迷う剣は心を知る
セイネリアの自覚編。





  【1】



 ウィアは不気味だった。
 何がといえば、突然の兄の豹変ぶりが。機嫌がいいだけなのか何かあったのか分からないが、ある日を境に、ころっとフェゼントに対して態度が柔らかくなった兄は、今のところ継続してそれを保ったままだった。

 ――何を企んでる?

 と、ウィアは気が気ではないのだが、今のところまだ何かを実行に移している訳ではなさそうであった。ただ、あの兄の事であるから、ウィアの知らない間にいろいろ既に何かしているのかもしれない、というのは経験則による予想だ。

「うん、君が来てから、食生活が豊かになったね。特に、ウィアの失敗料理を食べなくて済むようになったのは大きい」

 こんな風にフェゼントを誉めるような事を兄が言うなんて、絶対に何かおかしい……と思いつつも、自分の名前を出されると、ウィアは反射的に反抗したくなる。

「何いってんだ、兄貴の実験料理みたいなのよりは百倍マシだろっ」
「それは暇な時だけだ。それにあれは『みたい』ではなく、実験料理そのものだ」
「んでその実験料理だと、兄貴は真っ先に俺に食わせるよな」
「それはお前、俺が倒れたら大変だろう」
「俺は倒れてもいいって奴か?!」
「大丈夫だ、死ぬようなものは使っていない」
「たまに死にそうな味つけにはなってるけどな!」

「まぁ、どっちもどっちだね」

 ウィアとテレイズは、テーブルの隅の人物に顔を向ける。
 但し……大きな本が立てられた向こうの相手の顔は、どちらも見ることは出来なかったが。
 フェゼントが来る前だと、こんなやりとりはいつもの事だった。
 つまりそれは、フェゼントがここに馴染んでしまったという事なんだろうか、とウィアは思う。

「ヴィセント」
「はい、フィラメッツ大神官」

 流石にテレイズに呼ばれれば、本好きすぎる友人も、本を除けて顔を見せる。

「食事時間に本を読むのは出来るだけやめたまえ。折角作ってくれたフェゼント殿にも失礼だし、神が与え給うた生きる糧はちゃんと感謝して食べねばならない」
「……分かりました」

 大神官として言われれば、さすがの本の虫も従わざるを得ない。
 沈んだ様子のヴィセントに多少同情はするものの、それでもフェゼントに失礼だという部分に関しては、ウィアも大いに同感だった。

「……まぁ絶対に、とは言わないよ。急ぎの仕事がある時などは、俺も書類を見ながら食事したりもするしね。ただまぁ、たまにはちゃんと感謝して食事を味わい給え」
「……はい」

 ウィアでは分からないが、ヴィセントにとっては一時でも本を読むなという事は余程重要な事らしい。これだけ落ち込んだヴィセントを見たのは、ウィアは始めてかもしれなかった。

「本を見ながらだと、ちゃんと栄養になり難いですから。本は頭への栄養ですけど、体にもちゃんと栄養をつけておかないと、体の方が参ってしまいますよ」

 いいながら笑いかけるフェゼントの顔を見て、ヴィセントが僅かに頬を染める。

「はい」

 再び俯いたその顔は、沈んでいるものではなくて、少し嬉しそうに見えた。
 思わずウィアは呟いた。

「なんていうか、フェズって……お母さん、だよなぁ」
「お母さん、ですか?」
「そうだフェズ、今度フリル一杯のピンクのエプロン買って来るな♪ きっと似合うぜ」
「……それは止めてください、ウィア」

 軽く落ち込んでしまったフェゼントに、ウィアは口を尖らせて抗議する。
 だがそこですかさずヴィセントが一言加える。

「ウィアも似合うと思うけどね」

 ウィアは、本を閉じてすましてスープを飲んでいる友人を睨んだ。

「ヴィセント〜最近やけに突っかかられてる気がするんだけど俺」
「最近ウィアがやけに馬鹿ばっかりやってるからじゃない?」
「お前なー、居候なのに態度ばっかでかいよな」

