後悔の剣が断つもの





  【2】




 楽の音が窓から漏れる。
 人々の笑い声は、さすがにここまでくれば聞こえる事もない。
 外の空気を大きく吸い込んだシーグルは、大きく息を吐き出すと同時に体から力を抜いた。

 あれから、一人を相手にすれば終わる度に次々と相手をせざる得なくなり、どれだけの間踊っていたのかも分からない程踊らされるはめになった。
 貴族としてきちんと教育を受けているシーグルは、勿論踊る事は出来る、が、実際にこういう席で踊ったのは初めてというのもあって、動いた労力以上に疲れていた。
 だから、レドリナ夫人がヴィド卿の用意した席に座って回りの者と談笑している姿を認めた後、疲れた事を理由にして一度踊りの輪から外れ、ついてこようとする者を撒いてどうにか外へ出てきた。
 本当ならすぐにでも帰りたいところだが、祖父からの命令で今日は最後までここにいなくてはならない。
 だから後は、どこかで終わる時間近くまで隠れていようかと思っていた。もう十分に顔は見せて歩いたから、義務は果たしたと考えてもいい筈だった。

 ――外に出たはいいが、隠れるなら何処がいいか。

 貴族院主催の催し物に使われるこの水星宮は、広めの中庭があるものの、そこだと人が多い為隠れているのは難しかった。かといってそれ以外の場所はそこまで広くなく、へたに奥の方にいこうものなら、警備の者に不審者と言われても仕方ない。
 とはいえ、人を避けて歩いていれば自然奥の方へ足が向く訳で、どの辺りまでなら行っても良いかと考えながら歩いていたシーグルは、掛けられた声に足を止める事になる。

「どこへいく」

 さすがにこれ以上は警備地域か、と声の方を向いたシーグルは、そこで驚きのあまり言葉を無くした。
 庭用の薄明るい固定ランプの明かりでも見間違う筈がない、黒い甲冑をつけた男、こんな場所にいる筈のない人物がそこには立っていた。
 セイネリアは、シーグルが気付いたのが分かると、にっと揶揄う時特有の笑みを浮かべて近づいてきた。

「いかにも貴族様って格好も似合うじゃないか、しーちゃん」

 驚きすぎて一瞬自失しかかったシーグルは、急激に顔に険しい表情を浮かべるとセイネリアを睨みつけた。

「何故お前がここにいる」
「少しばかり手を回してな、今日のここの警備には俺の他に何人かうちの連中が来ている」

 セイネリアがシーグルの反応を見て、喉を震わせて笑う。
 それから彼は近づいてくると、3歩分程の間をあけたところで足を止めた。
 だからシーグルは、身構えるだけでまだその場に留まっていた。
 彼の姿を見ただけで、ぞくりと背筋に悪寒が走る。それは、単純に彼を恐れているからではない。うしろめたい理由を体が知っているからだった。

「そんなに構えるな、丸腰のお前に仕掛けたりはしない」

 セイネリアは苦笑して、戦意がない事を見せるように両手を軽く上げた。

「中の奴に聞いたが、なかなか見ものだったようだな、色男」
「そんな事を言いに来たのか」
「いや、今日はちょっとばかり、情報の押し売りにな」
「なんだそれは」

 セイネリアは親指で庭の奥の方を差すと、そちらに向けて歩き出す。ついてこいという事だろうが、シーグルがついてくると思って疑わないその態度が気に入らない。
 とはいえ、もっと気に入らないのは、結局彼について行ってしまう自分なのだが。
 夜風は少し肌寒い。
 だが、思わず腕を抱えてしまうのは、その肌寒さの所為だけではなかった。
 いつもなら綿入りの鎧下に鎧とマント、全部かっちり着込んでいる状態で体にずっしりと重さを伝えてくるものが、今日の格好では何も着ていないように感じられる程軽い。
 この軽さだけでもシーグルは何処か落ち着かないのに、一緒にいるのがセイネリアでは身構えるなという方が無理だ。体を守るものが何もないというのはそれだけで心細さを感じてしまう。

