彷徨う剣の行方
シーグルと両親の過去の事情編





  【6】



 余程の事なのか、シェンは唸ったまま暫く黙る。
 シーグルが無言でその顔を見ていると、やがて彼も心を決めたのか、厳しい顔でシーグルに向き直った。

「エーレは暴行を受けたんだ。相手は……相当に用意周到だったようで、暗闇で顔も見る事も出来なかったそうでね、結局捕まらなかった。
 直後の彼女はそりゃぁ酷い状態でね、何度も自殺しようとした。アルフレートがいたからこそどうにか立ち直る事が出来たものの……そんな彼女を捨てる事などアルフレートに出来る筈がなかった。そしてまた、その事が、どうしても彼の父親が彼女を家に入れるのを許さない理由だったんだ」
「どういう事、ですか?」
「駆け落ち前は、銀髪でもなく、身分違いの傷モノにされた娘など許せるかと言ってね。そして君が生まれた時、父親に連絡をとった時にはこういわれたそうだ。何処の者か分からない男の子供を産んだ女と、シルバスピナの血を引いていない子供に、家の名を名乗らせる訳にはいかない、と」

 その意味を理解して、シーグルは言葉を失った。
 目の前の男の言葉が何処か遠く聞こえる。

「勿論、確定ではないんだ。ただ、君のお兄さんはね、生まれた日やその見た目からでは、アルフレートの子か、それとも彼女を襲った男の子供かわからなかったんだ。私も見たのは初めてだったんだがね……確かに、お兄さんはエーレに似すぎている。先に生まれたのが君だったのならば、誰も文句をいう事なくアルフレートの息子だと認められただろうにね」

 ――フェゼントが、父の子供ではない?

 確かに確定ではない、あくまでその可能性があるという話だ。
 けれども、フェゼントが、父の子でないどころか、母を暴行した憎むべき男の子であるなどと、そうかもしれないと彼自身が知ったなら。

 唐突に、シーグルは幼い日の一場面を思い出す。

 母親はよくシーグルを抱き締めてくれた。
 シーグルが甘えると、嬉しそうに彼女は微笑んで、シーグルが笑顔になるまで抱き締めてくれた。
 そんな時、いつもフェゼントが羨ましそうに見ていた事をシーグルは知っていた。
 母親が兄を疎むような言動をした覚えはないが、彼女は明らかにシーグルばかりに構っていた。今思えば、手放す子供と分かっているからこそ、その分愛情を注いでくれたとも考えられるが、よくある下の子供を優先させているだけには見えないくらいには、彼女はシーグルばかりをよく抱き締めた。

 そんなある日、フェゼントがぽつりと漏らした事があった。

『僕、シーグルみたいに母さんにあんなにたくさんぎゅってしてもらった事ないんだ。……きっと、母さんは僕よりシーグルの方が好きなんだ』

 泣き出した兄をどうにかしたくて、シーグルは一生懸命それを否定した。いい理由など小さな頭では思い浮かばなくて、ただ懸命に否定して、そして自分は兄が大好きだからと母の代わりに抱きついた。

『兄さん、俺は兄さん大好きだから、泣かないで、兄さん泣かないで』

 結局、二人で抱き合いながら大泣きして、そのまま一緒に眠ってしまった。

 その、彼が、この事を知ってしまったら?
 母親が、フェゼントの事を、ずっと父の子ではないかもしれないと疑いの目で見ていたのなら。あまり抱かれた覚えがないフェゼントのその理由が、母が抱きたがらなかったからだとしたら?

 シーグルは再び苦しい息を耐えるように、手で胸を押さえた。

「お願いが……あります」

 それだけの声を出す事が酷く辛かった。
 それでもシーグルは、真っ直ぐ背筋を伸ばし、父の友だった男の顔を正面から見据える。

「この事は絶対に……兄に……フェゼントには、言わないでください。彼に伝わらないように、他の誰にも言わないでください。お願いです」

 シーグルは頭を下げた。
 だが、シェンから返って来たのは沈黙だった。
 彼は、じっとシーグルを見つめていた。頭を下げたままのシーグルを、黒い瞳でただ見つめて……。

 そして、僅かに、口元を歪めた。

「……さて、どうするかなぁ」

 返って来た声の響きからは、先程までの父の友人という仮面が剥がれ落ちていた。トーンが一段高く、声の中に明らかに愉悦の色が混じっている。

 ――聞き違いだろうか。

 シーグルは自分の耳を疑いながら、頭を上げてシェンの顔を見る。
 男の口元に湧いた笑みは醜く歪み、瞳は値踏みするようにシーグルを見つめていた。

「それは、君次第というところだ」

 シーグルには、今、目の前にいる男の顔が信じられなかった。
 ほんの少し前まで、彼は友人として、父や母の当時の状況を彼らを庇いながら、自らも辛そうに話していたのではなかったのか。父に友として同情し、その息子のシーグルに親身になって話してくれていたのではなかったのか。

