彷徨う剣の行方
シーグルと両親の過去の事情編





  【5】



 馬に乗って森を歩きながら、シーグルはふと、自分の頬が濡れているのに気付いた。
 ウィアに言われた所為か、やけに子供の頃の事ばかりが頭の中に思い浮かぶ。

 結局、自分の望みは叶ったのだろうか、とシーグルは思う。

 両親が生きてるうちは間に合わなかったものの、今シーグルは兄弟とまた一緒に暮らしている。……いや、正確にはそうではない。同じ敷地内に住んではいても、フェゼントとラークは別館で暮らし、シーグルと彼らが兄弟と名乗る事はない。
 けれどもまだ、見える位置にいるなら、彼らに何かあった時に力になる事が出来る。幼い頃からの望みだった、家族を守る事が出来る。

 だから、望みが叶っていない訳ではない。

 けれども、何故、こんなにも苦しくて辛いのか、シーグルはその理由を分かっていて分からない振りをずっと続けてきた。

 幼い日のシーグルはただ、シルバスピナの家の者になり、祖父に従ってさえいれば家族が守れるのだと思っていた。
 後に、理解出来る程の歳になってから、祖父の部下であり、教育係の騎士から、祖父と父親が交わした約束――その条件を改めて聞かされた。
 それでようやく、どうして自分がここにいる事で家族を守る事になるのか、両親がその条件を飲むしかなかったのかが理解出来た。
 単純な比較だった、自分一人がここにくるか、父親が家族を捨ててここにくるか。
 だからそれならば仕方ない、とシーグルは納得した。父がこの屋敷に戻れば、他の家族全員は父を失う。自分一人よりも、他の家族全員の方が重いに決っている。
 その時にはもう、シーグルは家族の為ならば、自分はどうなっても良いのだと思っていた。
 だから、自分一人が祖父の言う成りになっていれば、家族は父が守って幸せに暮らせるのだと、それだけが救いだった。

 けれども、父親は早すぎる死を迎え、結局家族は守られるべき柱を失った。
 しかも、その遺体を運んできた騎士団で父の部下だった騎士が、シーグルに父親からといって伝えた言葉は、ただ謝罪の言葉だけだった。
 すまないと、何度も何度も謝っていたと。笑う事もなく、いつでも苦しんで、ただ身代わりにしてしまった息子の事を後悔し謝っていたと、騎士はシーグルに涙ながらに伝えた。

 一緒に来た他の騎士達も、父を悼んで皆涙を流していた。
 だがシーグルの瞳は涙を流す事はなかった。
 代わりに初めて、心の中で父親を責めた。

 苦しんで過ごすくらいなら、何故、自分を忘れなかったのか。
 何故、自分の事など忘れて、家族と幸せに暮らしてくれなかったのか。
 シーグルは自分の意志で、自分で決めて、家族の為にここにいるのだ。家族が幸せになってくれないのならば、自分がここにいる意味がない。
 だから、父親に謝って貰いたくなどなかった。謝るのなら、こんなに早く死んだ事を家族に謝って貰いたかった。

 シーグルは勿論、祖父に何度も残された家族がどうなったかを聞いた。会う事はウィアが指摘した通り禁じられていたから、せめて様子だけを聞いて、どんな条件を出されてもいいから援助をしたいと掛け合った。
 けれども、それは叶わなかった。
 代わりに言われたのが、あの『褒美』の話だった。
 その時のシーグルは、貴族の特権を使うなら何時でも騎士に成れる状態だった。けれどもそれを断って、自分の実力で騎士になると決めて訓練と勉強に明け暮れていた。だからこその『褒美』を指して、祖父はシーグルに言ったのだ。

 約束通り早く騎士になって、二十歳までの自由な間なら、家族に会いに行く事も、自分が働いた金で家族を援助するのも構わないと。

 だからシーグルは、必死に鍛えて勉強をした。
 騎士になって真っ先に、今現在家族が住んでいる家を探してそこへ向かった。――それが、皮肉な事に、母親が死んだ2日後の事だった。