 しかも今は、特に。

 先程から、体が過剰に彼の一挙一動に過敏に反応しそうになるのは、この頼りない服装の所為だけではなかった。
 シーグルを自分のものだと言い、シーグル本人に自らを守れと言っているこの男が、今の状況を知ったなら。守るどころか、自ら男に抱かれている現状をセイネリアが知ったなら、彼は自分を許しはしないだろうとシーグルは思う。

『お前は俺のものだ。他の人間に抱かれる事など許さない』

 一度はそれでも解放を許したセイネリアが、今のこの現状を見たら絶対に自分をこのままにはしないだろう。それが分かっているからこそ、彼にだけは知られてはならなかった。これだけ心を殺して体を差し出して、それで結局体さえ果たすべき役割も果たせなかったなら、自分が今まで生きた意味さえなくなる。

 だから、極力距離だけは取るようにして彼の後を歩き、辺りの様子を伺う。
 セイネリアがシーグルを連れてきたのは、少し奥まった場所にある、背の高い植木に囲まれた場所だった。当然人気はなく、明かりといえるものは月明かりと、少し遠くにあるランプ台の明かりだけだった。そこでセイネリアは地面に座り込むと、シーグルにも座るように促した。シーグルは、出来るだけ距離を取って座った。

「まず、分かってるとは思うがヴィド卿には近づくな」

 話し始めたセイネリアの話題が、最初から彼の言う『情報の押し売り』だった事に、シーグルは内心安堵した。身構えていた体が幾分か緊張を解き、話の内容の方に意識が向く。

「時期国王候補の中で、今のところ有力なのはエスカリテ王子とウォールト王子、それにグスターク王子の3人だ。ヴィド家はウォールト王子の後ろ盾筆頭だが、その王子本人は武術どころか人と争うのが苦手な性格でな、しかも剣より魔法を習っていて、魔法術学生なぞやってる。それで戦事の方面がどうにも心もとない、だからお前を狙っているという訳だ」
「まさか……」

 シーグルは思わず呟く。
 シルバスピナ家が政治的発言力を持たずに今までやってこれたのは、シルバスピナ家自身がそう努めていたからというのは勿論だが、他の宮廷貴族達もその方が都合が良いとして政治中枢から遠ざけていたというのもある。
 リシェという、その気になれば大量に搾り取れる富の果実を持っているシルバスピナ家は、政治参戦すれば確実に上位に食い込んでくる事は必至である。自ら権力抗争を放棄している相手を引きずり出す事もない、とシルバスピナ家を公の場へ強制しないのはある意味貴族達の暗黙の了解のようなものの筈だった。

「情勢も時代も変わったという事だ。ついでにお前が原因でもある」
「俺が?」

 さも意外な顔をして、シーグルはセイネリアの顔を見る。
 セイネリアがそれに苦笑を返す。

「お前は使え過ぎるんだ、いろいろとな」

 言ってセイネリアは、視線をシーグルから外した。
 シーグルは言葉の意味が理解出来ず眉を顰める。

「どういう事だ?」

 わざとはぐらかしているようにこちらを見ようとしないセイネリアにシーグルが身を乗り出せば、伸びてきたセイネリアの長い手がシーグルの服の襟を掴み、そのまま強引に引き寄せた。

 ――油断した。

 いや、話の内容に頭が入りすぎて、彼への警戒が薄れていた。
 彼に触れられれば、途端に心の内に恐怖が膨れ上がる。
 どんなに抑えようとしても、体が震えるのを止める事が出来ない。
 彼に触れられただけで、体が行為の感触を思い出す。男に抱かれる感覚を思い出す。……そして、醜く歪んだ瞳で自分を犯す、父の友だった筈の男を思い出す。

「シーグル?」

 様子がおかしい事に気付いたセイネリアが、シーグルの顔を上げさせて覗き込むように見つめてくる。

「離せ、どういうつもりだっ」

 シーグルが睨み返せば、セイネリアが僅かに笑う。
 シーグルの顎を掴んで顔を近づけてくる。

「押し売りでも、これくらいは情報料代わりに貰っていいだろう?」

 すぐに触れる唇。
 最初は軽く合わせて、それから深く合わせなおして。
 反射的に拒絶しそうになった体を留めて、シーグルはそれを大人しく受ける。
 もう慣れた男の匂いが鼻を抜ける。自分に口付けているのが彼だと分かる事に、何故か体は安堵する。