 鼻息も荒く席を立ちそうな勢いでウィアが睨めば、ぼそりと返すヴィセント。

「……ウィア、資料出来たんだけど」

 その一言を聞いた途端、ウィアの顔色が変わった。

「資料?」

 聞き返すテレイズに、何でもない、というものの、じろりと探るような視線が痛い。
 これで、ヴィセントの方はまるで部外者のような顔をして食事しているのだから、ウィアの立場はなかった。

「ウィア、おしゃべりもいいですけど、早く食べないと冷めてしまいますよ」

 隣のフェゼントからそういわれて、ウィアは大人しく食べる事にした。









 首都セニエティの街は、大通りから路地裏に至るまで、殆どの道が石畳になっている。
 ただし、大通りなど人の多い場所は歩き易いよう、小さめの石が綺麗に並べられているが、狭い通りなどでは大きめの石が結構乱雑に並んでいて歩き難い。

「いつも思うんだけどさ、これ、手抜きじゃねぇのか?」

 などと文句を言いながら、ウィアは前を歩いて行く。
 その後ろを歩いているのはシーグル。今の彼は街中という事もあって、馬は事務局に置いて来ていた。

「大通りは何度か改修がされている。この辺りは最初に整備された時のままだろう」
「あ、成る程」

 ウィアは呟いて、ちらりとシーグルを振り返る。
 街中だと、兜までつけて全身甲冑姿のシーグルの姿はなかなかに違和感があった。いくら騎士だといっても、そこまでガチガチに着込んでいるのは、これから遠征や演習に向かう騎士団の連中くらいだ。本人に聞いたところでは、それでもいくつか省略しているそうなのだが、素人目には完璧な鎧姿の騎士様だ。
 とはいえ、いつ誰に狙われているか分からないシーグルの立場を考えたら、それは必要な事なのだろうとも思う。
 流石に、ウィアも前回のことがあるから、彼と話をするのに街の外へ出る事は止めた。
 大通りは騒がしいから避けて狭い通りに来たものの、この辺りは個人の店が点在していて、人が通らない寂しい道という訳ではない。少し行けば見晴らしのいい高台に出る、そこだとゆっくり話をし易いと思ったのだ。

「もう、体の方は大丈夫なのか?」
「あぁ、流石に一週間も経てばな」

 体調が戻ってからではないと呼び出すのは悪いと思ったウィアとしては、一応、余裕を持って日を空けたつもりだったが、それでも不安ではあったのだ。
 なにせ、相手が相手ではあるし。
 ウィアが襲われた訳ではないが、あの男に睨まれた時を思い出せばぞっとする。よくあんなのと、マトモに戦おうと出来るものだとウィアは思う。真正面から対峙するだけでも、相当なプレッシャーだろう。
 そう考えれば、あの男を敵に回す気がある連中なら、確かに半端な腕や覚悟の者である筈がない。

「あのさ、シーグル。この間襲われた件って……心当たり、あるのか?」
「……あぁ」

 返事をするその声は、やはり、暗い。

「もしかして、前にもそういう事ってあったのか?」
「あぁ」
「セイネリアって奴がらみなのか?」

 シーグルは黙る。
 おかげで、二人して無言で高台に出る為の坂道を上る事になった。






 首都セニエティの街は、全体的になだらかな斜面になっていて、北東方面が高く、南西方面が低くなっている。北には険しい山脈があって、それに後ろを守られるように城が建ち、その城の位置から山々とは反対側に扇型に街が広がっている。
 二人がきた高台は城よりも少し南東の、丁度城と東門の間にあって、ここは街の中で城を除いて一番高い場所であった。当然、街を見渡せる事もあって、ここには警備隊の監視小屋があるし、風景を楽しみにくる人の姿も多く、治安はいい。
 二人が坂を登りきると、開けた空が広がる。
 その開放感に思わずウィアは走り出し、眺めのいい位置に置いてあるベンチに飛び込むように座りこんだ。