『貴方に兄と呼ばれる筋合いはない。今更来ておいて、まだ家族だと思っていたのですか』

 思い出した言葉に、つきりとシーグルの胸が痛む。
 幼い頃から母親に似ていたフェゼントは、再会した時、本当に母親と瓜二つだとシーグルは思った。
 顔を見た途端、抑えていた10年分の思いが溢れ出して、彼を兄と呼んだ後に返されたのがその言葉だった。
 それでシーグルは思い出したのだ。
 自分はもう、彼らとは家族ではない。
 けれど、それでもいいと思っていた。自分は彼らに家族と認められなくても、彼らを守れるならそれでも良かった。
 唐突に、つい先程の、ウィアの言葉を思い出す。

『シーグル、フェズはお前を嫌ってなんかいない』

 ――本当だろうか。
 胸の痛みの代わりに僅かな希望が見えて、だがすぐにシーグルはそれを否定する。

『ふざけんなっ、お前、フェズがそんな冷たい人間だと思ってるのかよっ』

 幼い記憶の中のフェゼントは、大人しくて優しい兄だった。
 その容姿からだけではなく、よく少女に間違われる程、静かで引っ込み思案で、けれどシーグルが失敗したり怒られたりすれば、いつでも庇って、謝ってくれた。
 だから、シーグルはウィアの言葉を信じたかった。
 ウィアが嘘を付くとも思ってはいなかった。

 けれどもただ、それにすがる事が怖かった。
 信じて、期待して、もし万が一再びそれが否定されたら、自分が立っていられる自信がシーグルにはなかった。

 遠くで、夕刻の鐘が鳴る。

 それに気付いたシーグルは、ふと意識を辺りに向けて、既に薄暗くなってきている事に気付いた。
 何時の間にか、馬も歩みを止め、シーグルが乗っているのにも関わらず草を食べていた。それだけ、シーグルの心が思考の中に入っていて現実にいなかったのだろう。
 馬にまで馬鹿にされるとは、情けないとしか言いようが無い。

 ――帰るか。

 だがシーグルは、馬を街道に向けて歩かせながらも、リシェの屋敷に帰りたくないと思っていた。
 今の気分で、あの辛い思い出ばかりの場所へは戻りたくなかった。
 だから、街道に入ってからリシェを目指さず、首都セニエティに向かって馬を走らせた。

 別に、今のシーグルは毎日必ず屋敷に帰らなくてはならない訳ではない。
 この間のような、家から迎えがくる状況は特殊な例だ。一応、跡取としてその体だけは大事にされているらしい。

 それが何故、セイネリアのところにいる時は、祖父は引き下がったのか。

 その疑問が頭に浮かぶが、シーグルは考えないようにした。
 ただでさえ感情が不安定な今は、セイネリアの事を思い出したくなかった。

 セニエティの南門が見えてくる。
 今日は何処か宿に泊まろう、そう考えて。
 シーグルは、昼間に会った父の友だと言っていた男の事を思い出した。

「そう言えば、赤い角笛亭、だったか……」

 どうせ、今夜はきっとあの時ばかりを思い出す。

 シーグルは馬を預けるついでに調べればいいと、南門をくぐってすぐ事務局へと向かった。








 黄色い街灯に照らされた石畳の道。
 細い裏路地は、それでも事務局から近い事もあってか、人通りが多く賑やかだった。この辺りは治安がいいとまでは言わないが、夜でも人が多い為、何者かに襲われる可能性は低い。
 冒険者向けの酒場、兼宿が並ぶ通りを歩けば、あちこちの建物から陽気な人々の声が響いてくる。歩く人々も、既に酒が入っているのか、どこか覚束ない足取りの者をよく見かけた。

 ――酒でも飲めれば、少しは気が紛れたのだろうか。

 楽しげな人々の声が行き交う道を、シーグルは歩く。
 
 赤い角笛亭はそんな通りにある、割合こじんまりとした、けれどもそれなりに建物自体は立派なつくりの店だった。
 とりあえず中に入れば、すぐに酒場が広がっている訳ではなく、細長い通路が見えて軽くシーグルは驚いた。
 更に中の入り口脇には武装した男が立っていて、シーグルに頭を下げてくる。

「お客様でしょうか? でしたらこのままお進み下さい」

 ただ、こんな店には、シーグルも覚えがあった。
 前にセイネリアに食事を奢ると連れて来られた店もまた、同じ様に入ってすぐは通路で、入り口に武装した男達が立っていた。但し、まだあの店よりはものものしい感じはしない気はする。通路を歩けばその先から店内の喧騒が聞こえて来た分、警備がしっかりしているだけで、中は案外普通の店なのかもしれない。
 酒場らしい広い部屋に出ると、すぐに店の者が寄ってくる。
 シーグルは一瞬迷ってから、シェン・オリバーという男の事を尋ねた。その途端、店員は少し困った顔をして、迷った末に頭を下げて言った。

