迷う剣は心を知る






  【3】



 ごき、という鈍い音と打撃音が聞こえた後、今の今までシーグルを犯していた神官の体は宙を飛び、壁にぶつかって床へ落ちた。
 続いて、あまりのことに声さえ出ない大男の体も、神官と同じ壁まで飛ばされる。
 変わって男達がいた場所には、暗闇から湧いたように、黒い服を纏った男が二人。
 二人とも、ウィアには見覚えがない。手に持った剣をみれば戦士なのだと思うが、気配もなく近寄る姿は、噂に聞く、暗殺を生業とするものに思えた。
 ただし、黒い服を纏いながらも、一人は暗闇にも映える見事な金髪で、一人は燃えるような赤く長い髪と、おおよそ隠密行動には向いていない容姿ではあったが。

「何だ、貴様らはっ」

 飛ばされた衝撃からいち早く現状を理解した大男は、叫びながら立ち上がる。
 神官の方は相当強く飛ばされたらしく、呻いたまま気を失っているようだった。腕がありえない方向に捻じ曲がっているのを見ると、恐らく折れているだろう。あれでは暫く目を覚まさないかとウィアは思う。

「なんだ、分からない程馬鹿なのか」

 黒衣の戦士の一人、赤い髪の男が嗤う。
 その声にも勿論聞き覚えはなかったものの、ウィアには、彼ら二人共の胸に見覚えのあるエンブレムがついているのが見えた。

 黒い剣と花のシルエットの……恐らく、あれは、セイネリアという騎士の鎧にもついていたもの。

 それで全て理解したウィアは、この事態が安心していいのか判断出来ずにあたりを見回した。
 新しい足音が聞こえてくる。
 ゆっくりと奥から現れたのは、見間違える筈もない人物。黒い甲冑と黒いマントに包まれたセイネリア本人が、倒れているシーグルの傍へ向かって歩いてくる。
 裸のまま構えようとしていた大男は、流石にその姿を見た途端、短い悲鳴をあげた。
 だがセイネリアの琥珀の瞳は、陵辱者達も、ウィアの方も、まるでいないもののように完全に無視をして一瞥もしない。彼は真っ直ぐシーグルの傍までくると、その顔を覗き込む。
 その時、彼は足元に散らばっていた何かを踏み潰した。
 パチリという音とともに、その口元に、昏い笑みが湧く。

「無様だな、シーグル」

 荒い息を吐くシーグルは、口に布を詰め込んだまま、セイネリアの顔を睨んだ。
 戦士二人はセイネリアを守るように両側に立ち、ウィアと壁の男達に注意を向けている。
 セイネリアは、静かにシーグルの傍らに足をついて屈み込んだ。

「覚えているか。他の奴に抱かれたら、お前は破滅だと言っておいた筈だな」

 言いながら、シーグルのその顔を上げさせ、優しい程の手つきでその頬を撫ぜる。
 シーグルは唸りもせず、セイネリアを睨む事しか出来ない。ただ、その瞳にはこの間のような強さはなく、不安そうに体と共に震えるそれは、今にも崩れそうに危ういものに見えた。
 ウィアはその光景を怖くて見ていられなかった。
 ウィアにナイフをつきつけたままの少女も、小刻みに体を震わせ、彼らのやり取りを見ていた。

 セイネリアの手が、静かにシーグルの口から布を外す。
 シーグルもそれには逆らわず、開放された彼の口からは震える息遣いが聞こえた。

「お前は俺のものだ。他の人間に抱かれる事など許さない。……お前が自分の身を守れないのなら、お前の自由は失くなる」

 セイネリアの声は低く、静かだった。感情が篭っているように思えないのに、その声が持つ昏い響きは、重く圧し掛かるように辺りを威圧する。
 セイネリアの手が、汚され、晒されたままのシ―グルの体に触れて、つとその肌をなぞる。
 シーグルが息を飲み、その感触に吐息が震えた。