 あの男じゃない、これは『彼』だ。

 セイネリアの舌は、口内で荒々しくシーグルを奪い尽くす。
 震える舌を絡めて、粘膜を舐めとって。
 何度も合わせ直し、より深く繋がろうとでもするような激しい口付けに意識が薄れる。

 この男らしい、相手の全てを奪い、征服しようとするキス。
 だが、同じ荒々しく蹂躙されるだけなのに、他の誰にされるのとは違うと感じる。

 セイネリアの腕が口付けの激しさとともに、強くシーグルの体を抱き寄せる。鎧でない分、今は相手の腕が自分の体を抱くその力強さや感触が直に分かって、シーグルは我知らず、体から力が抜けていくのを感じていた。
 目を閉じて、相手の感触を感じる。
 セイネリアのキスはいつでも、自分を奪い尽くし、犯し尽くそうとするだけの強引で傲慢なものの筈だった。
 それは今でも変わっている訳ではない。……だが、何時からか、何がか違っている事もシーグルは分かっていた。
 高い位置から嬲るように奪い取ろうとしていた筈の彼のキスからは、何時からか、切実ささえ感じる程、余裕というものが消え去っていた。
 激しいキスは、奪おうとするよりも彼の感情を押し付けてくるようで、その感情の強さと得体の知れない底の深さは、シーグルに無条件で彼を拒絶する事を躊躇わせた。
 
 ――何時からか、彼のキスに何処か優しささえ感じていた。
 
 されるがままに体を預ければ、あれだけ恐怖に慄いていた体の震えが止まっていた。
 セイネリアが顔を静かに離す。

「シーグル、お前は……」

 言いかけたセイネリアは、だがすぐに眉を寄せて言葉を止めた。
 シーグルは自分でも驚いたように目を見開いて、呆然とセイネリアを見つめながら、その青い瞳から涙を一筋落とした。

「何があった?」

 息が触れる程間近で、セイネリアがその琥珀の瞳に剣呑な光を映して見つめてくる。
 気付かれたと思ったシーグルは、セイネリアの腕の中で唐突に暴れだし、彼の体を押し離そうとした。

「は、な、せ……」

 それだけの言葉をやっとの事で搾り出す。

「シーグル、何あった」

 だが今のシーグルには、この男を誤魔化す言葉など思いつく筈もない。

「離せっ、セイネリア、くそっ、離せっ」

 いくら暴れても彼に力で勝てる筈もない。それが分かっていても尚、シーグルは暴れる事しか出来なかった。既に頭からは冷静な思考力が奪われていて、半ばパニックを起こし掛けていたといってもいい。
 セイネリアの手が、押さえつけた腕をそのまま押し込んで、シーグルの体を地面に縫いとめる。その上から覆い被さる事で、体でシーグルを押さえつけると、今度は手でシーグルの口を塞いだ。

「騒ぐな、こんなところを他の連中に見つかりたいのか?」

 セイネリアが言えば、シーグルの動きが止まる。
 目だけは必死にセイネリアの顔を睨みながらも、藻掻く事を止める。
 セイネリアはシーグルの口から手を離し、改めて彼と真っ直ぐ視線を合わせる。

「言え、何があった」

 それでもシーグルは何も答えない。
 それどころか、青い瞳に怯えを映すと、セイネリアから視線を逸らそうとする。
 そんな彼を忌々しげに見下ろして、セイネリアは冷ややかに彼へ告げた。

「言わないなら確認するまでだ」

 そうして、シーグルの服を剥いでいく。

「やめろっ」

 押し殺した声を上げて、シーグルが藻掻く。
 セイネリアはそれを難なく押さえつけながら、彼の豪奢な上着のボタンを外して脱がし、ベルトを外す。

「やめろっ、だめだ、やめろぉっ」

 暴れるシーグルの顔は蒼白といっていいものだった。

「安心しろ、後で帰れるように服は裂かないで置いてやる」






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って訳で、次回はセイネリア×シーグルでエロ。


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