「では、今調べて参ります。失礼ですが、お名前を聞いてよろしいでしょうか?」
「シーグル……もし本人がいるのなら、アルフレートの息子と言えば分かると思う」

 身なりで分かるとは思うが、あまり貴族としての名前を出したくはなかった。
 セイネリアと来た店と同じようなら客の秘密を守る筈で、だからシーグルの問いにいい顔をしなかったのだろう。恐らく、この手合いの店では、こういう場合、客本人の了承がない限りはいてもいないと言う事になっているのだと思われた。
 一度奥へと消えて行った男は、それ程長く待つ事もなく帰ってくる。

「お待たせいたしました。貴方様の事は、来たらお部屋に通すように言われているそうですが……ご案内して宜しいでしょうか?」

 シーグルは僅かに眉根を寄せた。
 向こうは部屋での方がゆっくり話しが出来ると思ったのかもしれないが、シーグルはこちらの酒場の方で話した方が気が楽だった。
 どうにもまだあまり分かっていない人物と、部屋に二人というのは出来れば避けたい。父の友人なら大丈夫だとは思うが、過去に嫌な経験がある分、そういう状況には警戒するのが癖になっていた。
 それでも、シーグルはそんな事を考える自分に自嘲の笑みを浮かべると、店員に案内を頼んだ。







 宿として使う事は少ないのか、二階に上がれば、廊下の扉の数から、普通の宿よりも部屋数が少ないように見えた。警備には相当に気を使っているらしく、登ってきた階段のすぐ傍にも武装した男が見張りとして立っていた。
 扉から漏れる明かりからしても、中に人がいそうな扉は少なく、案内の男は奥の部屋へと歩いて行く。

 部屋に通されるとすぐ、椅子に座っていた男が立ち上がって近づいてきた。

「やぁ、よく来てくれたね、シーグル君、でよかったね?」

 人の良さそうな笑顔を浮かべる男は、昼間会った男に間違いはなかった。

「はい、そうです。昼間は失礼致しました」
「いや、いいんだよ、私も君達の都合を考えずに、つい懐かしくて話し込んでしまうところだったしね。こちらこそ失礼した」

 シェン・オリバーはシーグルの父親の友人というだけあって、確かに外見的年齢は父親とほぼ同じくらいに見える人物だった。
 白髪が混じった焦げ茶の髪、黒い瞳の回りには歳相応の細かい皺がある。部屋の中だけあって鎧は着ていなかったものの、体つきやその所作は、長く戦士をしているものらしく、柔らかだが隙の見えない空気をシーグルに感じさせた。

「いやぁ、本当に若い時のアルフレートにそっくりだ。……あぁでも、あいつよりも細い所為かな、それともエーレの血の所為かな、君の方が美人ではあるね」

 向こうは笑うものの、シーグルには苦笑しか返せない。
 体の細さについて言われれば、どうしても顔が強張るのは仕方が無かった。

「父や母とはパーティーを組んでいたとの事ですが……」

 話を変える為にそう言えば、シェンは、そうだな、と呟いてからシーグルに椅子を勧めて、自分はベッドに座った。

 部屋の中は普通の宿とそう変わらないつくりで、椅子とベッド、それから机が一つ、後は家具らしい家具はなかった。少し変わっているところと言えば、どうやら窓が二重になっているらしく、外からは格子窓が見えたのに、部屋の中から見える窓は厚そうな板で作られた隙間のないカギ付きのものだった。
 やはりこの宿は、セイネリアと来たあの店と同じ目的で作られてはいるらしい。客を守る事も宿側の仕事としているからこそ、防犯面はいろいろ強化されているのだと思われた。

 シーグルが部屋の中を見回しながら椅子に座ったのを確認すると、シェンはベッドの上で手を組んだ。

「懐かしいなぁ。私がアルフレートと出会ったのは丁度彼が君くらいの歳の頃だったよ。あいつは本当にいいヤツだった。貴族の若様だったくせに、俺やエーレのような庶民相手にも会った時から馬鹿丁寧な話し方でね、出会ったのは俺とエーレが仕事中に彼に助けられたからだったんだが、すぐ意気投合して、それからよく組むようになった」