「ふん……薬か。それで堕ちて、あいつらのモノを銜えて善がったのか」
「違……っ」
「違わないな。まぁいい、どうせお前は、もう一生それだけしか出来ないのだから」

 言ってセイネリアは、シーグルが離したマントを広げると彼の体の上に掛け、そのまま、それで彼の体をくるむようにしてその体を抱き上げる。その光景だけを見ていれば、まるで恋人を扱うように優しい姿に見えた。
 否、それは間違っていない。
 セイネリアにとってシーグルは、確かに愛しい相手なのだろう。その愛し方が、普通の人間の感覚とは違うだけで。

「マスター、後はどうします?」

 傍らの戦士の一人が言う。
 黒一色の衣装には目立ちすぎる金髪の男の方だ。

「そこの馬鹿二人は放っておけ」

 それを聞いて、じっと声さえ上げられないでいた、醜い体毛に包まれた裸の大男が口を開いた。

「はは、は。なんだ、俺達を殺さないで放すのか。噂と違って甘いな、セイネリア」

 その言葉を聞いたセイネリアが、僅かに唇を吊り上げて嗤う。
 琥珀の瞳が、どこまでも冷たく男を見据える。

「甘い、か。お前こそ俺の噂を正しく知らないらしい。俺は簡単に殺して終わりにしてやる程優しくないだけだ。……お前の雇い主とは話をつけてある、後はいくら馬鹿でも分かるだろう」

 セイネリアのその言葉を受けて、両脇の戦士も嗤う。
 醜い大男は顔面を蒼白にして座り込み、体を震わせている。

「後悔をするのはこれからという事だ。せいぜい楽しみにしてるといい」

 男に言いながら、金髪の男が剣を抜く。
 そういえば、先程から剣のシルエットは見えたものの、彼らの剣は今まで抜かれてはいなかったと、今更にウィアは気がついた。確かに剣本体ではなく、鞘に入ったまま殴っていたか、もしくは蹴るか殴るかだったから、陵辱者達は死なずに済んでいたのだろう。

「それで、あっちの子供達は?」

 剣を抜いた金髪の男の顔の中、その緑色の瞳がウィアと少女の方を向く。

「そのリパ神官は一応助けておけ。そいつに何かあると、シーグルがこんな目にあった意味がない。奴らの仲間の方は殺しておけ。その程度の情けは掛けてやる」

 それに了承の意味をこめて、剣が少女に向けられる。
 少女の震えが益々酷くなったのがウィアには分かったが、彼女は泣くこともなく、無機質な瞳で剣を見つめるだけだった。

「だめ……だ、やめろ……セイネリア、まだ……子供、だ……」

 聞こえたシーグルの声で、男の剣が止まる。
 どうするかと、目線で尋ねる金髪の戦士。
 セイネリアは少女をじっと見つめ、少女はそのセイネリアを見つめ返す。
 少女の震えは一瞬一際強くなり、そして逆に収まっていった。

「お前、そこのクーア神官の弟子だったな。クーアの術は役に立つ、お前の師を見捨てる気があるなら、ついてくれば仕事をやろう」

 セイネリアが言えば、彼女は頷いた。

「はい、ついて行きます」

 それから少女はナイフを持ったままウィアを見て、そのナイフを突き刺してくる。
 ウィアが驚いて目を瞑ると、ぶちぶちと縛っていた綱が切られていき、ウィアの体に次第に自由が戻ってくる。
 呆気にとられて立ち上がれずにいるウィアの前で、少女がセイネリアの方へ歩いていく。

「カリン」

 セイネリアが言うと、今度は黒衣に黒く長い髪の妖艶な美女がどこからか姿を表した。戦士二人が頭を下げるところをみると、彼らの間でも地位のある女性らしい。

「この子供はお前に任せる。どうしたかは事後報告だけでいい」

 美女は了承するように頭を下げると、少女に手を伸ばした。
 セイネリアは、それで全ての用が終わったというように、シーグルを抱いてその場を立ち去る。それに続くように、黒衣の集団はいなくなる。

「おいっ、ちょっと待てよっ」

 ウィアが叫んでも、彼らは立ち止まらない。

「待てよっ、シーグルをどうする気だよっ」

 ずっと縛られていた所為で立ち上がることさえなかなか出来なかったウィアには、彼らを追う事が出来なかった。
 やっとのことで壁づたいに部屋を出て、外にたどり着くことが出来ても、既に彼らの姿はどこにも見えなかった。
 呆然とウィアは立ち竦む。
 取り返しのつかない事態になったという事だけが、ウィアの分かる全てだった。

