはこのいるだけで気が重くなる部屋を出ようとした。
 だが、そこで。
 シーグルは、祖父が傍らの騎士から受け取っている手紙の、その封印につけられた紋章を見てしまった。その剣と花の紋章を、シーグルが見間違う筈はなかった。
 思わずそれを凝視して足を止めたシーグルを見て、老人が笑う。

「何故……あの男からの手紙がここにあるのですか?」
「私宛だ、内容については言えぬ」

 この家に来た時から、シーグルは祖父に口答えは許されていない。いつでも無条件に従う事しか許されていなかった。
 だから、言えぬと言われれば引き下がるしかないが、それでも今回はそれですべての疑問を放棄する事は出来なかった。

「お爺様はあの男と連絡を取られているのですか?」
「取っている、という程ではないが、何度か手紙でのやりとりはある。一度会って見たいと思っているがな」
「何故……あの男に」
「お前に関して、上出来だと思っているのはあの男を引き入れているところだな。あれは使える、あれを駒として使えるのなら誰もが歓迎するところだろう」

 シーグルは眩暈がしてきた。
 この家の次期当主として、あんな男と関わっているという事を、祖父は快く思っていないとずっとシーグルは思って来た。当然だ、正統なる旧貴族の騎士が、男に組み伏せられている等、普通なら恥以外の何モノでもない。
 だが、祖父がセイネリアとの関係を好ましく思っているなら、前からの疑問は解消される。

「だから……私があの男の元にいる時に、黙っていたのですか?」
「そうだ、別にあれがお前を害する訳でもない」

 シーグルは強く掌を握り締める。
 強く握り締め過ぎて、腕全体がぶるぶると震える。

「お爺様は……私があの男とどういう関係だと噂されているかご存知かと思いましたが」

 シルバスピナ卿は、彼独自の情報源を持っている。
 だから知らない筈はない。そう思っていても、今までの発言がそれを知らない上での事ならまだ耐えられた。セイネリアをただの友人か協力者とでも思ってくれている上での考えならば、シーグルはまだ救われる。
 けれども、老人はシーグルを馬鹿にするように笑みを浮かべて、侮蔑の瞳で答える。

「勿論知っている。別に構わんだろう、あの男を駒として使えるのなら、その体くらい好きにさせてやれ」

 最後の望みも絶たれたシーグルは、目の前が急激に暗くなっていく気がしていた。

「私に……体をエサにしてあの男を使えとおっしゃるのですか?」
「どうせ、騎士としては出来そこないのその体だ、そういう事に使うくらいしか取り得があるまい。女と違って生娘の価値がある訳でもない、あの男を従わせられるのならば、いくらでも足を開いてやれ」

 あぁ本当に。
 本当に、自分はただ家の為の人形としか思われていないのだと、シーグルは思う。

 騎士としての強さも、誇りも、何も求められてはいない。とうの昔にそれを担う事は諦められていたのだと。
 自分は何を求めていたのかと、シーグルは自らに問い掛ける。
 只管に、死ぬ思いで、強くなろうと努力していた日々は何だったのだろうか。

 それでもまだ、自分は立っていなくてはならない。
 役目を果たさなければならない。
 大切な人達の為に、まだ、やれる事はある筈だった。






 リシェを見渡せる高台にある、立派な、けれどもその周囲にある屋敷群に比べれば地味な印象を受けるこの街の領主の住居。とはいえ、シルバスピナ家の屋敷の敷地は広い。
 よく手入れされた庭は他の屋敷達のような豪華な印象を受けないものの、落ち着いた品の良い印象を訪れた者達に与える。但し、花をつける植物達やオブジェ等は東屋のある一角にしかなく、整然と並んだ植木達が見通し良く配置されている方が目立つ分、少し殺風景といえば殺風景にも見えた。
 その、東屋のある唯一の貴族らしい中庭を本館から抜けて、更に背の高い木が並ぶ一角を過ぎたところに、フェゼントとラークが暮らす別館がある。昔は、シルバスピナに嫁いだ女性が出産前後の時期、静かに過ごす為に使っていたという事だが、近年は本館を増築してそちらに部屋を作ってある為、定期的に掃除はしていたものの長く使われていない建物であった。

