後悔の剣が断つもの
※この文章中には、抑えたつもりですが、戦闘シーンにおいて多少残酷表現的な文章が存在します。
嫌いな方はご注意下さい。






  【11】




 特別区にある大規模な傭兵団なら何処でも、敷地内には訓練場やらちょっとした演習が出来る、広い中庭を持っている。
 そこでは、団員同士が腕試しの手合わせをする事も少なくはなく、それなりに実力のある者同士の戦いならば、他の団員達も多く見物に来る。
 だが、今日そこで戦うのは、その場にいる誰もが見た事のない、今までで一番強い者同士の戦いだった。

 彼らの主である男と、最強と呼ばれる別の傭兵団の主である男の戦い。

 当然、その場には仕事中以外の団員達が皆集まり、皆が皆、ただの見物などという気楽なものではなく、異様な熱狂の目を対峙する二人へと注いでいた。

「クリムゾン、これを持っていろ」

 言うとセイネリアは、腰に刺してあった剣の内、黒い鞘に収まった剣を投げた。唯一付き添いでセイネリアについて来たクリムゾンは、それを受け取ると恭しく彼の主に礼をした。

「なんだセイネリア、噂の黒の剣を使わないのか」

 既に準備を整えて剣を抜いているアルスベイトが、そう言ってセイネリアを笑う。
 それに、セイネリアも兜の下で笑みを返した。

「あんなものを使ったら勝負にならんぞ」
「ふん、後で負けた言い訳を剣の所為にするなよ」
「まさか」

 セイネリアも剣を抜き、構えを取る。

「準備はいいか?」
「ああ」

 セイネリアが答えれば、アルスベイトが剣を前に突き出して走りこんでくる。
 その突きをセイネリアは体で躱しながら踏み込んで、互いの十字鍔をぶつけて剣を立て、刀身を合わせる。
 まずは単純な力比べ、押し合う剣は動かない。
 全身を黒い甲冑で包んでいるセイネリアの様子は見ている者には分からないが、アルスベイトの体は防具に覆われていない箇所があり、剥き出しのままの右の上腕筋が、込めた力の状態を表して大きく隆起した。

「力は互角か」

 呟いたアルスベイトに、セイネリアが言葉を返す事はない。
 兜に覆われた顔の、その表情も見えない。
 セイネリアの体躯は大柄な部類に入るだろうが、体の大きさでいえば間違いなく大男といえるアルスベイトの方がその一回りは大きい。だからアルスベイトとしては、少なくとも純粋な腕力では絶対に勝てる自信があった。それだけに、この結果に、内心彼の中には嫌な予感が湧き上がっていた。
 剣を合わせた状態で、優位性を確信出来なかった場合は一度離れた方がいい。相手が調子に乗って強引に押してくるならカウンターもありだが、この男にそれだけの隙はない。
 現状で、まだアルスベイトは相手の実力を計り切れていなかった。
 黒一色に覆われた姿からは、相手がどれくらい余裕があるのか、それとも必死なのか、それを読み取る事さえ出来ない。

 アルスベイトは力を込めて剣を弾き、セイネリアから一度距離を取る。
 セイネリアはそれを追う事はせず、彼もまた一度引いた。

「一つ、聞いておく事がある」

 勝負が始まってから初めて聞いた相手の声に、アルスベイトは顔を顰める。

「シーグルをどうした」

 だが、続けられたその言葉に、今度はアルスベイトの顔に笑みが湧いた。

「約束だからな、生きちゃいるぞ。そりゃー当然、たっぷり楽しませて貰ったが。なかなか強情だったからな、ちぃっとばっかやりすぎてボロ寸前だ。まぁ安心していいぞ、お前が死んだとしても責任持って俺が使い潰してやるから」

 妙に落ち着いているこの男を挑発するいい機会とばかりに、アルスベイトは殊更下品に、舌なめずりさえしながら言う。

「そうか……」

 それに返す、セイネリアの声は平坦だ。
 だが、その後に続けられた声は、抑揚もなくどこまでも冷静に聞こえるのに、アルスベイトがぞわりと毛を逆立てる程に冷たく響いた。