 暫く外で立っていた後、思い出したように部屋に戻れば、陵辱者だったあの男達の姿もなく、ウィアは家に戻ることしか出来なくなった。
 だが帰り道を歩きながらも、ウィアはある決心を固めていた。










 ウィアが家に帰って真っ先に向かったのは、本と共に生活をしている友人のところだった。

「ヴィセント、ちょっといいか」

 部屋に入って、声を掛けても返事はない。
 けれどもウィアは気にせず奥へと入っていき、机の前で本とにらめっこをしている彼の姿を見つけると、大股で近づき、読んでいるその本を取り上げた。
 ゆっくりと、ヴィセントが振り返る。

「なんだウィアか、資料に問題があったのかい? あぁ、地図だけは出来たら返してくれるかな、そんなに予備がないんだ」

 ウィアは無言で、懐からぐしゃぐしゃになった紙を取り出してヴィセントに投げる。
 それを拾って、伸ばしながら顔を顰めるヴィセント。
 溜め息を付きながらも、彼は開いたそれを机に押し付けてさらに伸ばす。そこへウィアが身を乗り出すようにして顔を出してきた。

「黒い剣と花のエンブレムの傭兵団って、お前知ってるか」
「黒の剣傭兵団だよ。首都にいる冒険者なら知らない方が珍しいくらいだね」
「どこにある?」

 ヴィセントは邪魔そうにウィアの顔を押し返すと、思い切り顔を顰めて、ぐしゃぐしゃにされた地図の一部を指で円を描くようにして示した。

「多分、此処ら辺。正確な位置はわからないけど、傭兵団とか私設騎士団って名乗ってるのは、ある程度以上の規模なら首都じゃ此処の指定区域内じゃないと街中に拠点を作っちゃいけなかった筈だよ」

 ウィアは聞いてすぐに机の地図を鷲掴みにすると、上着のポケットにいれて立ち去ろうとした。

「ありがと、じゃな」
「待ってよウィア」

 すかさず制止の声を掛けられて、思わずウィアはその場で固まる。
 ヴィセントは大きく溜め息を付くと、ウィアをじっと睨みつけた。

「黒の剣傭兵団って……噂知ってる? まず一般人は近づこうとなんかしないよ」

 ウィアは黙る。
 ヴィセントは、立ち上がってウィアの肩に手を置いた。

「ウィアって興味ない事は全部右から左だからさ。冒険者やってて知ってて当然って事も全然知らなかったりするよね。とにかく、あの辺は治安も良くないし、ウィアみたいなのが行くのは危険すぎる。……それ以上に、黒の剣傭兵団に行くのが一番勧められないけどね」

 ウィアは黙ってヴィセントの話を聞き、それからぎりと歯を食いしばると、伏せていた顔を上げた。

「その、黒の剣傭兵団ってのが、どんくらいヤバイかってのは知ってるよ。なにせついさっき、セイネリアって奴に会ってきたとこだ」

 それを聞いて、いつも動じないヴィセントが目を見開いて黙る。
 けれども彼は、すぐに瞳に冷静さを取り戻すと、真剣な顔をして聞いてくる。

「だったら詳しい話をしてよ、理由があるんでしょ? 止められないような理由があるなら協力するからさ。でないと、今すぐテレイズさんに言いつけにいくよ」

 兄の名を出されれば、ウィアの顔は引き攣る。
 顔を顰めながらも脂汗を掻き、どうしようか考えて……結局、ウィアは折れるしかなかった。ここで兄に知られたら、家から出してもらえないどころでは済まない。

「分かった、理由は話すよ」

 ヴィセントが少しだけほっとした様子で椅子に座る。ウィアも、積み上げていた本を机にどけて、椅子の埃を払うとそれに座った。

 既に太陽が沈んだ部屋の中はもう暗く、青いランプの光だけが積み上げた本達の輪郭をぼんやりと浮き上がらせる。完全に暗い窓の外を忌々しげに見て、ウィアは小さく舌打ちした。
 もう夜だ、急がないと。
 そんな焦っているウィアを見て、ヴィセントはやれやれと首を振って肩を竦めた。