「おー、いい風、気持ちいいー。……いやぁ、さっすが、一気に坂上るときっついや」

 無言の状態が続くのが嫌だったのもあって、ウィアとしてはかなりのハイペースでここまできたのだ。
 シーグルは走る事もせずウィアに追いつき、ウィアが手招きをするのに従うように彼もまたベンチに、ウィアと少し離れて座った。

「鎧着て、こんなとこまで上ってくるとさ、結構きつくねぇ?」
「これくらいは、特に」

 聞いてしまってからウィアとしても、そりゃ細いといっても鍛え方が違うよな、とすぐに思い直し、返してくるシーグルのあまりに平静な声に、やはり流石だなとは思う。

「見た目程、この鎧も重くはない」
「あー、魔法掛かってんだろ、知ってる。それでもやっぱ、それなりには重いだろ」
「そうだな、軽すぎても意味がない。俺の場合は特に」

 それには深く納得する。
 どうみても戦士として体重の軽すぎるシーグルは、鎧の所為で重さを補っているところもあるのだろう。そう考えると、やはりその格好で身軽に動く彼は相当なものだとウィアは益々感心する。

 高台だけあって、街の上空を抜ける風が少し強く吹きつけてくる。
 汗を掻いた体にそれは心地よく、ウィアはうっとりと目を閉じた。
 流石に上がっている息を整え、気持ち良さそうにそうしながらも、実は頭の中では、さてどうするかと悩んでいたのだが。

「フェゼントは、まだ其方の家にいるのか?」

 考えている最中にシーグルから声を掛けられて、ウィアは閉じていた目をぱっと開けて彼に向き直った。

「あぁ、いるよ。まだ俺ん家」

 話の糸口に飛びつくように返した後、ウィアは、ここに来て重要な事を思い出した。

 今回シーグルを呼び出すのに、フェゼントの事で話があるといったのだ。

 その場のノリと勢いで動いてしまう自分に自己嫌悪して、ウィアは笑顔を少し引き攣らせる。

「あー……うん、そうだなフェズの事だ。えと、この間姿見たから分かってると思うけど、熱はもう全然大丈夫。そもそも熱出したのが、うちの兄貴がやけにフェズにつっかかってこきつかい過ぎた結果の過労だったんだけどさ。ただなんか、その兄貴も今は気味悪いくらい愛想良くなったんで、前みたいな無茶な事はさせてないよ。
 そっち帰ってないのは、折角の首都滞在だから何か仕事しようって俺がいった所為で、今は手頃な仕事探しつつ、弟のお土産? の薬草とか石とか拾いにいってるよ」
「そうか……」

 彼が安堵しているのが、その声だけでわかる。
 だからやはりウィアとしては、せめてフェゼントとの事だけでもどうにか解決してやりたかった。
 シーグルの状態について考えれば考える程、よくこんな風に落ち着いていられるものだと思うくらいで、ウィアは自分ならとっくに精神的に耐えられなくなっていると思う。歳は同じとはいえ、外見だけではなく中身の作りのデキが違いすぎると思った後、ふと、ウィアは思い出した。

 シーグルの食事量の事を。
 もしかしたら、それこそが一つの現れじゃないかと。

 精神的ストレスを無理に押さえ込んでいると、どこかにひずみが来るという話をウィアは聞いた事がある。
 だから、極端な彼の小食も、もしかしたらそのひずみなのかもしれない。
 であれば、そのひずみが進行したら、完全に食べられなくなる可能性が高い。食べても食べても吐く事になる。食べられなければどうなるかなんて、生き物なら語らなくてもいいくらい当たり前の話だ。
 思いついたその考えに、ウィアはぶるりと肩を震わせる。
 ただでさえ細い彼が、病的にやせ細っていく姿なんて見たくはない。
 ただ、子供の頃からの、といっていたから、食べられないのが単なる身体的な問題である可能性もまだある。
 そうであって欲しかった。