「どういう……意味、ですか?」

 醜く歪んだ唇を濡らすように、シェンの舌がチロリと動く。
 黒い瞳に浮かぶ愉悦の感情は狂気と呼んでもいい程で、得体の知れない恐怖をシーグルに植え付ける。

「そうだなぁ、こんなところに宿を取っているだけあってね、私は今ちょっとしたトラブルに巻き込まれているんだよ。解決するには少しばかり資金が足りなくてね、まずは君に少し援助して貰いたいかな」
「金、ですか……」

 深すぎる落胆と、男に対する怒りに声が震える。
 この男は本当は最初からそれが目的だったのかもしれない。ただ自分を利用する為に、優しい顔をしていただけだったのかもしれない。
 それでもまだ、金で解決するならそれでもいいとシーグルは思った。
 だが。

「金と……でもそれだけじゃあつまらないからなぁ。あぁ、そうだ、君自身にも楽しませて貰おうかな」
「な、に……?」

 シーグルの顔が凍りつく。
 男の顔は狂気を瞳だけに残して、一見すると気のいい人間のような笑顔でシーグルに諭すように話し掛けてくる。

「どうせ初めてではないのだろう? 一部じゃ有名だそうじゃないか、なんと言ったかな……あぁ、セイネリアだっけ、そいつのオンナって。アルフレートと同じそのお綺麗な顔が、私の下で喘ぎながら恥辱に塗れるのはさぞ楽しいだろうね」

 声だけなら優しげと感じる程に、だがだからこそ、男の神経はマトモではないと思えた。こんな男が本当に父の友人だとは思えなかった。

「き、さまは、本……当に、父の友人だったのか?!」

 最早相手を敬う気などシーグルには毛頭無かった。
 男は睨みつけてくるシーグルを見ると、声を張り上げて笑い出す。
 狂気じみた笑いが然程広くない部屋に響き、シーグルの神経にやすりをかける。
 シーグルはただ笑う男を睨みつける。怒りで視界が濁りそうだった。
 
「あぁ本当に……そうだねぇ、君にとっては違ってたら良かったんだろうなぁ」

 男が笑いを抑えながら、笑いすぎて出てしまった涙を拭う。
 笑い声は止まったものの、シェンの口元は大きく釣りあがったままだった。

「残念だけど本当だよ。ついでに言えば、私が君に教えた事も全部本当だからね。エーレがレイプされた事も、君のお兄さんの事も本当の事だ。嘘だと思うなら、君のお爺様に聞いて見るといい。警備隊に言って当時の記録を見せて貰っても分かると思うよ、黙ってて貰いたいなら君には選択肢は他にないんじゃないかな」

 シーグルは歯を噛み締めて、両の掌をきつく握り締めて男を睨む。
 ……けれど、それは激しい怒りの所為だけではない。そうして力を入れていないと、絶望に精神が侵食されてしまいそうになるだからだった。
 目を閉じ、顔を俯かせ、体を震わせてシーグルは呟く。

「……何故だ、本当に友人だったのなら、何故……」

 感情を抑えても震える声は、小さく、弱く、音にするだけで精一杯だった。
 シェンの顔から、一時的に狂気の色が消える。
 けれども、俯いていたシーグルが、彼の変化に気付く筈もない。
 シーグルは両手を心臓の上に置いて、硬く握り締める事しか出来なかった。

「私は彼の友であったけれどね。私は、彼が憎かったんだ」

 シェンは目を細めてさも楽しそうに笑った。

「アルフレートと同じ顔の、あいつとエーレの愛する息子が、私を見て、苦痛に顔を歪ませる姿は最高に気分がいいね。さぁどうする? ……別に君は断っても構わないよ、君でなく、お兄さんの方にさっきの事を教えてあげながら犯してやるのも面白そうだからねぇ」

 シーグルは男を睨みつける。
 握り締めた掌をぶるぶると震わせる。

「あぁ、一応言って置くと、私には協力者がいるんだ。今日お兄さんを襲ったのは実はその連中でね。君が現れたから計画変更にして今は彼らを抑えているんだけどね、私に何かあったら彼らは当初の予定通り、君の兄さんを狙うだろうねぇ」

 怒りで眩暈がする。
 シーグルは男を睨みつけて、歯を噛み締めるしかなかった。

「……下衆め」

 けれども、シーグルの返事は決っていた。
 最初から、兄弟達の為なら、自分を差し出す覚悟などとうに出来ている。
 どうせもう、自分にはあの暖かで幸せな日々は戻ってこない。ならば、悪い事は全て自分が引き受ければ良いのだと、それはもうずっと前に決めていた事だった。
 どうせ、今更、守る程の体ではない。

 だから。

「……分かった」

 昏い愉悦に光る黒い瞳が、三日月のように細められる。
 それから、男の笑い声が、再び部屋に響いた。





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シェンさんをなんか怪しいなぁと思ってた方は多かったのでは。
次回、1クッションおいて、その次がHシーンになります。


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