「フェゼントの弟が、シーグルっていうんだけど。セイネリアに連れて行かれてさ、どうにか、したいんだ。そもそも、そんな事になったのは俺の所為なんだ」
「どうにかって、どうする気?」
「そこまでは分からないけど。……いや、どうにもならないけど、せめて一つだけ言いたいことがあるんだ。もしかしたら、それで奴の気が少しは変わるかもしれない」

 ヴィセントは諦めたように、息を吐き出して肩を下ろした。

「ウィアの事だから、ちゃんとした計画性がないのは分かってたけどさ。まぁ、それでもやりたい事がハッキリしてるだけまだいいか。つまりウィアは、セイネリアに会って話が出来ればそれでいい訳だね?」

 確かに、単純に考えればそれだけの事だ。
 頷いたウィアに、ヴィセントは指を差す。

「それで、傭兵団にいったとして、どうやってセイネリアに会う気なんだい?」
「そ、それは、シーグルの事で話があるっていえば、会えるんじゃ、ない、かな」

 指摘されれば、確かにそもそもそこが問題だとは思う。
 けれどもシーグルの名を出せば、どうにかなる気もウィアにはしていたのだ。

「どうかなぁ。だって、シーグルさん本人は彼のところにいるんでしょ? それなら本人から聞くって無視されるかもしれないんじゃない? それにそもそも、ウィアを見ただけで追い返される可能性もあるでしょ? セイネリアは傭兵団で一番偉い人な訳だし、そう簡単に取り次いで貰えるとは思えないんだけど」

 冷静な友人の指摘は、どこまでも正しい。
 ウィアは、とにかくセイネリアに会うだけを考えて上っていた頭の血が、急激に下りてきているような気分になっていた。

「とにかく、この時間からあの辺に行くのは危険だし、明日までに何か方法を考えよう。例えば、会う事に拘らないで、確実に言葉を伝えられるならそれでもいいから……」

 考え込んだヴィセントを見て、ウィアは焦燥に急かされて思わず立ち上がる。

「でも、急がないと」

 シーグルが壊されてからだと遅いのだ。
 こうしている間にもと考えてしまえば、ウィアはいても立ってもいられない。
 しかし、そんなウィアも、ヴィセントの言葉で再び座る事になる。

「ねぇウィア。シーグルさんってさ、もし、自分を助ける為にウィアに何か起こっても気にしないような人なの? 違うよね?」

 そもそもシーグルは、ウィアを守る為に、あんな男達の慰みものになったのだ。ここで彼を助ける為にウィアに何かあったら、それこそシーグルに対して彼のした事全てを無にする行為になる。
 ぺたんと、力なく椅子に座ったウィアに、ヴィセントは笑いかける。

「焦らないで、出来るだけの事をしよう。とりあえず、さっきの地図をまた出してよ、ちょっと作戦を考えよう」

 言われてウィアは、ポケットへと手を伸ばす。手探りでくしゃくしゃになった地図を見つけると、机の上に置いた。
 ヴィセントがその地図を広げる。
 その時に、くしゃくしゃになった地図から落ちるように、バラバラと小さな石粒が零れ落ちた。

「これは?」

 石粒を拾ったヴィセントは、いろいろな角度からそれを眺めている。

「ちょっと……拾ったんだ。そういやソレって何なんだ? 多分、魔法かかってるから意味あるものだと思ったんだけど」

 あの部屋で、シーグルを襲っていた男達が用意していた何か。恐らくそれをセイネリアが踏みつけて、バラバラに砕けていたものをウィアは拾ってきていたのだ。
 ヴィセントはじっくりと石粒を見ている。
 しかし何故か、見ているうちに彼の顔が少しだけ笑みを浮かべているようにウィアには見えた。

「ヴィセント?」

 ヴィセントは石粒をもったままウィアに向き直ると、今度はハッキリと笑顔を浮かべた。

「ウィア、これでセイネリアに言葉を伝える事が出来るかもしれない」



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※次は傭兵団での、セイネリア×シーグルのHシーン。


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