 考えを切り替える為に立ち上がると、ウィアは、街の風景を見下ろしながら、落下防止の柵の方にまで歩いていく。そこで振り返って、柵に背をよりかからせると、改めてシーグルの方を見た。
 座ったままのシーグルは、それでも背を真っ直ぐに伸ばしてウィアを見ている。
 とりあえず今は、予想にじたばたするよりも、やれそうなところから手をつけるしかないかとウィアは思った。

「あのさ、聞いたらいけない事なのかもしれないけど。フェズって、その……前に、何かあった? えーと、性的なことで……事件というか」

 シーグルが、僅かに間を置いた後に言葉を返す。

「俺の口からは言う話じゃない。フェゼント本人の許可がない限り、言う気はない」

 つまり、シーグルはソレを知っているという事だ。
 ウィアの見たところ、フェゼントは過去に性的暴力を受けている。あの反応は確定だとウィアは思う。良くても本当に直前の未遂まではいっている、と思っていたが、それで済んでいないのは、今のシーグルの言い方で分かってしまった。

 ――嘘をつけない人間ってのは、こういう時不便だよな。

 他人事ながらそう思って、ウィアは軽く溜め息をついた。

 ――最悪だ。

 フェゼントが頑なに逃げているのは、それも原因ではあるのだろう。
 勿論、犯された事に対するフェゼントの傷は大きいだろうが、シーグルがそれを知っているという事も、彼の傷を深くしている。
 実は、ウィアとしては最初からフェゼントに何があったかの真相を知りたかったというよりも、シーグルがそれを知っているかどうかの方が知りたかったのだ。
 どうしたものか、と考えて、ウィアは唸りながら腕を組む。

「神官様、ちょっといいですか」

 掛けられた声にウィアが視線を向けると、十歳前後と思われる、小さな少女がウィアの方に歩いてきた。

「はいはい、お嬢ちゃん、何かなー?」

 得意の営業スマイルで少女に笑いかければ、安心した少女はとととっと少し早足になって近づいてきた。
 むさいオッサンに笑い掛けるのとは違って、可愛いらしい少女の姿は、作らなくても自然とウィアの顔を笑顔にする。にこにこと少女が近づくのを見ていると、足元まで来た少女は顔を思い切り見上げて、ウィアの顔をじっと見た。
 ウィアとしては、内心こうして見上げられるのはなんだか嬉しい。

「あのね、神官様……」

 その後の言葉が小さくなって聞き取れなかったウィアは、少女に視線を合わせてしゃがんだ。……しゃがもうとした。
 ウィアがしゃがむその前に、少女の手がウィアの体に触れる。

 そして唐突に、ウィアの視界から空が消えた。







「――――っ!」

 突然、姿を消したウィアに、シーグルは立ち上がった。
 他に見ている者はいなかったのか、周辺の人間から声があがる事はない。
 少女はじっとシーグルを見ている。逃げる素振りはない。
 シーグルは少女に歩み寄って、二歩半分の距離を取ったところで立ち止まった。すぐに抜けるように剣に手を掛けている。

「彼をどこに飛ばした?」

 少女が使ったのは転送術だ、ならばこの少女はクーアの神官である。
 子供だと警戒していなかった自分を、シーグルは呪った。ウィアに何かあったら、フェゼントに対して申し訳がたたない。

 少女はそんなシーグルを、あまり感情のない目で見つめると、ふと視線を別の方へと逸らした。
 少女が見たその視線の先には、紫色のクーアの僧衣を来た男が立っていた。前の時は顔が見えなかったが、気配からしてもあの時のクーア神官だということがシーグルには分かった。
 少女は男の傍に走り寄る。
 少女の頭をねぎらうように撫で、男はシーグルに笑いかける。

「彼は私の仲間のところにいます。来て、いただけますね?」




---------------------------------------------

※次はウィアの前で男二人に嬲られるシーグル、のHシーン。





   Next


Menu   Top