銀の拍車と黒の剣







 東と北を険しい山に囲まれ、西には海、南には大樹海に囲まれた、北方の大国。
 自由の国、クリュース。
 この国がそう呼ばれるにはちゃんと理由がある。

 元々はその辺に何処にでもある王政国家の一つだったのだが、今から110年程前の国王アルディアU世の時、隣国ファサンとの戦争中に兵士達が反乱を起ことから事は始まる。
 正確には反乱というかいわゆるストライキと言った方がいいのだが、早い話、酷い徴兵制度と待遇の悪さに、戦地に行く筈だった兵士達が行かずに王城を取り囲んで、待遇改善を国王に訴えたのだ。
 言っておくがこのご時世、クリュースが他国と比べて特に兵士達への待遇が悪かったという事はない。働ける年齢の男はごっそり兵士として徴兵され、長引く戦争で兵士にろくな物資が支給されず、戦死ではなく、戦地での病気や飢餓で死ぬものも少なくはない……という状況でも、戦争中の国なんてのはどこも大方そんなものだった。
 他の国と違った点といえば、ただ一つ。兵士達にそんな反乱を起こすようなチャンスがあったという事だ。

 クリュースはこの時、長い戦争に勝利で終わりを迎えられる見通しが立った、調度その時だった。

『勝てばどうにかなる』
 戦争なんてやる連中が思う大抵の事を今までずっと通してきた国王は、それが現実になりそうな状態で、それはもう勝利に気が急いていたし、戦況を知っていた指揮官達や正規騎士団の連中も、日に日に士気は高まるばかりだった。
 だが、普段は畑仕事や家畜の世話が職業の連中は、そんな状況など知った事ではなかった。
 そもそも、どこの国もそうであるように、一般的な国民に知らされている戦況は、どこどこで我が軍勝利、と勝てた話しかない。長い戦争でそれに慣れていた国民は、その時の『勝利間近』もはいはいそうですか勝っても次があるんだろ、という程度の話であったのだ。それどころか、前の徴兵からあまり間が空いてなかった再徴兵再派兵と、もうすぐ刈り入れ時という時期もあって、一般兵達の士気はすこぶる悪かった。当然、徴兵も予定以上に時間がかかり、どうにか派兵出来る状態に仕上げるまでにもやはり時間がかかってしまった。

 とにかく目前の勝利に気が急いていた国王は、そこで仕方なく、正規騎士団の連中を先に援軍として出発させた。これが一つ目の兵士達にとっての幸運だった。
 さらに、後発予定の隊を率いていた士官連中も平民上がりの者が多かったのと、その隊の指揮官が貴族とはいえ一平卒からの叩き上げで上に上がったような、一般兵士からみて『話の分かる人物』だったという幸運が重なった。

 きっかけは恐らく、ホームシックにかかった誰かか、戦地に赴く事に恐怖を覚えた誰かだったのだろう。
 誰かが発した行きたくないという言葉が、海面を走る波のように広がって、ちょっとしたパニック状態が発生した。普通ならばそれでも正規騎士団が事態を収拾にくるところなのだが、生憎王都の守護に残った正規騎士団員は多くなく、外からの攻撃に対する守りとして配置されるのにぎりぎりという数だった。当然、そんなところに人を割いていられる状態ではない。
 パニックは抑えられる事なく後発部隊全軍に広まり、最早事態の収拾を付けられなくなった。そこで、その隊の指揮官である下級貴族の三男坊フィリッツ・ラクラレンは、パニックの方向性をもう少し穏便な方向性に纏めて事態の収拾をはかろうとした。元から、彼が兵士達に同情的だった事もあり、彼自身は本当の戦況を分かっていたので、今ならば国王は多少の要求なら飲んでくれると踏んでいたというのもあった。
 かくして、彼は反乱した兵士達の首謀者という名目を背負わされ、王城を取り囲んで兵役が済んだ後の兵士達への褒賞やら平民層に対する税率の改善やらの交渉をする事になった。
 そして状況が状況だけに、またフィリッツが上手くどうにかなりそうな要求に絞り込んだ為に、国王はあっさりとそれらの要求を飲んだ。『勝てばどうにかなる』という前提の元、目前にぶら下げられた勝利をまずは掴む為に、兵士達が大人しく戦地へ赴いてくれるならばと、とにかく頭を縦に振るしかなかったのだ。

 そして、クリュースは予定の勝利をどうにか掴み、長い戦争は終結する。敵であったファサンという国は消え、クリュースの一地方として統合された。

 さて、戦争には勝利したクリュース国王アルディアU世であったが、戦後に2つの事に困る事になった。
 一つはもちろん、兵士達に大盤振る舞いで約束してしまった諸所の要求、そしてもう一つは、ファサン領内の多くを占める樹海の扱いだった。自国領内だと言い張っていたのだから、ある程度はファサンの方で調査なり何かしらの手を入れてあると思った広大な樹海。それが実は全く人の手が入らないどうしようもない場所で、その領地が国益に繋がるどころか、どうにかするのに金も手間も掛かるという有様だった。
 勝ったものの、日に日に頭を痛める事ばかりが山積みになっていくアルディアU世は、片方の頭痛の種の首謀者であるフィリッツに、そもそもお前が反乱首謀者なのだから本来なら処刑されていてもおかしくないのだ、と脅してこの難題を押し付ける事にした。

 フィリッツという男、腕っぷしの強さと戦闘のカン、統率力等、一介の騎士としてと軍隊の指揮官としては優秀といえたが、多くの優秀な戦士がそうであるように、役人がやるような細かい事に頭を使う方向はそこまで得意ではなかった。一応貴族だったので全く教養がないという訳ではないが、細かい事を考えるのは得意なタイプではなかったのは確かだ。

 そんな彼だが、騎士団所属になってからずっと相方として行動を共にしている、幼馴染の男がいた。名はティーダ・クルスと言い、彼はフィリッツとは逆に研究が趣味で、頭を使うのが仕事の魔法使い見習いだった。実は件の反乱の時のフィリッツの決断も大半がティーダが考えたもので、頭を使う事はティーダの仕事と、全面的にフィリップはその幼馴染の魔法使い見習にいつも任せきっていた。
 ティーダは頭脳の面でいえば、とびぬけて、と言っていい程優秀であった。だが、平民の出である為、魔法使いとしても、よしんば役人あたりになれたとしても、どうせたいした地位になれないと分かっていたので、フィリッツの頭脳役として、彼の為に騎士団に骨を埋めるのもいいかと思っていた。
 実際、いくら戦中とはいえ、平民の出のティーダがここまで出世できたのはフィリッツの下についていたからで、下っ端役人でもやもやした日々を送るくらいなら、フィリッツを出世させてそれなりの発言権を得る方が出来る事も多いと考えていた。
 ところが、状況的に仕方なくフィリッツが反乱首謀者に祭り上げられる事になり、その所為で前から考えていた兵士達の待遇やら国民の不満への対処の案が一部日の目を見る事になった。かと思えば、今度は国政を決めるそんな重要な懸案をどうにかしろとお鉢が回ってくる始末。まさかここまで急に、そして嘘みたいにあっさりと、自分の意見で国が動いてしまうとは思わなかったテイーダは、野心などなかったが、研究者としては自分の机上の空論を実践できるかもしれないという魅力的な状況を逃す筈はなく……かくして、近隣から、自由の国、と呼ばれる所以となる新しい国の政策が、たった一人の優秀な魔法使い見習の青年の頭から生まれた訳である。

 冒険者、という言葉とともに。





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