 そう言えば、良くせがんで冒険者の話を父や母から聞いていたシーグルだったが、彼らが自分達の冒険談を話す事は滅多になかった。話したとしても触り程度で、何々と戦った事がある、といった程度で終わる事が殆どだった。
 だから、一緒に組んでいたというシェンの事を、シーグルが聞いた事がなかったのも不思議ではなかった。

「アルフレートは、強くて、見た目もあれだし、騎士らしく礼儀正しくて誠実で。そりゃぁ、彼女が好きになるのは当然だった。彼女もまた、美人だったし、清楚で優しい女性だったからね、誰が見てもお似合いの二人だったさ」

 何処か遠い場所に視線を彷徨わせて、シェンは話す。
 シーグルはじっと彼の顔をみていたが、ふと気付いたように彼はシーグルと目を合わせると、苦笑をしてみせてから、今度は少し辛そうに溜め息をついた。

「でも彼は貴族の跡取だったからね、彼女と結ばれる為には、二人で逃げるしかなかった訳だよ。彼らは逃げて……ずっと南の地に行ったけれど、アルフレートから私にはたまに手紙がきてね、いろいろ打ち明けてくれたよ。特に彼は、子供と実家の家の事に悩んで、ずっと苦しんでいた」
「俺の事も……聞いていますか?」

 迷いながらもシーグルが聞けば、シェンはまるで憐れむような視線を投げてくる。
 シーグルは掌を強く握り締めた。

「あぁ、聞いている。息子を自分の代わりにしてしまった、最低の父親だと、自分で自分を罵っていたよ。最初から予定の内だったとはいえ、彼はそれで割り切れるような人間じゃなかったからね」

 男の言葉を覚悟を決めて聞いていたシーグルは、そこですぐに聞き返す。

「予定、だった?」
「――あぁ、さすがにそこまではあいつも言っていなかったか」

 聞いてはいけない、と。心の奥で警告する声があった。
 だが既にそれは手遅れだった。
 シェンは言い難そうに顔を顰め、それでも途切れがちな言葉でシーグルに教えた。

「彼が駆け落ちを決めた時に、会って話をしたんだ。……彼の親は、どうしても彼女との結婚を認めてくれなかった、だが、彼女との間に家を継げる銀髪の子供が出来れば、仲を認めて貰えるかもしれない。最悪の場合でも、子供さえ差し出せばもう彼女と引き離そうとはしてこないだろうってね」

 ――あぁ、そうか。

 シーグルは今初めて、父親が自分に謝っていた理由を知った。
 自分は最初から手放すつもりの子供だったのだと。最初から、シーグルに全て負わせるつもりだったからこそ、父はその罪に苦しんで、シーグルに謝るしかなかったのだと。思い出せば納得出来る、あの時やってきた両親は、最初からシーグルを連れ戻す事は諦めていたではないか。だからこそ、彼らは泣いて謝るだけだった。
 シーグルの口元に、自嘲よりも昏い笑みが沸く。

 生まれた時から、いずれ家族ではなくなるかもしれない子供だと、父は最初から分かっていた。

 胸を強く押されたように、息をする事が苦しかった。
 強く掌を握っていても、まるで力が入っていないかのように感じた。
 シーグルはシェンから視線を外す。顔を俯かせて歯を食いしばり、競りあがる感情を抑える。
 それでもまだ、仕方がなかったと、そう思う事は出来た。父が最初からそのつもりだったかどうか、そうでなかったとしても、結果は同じだろうから。

 父も母も、自分を手放す事を嘆いていた、あの涙は自分の為、それだけは事実の筈だとシーグルは自分自身にいい聞かせる。自分は確かに、両親に愛されていた。手放す事が決っていたとしてもイラナイ子供ではなかったのだと。

「彼も仕方なかったんだよ。それしか方法がもうなかった。彼女を捨てて家に戻るという選択肢は彼にはなかったからね。あの時の彼女は、彼に捨てられたら生きていけなかった。……せめてあんな事が無ければ……」

 この上まだ、何かあるのだろうか。
 顔を上げたシーグルの瞳に映ったのは、溜め息をつくシェンの姿だった。
 シーグルは歯を噛み締めて、それでも覚悟を決めて尋ねる。

「母に、何が、あったんですか?」


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シェンさん再登場。でもこの人実は……。

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