「にーさん、どうしたの?」

 木の隙間から本館が僅かに見える窓の傍で、フェゼントは溜め息をついた。

「やはり、今日も彼は来ませんでしたね」

 彼、とはシーグルの事だ。
 別館に住んでいるフェゼントとラークは、許可がないと本館に直接入っていく事は出来なかった。だから、本館にいるシーグルと会う為には、彼がこちらへ出向くか、使用人の誰かに彼を呼び出して貰わなくてはならなかった。それ以外だと、庭の中か、もしくは屋敷の敷地外で偶然会うくらいしか方法がない。

 普段、仕事で家に帰ってこない時でなければ、シーグルは一日一回は別館へ足を運び、ラーク宛てに薬草をもってきてくれたりしながら、そのついでに何か問題はないか、もしくは必要なものがあるかどうかを聞いて行っていた。
 その彼へ対応するのは、大抵はこの別館を昔から管理をしていたバセット夫妻がやっていた。ただ、フェゼントは彼に見えないところからその姿を見てはいて、彼が元気そうな姿に安堵していたりしたのだが。
 だから、彼と会って話をするならその時だと思っていたフェゼントだったのだが、リシェへ帰ってきてからずっと、一度さえもシーグルが別館を訪ねてくる事はなかった。

「忙しい、みたいですからね」
「一昨日は貴族様のパーティ出席だったんだっけ? いいなぁ、そういう席のご馳走って一回くらい食べて見たいかも」
「彼はきっと嫌々出席したんですよ」

 ラークの頭を軽く叩けば、まだ子供な末の弟は唇を尖らせる。
 フェゼントには、シーグルがそのパーティに出席させられた理由も、大体は予想がついていた。

 シーグルが、フェゼントとラークをシルバスピナの家に住まわせる為に祖父とした約束は、彼が二十歳になったら、祖父に指定された相手と無条件で結婚する事だったという。
 だから、きっとその為の顔見せなのだろう。
 彼が自分たちの為に、ただ只管犠牲になっている事が申し訳なくて、それをどうも出来ない事が情けなくて、そして、そんな彼を決定的に傷つけた罪悪感が重過ぎて、彼と向き合う事がフェゼントは出来なかった。
 だが、やっと彼と話す勇気が出たら、今度は彼と会う事が出来ない。
 シーグルはこのところ家に帰ってこない事が多く、帰ってきても祖父への報告と自室へ休む為に行くだけで、庭で剣を振る事さえせずに、朝は起きたらすぐに出かけてしまうという。
 その話を聞いた使用人でさえ、最近はシーグルの姿を見ないといっていた程、屋敷で彼の姿を見かける事は稀だという事だった。

「何か、あったのでしょうか……」

 いくら忙しい何かがあったとしても、少し不自然な気もする。
 だがそれは、彼が単に屋敷にいたくないだけとも思えた。フェゼントが首都から帰ってきて気になった事の一つに、やけにこの屋敷へ貴族の客人や、その使いがよくやってくるようになっていた事がある。
 シーグルがこの間のパーティに出席させられた事を考えれば、客人達はシーグルの結婚に関する関係者なのかもしれなかった。だとすれば、彼らに会わないようにシーグルが屋敷に居たがらないというのも分かる。

「これ以上、彼の身に悪い事が起こってなければいいのですが……」

 呟いて、フェゼントは窓の外を見た。
 遠い本館には、また何処かからの馬車がやってきていた。




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シーグルサイド、というか騎士兄弟サイドのお話でした。前回と今回はそれぞれの現状、という感じで話があまり進みませんでしたが、次回から話が進みます。次回、またシェンにに呼び出されて、会いに向かうシーグルは……。

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