「いいだろう、本気で戦ってやる」

 言うと同時に、黒い騎士の姿は消える。
 いや、消えたのではなく、目が追えなかっただけだとアルスベルトが理解した直後、彼は背筋を走った冷たい感触に、反射的に持っていた剣を体の前にたてた。
 剣同士が白い火花を立ててぶつかり、鈍い音をたてて弾かれる。
 不味い、とその音だけで、歴戦の戦士であるアルスベイトは事態を理解する。
 セイネリアの剣が速すぎる。
 彼の持つ剣が特別自分が使っているものより上等品とは思えないが、あまりにも速い為に、受けたこちらの剣自体のダメージが高い。このまま剣を受けていれば、確実にあと数回の内に剣が折れる。
 アルスベイトの背に、初めて、恐怖をまとった冷たい汗が落ちた。
 だがそれでも、負けを認めて許しを乞う事が出来る状況でも立場もないことを彼は知っていた。
 再び、剣を受ける。

 ――今度はヒビが入ったか。

 受けた音で、この剣が相手の剣を受けられる限界はあと4、5回、と予測する。
 だが問題は、受けたもののアルスベイトには剣が見えていた訳ではなかったという事だ。
 だから、すぐ側に死の匂いを感じながら、彼は唇に自嘲の笑みを浮かべる。

 ――剣が折れるのが先か、俺が倒れるのが先か。

 剣速、というのは、大まかにいって剣を振る為の動作そのものの体を動かす速さと、剣を振ったその時の刀身の速さをあわせて言う。体が軽く筋力が劣るシーグルが前者をぎりぎりまで鍛えたのに対し、後者は腕力によるところが大きい。剣の重さをより効率よくコントロールする事で補う事が出来はしても、剣を振ったその時の純粋な剣速は筋力がものを言う。
 セイネリアの場合、後者の剣速が尋常ではない域にきているとアルスベイトは判断した。
 最初に彼を見失ったのは油断もあり、全神経を集中させれば、彼が剣を振ろうとしている動作自体はアルスベイトにもかろうじて見る事が出来はした。だが、剣を振ったその瞬間の剣の軌道はどう集中しても速すぎて見えない。更に言えば、ただ速いだけではなく、すぐに軌道を変えて打ち込み直してくる。セイネリアが剣の重量コントロールが上手いというのもあるのだろうが、この無茶な速さは、その化け物じみた腕の力で強引に剣をコントロールしているのだと思えた。
 力では互角、などといった自分の愚かさにさえ嗤いたくなる。
 この男は本物の化け物だと、アルスベイトは今更に実感していた。
 アルスベイトは初めて『敵』に恐怖を感じていた。いつでも自信に溢れていた男の心に芽生えた恐怖は、それだけで体を萎縮させ、彼は最早体の前に剣を立てて、ただじっと終わりの瞬間を待つ事しか出来なかった。

 ――本物の、化け物め。

 自分達の主の不利を悟って静まり返る、大勢の男達の目の前で、とうとう折れた剣が宙を飛び、地面に刺さる。

 セイネリアの剣が止まる。
 彼はすぐにとどめの剣を振り上げようとはせず、一度離れて構えをとくと、今度は一歩、一歩、ゆっくりと近づいてくる。
 アルスベイトはごくりと喉を鳴らす。
 あぁそうか。この男は、俺をなぶっていたのだと、アルスベイトはその時初めて気づく。本気になった後、即殺さずにわざと剣を受けさせていたのは、恐怖を感じさせるためになぶっていたのだと。

『セイネリアに逆らえば、死ぬより恐ろしい目にあう』

 あの噂は本当だったらしい、と思いながら、これが自分の愚かさが招いた結果だとわかっている分、既にアルスベイトには諦めがついていた。
 だが、このままただなぶられて終る事は、彼の立場としてあってはならなかった。
 今、この場には、彼の部下達がいるのだ。
 アルスベイトは折れた剣を捨て、右腰から短剣を抜き、黒い騎士に向かって獣の如く吼える。
 甲冑で覆われた相手にこんな細い剣では意味はない事を承知で、それでも剣先を相手に真っ直ぐ向けて走る。

 足を止めたセイネリアが、まるでスローモーションのように、ゆっくりと、音もなく剣を構えた。
 次の瞬間、その姿は消え、見開いたアルスベイトの視界が黒一色に支配される。
 セイネリアの纏う黒いマントが視界を一瞬覆い、消える。
 後には、夕暮れを迎えた朱の空が広がっているだけだった。

 そして、彼は腕に熱を感じる。

 痛い、というよりも熱い。
 まるで灼熱の杭を押し付けられたような熱さが、彼の右腕から発生した。



 大男の、醜い叫び声が響く。
 それとは逆に、周囲は沈黙が支配していた。
 戦いが始まるまでは野次を飛ばしていた回りの見物人達は、皆が言葉を無くし、腕を抑えて唸っている彼らの主を見ていた。
 押さえた腕と、地面に転がるかつて彼の体の一部であったものが男の周囲に血溜まりを作っている。
 その傍で、黒一色に包まれた悪魔のように不気味な姿の騎士が、剣から血を払っていた。

 自失の時間が終わると、見ている男達の誰かが叫ぶ。

「貴様ぁ、生きて帰れると思うなよ」

 ありきたりな台詞だ、とセイネリアは嗤った。
 一人の声に触発されて、ギャラリーだった者達が一斉に武器を抜き、それぞれの呪詛の言葉をセイネリアに向けて喚き出す。
 いくら相手が強くても、数の暴力の勝利を確信している彼らは、集団リンチの執行者特有の興奮に酔った瞳で近づいてくる。
 いつの間にか、セイネリアの傍らに来ていた赤い髪の男が、主に黒い剣を捧げた。
 それを受け取り、セイネリアは黒塗りの鞘を投げ捨てる。

「面倒だ、お前達はこれで相手をしてやろう」

 不気味に黒い光を放つ刀身が、闇を呼んだ。









 外に出ると、その肌に感じる空気に、理由もなくシーグルは身震いをした。

 ――やはり、何かが起こっている。

 分かるのはそれだけだが、それが何かは分からない。空気のざわつきというべきか、気の乱れというべきか。肌に感じるその空気に、全身の毛が逆立つ。だからシーグルは、ただ、目を見開いて、その気配を感じる方向を見つめた。

 先程、カリン達が助けに来た部屋で、まるで地震のような大地の振動を彼らは感じた。
 それはただ一瞬、ズンと地面が跳ね上がる揺れを伝えただけで長く続く事はなかった。けれども、それを感じた直後、明らかにシーグルを連れていく事を躊躇していたカリンの表情が一変し、シーグルの言葉に了承を返したのだ。
 恐らく、彼女は何が起こっているのか分かっているのだとシーグルは思った。
 そしてそれが、セイネリアに関係しているという事も。

「……もう、終わったようね」

 シーグルが感じた方向をカリンも見つめながら、彼女は苦しげに眉を寄せた。

「急ぎましょう」

 言ってカリンはその方向へ向けて歩きだす。
 だが、すぐに彼女は逆方向に引っ張られて、一度足を止めた。

「何が起こってるんだ? ……い、嫌だ、私はいかないぞ」

 その場に捨ておかず、縛ったまま一緒に連れてこられているシェンが、その綱を持っているカリンを引っ張って、顔に恐怖を張り付かせて震えていた。

「来なさい、お前も見るといい」

 それでも、不機嫌そうにそう言ってカリンが睨めば、シェンは抵抗を諦める。大人しくシェンはカリンに引かれるまま歩きだす。それにシーグルを抱くラダーと、ソフィアも続いた。





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やっぱり戦闘シーンが予定より長くなりました。
楽しかった(==*。……すいません、趣味に走りました、許してください。


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